南薩線廃線跡サイクリング記(その9)
今日はバレーの練習があったので、自転車こぎはウヤ。昨日は仕事を終えて1時間ほど走ったのですが、平坦な場所で車の心配もなく、しかも直線が続くこんな走行環境は他ではめったに得ることができない、と運命?の巡り会いに感謝しています。東シナ海の大海原を見ながら走れる、生長する稲を見ながら走れる、疲れたら堤防に腰掛けて海を眺められる。こんなところはめったにありません。
自転車は折りたたみ式ではありますが、7段の変速機を有したものを購入して正解でした。坂道や風の状況に応じてちょうどよい負荷の段を選ぶことができます。結構スピードも出ます。
この写真は2010年モデルですが、このちょっと前のモデルになります。オプションで泥よけと前かごを付けています。また、ライトと空気入れも付けてあります。
さて、南薩線廃線跡サイクリング記録の9回目です。
永吉川の橋脚とともにここでの見所はなんと言っても石橋の浜田橋です。
南薩線現役時代、この眼鏡橋をからめた写真は多く撮影され、また多くの写真が発表されてきました。直線的な路面は近代的な印象を受けます。説明板によると、明治17年以前に永吉橋として架けられ、その当時は2連の石橋だったとか。しかし、大正2年の水害により流失、その後、3連橋に改修されて現在に至っていることことです。そのときに橋の名前も永吉橋から浜田橋に変わったようです。確かによく見ると手前のアーチ2連と奥のアーチは径間が違うように見えます。流失がどの程度だったのかよく分かりませんが、この橋が流失するくらいですから洪水の規模はかなりのものだったのでしょう。
説明板は南薩鉄道の開通が大正2年だったことも記してあります。ということは、永吉橋が流失するくらいの水害があった年に既に南薩線の永吉川橋梁は存在していたということです。
永吉川が流失した年と南薩鉄道が開通した年が同じということを考えるとちょっと疑問な点が出てきます。流失時2連だったという永吉橋。そんなに大きなスパンは取れませんから、せいぜい今の浜田橋2連分ぐらいだったと想像できます。南薩鉄道の橋梁とこんなに近いのですが、川幅の開きがあり過ぎるように感じるのです。当時どのような姿を永吉川がしていたのか、知りたくなってきました。
上流側に新しい橋が架けられ、浜田橋は幹線道路の橋としての役目を終え、静かに余生を送っています。県内にある移設されていない石橋の中では最長の部類に入るのではないでしょうか。すぐ近くの物産館を訪れた人たちが立ち寄ったり、地元の人たちが生活道路として利用しています。この石橋から見る橋脚群は東シナ海を背景に絶品です。
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