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2010年5月

2010年5月30日 (日)

南薩線廃線跡サイクリング記(その11)

昨日は義理の叔父が亡くなってので、告別式に行ってきました。透析を隔日で行うなど健康状態はよいとはいえなかったのですが、当日の朝起きてきて、叔母が朝食の支度をしている間に座っていた場所で眠るように倒れ込んでいたのだそうです。76歳でした。

葬儀・告別式は市内の葬儀場で行われました。自宅での葬儀はめったに行われなくなって久しいのですが、葬儀場のハード面、ソフト面にいたるまでずいぶん様変わりしたなあと感じました。

葬儀場がホテルのごとく美しくなったのはいうまでもありませんが、社員の対応が実に心がこもり、ひとつひとつの葬儀を大切にしていることが伝わってきました。これまでは、どちらかというと単なる仕事としてところてん方式に次から次へとこなしているんだろうなあという様子がうかがえることが多々ありました。大切なかけがえのない人を亡くした悲しみの一方で淡々と仕事をする葬儀場の人、この違和感をこれまで幾度となく感じてきました。商売としてやっているんだよなあと。

JR九州の客室乗務員が好評なのは、プロとしての洗練されたもてなしとその人個人からにじみ出る決してマニュアルのみでない対応、このふたつの取り合わせなのだろうと思います。ものの時代から心の時代へと時代は移行してきています。高度経済成長を支えてきた“もの万能”の時代は行き詰まり、先行きの見えない時代に入ってきています。

葬儀場も時代とともに遺族の気持ちにより添う心のこもった葬儀をコンセプトとするように変わってきたのだろうと思います。もちろん企業間の競争から生じた部分もあるかもしれません。しかし、競争をしながらよりよいものを目指すのは社会の中で必要なことです。私も皆さんと同じように生まれてきた時から死という避けられない運命を背負って生きています。死のキャリアです。いつしかこの世からお別れするときが必ずやってきます。少なくともこの世からのお別れですから、ところてん方式は勘弁といった気持ちです。

人の死はどうしても忌み嫌われる部分があります。中には志半ばでの不幸な死もあります。

しかし、お別れするのは寂しいけれど、故人を偲びながらもそれぞれの人生の意味を深く味わいながら肯定的に送り出したいものだと思います。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の11回目です。

謎の機関車を後にしてしばらくいくと森林浴ができそうな場所に出てきます。

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左右に杉の人工林。杉特有の香りがあたりに漂います。杉のてっぺんがとがっているものは生長中。丸くなっているものは上への生長が止まったものだそうです。大きな木になると幹に耳を当てると水を吸い上げる音がするのだそうです。ここの杉は植えられてどれくらい経つのでしょうか。現役時代に植えられたものか、それ以降のものか?下草がよく払われ、枝打ちもしっかりされた管理の行き届いた杉林で、神社の参道をいくような感覚になります。

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吉利駅遠望です。吉利といえばNHK大河ドラマ「篤姫」で篤姫とともに注目された小松帯刀で脚光を浴びたところです。正面に見えるホームは旅客ホームではなく貨物用のホームです。堀割を進み、ちょっと開けたところに吉利駅はありました。ホームの向こう側に見える古い瓦を葺いた建物が駅前商店です。

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左手に草の中からコンクリート塊が顔を出しています。上部は水平になっており、ボルトで固定するためのねじが4つ。信号機の台座のようなつくりですが、真相は分かりません。信号機だとすると位置からして交換可能な時代の場内信号機のものではないかと推測されます。もちろん腕木式ですね。

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この写真はサイクリングした日よりちょっと前に撮影したものです。緑の様子が違います。右手にあるのが貨物ホーム、そして奥のちょうど陰になった部分の草に覆われた部分が旅客ホーム。このホームが最後まで使われていました。向かい側には対向式ホームが今でも残っています。ということで吉利駅は対向式ホームで交換可能、貨物側線まで備えた模型的にも好まれそうな規模の駅だったのです。両サイドの永吉駅も日置駅も同じように交換可能、永吉駅は分かりませんが日置駅にも貨物の側線がありましたので、南薩鉄道時代、どの駅もそれぞれの場所で人の流れ、そして物流の中心として大いに活躍していたことがうかがえます。

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これが対向式ホームの駅舎の向かい側のホーム。草や低木に覆われていますが、ホームの石積みは残っています。このホームが使われ、列車交換が行われていた時代はどんな様子だったのでしょうか。近くに駅職員のための社宅もあったといいます。

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こちらは駅舎前のホームです。ちょうどこの辺りに駅舎がありました。駅舎は廃屋同然でしたが、最後の日まで待合室として使われていました。その奥に見えているのが、今なお現役の駅前商店。南薩鉄道が活況を呈していた頃は、列車の始発、終着の時刻に合わせて営業をしていたとお聞きしました。南薩線とともに歩み、そのままの姿で今でも現役である貴重な商店です。建物のつくりも凝ったものとなっています。

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郵便ポストに郵便取り扱いの表示、たばこののぼり、庭箒、種もの、お墓に供える生花、アイスクリームの冷凍ケース…。立てかけられた新旧のよしず…。現役である商店の生き生きとした表情がいいですねえ。実は、このとき店主のおばあちゃんよりずっと若い近くの女性がやってきてなにやら話しを始めました。店内でにぎやかに話している声は駅跡まで響いてきます。

以前、店主のおばあちゃんにお話を伺ったときに、人とのつながりが楽しいから店を続けているとおっしゃいました。お店も元気、おばあちゃんも元気、の秘訣は人とのつながりにあることは間違いないようです。

おばあちゃんによいものを見せてもらいました。

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五玉の算盤です。年季が入っています。今でもお店の計算はこれ。こちらも今なお現役です。南薩線とともに歴史を刻んできた物言わぬ貴重な生き証人かもしれません。

みなさん、吉利駅跡に行かれたら、おばあちゃんとの会話を楽しみながら駅前商店を利用してくださいね。きっと、後ろの方で南薩線の汽笛や駅員さんが吹く笛の音が聞こえてくるような気がしますよ。

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2010年5月28日 (金)

南薩線廃線跡サイクリング記(その10)

ようやく週末、今週はバレーの練習があったり夜の会合があったりで少々お疲れモード。金曜日が待ち遠しい一週間でありました。

一週間頑張ったご褒美にと、自分なりに口実をつけてぎんぎんに冷やしたビール(今日は発砲酒ではありませんよ)を2本も飲んでしまいました。いつもは一本で我慢しているんですが…。ビールのお供はピアノ協奏曲とフルート協奏曲の2枚立て。しらふの時より、ひとつひとつの楽器がクリアに聞こえるのはなぜでしょう。アルコールの力は偉大です。テレビなし生活を始めて約2ヶ月。お気に入りのDVDを観たり音楽を聴いたり、時が自分のペースでゆっくり過ぎていくような気がします。

もうちょっと欲しくなったのですが、貴重なビールはこれで終了。焼酎を…というところですが、なんと芋焼酎を切らしています。

さて、どうしたものか。うむ、台所の流しの下にあれがあったぞ。そう「百年の孤独」。

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いやあ、この百年の孤独はかなり年季が入っています。製造過程でも長期樫樽貯蔵しているのですが、うちに来てからも忘れ去られたように長期貯蔵。飲みたくなかったわけではないのですが、「百年の孤独」が孤独を好んだのか、目立たない場所でかなりの年数ひっそりと放置されておりました。引っ越しの時に、久しぶりのご対面。

宮崎県の黒木本店謹製。アルコール度数40度。麦焼酎の樫樽貯蔵。琥珀色の焼酎は、とちらかというとウイスキーのような味。もう焼酎の域を超えています。この焼酎との出会いは今から30年ほど遡ることになります。当時、鉄道研究会のメンバーで宮崎県から来られた方がいらっしゃいました。その方から飲ませていただいたのがこの焼酎でした。味もさることながらこのネーミングにも魅せられました。

ネットで調べてみると、7000円から12000円の値段が付いていました。結構するんですね。今日、ちょっとだけロックで飲んだんですが、一杯いくら?って感じです。

そういえば実家にある古い鉄道模型を並べた棚にも一本。これはもうかなりの年季。どんな味に熟成されているのか。いつしか、何かの記念日に飲んでみることにしましょう。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の10回目です。

