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2010年6月

2010年6月30日 (水)

EF66-100到着

昨日紹介した南薩線で活躍したC12型蒸気機関車の動輪は、よく考えてみるとおよそ25年ぶりの再会ということになり、感慨深いものがありました。やはり実物に出会えるということはうれしいですね。一方で、完全な形で残っている旧加世田駅屋外展示の車両たちの腐食進行が通るたびに気になります。かつての加世田駅構内に放置されていた廃車体と同じ道をたどっているような気がします。

甲種回送にて、トミックスのEF66ー100が届きました。後期型です。登場時、屋根はグレー塗装だったそうですが、現在は車体色と同じブルー。製品は、現在の姿をモデル化しています。上から見ることの多い模型では屋根は結構目立つので、登場時のグレーの方がめりはりがあってよいと個人的には思います。もちろん現在の姿がよいというファンもいるでしょうから勝手なことはいえません。前、紹介したとおり、プレステージモデルを選択すればグレー塗装になります。

JRに移行して新製機関車として登場したEF66-100。それまでの国鉄らしい顔つきから新しい時代を感じさせる洗練された顔つきに。また、車体色も明るくなり、扉のワンポイントも洒落ていました。

トミックスは積極的に16番プラ製品の模型化を進めており、ありがたい限りです。もともと16番から鉄道模型の世界に入っていますので、Nゲージへの移行には少々抵抗があります。しばらくお休みしていた鉄道模型復活の契機はカトーのDD51の発売でした。プラ成形ならではの緻密な表現は、それまで所有していたプレス主体の金属モデルとは一線を画すものがあり、走行性能も缶モーターとフライホイール装備で快調。しかもロープライスときていますから、技術革新の恩恵をありがたく思いました。

さて、EF66-100にはこれから部品を付けたり、ナンバーを貼付したりする作業を進めなければなりません。数年前までは裸眼でオーケーだったのですが、今では眼鏡が必要になりました。自分の経年を思い知ることが多くなった昨今です。しかし、模型に関する細かい作業や鉄道模型とのつきあいをどう展開させていこうかと構想することは老化防止に少しは役立つかもしれません。

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2010年6月29日 (火)

南薩線動輪発見

動輪が目につき、ひょっとして南薩線のもの?と思い、確認してみると果たして南薩線のものでありました。雨の降る中、ちょっと寂しい場所にたたずんでいました。場所は、南薩鉄道の支線、万世線の終着駅薩摩万世からしばらくいった小高い丘の上にある万世小学校。万世小学校は10年ほど前、道路をはさんだかつて運動場だったところに校舎を新築し、旧校舎があったところが運動場となっています。

南薩線ゆかりの動輪は、かつて校舎のあった運動場の隅っこに取り残されるようにして雨に打たれていました。

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コンクリートの台座の上に設置されており、前後をレールで転がらないように固定してあります。どうもレールの位置が不自然に思えます。ひょっとしたら設置当時はレールの上に動輪は乗っていたのかもしれません。校舎移転等の関係で設置場所が変更になり、その際にこのような形になったのかもしれません。あくまでも想像ですが…。

碑にはこのように刻まれています。

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第40回の卒業記念品。昭和62年とありますから、平成になる1年前、南薩線が廃止になって3年後です。碑にあるように最後に増備された国鉄C12と同じタイプの蒸気機関車の動輪です。角形ドームの12号機は運動公園に保存されていますので、13号機か14号機のもののようです。これまでに加世田の市民会館前に1対、加世田小学校に1対あることを確認していますから、これが3例目となります。

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動輪にはこのような刻印があります。それぞれの意味がよく分からないのですが、ルーツを探る資料になるのかもしれません。動輪は、なぜかタイヤ部分が白、スポークの接する部分が赤色に塗られています。また、動輪の転動防止の役割を果たしているレールにも興味をそそられました。奥の線路にはアルファベットの文字が残されているのですが、腐食が進んで容易に読み取ることができません。

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2010年6月28日 (月)

百花繚乱の鉄道誌

月末の楽しみは、鉄道誌のチェック。現在の赴任先から十分な鉄道誌が入荷する書店まではおよそ1時間の道のり。仕事の関係で、発刊直後に行けないこともしばしば。忙しいときなど、鉄道誌の発売日すら忘れてしまうことも…。これは私にとって危険信号の異常事態。こんなときは仕事に脳の大部分を支配された危険な状態です。

さて、遅まきながらこの間の土曜日に鉄道誌のチェックに行ってきました。かつては、鉄道ファン、鉄道ジャーナル、鉄道ダイヤ情報、鉄道マガジン、RMモデルスの5冊を定期購入していました。今考えるとよくこんなに買っていたなと思います。国鉄時代は、それだけ思い入れも強かったのかなと今振り返って思います。その前は、鉄道模型趣味(TMS)をずっと購入していました。

いつしか、定期購入はやめ、気に入ったものだけ購入するようになりました。その理由のひとつは、家族増結による資金の調整と本の購入の幅が広がったことにあると思います。

土曜日のチェックではかつて購入していた鉄道誌はパス。ずっと1巻目から購入しているネコの「国鉄時代」ともう一冊、新刊の「蒸気機関車」を購入してきました。今回の国鉄時代は北九州がテーマ。同じ九州のカマに親しみもわきます。新刊の「蒸気機関車」は鉄道関係の書籍を積極的に発行するイカロス出版の鉄道誌。季刊誌「J-train」の特別編集ということでこれから季刊で刊行されるとのことです。内容は多方面からのアプローチで結構読み応えがあり、今後の展開が楽しみな鉄道誌です。

蒸気機関車のみを扱った定期鉄道誌はキネマ旬報の「蒸気機関車」以来ではないでしょうか。きちんと終刊号を出し役目を終えたあいさつをして終止符を打った同誌でしたが、復活蒸機華やかな昨今、このような形で同名の鉄道誌が他出版社から復活したことに時代の妙を感じざるを得ません。

それにしても近年の鉄道誌の出版ラッシュには驚きます。買う人がいるから市場に出てくるのでしょうが、採算ラインに乗るのだろうかと心配になるような数です。

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2010年6月27日 (日)

鉄道にはまる

今朝のTBS系朝の7時からの健康番組「カラダ」をご覧になりましたか。実は前述の通り、官舎にアンテナがないためテレビなし生活を続けてきたのですが、ワンセグが写ることが判明。小さなケータイの画面ですが必要な番組は見るようになりました。