永吉川の橋脚群のすぐ横に物産館ができています。そこで、給水用に飲み物を購入。いつもそこそこのお客さんで賑わっており、南薩線の橋脚群や浜田橋に見入る人たちも多くいます。物産館下にある吉利側の橋台がこれです。

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 向こう側に物産館下方にある東屋が見えています。どっしりとした橋台が健在で、自転車道が物産館から廃線跡に合流する形をとっていることから少しの距離ですが、橋台から築堤に至る手つかずに遺構を見ることができます。

物産館で購入した飲み物を持って廃線跡へ。物産館ではなく、廃線跡で当時の車窓に思いを馳せながらのどの渇きを潤すことにしました。

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 築堤からはこのような光景が広がっていました。田植えを終えてしばらくたった田は、稲が整然と並ぶ様子が見事で、新緑との取り合わせが実に美しく、しばし見とれてしまいました。左手奥には、南薩線を撮った写真で時折見かける鳥居が見えています。そして、その左手には東シナ海の大海原も広がっています。海の方に視線を移すことにしましょう。

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 神社の鳥居がトトロの森を連想させてくれます。永吉川河口の奥には野間岳が見えています。山頂に近くなるにつれて急峻になる特徴ある山容は遠い時代から船舶の道しるべになっていたそうです。野間岳にも登ってみたいと思っています。

のどを潤した後、自転車をちょっと進めると、急なSカーブの区間になります。

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草にじゃまされてよく分かりませんが、右側にカーブを描いた線路はすぐに左側へカーブし、次の大地へと向けて勾配を登っていきます。ここへ向こう側から下ってくる列車を撮ったことがありますが、下り勾配に加えて急なSカーブになっているため、慎重にブレーキをかけながら通り過ぎていきました。

重いペダルと格闘しながら台地へと登ってきました。そして、しばらく行くと、線路跡横にこんなものが。

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機関車のような形をしています。正面に回ってみることにしましょう。

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やはり機関車です。公園などにあるよう機関車ですが、結構つくりがしっかりしていて、鉄道を知っている人が設計したなという感じを受けます。色を黒くすれば、本物のナローの機関車かと見間違えてしまいそうなくらいバランスが取れています。どのような経緯でここへやってきたのか不明ですが、自転車道サイクリングのひとつの見所にはなりそうです。

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2010年5月26日 (水)

新しいルート

5月も下旬だというのに少々肌寒くあります。

最近、朝新聞を取りに玄関を開けると、心地よい小鳥のさえずりが毎日聞こえてきます。なんともかわいらしい楽しげなさえずりです。どこか野鳥図鑑があるはずなのですが、荷物に紛れていて調べることができません。

とりあえず、写真を撮って図鑑が出てきてから調べることにしました。

こんな小鳥です。いつもここにとまってさえずっています。

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昼、加世田へ出る用事があったので、休憩時間を利用して帰りに上加世田駅跡に寄ってみました。久しぶりに行ったので、国道から入る道を間違えてしまい、長いこと来ていなかったんだなあと改めて思いました。さしたる変化はなく、これからますます勢いを増していく夏草に覆われていました。HVCCさんが苦手な細長いは虫類が出そうで、恐る恐る歩を進めました。石積みの給水塔も健在です。

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足下の草があまり生えていない部分ではバラストを認めることができました。南薩線は国鉄や大手私鉄のそれと違い、バラストは薄く、最小限のものだったように記憶しています。それ故、右に左に上に下にという南薩線独特の乗り心地を演出していました。

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退庁後、鹿児島へ。今日は、鹿児島帰りの新しいルートを調査。県道20号線大坂経由がもっとも近くて早いようですが、かつてのメインルートである伊作峠経由はどうなのでしょう。こちらは南薩線廃線跡を道路に転用した阿多・伊作間を利用することができます。

ちょうど、夕暮れ時で見事な夕日を左に見ながら南薩線跡を走ることができました。夕方は交通量も結構多く、自転車に乗って家路を急ぐ中学生の姿もいくつか見かけました。かつては南薩線の車窓から、こんな風景を見ながら揺られていたのだろうなと想像を巡らすことでした。調べた結果、距離・時間とも県道22号線伊作峠経由でもほとんど変わりがないことが分かりました。伊作峠の方が越える峠の標高が低く、燃料代を若干抑えることができそうです。一番の魅力はなんと言っても南薩線廃線跡を走れること。これからこちらが私のメインルートとなりそうです。

夜中にこちらへ帰ってきました。もちろん伊作峠越えのコースです。今夜は月夜。南薩線跡の道路もこの時間帯はひっそりとしていて車もほとんど通りません。道路横に車を止めて、フロントガラス越しに撮ってみました。南吹上浜・北多夫施間です。

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2010年5月25日 (火)

南薩線廃線跡サイクリング記(その9)

今日はバレーの練習があったので、自転車こぎはウヤ。昨日は仕事を終えて1時間ほど走ったのですが、平坦な場所で車の心配もなく、しかも直線が続くこんな走行環境は他ではめったに得ることができない、と運命?の巡り会いに感謝しています。東シナ海の大海原を見ながら走れる、生長する稲を見ながら走れる、疲れたら堤防に腰掛けて海を眺められる。こんなところはめったにありません。

自転車は折りたたみ式ではありますが、7段の変速機を有したものを購入して正解でした。坂道や風の状況に応じてちょうどよい負荷の段を選ぶことができます。結構スピードも出ます。

Boardwalk

この写真は2010年モデルですが、このちょっと前のモデルになります。オプションで泥よけと前かごを付けています。また、ライトと空気入れも付けてあります。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記録の9回目です。

永吉川の橋脚とともにここでの見所はなんと言っても石橋の浜田橋です。

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南薩線現役時代、この眼鏡橋をからめた写真は多く撮影され、また多くの写真が発表されてきました。直線的な路面は近代的な印象を受けます。説明板によると、明治17年以前に永吉橋として架けられ、その当時は2連の石橋だったとか。しかし、大正2年の水害により流失、その後、3連橋に改修されて現在に至っていることことです。そのときに橋の名前も永吉橋から浜田橋に変わったようです。確かによく見ると手前のアーチ2連と奥のアーチは径間が違うように見えます。流失がどの程度だったのかよく分かりませんが、この橋が流失するくらいですから洪水の規模はかなりのものだったのでしょう。

説明板は南薩鉄道の開通が大正2年だったことも記してあります。ということは、永吉橋が流失するくらいの水害があった年に既に南薩線の永吉川橋梁は存在していたということです。

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永吉川が流失した年と南薩鉄道が開通した年が同じということを考えるとちょっと疑問な点が出てきます。流失時2連だったという永吉橋。そんなに大きなスパンは取れませんから、せいぜい今の浜田橋2連分ぐらいだったと想像できます。南薩鉄道の橋梁とこんなに近いのですが、川幅の開きがあり過ぎるように感じるのです。当時どのような姿を永吉川がしていたのか、知りたくなってきました。

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上流側に新しい橋が架けられ、浜田橋は幹線道路の橋としての役目を終え、静かに余生を送っています。県内にある移設されていない石橋の中では最長の部類に入るのではないでしょうか。すぐ近くの物産館を訪れた人たちが立ち寄ったり、地元の人たちが生活道路として利用しています。この石橋から見る橋脚群は東シナ海を背景に絶品です。

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2010年5月24日 (月)

南薩線廃線跡サイクリング記(その8)

先週の土曜日に地元新聞に、またまた赤茶けた蒸気機関車の写真が載っていました。大見出しは「新天地へSL搬出(霧島→薩摩川内)」、小見出しは「長年放置のC56今秋に修復完了」とあります。

ちょうどそれより1週間前の土曜日に大見出し「SL命拾い第二の人生(霧島に長年放置C56」、小見出し「薩摩川内市で修復展示へ」と紹介されていた記事の続報でした。

写真は大型クレーンにつり上げられ、トラックの荷台に積まれようとしている炭水車とガス切断機を使って搬出作業の準備をしている足回りの様子が2枚。日本にこれ以上ぼろぼろの機関車はないというぐらいの状態で、よくぞ購入、搬出、修復という決断をされたなあと思います。

痛みがひどく分解が困難なのか、メインロッドも第1動輪と第2動輪を結ぶロッドもガス切断機で切断されています。

落札から1週間で搬出とは、ことが順調に進んでいることが感じられました。次は修復途中の記事でしょうか。追跡記事が楽しみです。

毎日チェックしているブログに鉄道写真家中井精也氏の「一日一鉄」があります。ほのぼの系の氏の写真は、鉄道写真の新たな分野を広げているようで、一日のアクセスもかなりのもの。女性からの支持が高いのも特徴的。

氏の写真集は出版される度に購入しているのですが、今回、「撮らずにはいられない鉄道写真」という新書版が出ました。

Torazuniha

早速ネット書店で注文しました。楽天ブックスなら価格に関係なく送料無料。どんな本でもネット書店で購入でき宅配してくれるので、田舎に住んでいてもこういう面でのハンディは感じなくなってきました。便利な世の中になったものです。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の8回目です。

永吉駅跡を後にして、ほどなく永吉川を渡る鉄橋跡に到着。

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手前が南薩線の築堤、そして鉄橋を渡り、対岸の築堤へと続きます。永吉川を渡るために永吉駅からここまで緩い勾配で高度を取っています。それ故、このような立派な築堤が残っています。また、対岸も次の台地へと上らなければなりませんので、そのままの高さで鉄道らしいいい感じの築堤が築かれています。

手前の築堤が終わる部分へ下りてみましょう。

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築堤の終わりの部分には立派な石積みの橋台が残っています。橋台の左右の法面の石積みとともに当時の様子を偲ばせてくれます。向こう側に見える農家の納屋も時代を感じさせ、いい雰囲気で並んでいます。路面からデッキガーターまでの高さがあまりなく、通行できなかった車両もいたのではなかったかと想像されます。このような道路を跨ぐ低い鉄橋は、伊集院を出てすぐの鉄橋部分でも見られました。

この橋台の反対側はいよいよ南薩線廃線跡のハイライト、永吉川橋梁です。

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築堤端の橋台から5連の鉄橋で永吉川を渡ります。鉄橋は撤去されましたが、橋台は廃止後25年を経て、このような形で健在です。石積みの風格あるもので、4つ並んだ姿はどこから撮っても絵になります。上流側には水切りが作ってあり、洪水時に水の抵抗を減らしています。実際、上流側にある道路用の石橋は大正2年に洪水で流失したと説明板に書かれていましたので、河口近くとはいえ、ときとしてかなりの水量に見舞われることがあるのでしょう。

この橋台群を永吉駅側の築堤付近から遠望してみるとこんな感じです。

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この角度から見ると桁は撤去されていますが、桁を受ける台座はどの橋台にも残されていることが分かります。また、橋台の表面には桁やレールのさび色が流れている様子が残っており、年紀を感じます。それぞれの橋台には石がのっているのですが、これは何なのでしょう。ちょっと説明に窮します。

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2010年5月23日 (日)

南薩線廃線跡サイクリング記(その7)

昨夕は鹿児島中央駅駅ビルの飲食店で旧交を温める会がありました。旧西鹿児島駅時代の「みどりの窓口」があった辺りのはるか上になるのでしょうか。駅員氏がページをめくるようなあの機械的なマルスを使って指定券や寝台券を発行してくれたのがついこの間のことのようですが、新幹線が来たり、立派な商業施設ができたりと、自分が生きている間にも、こんなに世の中って変わっていくんだなあと目をぱちくりとさせてしまう自分がいます。

戦争が終わったのが昭和20年。私が生まれたのはその15年後。戦争なんて遠い昔の歴史上のことと思っていたのですが、15年なんて人間の感覚の世界でもついこの間という長さでしかないことに今更ながら気づいて驚いてしまいます。

これから15年後、30年後、この鹿児島はさらにどんな風に変わっていくのでしょうか。

朝からまとまった雨。時折、視界がぐっと落ちるような強い雨に見舞われ、外出ははばかれましたが、午後、ちょっと小降りになったので、子どもを連れて屋内に車を駐車できる書店まで行ってきました。鉄道誌のチェックが目的だったのですが、土・日だったからでしょうか、残念ながら一誌も店頭には並んでいませんでした。

ホビーコーナーを覗くと、マイクロエースの新製品、「はやとの風」と「いさぶろう・しんぺい」がショーケースに並んでいました。地元ということで、他の製品より多く入荷しているようです。Nゲージャーでしたら食指が動くのですが、16番を中心にやっているので眺めるだけにしておきました。

時間がたっぷりあったので、じっくり見て回り、新書を2冊購入。

今井芳昭著「影響力 その効果と威力」

前野隆司著「思考脳力のつくり方 仕事と人生を確信する四つの思考法」

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の7回目です。

吹上浜を出て最初の駅、永吉駅に到着です。

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永吉駅跡も花が咲き乱れ、この季節ならではの光景を見ることができました。永吉駅跡は島式のホームが一つに、広い構内敷地、そしてかつて駅前商店だった建物が駅があった名残を今に伝えています。島式ホームはいつの頃からか交換設備が撤去され、海側のホームだけが使われていました。駅舎側は土が盛られ、まるでもともと片面のみのホームのようになっていました。現在は土が取り除かれ、かつての島式ホームの姿が再びよみがえっています。

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自転車道は最後まで使われていたサイドのホームに面して延びています。自転車を止めて、ホームに腰掛けて一服というのもよいかもしれません。小さいですが石積みの風格のあるホームです。このホームからは遠くに少しだけですが、東シナ海を望むことができます。

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この写真は今回のサイクリング時に撮影したものではなく、過日You-enてっどさんと訪れた際に出会った光景です。駅敷地は綺麗に整備がなされ、この日はグラウンドゴルフ場として活用されていました。地域の高齢者の方ばかりでしたが、それぞの方に南薩線の思い出があるんだろうなあと思いながら、軽く挨拶を交わすことでした。こうして、形を変えて人が集う場所になったことは、駅が静かに余生を送っているとも考えられ、ほのぼのとした気持ちになりました。藪に覆われている駅跡の多い中、永吉駅は幸せな駅なのかもしれません。

私たちが見ている間に、おばあちゃんがホールインワン!一緒に拍手することでした。

グラウンドゴルフに興じる高齢者の方の右側になにやら水色の看板が…。近づいてみると…

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無造作に仕切用の板として他の雨戸等と一緒にされていますが、金属板でできた立派な観光案内板です。なぜ、こんなところにあるのでしょう。薩摩半島部分を見てみましょう。

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現在地という表示が平川動物園入り口付近よりやや北側になされています。船の航路や航空路線まで書き込まれたこのような看板がどのような場所に掲げられていたのでしょうか。ちょっと謎です。

薄くなっていますが、南薩線も表示されています。大隅半島の方には志布志線と大隅線も表示されています。これで、年代も廃止以前のものであることが分かります。

永吉駅といば駅前商店ですが、商店主の方も高齢になられたからでしょうか。近年店を閉めて、店舗部分を住宅に改造する工事をされました。かつての商店は、下の写真のような様子でした。

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南国の強い日差しを和らげるために、吉利の駅前商店もそうでしたが、葦簀が立てかけられているのが特徴でした。ここのおばあちゃんから話を伺ったこともありました。鉄橋があったので標的にされてグラマンがやってきたこと、行商の人が南薩線と利用して多くやってきたことなど…。そして、いくつか南薩線の思い出の品を見せてもらいました。その中から、当時使っていたゴム印をば…。この駅前商店は鹿児島交通から委託を受けて、発券業務等を行っていたのです。

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年季の入ったゴム印ですね。定期券の発行などで使われていたようです。他にガリ版づりの列車時刻表や運賃一覧表、定期券などを見せてもらいました。また、薄くなって読みづらくなっていましたが、琺瑯製の駅名板もありました。大切に保管されているんですね。