今朝のテーマは、「危ない依存はまる秘密」。最初に登場したのは、鉄道ファン経営の理髪店。そしてそこを訪れる数人の鉄道ファン。番組では、なぜ鉄道にはまるのかを脳科学の観点から分析。自分の好きなことをすると報酬系の神経に快楽物質のドーパミンが送られ、その満足感から再び同じような満足を得たくて、どんどんはまっていくのだそうです。神経を鉄道線路に例え、列車が快楽物質を運んでいく様子がユーモラスで、しかも分かりやすいものでした。鉄道にはまることは行動を伴う満足なので、とても健全なものとして紹介されていたのでほっとしました。

どんなときに一番満足を感じますか?という質問をそれぞれの鉄道ファンにされていました。元国鉄職員、現JRの社員の方は「ショックもなく停止し、ドアが開いたときに…定時!」。これにはスタジオの面々も受けていました。私も、これが一番かもと納得。電車でGOでもこれが難しい。

今日のテーマである危ない依存は、行動ではなく物質に依存すること。代表的なものはアルコール。自分の意志でコントロールできなくなるとアルコール依存症だそうです。アルコールを摂取することで脳が満足し、その満足感を再び味わいたくて飲酒を続けるそうです。それを続けると脳はアルコールがある状態を普通の状態と判断し、アルコールが切れると震えなどいろいろな症状が出るようになります。アルコールを摂取することにより正常?な状態に戻るのでやめられなくなるそうです。

健全なはまりで鉄道ファンを続け、豊かな人生にしたいと思います。

今日は、自治会のグラウンドゴルフ大会がありました。こちらに来て初めての大会です。会場は、立派な上屋付きの全天候型グラウンド。これはいいです。雨もよけることができますし、日差しもカット。こんな状態のよい地面でグラウンドゴルフをしたのは初めてです。これまではラフ状態ばかり。イレギュラーの連続です。

結果はなんと優勝!8ホールを2回まわって打数38。同じスコアの人がもう一人いたのですが、私がホールインワンを1回決めていたので優勝ということになりました。一緒に参加した娘はブービー賞。

午後は、地域の生活安全部の活動でカーブミラーの調整や支障となる樹木の剪定。それに見通しの悪いところの草刈り。草刈り機、通称ビーバーでどんどん払います。草刈りをしながら思います。鉄道の築堤や見通しの悪くなったところを刈りたい!

草刈りのご褒美にみんな500ミリリットルのビールをもらいました。今、そのご褒美を飲みながらブログの打ち込みをしています。

あれ?ひょっとしてアルコール依存症?明日、ちょっといつもよりハードルの高い大切な仕事があるというのにこんな時間にビールを飲んでいます。

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2010年6月26日 (土)

15年ものの車の雨漏り

今日は、午後から延期になっていた集落の清掃作業の予定でしたが、降り続く雨が午前中時折激しい風雨となり、再び延期となりました。昨日、予定されていたヘリコプターによる稲への航空防除も今日に順延となりましたが、再び順延。航空防除に使用するヘリなのでしょう、南薩線跡の南多夫施・北多夫施間沿線の農業関係施設と思われる敷地内に3機のヘリが駐機していました。

この梅雨は異常なほど、雨続きです。しかも豪雨。鹿児島県関係の鉄道もかなり影響を受け、運転見合わせなどが続いています。

この長雨で困ったことが起きています。ちょっと前からなのですが、15年ものの車の助手席側の床に水がたまるのです。たまった水は、ぞうきんで吸い取って排水。これだけ雨が続くと乾く間がありません。今日、どのようなことになっているのか見てみました。どうやら、屋根から雨といを伝ってフロントガラス横のピラー沿いに流れてきた水が、ドアと車体の間に流れ込む際にゴムのパッキンが劣化してできた隙間から扉の内側に進入しているようです。問題箇所が局所的なので、これなら何とか自分で処置できそうです。運転席側も水こそたまりませんが、それと近いことが起こっているので、経年による劣化なのでしょう。

窓からの雨漏り関連で思い出しました。サロ455やキロ28など、落とし窓式の大窓が特徴でしたが、落とし窓構造が災いして、窓と車体の隙間から雨水が入り、側板下部にたまった水で車体が腐食してくるという事態になりました。以前、鹿児島工場を見学した際に、修理中のサロ455を見たことがあります。対策として後年になって落とし窓を廃止してユニット窓に改造した車両も多く存在しました。大窓が魅力的だった急行形グリーン車でしたが、開閉式としたために上下2段となり、しかも元の窓にはめ込む形となったために、少々窮屈な感じが否めませんでした。

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2010年6月24日 (木)

星の列車、七夕の夜に発車

鹿児島市内に住んでいた頃には見ることができなかった本当の夜空を転勤族になってから県内のあちこちで味わうことができるようになりました。とりわけ美しかったのが、山野線と宮之城線が走っていた大口の空、そして県の南のはずれの与論島。山の上に広がる空と海の上に広がる空。どちらも絶品。虫の音を聞きながら、潮騒を聞きながら…。

星の数ほどという表現がありますが、本当に数え切れないほどの星たちが輝きを放ち、神秘的すぎてちょっと怖いくらい。そんな中、薄いミルクを流したような帯がうっすらと見えます。天の川です。無数の星たち、銀河の集まり。地球は宇宙の中に存在するたったひとつの星に過ぎないんだなあと実感させられます。

7月7日は七夕です。子どもの頃は、学校で七夕飾りを作り、飾りました。家でもマーケット前に売りに来ていた人から母が買い求めた笹に飾りをつけて飾りました。それぞれの願いを短冊に書きました。季節を感じさせる行事でありますし、言葉の響きもいいですね。

さて、この七夕の夜、肥薩おれんじ鉄道で「星の列車」が発車します。発車時刻は見事に午後7時7分。列車にはおなじみの松本零士氏原作の銀河鉄道999が車体に描かれます。新聞報道によると、主人公・鉄郎とメーテルが星空を見上げている様子があしらわれているそうです。表面に特殊な印刷が施され、走ると流れ星のように見えるのだそうです。流れ星といえばつい先日、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所からM5ロケットで打ち上げられて7年間宇宙の旅を続けて満身創痍となって奇跡的に帰還した「はやぶさ」がカプセルを放出した後、大気圏に突入して流れ星になりました。肥薩おれんじ鉄道の「星の列車」は、かつて寝台特急「はやぶさ」が走った美しい区間を流れ星となって走ります。ちょっと出来過ぎかなと思うようなタイミングです。

肥薩おれんじ鉄道では昨年から営業部を新設して利用者を増やすための取組をしているそうです。他の交通機関との厳しい競争と沿線の過疎化。これまでと同じような経営手法では鉄道を維持することは難しいでしょう。営業部が鉄道に付加価値をつけ、新たな需要を喚起することに大いに期待したいと思います。テーマパークへ行くと、いろいろな乗り物に行列ができています。利用者にとって魅力的な鉄道を創造すれば、まだまだ可能性はあると思います。

大地と海と空に恵まれた肥薩おれんじ鉄道。そのフィールドは魅力にあふれています。

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「星の列車」がらみで、この画像を。これは、鹿児島空港で航空機を撮っていたときに撮影したものです。日没からかなり経ち、辺りは次第に闇に包まれてきました。東の空には見事な満月。35㎜換算300㎜相当で撮影。手ぶれ補正を作動させての手持ち撮影です。実際は、画面に対してもう少し小さく捉えていますが、クロップしてあります。手持ちでこれだけ月の様子を捉えられるのですから、デジカメはすごい可能性をもっているなと思います。

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2010年6月23日 (水)

新幹線「さくら」に寄せて

今朝の地元新聞南風録には冒頭に「はやぶさ」「富士」「なは」の名が記されていました。おやっと思って読んでみると、かつて動くホテルともてはやされたブルートレインの輝きを来春全線開業する九州新幹線鹿児島ルートを走る「さくら」でも再び放ってほしいというものでした。試乗会の感想も交えられ、つばめをデザインした水戸岡鋭治氏の著書「水戸岡鋭治の『正しい』鉄道デザイン」での文言も紹介されていました。この本は私も読んだことがありますが、氏の鉄道に対するデザインの考えが記されており、これを読んで氏が関わった鉄道デザインに接すると、味わいも倍増というものです。全国区へ進出する「さくら」が文字通り日本を代表する名列車になってくれたらいいと思います。さらに、この「さくら」が鉄道イノベーションを起こし、鉄道復権へ大いなる力を発揮してくれたらいいなと思います。南風録の中で紹介された著書の文言は「速ければよいという価値観の時代はもうとうに過ぎ去ってしまった」。経済成長が止まり、路頭に迷っている感のある日本ですが、経済発展ばかりに目を奪われず、「足るを知る」の境地で本当の豊かさ、幸せを足下から探してみると、また新しい国のあり方が見えてくるような気もします。

ところで昨日、マツダの宇品工場で惨事が起こりました。秋葉原での事件といい、全く無関係な人多数が無差別に犠牲になるという考えられないような事件。実は、2年前の夏だったでしょうか。この宇品工場に見学に行っていたのです。本社に集合、そこから工場内をバスで移動して宇品工場の一部を見学させてもらいました。家族で行った思い出の場所だったのですが、そんなところでこんな惨事が起こるとは思ってもみないことでした。

都市集中が進み、地方がどんどん疲弊している日本。そんなアンバランスに人間もバランスを崩しているのではないでしょうか。宮崎駿の「となりのトトロ」の舞台にあるような日本の原風景。心の中にそんな風景を日本人はいつでももっていたいものです。和を大切にした水戸岡氏のデザインはこの原風景に通ずるとことがあります。

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2010年6月22日 (火)

C5557号機のこと

職場の職員用PCにソフトのインストールなどを行うとのことで対応。それが退庁後に時間設定されていたので、作業が終わるまでひたすら待つことになりました。お陰で、先日購入した新書を半分読むことができました。しかし、おなかはぺこぺこ。帰り着いたときには10時を回っていました。

Models IMONから87分の1サイズ12㎜ゲージのC5557が発売になりました。昨年末には吉松駅に保存されているC5552が発売。南九州ゆかりのC55が特定機番にてファインスケールで模型化されたことは興味津々。オーナー井門義博氏のブログでも昨日紹介されていました。16番ではがに股になっていしまい、いまひとつ実車のイメージが表現されていないのですが、同社が推進する87分の1、12㎜ゲージは実車のイメージがそのままです。国鉄型の狭軌感は実車のイメージを表現する上でとても重要なファクターです。Models IMONのファインスケールはいいなあと思いますが、とても手が出ません。でも、南九州ゆかりの蒸機が1両ぐらい欲しいなとも思います。

さて、C5557号機ですが、昭和50年3月23日にC57175号機とともに日豊線のさよなら列車を牽引しました。私もこの列車に乗りました。国鉄時代の現役蒸機として最後の乗車となりました。宮崎到着後、宮崎機関区で勢いよく安全弁から蒸気を噴き出している様子が私が見た最後の印象的な生きた姿となりました。この日のうちにC57175を宮崎に残し、単機で12系を回送しながら鹿児島へ戻っています。その後、鹿児島機関区の扇状庫に長い間置かれていたことを記憶しています。最後に見たのは鹿児島工場の留置線に入っている姿でした。

井門氏のブログによると、出水に保存目的で保管されていたC57117号機とC6118号機が盗難による荒廃で解体され、同じく同地に保存予定だったC5557号機も同様の理由で解体されたとあります。もし、この3両が保存されていたとしたら、南九州の代表的な美しい機関車を保存した素晴らしい場所になったに違いありません。返す返すも残念でなりません。

HPだったか書籍だったかはっきりしないのですが、出水で荒廃しきった蒸機の姿を見て、何ともいえない気持ちになったことがあります。その主があのC57117号機であったりC6118号機であったりしたということはさらに大きなショックです。

C5557号機とともにさよなら列車を牽引したC57175号機は今でも宮崎市内に保存されています。北九州にいた頃から美しいカマとして有名だったC5557は当然保存されるべき第一候補だったと思うのですが、解体されてしまったことは本当に残念です。

私の鉄道には、C55に57号機のプレートが、C57に117号機のプレートが付けられ、在籍しています。C55は古いアダチ製のカマ、C57は天賞堂プラ製のカマ。やはり複数あるナンバープレートからなじみのある番号を選んでしまいますね。

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2010年6月21日 (月)