最後に一枚。グラウンドゴルフをしていた広場の横に仲良く椅子が並んでいました。近くの学校で廃棄になった児童用の椅子をもらってきたのでしょうか。風化が進み、このような姿に。鉄板も合板も弱いものですね。昔の児童用の椅子は一枚板を組み合わせたものでした。今作るとなると結構な値段がするかもしれませんが、すぐに痛んだりはしなかったような気がします。職人が作ったものと工業製品との差なのでしょうか。

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2010年5月22日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その6)

今朝、夕べの飲み会で置いてきた車を取りに自転車を走らせました。途中で、横から「おはようございます」という声。子どもの大きな声に驚いて振り向くと、そこには小学校3年生くらいの男の子が家族と一緒に何か作業をしているところでした。

私は別の方を見ながら走っていたので、そこに人がいたことにも気づきませんでした。もちろん面識のない子どもです。見知らない人にあいさつがしっかりできるなんてと、感心することでした。はやり人間の住む世界はこうでなきゃ。さらに良い気分になって自転車を走らせたのでした。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の6回目です。

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向こう側からこちら側へ自転車を転がしてきました。線路跡は台地から高度を下げながら林を抜けてここへ出てきます。ちょっとした緩やかな滑り台のようでもあります。

橋の欄干が見えていますが、ここで小さな川を渡ります。小野川では橋台を残し、迂回して自転車道が設置されましたが、こちらはもとあった鉄橋の場所に新しいコンクリート橋を作っています。

進行方向へ向きを変えるとこんな感じ。

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線路跡はほとんど海抜と等しい高さまで下りてきました。相変わらずのどかな風景が広がります。左手に見えている作物は、たばこです。昔はあちこちでたばこの栽培を見かけるものでしたが、喫煙人口の減少であまり見かけなくなってきました。たばこ農家にとっては、昨今の健康ブームや嫌煙ブームは痛手に違いありません。鹿児島市にあった大きなたばこ工場もずいぶん前に撤退しました。広大な跡地には、鹿児島市交通局の電車車庫と市立病院が入るそうです。また、市電の博物館のようなものもできると聞いています。

たばこ畑が青空に映えます。

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立夏を過ぎ、季節上は夏ですが、あたりはまだ春の風情を残しています。廃線跡から見える集落では何とものどかでいい風景を見ることができました。こんな様子を見ていると、田舎っていいなあと思います。

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集落はやわらかな色の草花に彩られ、また南薩線の廃線跡も下の写真のようにのどかな晩春を謳歌しているように見えました。

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2010年5月21日 (金)

南薩線廃線跡サイクリング記録(その5)

今日は地域の同職の方々と本年度の研修方針について話し合う会を仕事の後に持ちました。まじめに話し合った後は、場所を某方の官舎に移して、懇親会。釣りと焼酎が趣味という家主の方のうんちくはおもしろく、あっという間に時間が過ぎました。もちろんお勧めのおいしい焼酎もさんざん飲んできました。ということで、キーボードを打つ手もちょっとそぞろ。ミスタッチを連発しながら、ブログを書いています。

さて、南薩線サイクリング記5回目です。

岡に上る切り通しを過ぎると、辺りにはこのような光景が広がります。

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緑のトンネルを過ぎるとすぐに開けた岡に出ます。線路跡はほぼレベルの状態で線路も真っ直ぐです。左右には耕作地が広がり、のんびりとした風景です。農地では農作物の手入れをしている農家の方の姿も見えました。

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自転車を止めて小休止。白い花の絨毯はそば畑です。この時期、そば畑はあちこちで目にすることができます。この辺りでも現役時代、写真を撮ったことがありましたが、黄砂でかすんでいた記憶があります。今日は、黄砂の影響はなく、視界良好。

この広々とした岡もそう長くは続きません。すぐに線路は岡からの下りに入ります。

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手前がレベル、すぐに下り込んでいるのが画像から分かるでしょうか。自転車で下っていくと横にあった唐いも畑がどんどん自分の位置から高くなっていくのが分かります。これから永吉駅のある大地へ向かって高度を下げていきます。もちろん、自転車はこがなくてOK。キハもマスコンを戻して、軽やかなジョイント音を響かせながら下っていったことでしょう。

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2010年5月20日 (木)

南薩線廃線跡サイクリング記(その4)

小野川の橋台に別れをつげ、クランク状の自転車道をたどって、廃線跡のルートに戻ります。ここからは高低差を克服するために上り勾配となります。自転車だと、勾配の緩急がペダルにストレートに伝わってきます。

勾配の直線区間を上るとほどなく写真のような場所に行き着きます。

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集落の狭い道とクロスします。南薩線の列車は、けたたましく警笛を鳴らしながら通過したことでしょう。現在では、線路側が一旦停止になっています。廃線跡は自転車専用道なので、原付バイクなどは走ることができません。その旨の表示は、主要な踏み切り付近には立派な看板を立ててなされています。

向こう側の台地に出るために、この部分は切り通しになっています。廃線後四半世紀を過ぎ、樹木に覆われて緑のトンネル状になっています。

緑のトンネルへ進むことにしましょう。

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小さな山を線路を通すために削り取ってあります。森林鉄道のそれのように素掘り状態。斜面には何の処理もなく、大地の中味がむき出しになったままです。斜面の様子はこのようになっています。

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岩がごろごろした斜面です。列車が走っていた当時の様子もですが、工事のときの様子も偲ばれます。ろくな重機のない時代だったと思いますので、大勢の人夫の方がこの岩山と格闘したのではないでしょうか。この岩、ちょっと丸みを帯び、ごろごろしています。まるで山手の川にある岩のようです。この部分の大地の形成暦にも興味がわきます。

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2010年5月19日 (水)

南薩線廃線跡サイクリング記(その3)

今日は午前中、風雨が強くまとまった雨が降りました。気温が上がり、今年初めて半袖で仕事をしました。指宿市はアロハシャツが公式?ユニホーム、ここ南さつま市は砂の祭典ポロシャツが公式?ユニホーム。これを着ていたら堅苦しいネクタイ姿で仕事をせずとも、ラフな姿で仕事ができます。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の3回目です。

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 県道とのオーバークロスから下ってくると、線路跡にしてはちょっと不自然な線形部分を走ることになります。写真は、永吉側から吹上浜側を撮ったもの。右側に地面を削り取って自転車道を低く設置した様子が見て取れます。本来の廃線跡を部分的に削りながら川の方へずれた形で自転車道は延びています。なぜこのようになったのか経緯は分からないのですが、見方を変えると廃線跡部分が一部分そのままの状態で残ったともいえます。

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反対側を見るとこんな感じです。謎の不自然区間を抜けると、広々とした大カーブが迎えてくれます。低い築堤に緩やかな曲線。今にも向こうから赤いディーゼルカーがやってきそうな感じがします。周りには人家はなく、田が広がっています。かつて、このカーブで南薩線の列車を撮ったことがありました。

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カーブが終わる辺りで小野川を越えます。ここには有り難いことにガーター橋の石積み橋台が残されています。自転車道はこの橋台に敬意を表して上流側に新しく設置された橋で小野川を渡ります。クランク状のコースをとることになります。橋の名前は、海が近いからでしょうか、汐見橋と欄干にありました。

橋台を撤去して真っ直ぐに自転車道を通すより、横に新しく橋を造った方が安上がりという経済的な理由だったのか、産業遺産としての橋台を残したいという理由だったのか分かりませんが、末永くその姿を目にできることは嬉しいことです。

反対側の橋台ももちろん下の写真のように残されています。

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こちら側は藪に覆われて、全体像を見ることはできません。

さあ、軽快に下ってきた自転車も、ここを境に上り勾配をあえぐことになります。

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2010年5月18日 (火)

故郷の味、あくまき

今日の帰宅は午後11時前。ちょっと参りました。シャワーを浴びて食事を作って、そして夕食(深夜食?)が終わった頃には、日付が替わってかなり経った時間でした。今週は、今日から土曜日までずっと夜の会が続きます。土曜日は楽しい飲み会ですが…。

ということで「がたごとがたごと」各駅停車のサイクリング記は時間が見つけられずにウヤです。すみません。

ちょっとおいしそうな食べ物を…

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えっ、あまりおいしそうに見えない!!