EF66100発注

今年の梅雨は本格派の梅雨です。これだけ降って人的な被害が出ていないのが不思議なくらいです。本当によく降ります。昨日、鹿児島へ帰った際、かなりの豪雨の中、道路を川のように流れてくる雨水につっこんでしまい、派手な水しぶきが車を包み、完全に視界を失ってしまいました。側窓に見える中央線を頼りに何とか車をコントロールしましたが、ちょっとした恐怖。一瞬、事故ってしまう自分を想像し、冷や汗が出ました。

トミックスからEF66100が発売されました。国鉄の分割民営化後JR貨物が初めて新製した機関車。EF66は国鉄時代に設計された古い機関車ですが、新しい時代にふさわしい洗練されたスタイルで100番台として登場。新しい塗色も相まって、新形式かと見間違うようなインパクトがありました。

トミックスからは初期型、後期型、後期型プレステージの3製品がラインナップ。例によって普通の後期型とプレステージは若干設定が異なっています。この辺り、販売戦略としてうまいですね。EF81300も国鉄時代のすっきりしたモデルをと思えば、プレステージしか選択肢がありませんでした。今回も後期型登場時の屋根色と現在の屋根色で変えてあり、登場時の屋根色をと思えば、プレステージということになります。

プレステージモデルは、手すりが金属製ですっきりしており、パンタや連結ホースも金属製。かちっとした仕上がりは魅力があるのですが、普通モデルの2倍近くする値段にはおいそれと手が出ません。

EF66のJR西日本ブルトレ仕業はちょっと奮発してプレステージを購入したのですが、今回は何とか資金繰りができたような状態だったので、普通モデルを発注することにしました。

今回のEF66100は人気があるのでしょうか。発売から間もないのですが、模型店によっては後期型の在庫が既にないところもあります。よく利用している模型店ではまだ後期型の在庫があったので、増備することにしたワムハチ4両とともに注文しました。

注文を入れたのが土曜日。今日模型店のHPを開いてみると、既に売り切れの表示が…。すべり込みセーフでした。

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2010年6月20日 (日)

私と鉄道写真

私が鉄道写真らしいものを撮ったのは小学生の頃。それから走行中の写真を撮ったのは中学生になってから。そして、自分のカメラを持って撮り出したのは高校生になってから。さらに車や列車を使って撮影の範囲を広げたのは大学生になってから。

撮影のモチベーションを持ち続けるのは難しいことで、人間同じことをやっていると、これでいいのかなといろいろと疑問が湧いてくるもの。そんな中、同好の士の写真に刺激されたり、鉄道誌の記事や写真に触発されたりと、様々な刺激を糧に今日までやってきました。とはいうものの、単行時代から増結を繰り返す過程で、撮影の機会が著しく減ってきているのも事実。こればかりは皆さん同じではないかと思います。

ネット時代になり、鉄道写真を趣味とされる方のサイトで作品が紹介され、気軽に見に行けるようになりました。それぞれに作風があり、大いに参考になるとともに刺激にもなります。正直言って今の自分にとって面白みのない作品もありますし、ぐぐっと惹き付けられる写真もあります。

人間100人いれば100通りの鉄道の感じ方があるわけで、それはよいわるいの世界ではありません。その人が感じた鉄道をその人なりに味わえばよいのだと思います。ですから、惹き付けられる写真というのは自分の感じ方と共通する部分が多い方の作品なんだと思います。

一目惚れということがありますが、これも目の前にいきなり素敵な男性なり女性が現れたわけではなく、その人が意識するしないは別にして心の中で常に思い描いていた異性像と重なる部分が多い人に出会ったときに、自然と心が反応するのだと思います。その意味では、一目惚れの対象は十人十色で、よいわるいの世界ではありません。

鉄道写真でここ数年その対象になっているのが、中井精也氏の写真です。直接お会いしたことはもちろんないのですが、ブログから氏のあたたかさやひょうきんさ、感性の豊かさが感じられて、その人柄は氏の写真の作風に大いに反映されているように感じます。

毎日更新の「一日一鉄」も見に行きますし、氏の写真集も購入して見ています。これまでの鉄道写真のジャンルを超越したような作品もあり、賛否は分かれるところだと思いますが、いろいろな手法や表現に果敢にチャレンジする中から新しい作品が生まれてくるものですので、その過程を共有することができるのも楽しみの一つになっています。

以前、このブログでも紹介しましたが、氏の「撮らずにいられない鉄道写真」という新書が発売されました。一日一鉄で紹介された写真を中心に、撮影の裏話やスタンスが軽妙な文章で綴られています。氏は最近の作品を「ゆる鉄」と称しています。言い得て妙で、確かに堅苦しくないゆるい風景で何となく癒されます。鉄道というと堅いイメージがありますが、それだけではない、自然や人との関わりの中で醸し出されるゆるい風景という側面をうまく表現しています。「ゆる鉄」の原点と言われる踏切の写真。一枚の作品がその後の作風を変えてしまうのですね。最近では鉄子さんが増えているそうですが、ゆる鉄ファンにも男性ばかりではなく女性も多いのだそうです。

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がちがちの鉄道写真ももちろん魅力的で、鉄道写真も緩急投げ分けながら楽しんでいくと楽しさの幅が広がるのかもしれません。時刻表片手にぶらりと旅に出たくなりました。

HPの路面電車のページにアップしてある写真を再掲します。もう何年前になるのでしょうか。熊本に出張した際に、ホテルの近くで撮影しました。ときどきはっとするような鉄道風景というものがありますよね。いい風景だなと思っていたところへ、自転車がやってきて信号待ち。石畳の敷石と鈍く光るレール、そして町の風景が心に染みました。感じた風景を形として残し、再び味わうことができたり、その感動を人と共有できたりするのが写真の魅力ですね。

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2010年6月19日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その16 最終回)

梅雨末期を思わせるような雨の降り方です。目の前にある川も、いつもは海への水門が閉じられ農業用水として使われており、たまり水状態なのですが、今日は泥色をした水が海へと向かって開けられた水門からはき出されています。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の16回目。今回で最終回です。

アイアンロードが歩行者専用だったという意外な事実に少々驚きながら、迂回できるところは道路を迂回しながら廃線跡をたどることにします。U字型になった線路配置の頂点部分にあった伊作駅跡には図書館ができたり、その周辺が宅地開発されたりして、かつて駅があった頃を思い起こさせるような風景は失われています。遺構としては、鹿児島交通のバス営業所のコンクリート製のバスピットが草に覆われながらも残っています。

また、自動車整備工場、警察の官舎、農協の建物が、当時の駅を思い起こさせる周辺の風景となっています。駅前から役場を通って国道へと続く道は、古い商店などが建ち並び昔の風情を感じることができます。ですから、国道側からかつて駅があった方へ行くと、今でも伊作駅があるような錯覚に陥ります。

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農村振興総合整備事業を紹介する看板に表示されたアイアンロードです。南薩線の気動車を意識したわけではないと思いますが、事業が行われた場所がオレンジ色で示されています。道路の整備や公園の設置、そして南薩線跡をアイアンロードが主な事業のようです。伊作駅跡にもその旨を示す碑や表示などありませんが、この看板にも南薩線跡を示す表示はありません。地元の人たちの力で敷かれた南薩線ですが、もう少しその功績を称え、後生に語り継ぐ取組があってもよいのではと思います。

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薩摩湖から下りてきた線路跡は180度向きを変えて、伊作川へ向かって田の中を直線で進みます。いくつか道路とクロスすることになりまが、その部分には危険防止と車両進入を防ぐための柵が設けられています。前後平行にバーが設置され、その間を通り抜けられるようになっています。自転車通行禁止を謳っていますので、乗車したままではペダルをひっかけそうな感覚で、まったく自転車の通行を拒否したつくりになっています。すぐ横に並行した道路がありますので、そちらを進みます。

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吹上浜駅側から見るとこんな感じです。自転車が走ると高齢者や子どもたちがゆっくりと散歩できないと言うことなのでしょうか。自転車も通れるようにするともっと利用価値が高まりそうな気がするのですが…。実情とかけ離れた、どこかお役所的な設定に感じられました。

さて、このアイアンロードの終点はこんなところです。

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トイレ、外灯、水飲み場、ベンチ、日よけの藤棚?、タイル敷き、そして事業内容を示した看板。これだけのものがぽつんと広い農地の中に…。こちら側には自転車通行禁止の表示はありません。通行禁止の表示を確認したのは1カ所だけですので、積極的に通行禁止の制限をかけているわけではないようです。実際、アイアンロードの手前には、自転車のものと思われる轍が1本。日常的に自転車の通行があるようです。

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その自転車はこの細い道路から入ってきています。赤鉛筆を模した門柱?がご愛敬。ガードレールの左側のブッシュの中へ南薩線の廃線跡はまっすぐ続きます。この後、大きく左へカーブして伊作川を渡ることになります。しかし、完全に藪と化しており、進むことは困難です。

何も痕跡はないように思いますが、近づいてみると…。

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道路に沿った水路を渡るための桁があり、そこには枕木や犬釘、帯板などが残されています。アイアンロードの端まできた鉄分の高い人へのご褒美とばかりにその雰囲気は廃線跡探訪者にとっては第一級品の風景。とはちょっと言い過ぎ?

ここから先、吹上小学校跡手前まで廃線跡はそのまま残されています。ある意味、貴重な区間といえるでしょう。サイクリングとは別の日に撮影した写真を紹介します。

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立派な築堤の向こう側は伊作川が流れ、両岸に橋台が残されています。手前にも向かい合わせに橋台が残っているのは写真の通りです。また、右端に通信用の電柱も当時のものが残っています。線路跡や駅跡が払い下げられ開発されるようになってから、このような場所は次第に数を減らしてきました。そんな中、この場所は貴重です。

初めは数回で終わるだろうと思っていた南薩線廃線跡サイクリング記でしたが、長々と16回にもなってしまいました。つたない表現で申し訳なかったのですが、おつきあいくださったみなさん、どうもありがとうございました。

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2010年6月17日 (木)

南薩線廃線跡サイクリング記録(その15)

今日は朝から終日研修会。じっとしているのもなかなかつらいものがあります。機関銃のように発せられる説明攻撃に頭は飽和状態。しかも、昼食の弁当が揚げ物が多く、胃はもたれ気味。前回も同じ店の弁当で同じ症状が…。他の人は大丈夫だったのでしょうか。弁当代を下げて、もう少しあっさりしたものにしては、と思います。胃のもたれは帰宅して遅い夕食を食べるときまで続きます。ぎんぎんに冷やしたビールで胃を洗浄したところで治りました。ちょっと勝手な胃です。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の15回目です。

薩摩湖駅の常連さんだった吹上高校を右に見ながら坂道をしばらく下ります。ここは道路に吸収され、鉄道跡だとは分かりません。しばらく歩道を行くと、歩道からゆるやかに左に折れる狭い道が現れます。これまでのアスファルトの自転車道が茶色っぽい舗装になります。これにはちょっとした理由がありました。それは後ほど。

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すぐに鬱蒼とした切り通し。左右の法面は特に処理がしてあるわけではなく、削ったままの様子。鹿児島県特有のシラスは、ある程度斜面を立てておくと崩れにくいという特性があります。この辺りでハイキングを楽しむ親子連れに出会いました。

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線路跡は地形に沿って右側へカーブを描きます。右手に見える土地の高さまでどんどん高度を下げていきます。さあ、右側の平地の部分を拡大して見てみましょう。

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右上の方に転々と植え込みが見えますね。実は、ここがこの廃線跡の続き。伊作の有名なU字型の線路配置です。伊作駅を頂点に、ほぼ平行に線路が並んでいました。伊作駅で交換する列車は、到着時も発車時も同じ方向にしばらく進んでいました。久大線の湯布院も同じような形になっていましたね。伊作駅を通過する乗客にとっては、営業キロが伸びてちょっぴり損をするような?実際、運賃に影響がある区間があったのでしょうか。調べてみるのも興味深いですね。この坂、結構な勾配があるので登るのも下るのも結構ゆっくりしたスピードでした。

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伊作の町がある高さに近いところまで下ってきました。この先、Sカーブを描いて急カーブで伊作駅へと進入していきます。左側には薩摩湖方面から下ってくる道路が併走します。法面はこちらは石積みの処理が施されています。右側に見えている茶色っぽい鉄筋の建物は農協。南薩線現役の頃からありました。伊作駅の改札口からはちょうど正面に見える建物でした。この先、踏切があったのですが、踏切の手前に伊作駅の場内信号機がありました。