私の大好物の「あくまき」です。餅米でできています。とろっとしておいしいのですよ。砂糖と少しの塩でほどよく味付けしたきな粉をたっぷりつけて食します。土曜日、南薩線の廃線跡をサイクリングして帰宅した後、ちょっと遅めの昼食はこの「あきまき」にしました。

 あきまきは、おいしいものとそうではいものがはっきり分かれます。このあくまきはどちらかというとおいしくない方に分類されるものでした。おいしいものはこくがあって、味に深みがあります。そして、米の芯までとろっとしており、肌つやがまったく違います。透明感があるのです。

 このあくまきを食べると故郷を感じます。そう、あの南薩線が走っていた、あの頃の故郷の風景が思い浮かぶのです。

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2010年5月17日 (月)

南薩線警報機発見

今日も夕方サイクリング。ちょっと風が強いでしたが、いつものコースに出発。これまでは満潮に近い状態だったのですが、今日は若干潮が引いていました。途中で自転車を止めて、写真を一枚。それが下の写真です。

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 満潮の時は海の中なのですが、干潮になると砂地が現れます。干拓前は、入り江に相当に広大な砂地が現れていたようで、さぞかし壮観だったことでしょう。向こう側にうっすら見えているのが、日吉方面。南薩線ががたごとがたごと走っていた場所です。

走っているうちに日が傾き、野間岳の方に見事な光景が広がりました。自転車を止め、堤防の斜面に腰を下ろし、しばし見とれるのでした。広大な場所に自分一人だけで、こんな光景を眺めていることに、何ともいえない驚きと感動を覚えました。

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そして空を見上げると…。見事なコントレールを引きながら何機もの航空機が目的地を目指して一直線に飛び去る光景が見えました。機上からの夕日の眺めも最高なのでしょう。一瞬、日の光を受けた航空機が流れ星に。現実は何ともドラマチックに満ちています。

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 さて、昨日はちょっとした発見をしました。鹿児島への往復の折、県道20号線を大方利用するのですが、途中にある小学校に何やら踏切のようなものが見えていたのです。気にはなっていたのですが、時間がなくついつい通過扱いとなっていました。昨日、ようやく寄ることができました。

 学校には地元ゆかりのものが寄贈されることが多いことから、ひょっとして南薩線のもの?という期待はあったのですが、果たして期待は裏切られませんでした。正面の門横に設置された警報機の横には立派な説明書きがありました。

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さて、肝心の警報機の写真をご覧ください。南薩線の警報機の特徴は電子音ではなく「カンカンカン…」という実際に鐘を打ち鳴らした警報音であったこと。この警報機のてっぺんには鐘がついています。これを打ち鳴らして「カンカンカン…」というあの音を出していたのですね。廃止から25年以上経っていますが、このように大切に保存されていたことに感激しました。

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 場所は南さつま市の大田小学校です。道路から階段を上がった門のすぐ横にあります。休日は、断ることができませんので仕方ありませんが、平日は学校関係者に声をかけてから見学等されてください。山間にある心癒される学校です。

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2010年5月16日 (日)

南薩線廃線跡サイクリング記(その2)

今日も朝から良い天気。軽音楽を聴きながら、最後に残った部屋の整理をすることに。ここは私のプライベートルームにするべく準備中で、あともう一歩です。5月末には模型をいじったり写真を楽しんだりできるようになるかと思います。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記(その2)です。

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 出発地の吹上浜公園休憩所付近にあった説明板を必要な部分のみ拡大しました。赤色の現在地表記の部分から右(北)側へ天神ヶ尾キャンプ場まで行きます。行程は8.5キロ。往復で17キロ。ちょうどよい距離です。調子が良ければ、ここへ戻ってきた後、伊作へも降りていく予定にしています。

 吹上浜駅の近くに駅前商店の建物が残っています。辺りは整備されて道路も広くなりましたが、当時は狭い道に沿って建っていました。

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 雨戸で閉ざされ、横の窓には筋交いも入れられています。瓦が割と新しく感じられ、近年まで人が住んでいたような様子がうかがえます。手前にタイル張りの部分があり、そこだけ土台が高くなっています。魚を売っていたのでしょうか。農家の人が多いでしょうから、野菜や米は自給自足、でも魚などのタンパク源は店などで購入ということだったのかもしれません。店内はおそらく調味料や乾物類、菓子類が主だったのではないでしょうか。

 3年前に訪れたときには、もう一軒駅前商店がありました。下の写真です。「【たばこ】 酒類 塩 有馬商店」と日よけのテントに書き込まれています。今はその姿はなく、更地になっていました。変わっていないようで、こうして巡ってみるといろいろと変わっていることに気づかされます。

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 さあ、線路跡に戻ることにしましょう。

 吹上浜を出て、左に曲がる小築堤に入ると廃線跡は下り勾配となります。そして、築堤を過ぎるとすぐに切り通し。ここで県道とオーバークロスします。この県道の跨線橋は切り通しをいく南薩線を撮影するお立ち台でもありました。

Dsc_0089  跨線橋の欄干には「吹上浜停車場線」というプレートが埋め込まれています。時代の波に飲み込まれ、ひっそりと消えていった吹上浜駅ですが、廃止後四半世紀経った今でも道路の名前として刻まれています。

 しかし、この跨線橋ももうすぐ新しい道路にその役目を譲ることになっています。前後の県道は広く整備されたのですが、この橋の部分が狭くなっているのです。しかも、この橋を渡るために、道路は急なカーブを切らなければなりません。

 そこで、北側に新しい橋というか道路が建設中です。真新しいコンクリートがまばゆい構造物。橋というより暗きょ。こういう構造をラーメン構造というのですか?四角い地下道のような空間を残して、あとはコンクリートと土で作っています。

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Dsc_0088 3年前に写真上の跨線橋から撮影した同じ方向を撮影した写真です。築堤部分の手前に新しい道路が造られ、この部分の法面は消滅しました。道路幅が広く、法面もゆったり造られているため、この暗きょ区間は結構な長さがあります。

 中は薄暗くひんやりとしていました。真夏の自転車道ではいい避暑スポットになるかもしれません。

 ただ、このような人目につきにくいコンクリート面というのは、公共物に落書きをする輩にとっては格好のキャンバスとなるような気もします。落書きされないことを願いつつ

さらに坂道を下っていきます。

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2010年5月15日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その1)

今朝の地元新聞17面の地域総合紙面に赤さびたC56の写真。鉄道ファンならこの写真を見たらすぐに霧島ユースホステルに展示されていた機関車と気づくはず。最近では廃墟として有名になり、廃墟本の中でも紹介されています。このまま朽ち果てるのか、はたまた解体かと思っていたのですが、このたびめでたく修復、そして展示の運びとなったそうです。

ことの顛末は、霧島市がアスベストを除去した後に展示など活用を図ることを条件に入札を行ったもので、日置市の業者が10万5000円で落札したとのこと。それにしても現状を展示状態まで修復するにはかなりの手間がかかりそうですが、綺麗になった姿を再び新聞紙上で見てみたいものです。

新聞によるとこの機関車はC56の99号機で、1937年三菱重工神戸造船所で製造。国鉄越後線を経て、1971年まで山野線で活躍したと紹介されています。

種子島に渡った山野線で活躍した同僚が潮風の影響もありぼろぼろになり、ついに現地でスクラップになり、動輪だけが展示されていることを以前同じように新聞で読んだことがあります。管理、維持していくことにはどこでも困難が伴いますね。

さて、週末の天気は芳しくないという予報だったのですが、今日も明日もよい天気になるといいます。今朝も、窓から差し込む日の光で目が覚めました。せっかくの良い天気ですので、南薩線廃線跡を自転車でたどってみることにしました。

車の荷台スペースに折りたたみ自転車を押し込み、駐車場が十分にある吹上へ。阿多から廃線跡を道路にした区間を車を走らせます。クーラーは付けずに窓から吹き込む風を感じながら走ります。道路をモンシロチョウやモンキチョウが横切り、巻き込まないようにと願うのですが、中には運悪くグリル付近に吸い込まれてしまうものもいます。ちょっと気の毒です。