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この付近に場内信号機が立っていました。もちろん腕木式です。南薩線が廃止される頃に用意された「さようなら南薩線」のイラストが描かれたアプローチ。このイラストは記念切符や車両のヘッドマークなどに使用されました。100型が白いハンケチを振ってさよならをしています。現在、ゆるキャラブームですが、当時このようなゆるキャラでキャンペーンをして南薩線の列車を擬人化したら、ひょっとしたらブームとなって南薩線に乗りに来る人たちが増えたのでは、なんて思ったりします。現在見ても、実に良くできたイラストだと思います。ポールには車輪らしきデザインの円盤も見えます。もっともこのような形の車輪は南薩線には存在しませんでしたが…。

ここで問題が。実は、向こう側から自転車で下ってきたのですが、この関所を克服するのが大変なのです。自転車道になんでこんな通りにくい場所を作ったのだろうと思ったのですが、よく見るとこんな表示が…。

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なんと、車いす青信号ですが、自転車は赤信号。ここは自転車の通行はあいならぬ区間だったのです。どうりで自転車が通りにくいはずです。自転車を通れないような構造にしてあったのですから…。それにしても何故?吹上浜駅方向からの自転車道を自然に下ってくるとここへ来るのですが…。謎は深まるばかり。バリケードの左側を見ると、こんな風に。

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自転車がすり抜けた跡です。これを見るとかなりの台数の自転車が通過しているようです。出発点で見た自転車道の案内板をもう一度見てみましょう。

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おや、自転車道は薩摩湖から吹上町役場(現在は市町村合併されて支所)の方向へは向かわずに、くねくねと入来浜方向へ。案内板があったのか分かりませんが、早々と南薩線の廃線跡からは別れを告げているようです。また、このコースを自転車で走ってみたいと思いますが、伊作へ下る廃線跡が自転車道ではないことは意外でした。

舗装がアスファルトから茶色のカラー舗装に変わっていた理由がちょっぴり分かりました。どうやら事業主体が違うらしく、伊作駅を中心とした廃線跡の特徴あるU字部分は「アイアンロード」として農村振興総合整備事業で行われたようです。歩行者及び車椅子専用だったのです。自転車が走ってはいけないのですね。

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2010年6月15日 (火)

何度受けても

今日は、午後から心肺蘇生法の研修会。みっちり4時間の講習を受けることになりました。心肺蘇生法の研修会も毎年いろいろな形で開催され、もう何度参加したか分かりません。実際にそれが役立つような場面に遭遇したことはないのですが、それでもいざというときに備えて毎年訓練です。

今日も実技を通した講習だったのですが、最初はうまくいかないところがいくつかありました。人工呼吸でうまく息が吹き込めないなあと思いましたら、鼻の穴を塞いでいませんでした。吹き込んだ息は、鼻の穴から出て行ったのです。何度講習を受けていても最初はうまくいきません。もし、そのような場面に遭遇したら、しっかりできるだろうかと不安になります。

何回かするうちに勘を取り戻し、心臓マッサージやAEDの操作などスムーズに行うことができるようになりました。今回は市の講習会でしたが、明日は職場主催の心肺蘇生法の研修会があります。2日連続ということになりましたが、人の命を救う研修ですので、何度も行い身に染み付けておくことが肝要ですので、明日もしっかりと取り組みたいと思います。

研修会から戻り、午後7時から別の会。9時に終了となりました。それから食事をとりながら今日はDD51のDVDを見ました。ちょっぴり、いやしっかり燃料が入ったので、いつの間にか夢心地。

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2010年6月14日 (月)

南薩線廃線跡サイクリング記(その14)

今日から一週間の始まり。今週もいろいろなことがあってめまぐるしい一週間です。しかし、あくせくしても始まらないので悠然と構えることにしました。手帳に記した本日のタスク。ほとんど消化されない日もあるのですが、本日はことのほか順調に進み、そのほとんどを赤い線で抹消することができました。こんな日は気持ちがいいですね。

いつもより早く退庁することができたので、夕食をとりながらゆっくりEF66のDVDを見ました。昭和43年頃できた機関車とは思えないような秀逸なデザイン。パワフルな出力とともに運転席からの前面見晴らしが素晴らしいですね。機関士の膝より少し上に配置されたメーター類。眼前に広がる運転席眺望は他の追随を許さないのではないでしょうか。

弊鉄道にも同機は1両在籍しています。仕様はJR西日本のブルトレ牽引型です。もうすぐトミックスからEF66100番台が発売になります。JR貨物コンテナ牽引用に1両欲しいところです。が、この不景気で弊鉄道も収入源が著しく、新規導入の資金調達が非常に厳しい状況にあります。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の14回目です。弊HPのトップページに長らく下の画像が貼り付けられています。南薩線の薩摩湖駅の情景です。

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薩摩湖に停車中の丸型キハ100へ向かって歩く3人の子どもたち。ローカル線はいつでも私たちにはっとさせてくれるような癒しの風景を提供してくれます。

薩摩湖は鹿児島交通が観光開発をして、一時期は鹿児島の今で言うリゾート地として栄えました。薩摩湖からほど近いところに設置されたもう一つの駅から薩摩湖対岸まで横断するロープウェイがありました。その立地から南薩線が薩摩湖へのアクセスとしての一翼を担っていたのは間違いありません。

そのロープウェイと南薩線がオーバークロスする部分には、保護柵が設けられていました。薩摩湖に停車中のキハ100のすぐ奥に当たります。しかし、ロープウェイの運用期間はそれほど長くなく、保護柵とロープウェイ駅跡だけがその名残をとどめていたのです。薩摩湖側のロープウェイ駅は既に撤去されていますが、対岸の立ち入り禁止区域にある駅には未だにゴンドラとともに駅が現存しているのではないかと思います。

薩摩湖駅の場所すらわかりにくくなった昨今、保護柵だけは昔のままその姿を見せてくれていました。

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松林の中に、かつての姿をそのままとどめる保護柵。この下を南薩線が、そしてその上をロープウェイが通っていました。こうして見ると、南薩線の第一級の遺構であることが分かります。しかし、今回のサイクリング時にショックなことが起こりました。あるべきところにあるべきものが無いのです。

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目を疑いました。そして、保護柵があった痕跡がどこかにあるのではないかと思い、根元辺りを見てみたのですが、あんなに立派だった保護柵は跡形もなく消え去っていたのです。今年で南薩線が廃線になって26年目、ロープウェイの廃止からはどれだけの月日が経っているのでしょうか。後になって聞いたのですが、鹿児島交通の関係者の方も無くなったことをご存知ないと…。そうするとこれは窃盗なのか。長年放置されてきた知覧線白川駅のレールも窃盗に遭い、貴重な風景が失われた経緯があります。

鮫島氏らの功績により拓かれた南薩線。残念ながらその偉業を後世に伝える案内板などが沿線には皆無といってよい状況です。各駅があった場所や主な遺構にはその旨を伝える案内があってしかるべきだと思います。今回の保護柵にしても、鹿児島交通時代に設置されたものだとしても、歴史の1ページとして近代化遺産のひとつとして文化財的な扱いで案内板でも立てて大切にしていたならば、盗難に遭うようなこともなかったのではないかと思われます。

返す返すも惜しいことをしたと思います。

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この保護柵は古レールを組み合わせて造られていました。規格の低い細いレールです。よく見ると、レールの表面がかなり摩耗していることが分かります。どこで使われていたレールか分かりませんが、それが分かれば、ますますその価値はゆるぎないものになるでしょう。

加世田のバスターミナル付近に保存されている車両たちも放置状態に近く、年々その状態が悪化してきています。このまままでは南薩線の貴重な生き証人たちが櫛の歯が欠けるように失われていくおそれがあります。関係機関には、早い時期に何らかの対策を講じて欲しいと願っています。

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2010年6月13日 (日)

梅雨入り

今日の午前中は、健康関係の催しに参加。硬い体をいやと言うほど思い知らされることになりました。数日経ってからあちこちに痛みがやってくるのでしょうか。空手もやりました。もちろん初めての経験です。しかし、これはストレス解消になります。ときどき家でもやってみようかなと思っています。

午後は、ちょっとまとまった時間ができたので、南薩線掲示板の過去ログをHP本館の南薩線資料室に収蔵?する作業を行いました。借りている掲示板の無料分の掲載が1000件までとなっています。有り難いことに、廃線後20年を機に始めた掲示板への書き込みは1000件を越え、過去の分は順次掲示板から削除されています。書き込みをいただいたものは貴重なものばかり。このまま消滅させる訳にはいきません。

既に削除された分から現在掲示板上に掲載されているある程度古いものまでは、USBに保存しています。それを少しずつ、いつでも閲覧できるように資料室にしまっておきたいと思っています。

2ページ分は既にUPしていたのですが、今日は、作りかけの3ページから4ページ分をUP。5ページ目は時間切れとなり、また時間を見つけて進めることにします。

作業を進めながら、書き込みいただいたものの貴重さに改めてため息が出る思いでした。今から6年ほど前に始めたのですが、ここまで多くの書き込みをいただけるとは思ってもみませんでした。書き込みくださった皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。

また、この掲示板を通して多くの出会いがあり、南薩線写真展にまで仲間に入れてもらえる機会を得ることもでき、本当によかったと思っています。

さて、昨日午前11時頃でしたか、鹿児島地方気象台から梅雨入りしたと見られるという発表がなされました。乾燥した状態が続いていましたので恵みの雨となればいいなと思います。くれぐれも災害を起こすような降り方だけはしないで欲しいと思います。南薩線をはじめ、いくつかの鉄道が災害後の復旧を断念して廃止になっていますので、この時期になると心配になります。また、九州に残る多くの石橋も無事で梅雨を越してくれたらいいなと、こちらも毎年の心配事です。

昨日は、古巣の姶良に行く用事がありました。警報機がなり、ラッキー。これは鉄分の多い人だけの心情。普通は舌打ち?駅に停車していたのはキハ40の単行でした。日豊線ではこの列車は特異な存在で、かなり前から運転されています。詳しく調べたことはないのですが、非電化路線への車両の送り込み関係の運用なのでしょうか。現在のダイヤでは客扱いをしていますが、以前は回送扱いだったこともあります。

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2010年6月12日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その13)

昨日は、川辺の市街地にある施設で終日研修会がありました。南薩線ゆかりの地でこのようなことになろうとはこの3月まで考えてもみないことでした。平成の市町村合併が行われましたが、私たちの職場をくくる上部組織も統合が行われ、今回からかなり広域にわたる職場から集まっての研修会となりました。地域持ち回りとなりそうなので、この次川辺て行われるのはいつになるか分かりません。

研修会終了後は、この集まりでは年1回のみの懇親会。研修会場から万之瀬川を渡り、川辺ではこれだけの人数を収容できる飲食店はここのみというところまで徒歩で移動しました。万之瀬川に架かる橋からは、自然と知覧線が通っていた鉄橋付近に目がいきます。子どもの頃、ここを車で通る度、川に半分落っこちた赤ちゃけた橋桁を目で追うのが常となっていました。

懇親会では旧交を温めたり、全くの初対面であっても思わぬつながりに驚いたりと、話をすればいろいろな驚きがあります。かつては、遠く鉄橋を渡る知覧線の列車の音が響いたであろう地で、心地よく呑むことができました。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記も13回目。終盤へと入ってきました。

電動アシスト付き自転車の快走ぶりに目を丸くしながら、小さなアップダウンを繰り返す南薩線跡をトレースして吹上浜駅跡へともどってきました。小さな築堤から左手を見るとうっそうと茂ったブッシュの向こうに民家が見えました。立派なたたずまいとは裏腹に、勢いよくはびこる草木に飲み込まれようとしている姿が痛ましく、南薩線の栄光から衰退への歴史がだぶって見え、言葉を失ってしまいます。

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地方に行くと、うち捨てられ放置された家屋が多数存在します。景観上、そして防災、防犯の面からも大きな課題で、行政が何らかの手を打ち始めたところもあるようです。高齢になった住人が死亡することによって空き家になるケースが多く、家財道具も何もかもそのままという姿は一層哀れを誘います。