廃線跡の道路は思った以上に交通量が多く賑わっている様子。といってもたかがしれていますが…。路肩に軽トラが止まって農作業。もともと道路でなかった鉄道跡に車を入れられるようになって沿線の農家の方には便利になったのかもしれません。

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旧薩摩湖駅付近は、以前は高校と国民宿舎があるだけでしたが、運動公園が整備され、休日はスポーツを楽しむ人たちで賑わっています。駐車場も松林の中に第5駐車場まで整備されています。

旧吹上浜駅に近い第5駐車場に車を止め、自転車をセッティング。これから出発です。辺りは松独特の香りが漂い、海が近いことが分かります。携行品はカメラに水分補給用のペットボトル入れ。ペットボトルはまだ購入していません。そしてタオル。吉利方面へ進むことにします。

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向かって左側手前に吹上浜駅がありました。駅を出るとすぐに左へカーブを切り、勾配を下っていきます。下の写真は現役当時の姿です。駅を出た列車の後ろ姿です。南薩線では、後部標識として白い円盤を掲出していました。一見、ホーム一本の停留所のような駅に見えますが、もともとは列車交換のできる駅で、その当時の列車交換をしている写真も関係の本に掲載されています。

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南薩線のごとくゆっくり進みながら、数日間に分けてつづっていくことにします。次の停車駅は駅前商店!

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2010年5月14日 (金)

先人の偉業

こちらにやってきてすぐの頃、あいさつ回りのために野間池へ。野間池といっても池があるわけではありません。東シナ海に細く突き出した半島の先端部分へゆく感じ。山は海に直接落ち込み、平らな部分はほとんどありません。まるで人を寄せ付けないような大自然が続きます。

しばらく走ると目を疑うような光景が…。それが下の写真です。

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谷山の段々畑。東シナ海を望む山の斜面にびっしりと畑が積み重なっています。ひとつひとつの畑は平地の畑に比べるとまさに猫の額ほどの広さ。案内板によると、近隣の集落から移住してきた人たちが最初は炭焼きで生計を立てていましたが、その後畑を作って主にさつまいも(からいも)を作ったとのこと。平らな土地がありませんので、山を拓き、長い年月をかけてこのような姿になったようです。時代としては江戸時代後期。段々畑の石垣は畑を拓くときに出てきた石をそのまま積み上げたものです。機械が無かった時代、人の手で築き上げた城壁を彷彿とさせる段々畑。息を呑むような光景に圧倒されてしまいました。じっくり撮ってみたい被写体です。

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2010年5月13日 (木)

フォトジェニックな一日

朝、新聞を取りに出るとちょうど水平線近くから朝日が昇るところでした。こんなタイミングで朝日を拝めるとはグッドタイミング。なんだか良いことが起こりそうな予感。

同僚が「太陽の周りに虹が出ています」といってカメラを取りに来ました。外へ出て空を見上げてみると太陽の周りにうっすらと円が見えます。そして、よくよく見てみると虹色に見えます。なんだか国鉄時代の特急「にちりん」の絵入りヘッドマークのよう。RAWで撮影したものをNIKONキャプチャーNXで画像処理した画像です。実際に見えた様子より、若干強調してあります。

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まずは、こんな感じから。雲や地上の物体を絡ませて撮ってみました。次は、

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太陽を中心に全体像を。大きくてカメラに収めきれないと同僚は言っていましたが、広角側18㎜のレンズではDXフォーマットでも何とか収めることができました。さて次は、

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周りのリングを拡大して撮影。こうして見ると、周りのリングが虹色をしていることが分かりますね。朝の偶然の日の出との出会いは、このような天体ショーのモノローグだったのでしょうか。

 出会いはこればかりではありませんでした。昼過ぎ、ひらひらとなにやらあまり見かけないチョウがやってきました。あまりチョウには詳しくないので、ひとまず撮影してから図鑑を調べてみると「アサギマダラ」という名のチョウであることが分かりました。自然の造形というのはすごいですね。こんな綺麗な姿が自然にできるのですから…。

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羽の痛みの少ない極上の姿に思いがけない出会いの感動を味わうことでした。

そして、仕事を終えてからいつもの自転車こぎ。始めてからもう何日も経つので、ずいぶん自転車にも馴染んできました。今日は、有酸素運動となるよう高速走行。一時間ほど、育ちつつある早苗の中を走り回りました。そして、空を見上げると航空機が…。大地は夕暮れに包まれつつあるのですが、空にはまだ光が届いているようで、ひときわ輝いて見えました。4発のジェット、機種は何なのでしょうか。DXフォーマット300㎜相当で撮影し、画像処理時にクロップしてあります。

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今日は、いろいろなフォトジェニックな光景に出会うことができたラッキーな一日となりました。

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2010年5月12日 (水)

看板2題

官舎から職場へ歩いて向かう途中で、すぐ横にある川に何かが飛び込むのが見えました。瑠璃色をしたカワセミでした。しばらく見ていると、高い位置から川面をにらみ、ミサイルのごとく一直線に川の中へダイブする様子を何度か観察することができました。この辺りは野鳥の多いところで、この川にはほかにもいろいろな水鳥が餌を求めてやってきます。

さて、国号と旧知覧線が交わるところに、下のような鉄道記念館の案内板が建てられています。

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 HVCCさんのリポートでも登場していますが、食堂車「ぽっぽ亭」がいまだに健在ということになっています。ぼっぽ亭が営業をやめてもうどれだけ経つのでしょうか。ぽっぽ亭ことキハ103もバスの車庫に押し込められてその姿も容易には見ることができなくなっています。おそらく何にも知らない旅の人の中には、この看板を見て訪ねていった人がこれまでに数多くいるのではないでしょうか。経年に割にはしっかりとした看板ですので、まさか無くなっているなんて考えもしないのでは…。

 この角度で撮ると、知覧線横の道路を白ペンキで広告を書いた1号機関車が走ってくるようにも見えます。

 さて、もう少し進むとこんな看板があります。

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 すわ、旧阿多駅の駅名標かと間違えそうなスタイルですが、でっかく阿多と書かれた上の方には「ふらわあろーど」という文字がうっすらと見えます。手前には花壇があり、ふらわあろーど阿多をアピールするために立てられたようです。駅名標を意識したのか分かりませんが、この形に阿多という文字は鉄分の高いものにはインパクトがあります。

 知覧線は、ちょうどこの看板の後ろ辺りで用水路を跨ぎ、道路を横切っては花瀬へと向かいました。

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2010年5月11日 (火)

金峰ダム

 今日も6時頃には退庁できたので、自転車に乗って小一時間走ってみました。夕方から風が強くなり、自転車にはちょっと悪条件。でも、体調管理のためのサイクリングという意味合いも濃いので、かえって好都合かもしれません。追い風では一番重い段でスイスイ進みますが、向かい風となると変速してもかなりきつい。でも、ジムで何にも風景が変わらない中でひたすらペダルをこぐよりは数段ましです。海沿いの堤防では、風にあおられて海水がしぶきとなって飛んできます。自転車によくないので、途中で干拓地の田に降りて、田の中の道を進むことにしました。ここではジャンボタニシのピンク色の卵をそこかしこで認めることができました。農家の方々は野鳥対策にジャンボタニシ対策と大変です。

 さて、話は変わってダムの話題。その昔、九州山地を訪ねた折、深い山に囲まれた谷あいに大きなダムが豊かな水を蓄えている様子に心を動かされました。それからダムにはちょっと関心があります。鹿児島と赴任先を往復するときに、途中に下の写真にあるダムがあります。

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 これは金峰ダム。農業灌漑用のダムです。周りの地盤が強固でなかったためか、ロックフィル方式で建設されています。コンクリートダムではなく、このロックフィルには一つ一つの石を積み重ねたその営みに人間のすごさを感じてしまいます。ちょっと名前は忘れてしまったのですが、NHKのプロジェクトXに出てきたロックフィルダム。このダム建設がテーマではなくダム建設による桜移植がテーマだったように記憶しています。金沢から名古屋方面へ出る途中に偶然そのダムに遭遇したのです。もちろん、移植された桜にも。このときに出会った感動は今でも忘れられません。

 このダムを見下ろす場所に説明版が設置されています。一方は全く技術的な説明で、一般の方にはあまり訴える力のないもの。また、一方は小学生を対象としたようなルビまでふった丁寧なもの。いくつかの文言にはイラストまで盛られて、伝えようとする意欲満々です。

 これは大人向け。そしてその下は子ども向け。

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2010年5月10日 (月)

旧吉利駅界隈の猫

 今週は一週間たっぷりありますね。連休の週明けだけに、ちょっときついかもしれません。いくつもたまった仕事も、今日でちょっとすっきりしました。第一波が過ぎたという感じですが、次は第二波に飲み込まれないように頑張らないといけません。

 昨日、野球をしている息子に贈ろうと思い、今評判になっている「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら」という本を買ってきました。ちょっとおもしろそうなので読んでみました。出版元がドラッガーの「マネジメント」関連の本を売り込もうというしているのかなあという戦略も見え隠れしているような本だと思いましたが、それはさておき、とても「マネジメント」との関連がわかりやすくて面白い本でした。お陰で息子に渡す前に一気に読み終えることができました。今日の家内の情報によると、学校から帰ってきた息子は珍しく本を読んでいたとのこと。これでなにがしかのものを得てくれるといいなと思います。

 さて、今日は仕事場から早く帰れたので、自転車を引っ張り出し、干拓地の堤防を走ってみました。広大な干拓地は、自転車で走っても十分な広さがあり、海を見ながら快適なサイクリングができます。東シナ海から吹く風はさわやかで、一日の体の疲れも心の疲れも取り去ってくれそうな気がします。数年前に購入した自転車ですが、ここにきて本領発揮となりそうです。これからも仕事を終えた後、いろいろ物思いにふけりながらこの“哲学の路”?を走ってみたいと思います。

 先日、南薩線の吉利駅跡を訪ねたとき、こちらをじっと見ている猫に出会いました。旧吉利駅界隈を住処としている猫でしょう。日本至る所に猫がいます。猫の写真集もいっぱい出ていますが、猫には何ともいえない古里の香りがします。やはり人間とともにある生き物だからでしょうか。

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2010年5月 9日 (日)

桜島噴火

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 昼過ぎ、薩摩半島を横断して鹿児島市内へやってきました。桜島はこんな具合になっていました。鹿児島の人には驚く光景ではありませんが、初めて見た人はびっくりですね。まるで火砕流が起こっているようです。

 現在、活発に噴火しているのは昭和火口と呼ばれる火口。鹿児島市内から見ると裏側の頂上付近斜面になります。折からの南東風に流されて、裏側から桜島を包み込むようにして鹿児島市内を噴煙が襲っています。この状態で降灰に見舞われるといわゆる「ドカ灰」状態になり、車はヘッドライトを付けて走らなければ互いの存在をアピールできなくなります。もちろん人は灰よけの傘が必要です。もっとも、こんな灰の中を無理して出歩くことはありませんが、歩かなければならない人たちも多数います。

 この向きだと日豊線が灰まみれです。灰と雨が一緒に降ろうものなら、「灰雨」といって、液体サウンドペーパー状態。車のフロントガラスはワイパーされることで傷つき、電車もパンタグラフのシューが架線との間に付着した液体サウンドペーパーで削られて大変。

 昭和火口はほんの少しの火山ガスを噴出するだけの山の斜面だったのですが、こんな大規模に火山活動を始めるとは思ってもいませんでした。世代交代なのでしょうか、これまで頑張ってきたのは南岳の火口だったのです。

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2010年5月 8日 (土)

東阿多駅跡に駅名標

午後から講習会があり、その中で警備会社の社員による護身術の講習もありました。実際に二人組を作って、殴りかかってきたときの避け方としての「後ろさばき」に「前さばき」の練習、片手を捕まれたときのほどき方、両手を捕まれたときのほどき方、羽交い締めにされたときの逃げ方、そして首を絞められたときの撃退法の練習など。

知っているのと知らないのでは大違い。本当にうまく逃げる方法があるものですね。こんなことにならないことが一番ですが、訓練をしておくことは大切だと思いました。何もしないとすぐに忘れてしまいそうなので、時々相手を見つけて復習した方が良さそうです。

会場となった学校の校庭横に蒸気機関車のスポーク動輪が置いてありました。説明板がなく、何の動輪なのかよく分かりませんが、大きさ的にはC12クラスのようです。ひょっとしたら南薩線のC12のものかもしれません。

さて、終了後に新聞で紹介されていた旧知覧線東阿多駅跡に立てられたという駅名標を見に行ってきました。

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 こんな感じです。廃線後長い間、レールと枕木をはずしただけの状態が続いていましたが、線路跡の払い下げが始まってから、遊歩道を有した公園として整備されました。後ろにそびえている山は金峰山。東阿多駅に停車中の車両の窓から乗客たちは、このような感じで金峰山を望んでいたことでしょう。

 この駅名標は地元の方が、ここに駅があったという証となるものを立てたいということで作製されたものだそうです。それぞれの心の中で南薩線は生きているんだなあと思います。

 裏側には、下の写真にあるように知覧線の歴史などが記されています。

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2010年5月 7日 (金)

オレンジーズ

 ゴールデンウィークは有り難いのですが、この間に仕事が滞るという副作用があります。特に月末にかけてあるというのがちょっと難点です。年度初めの仕事が多忙化する時期、そして月末の報告関係。ちょっとタイミングが悪すぎます。政府では、地域で時間差ゴールデンウィークなんていっていますが、それよりも一斉に時期をずらしてもらった方が有り難い人もうんといるのでは?

 これはちょっと暴言でしたが、連休明け慌ただしさは半端ではありません。

 さてさて、今日は、書類を提出しようと棚の中から取り出した封筒にこんなのがありました。

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 官公庁では、提出物用の封筒は再利用して何度も使い回すが慣例。使用済みの封筒に送付票を貼り付けて、何度も行ったり来たり。それぞれの部署で提出箇所がいろいろありますから、どこへ旅するか分かりません。送付票は、各の職場で作成して貼り付けます。今回、私の職場に来ていたのは、「鹿児島県交通政策課」。あまりお目にかからない差出人です。送付票に書かれた差出人と送付先をたどっていくとここまでたどり着いたルートが分かって、大変興味深いものです。

 県交通政策課の送付票には、“肥薩おれんじ鉄道マスコット「おれんじーず」”が付いていました。鹿児島県も出資する肥薩おれんじ鉄道。利用促進は大きな課題です。先日は、伊集院の踏切で鹿児島本線をいく肥薩おれんじ鉄道の単行気動車に出会いました。鹿児島中央乗り入れも増収に向けた取組のひとつ。ひとつのレールでつながった自治体が力を合わせている様子がこのマスコットから伺い知ることができます。

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2010年5月 5日 (水)

水戸岡さんのデザインがトイレにも

 黄金週間も今日で終わりました。遠出は全くできませんでしたが、近場で楽しむことができ、なかなかに充実した日々でありました。今日は、昨日出した線路をそのままにしていましたので、いくつか棚から取り出して、運転を楽しんでみました。その中で一番癒されたのが、9600が牽く貨物列車。小さな動輪をちょこまかちょこまか動かしながら、それでもゆっくりと進む姿は、古き良き時代の国鉄ローカル線を思い起こさせてくれます。お座敷運転で、周りの風景は想像で… といったところですが、レイアウトの中を走らせてみたいなあと夢はふくらみます。

 連休中、夕方は鹿児島の自宅へ毎日のように帰っていたのですが、砂の祭典による渋滞を心配して、ちょっと距離はありますが、旧南薩線沿いのコースで帰りました。阿多から伊作までは旧南薩線跡を道路に転用した区間を走ります。直線が続く区間でしたので、道路も快適そのもの。途中、2カ所一旦停止の場所がありますが、それ以外はノンストップで走り抜けることができます。車で走って気づくのは、途中にある勾配区間が意外と急なこと。DCならともかく、蒸気機関車時代は短い勾配ですが、結構大変だったのではないでしょうか。

Dsc_0014  さて、いきなりトイレの登場です。鉄道好きな人は、このトイレに入ると「おやっ」と思うはず。JR九州の車両に使われている柄風のタイルが、トイレを楽しい空間にしています。ここは、笠沙恵比寿の博物館の中にあるトイレ。水戸岡さんがデザインした笠沙恵比寿ですが、こんなところにも「らしさ」が作り込まれています。

 家内が、ここのテーブルや椅子は素敵!と見入っていました。レストランにしても展示室にしても、そこらにある椅子とは違います。車両のテーブルや椅子にも拘る水戸岡さんらしく、笠沙恵比寿の椅子やテーブルも洗練されたセンスを感じることができます。

 笠沙恵比寿はそのような意味からもあちこちにJR九州をはじめとする水戸岡さんの鉄道デザインとの共通項を見つけることができる、鉄道ファンにとって楽しめる場所のようです。

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2010年5月 4日 (火)

蘇る南薩鉄道の記憶(その6)

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 連休4日目。夕方、名付け祝いに出かけていかなければなりませんが、それまではフリーの一日でした。午後、久々に模型の運転をしてみました。といっても6畳二部屋分にちょっと変形したエンドレスをひとつ敷いただけの簡単なもの。時間もあまりないので、今回運転したのは、43系旧型客車と気動車たち。ちょっと地味系の車両たちです。

 いつも試運転は、最古参のカトーのDD51。古い製品ですが、よく走ります。カトー製品の走行性能のよさは定評がありますが、鉄道模型はスムーズに走ってこそ価値がありますので、こんな走りっぷりを見ると嬉しくなります。

 天賞堂のキハたちも最初はちょっと堅い走りでしたが、オイルが回り始めたのか、次第に軽い走りに変わりました。全車動力付きという製品ですが、互いに干渉し合ってぎくしゃくした動きをすることもなく、滑るようにスムーズに走っていました。鉄道模型を始めた頃の製品の走行性能からすれば、車両のディテールもさることながら隔世の感があります。

 

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 さて、蘇る南薩鉄道の記憶(その6)です。入口を入って右手には、蒸気機関車を中心とした南薩線の古い写真が掲げられています。私たちも赤く錆びた機関車が放置されていたことは知っていても、現役時代の様子は知りません。この写真は、南薩鉄道関連の書籍を出版している会社に問い合わせるなどして、展示が実現したそうで、現役時代を知る人たちには懐かしく、またそうでない人たちにはこんな時代もあったのだと感慨深いものがあると思います。

 また、南薩線を含めた貴重な切符や記念乗車券、駅弁の包み紙の展示もあり、一枚一枚じっくり見ていく価値のあるものです。地元新聞でも紹介されたことのある資料提供者のアルバムも展示してあり、鉄道好き、旅好きな人は共感を持って1ページ1ぺージめくることになるでしょう。

 今回で笠沙恵比寿の「蘇る南薩鉄道の記憶」展の紹介を終了します。この企画展は、今月末まで行われています。みなさん、どうぞ笠沙の自然と文化とともに楽しんでください。

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2010年5月 3日 (月)

蘇る南薩鉄道の記憶(その5)

今日は、南さつま市の一大イベント「砂の祭典」に行ってきました。今年は、天候も味方して5月1日から5日までの会期中は、すべて天気に恵まれそうです。今日も、ちょっと暑いぐらいの日和となりました。

実は、砂の祭典を見るのは初めて。新聞記事やテレビでは毎年その様子は見ているのですが、足を運んでこの目で見るのは初めてでした。南さつま市で仕事をするようになりましたので、市のイベントは見ておかなければなりませんし、赴任先の官舎から車で15分の距離で、気軽に行けます。

今年のテーマは「世界遺産・文明を巡る旅」。砂でできているとは思えないような砂像群に圧倒されました。会場では、さかなちゃんのライブやdokidokiのライブなど、イベントも盛りだくさん。砂像体験コーナーでは多くの親子連れが砂像づくりに挑戦していました。

来年全線開業する九州新幹線。大阪まで直通する「さくら」が牽引するミニ鉄道もありました。ライブスティームのような迫力はありませんが、タイフォンの音がそれなりで雰囲気は十分。新幹線ではあり得ないような急カーブを曲がるのが何ともユーモラスではありましたが…。

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 さて、笠沙恵比寿での「蘇る南薩鉄道の記憶」(その5)です。

 昨日紹介した鉄道模型に加えて、運転可能な模型も展示されています。今回の企画展に合わせて笠沙恵比寿の学芸員の方が準備されたもので、思い入れの強さが伝わってきます。車両は国鉄キハ07。南薩鉄道に新製配置されたのは同車を基本としたもの。ステップやヘッドライト、テールランプ等の仕様が異なりますが、基本的には同じ車両です。簡単なストラクチャーも置いてあり、いろいろな角度から見る楽しみがあります。運転希望の際には、スタッフの方に声をかけてください。ゆっくり走る姿に南薩線の当時の様子が重なります。

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2010年5月 2日 (日)

蘇る南薩鉄道の記憶(その4)

連休2日目。今日は、笠沙恵比寿を再訪し、常設展示をゆっくり見て回りました。そして、風力発電の様子や黒瀬杜氏の里を訪ねました。

連休ということもあり、笠沙恵比寿は観光客で賑わい、企画展にも多くに人が足を止めて見入っていました。懐かしく写真を見る人あり、南薩線関連の本を興味深く隅々まで見る人あり、HVCCさんの廃線跡紀行のDVDに見入る人あり…。

お陰で食事は順番がくるまで随分と待つことになってしまいました。

さて、今回の展示の目玉の一つが模型です。S氏所有の模型の中から、九州に縁のある車両たちが展示されています。

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0系新幹線、583系特急寝台電車、20系寝台車、キハ82系特急形気動車など、なじみの深い車両が並んでいます。82系気動車は、食堂車組み込みの基本7両にキハ82とキハ80が増結された形の、「にちりん」の実際の編成を再現しているあたりは流石だなと思いました。南薩線以後に活躍した車両もありますが、南薩線と同じ時代に活躍して車両も多く展示してあり、往時を偲ぶことができます。

ちなみにこの展示台、スタッフの方の手作りだそうです。よくできていますね。

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さて、その3でテーブルの仕掛けのことを謎かけしていました、その答えは上の写真。テーブルの中程の強化ガラスの下には、鉄道模型が収まっています。こんなテーブル自宅にも欲しいですね。このテーブルでは寝台特急を中心にずらっと並んでいます。鉄道ファンであれはそれぞれの車両に思い出があるはず。そんな車両たちを眺めなら焼酎を一杯、なんていいですね。余談ですが笠沙恵比寿でも笠沙恵比寿オリジナルの焼酎を購入できます。

このようなテーブルが4つ。椅子もありますから、じっくり鑑賞することができます。模型談義に花を咲かせてみてはいかがでしょう。

先日、16番(80分の1スケール、軌間16.5㎜)のモデルが入る旨お聞きしていたのですが、今日訪問したときには展示がなされていました。キハ100の新旧塗色のモデルにC12などでした。

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2010年5月 1日 (土)

蘇る南薩鉄道の記憶(その3)

You-enてっどさんが笠沙を訪れた日の翌日は天気はよかったのですが、黄砂に見舞われて風景はどんより。澄んだ空気の中でご案内できて本当に運に恵まれたと思いました。

さて、笠沙恵比寿訪問の3回目です。

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 入り口を入るとこんな雰囲気です。フローリングの床に白い壁、そして三角の天井、光の演出の妙はまるでJR九州の特急車両のよう。広々とした落ち着いた空間で企画展はなされています。中央付近にはテーブルと椅子が配されており、ゆっくり歓談することもできます。左手の柱に上手に隠れているのは、You-enてっどさんと笠沙恵比寿の学芸員さんです。写真を見ながら、お話をされています。

 このテーブルにはちょっとした仕掛けがあります。その答えはその4で紹介します。

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 南薩線の写真はこのような形で展示されています。統一されたフォーマットで整然と美しく展示されています。長期の展示となりましたが、HVCCさんにより途中で写真の入替も行われました。それぞれに作風があり、出品者の個性が表れています。廃止から四半世紀を経て、このような形で合同展示が実現したことは、有り難いことでした。

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