車を駐めた駐車場を通り過ぎ、南薩線独特の景観を誇った松林の中を探索してみることにしましょう。

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何のことはないただの松林に見えますが、ここを南薩線は通っていました。よく観察すると手前から奥まで支障となる松はありません。しかも、なだらかな起伏のある周りの地面に対し、ここだけは細長く平らになっています。まつぼっくりが落ちていますが、現役当時もこんな感じで、レールと白っぽくなった枕木が続き、バラストは砂にめり込んでいるのかあまり見えませんでした。そして、路盤にはまつぼっくりがこんな感じで落ちていたのです。

反対から向きを変えてみるとこんな風です。

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この角度だと路盤があったことがよく分かります。左に見える道路は当時こんなに立派な道路ではなく、もっと左側に細々とあるだけでした。ですから、道路と並行にという感じではなく、まったくもって松林の中を悠然と走っていたのです。日本広しといえども、こんな雰囲気の中を走った鉄道はそう多くはないのではないでしょうか。

この辺りは、どちらかというと松林の地面を削って平らな路盤を作ってあるようですが、この先、ちょっとした盛り土になっているところもあります。

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ここは周囲の地面が低くなっており、盛り土がなされています。少しだけ高い位置から撮影していますが、撮影している場所には温泉施設へのアプローチとなる道路が造られており、その部分から隣接する駐車場まで南薩線跡は失われています。

弊サイトにアップしてあります松林の中をいくキハ100の写真を再掲します。

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こうしてみてみると松はこの四半世紀の間にかなり成長しているようです。砂地に敷かれたレールだからかどうかは分かりませんが、かなり大きなジョイント音を立てながら走っていたように記憶しています。静かな場所でしたので、余計にそう感じたのかもしれません。

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2010年6月 9日 (水)

まだ2万キロ走れるのに

家内の車の前輪の空気が抜けていたので、スタンドで見てもらったそうです。スタンド氏は、「以前、パンク修理をしたところから抜けているようですね。亀裂があるので、修理は難しいです。タイヤもすり減っていますから4輪とも新しいものに替えた方がよいですよ」とアドバイス。家内はどうも女性だということでうまく騙されているのではないかと思い「主人に相談してみます」と言って空気だけ入れてもらって帰還。

翌日の夜、車を見てみると見事にタイヤはぺしゃんこ。スペアタイヤに交換する時間もなかったので、翌日は車を置いてタクシーで仕事場へ。ディーラーに連絡すると仕事場まで鍵を取りに来られて、処理した車は仕事場まで届けてくれたそうです。結局、前輪の2本を新品に交換するだけで済みました。後輪のタイヤはまだ2万キロは走れるとのコメントだったそうです。

スタンドに行くと、いろいろと勧められます。特に女性の場合は、車のことがよく分からないので、言われるままになることも多いようです。燃料販売の利ざやが少なく、その他の売り上げでカバーしなければならない事情は分からなくもありませんが、まだ2万キロ走れるタイヤまで交換というのはいかがなものでしょうか。

いろいろ勧められることが煩わしいので、私は今では100パーセントセルフ利用。

さて、鹿児島中央駅付近の写真を一枚。

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家から定点撮影的にときどき撮るのですが、この数年の間にもずいぶんと変わりました。観覧車アミュランのところが鹿児島中央駅。駅ビル左手に見えていた西鹿児島駅時代からあったシンボルタワー的な存在だった「日生ビル」が姿を消しました。新しいビルの工事が始まっています。ホテルが入る複合高層ビルになるそうです。このビルの陰になってこれまで見えていた鹿児島県庁が見えなくなるかもしれません。また、駅ビル前にあるダイエーが入ったキャンセも左手に見える高層マンションが建ったために、その大部分が見えなくなりました。アミュラン右手には、広い空間が広がっていたのですが、西駅1番街の再開発ビルがにょきよきと背を伸ばしてきました。

息子の話だと、「アミュランがなくなる」という話があるそうで、今のところ信憑性は定かではありませんが、この風景からアミュランがなくなるとちょっと寂しくなりそうです。鹿児島の街には似合わないと賛否両論があったアミュランではありますが…。

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2010年6月 8日 (火)

ヒラメの姿づくり

今夜、新旧役員会が行われました。会場は、車で5分ほど走ったドライブイン。ドライブインというとなんだか前近代的な名称で、今ごろそんな施設が現存するのといった感じですが、この辺りは地元の海の幸をふんだんに用いた料理を提供していますので、他の地域ではとっくの昔につぶれているようなお店でも、現役で営業中。しかも、休日を中心にかなり賑わっています。やはりよいものを出すお店というのは強いのですね。

今日の会費は3500円。3000円の料理に500円の飲み物代ということです。早速出たのは、ヒラメの姿づくり。今まで店のいけすで泳いでいたヒラメ。専門家のお話によるとヒラメは5枚に開くのだとか。ポン酢でいただきます。他に、イッサキの頭の煮物、ふぐの天ぷら、貝の焼き物等々、海の幸が並びました。焼酎は、懐かしい「こじか」をいただきました。大隅の吾平の焼酎です。

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この辺りの店の近くにはこのような海が広がっています。先日、お昼頃海沿いを走る機会がありました。海の色が南洋のそれと同じになっていました。透明度が高く、空の色を移して明るい色に輝いているのです。この夏の被写体のひとつとなりそうです。この辺りの海は本当に豊かなのです。

さて、前回笠沙恵比寿のスリッパを紹介しましたが、今回は座布団。笠沙恵比寿の方のお話によると笠沙恵比寿建設に際してコンペを行い、複数応募があった中からドーンデザイン研究所の案が採用されたとのことです。座布団もご覧の通り。JR九州の特急列車から飛び出してきたようなデザインですね。

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2010年6月 6日 (日)

RAILWAYS

午前中は娘の日曜参観。午後から映画「RAILWAYS」を見に行ってきました。駅ビルにある映画館までは徒歩。連日降り注いだ桜島の降灰で街は灰色がかり、風に巻き上げられる灰に目も細めなければなりません。早くまとまった雨が欲しいところです。

RAILWAYSはご存じの通り、中井貴一主演の49歳で電車の運転士になった男の物語です。一畑電気鉄道が舞台。仕事とは、仕事と家庭とはなど、人の生き方をいろいろ考えさせてくれる映画で、随所に出てくる鉄道の情景、サウンドがたまりません。物語も感動的なのですが、鉄道という舞台のよさも再認識させてくれる映画です。エンディングの空撮は半逆光のポジションをとり、走りゆく電車を後ろから追いながら、そのレールが太陽の光を受けて輝いているというもの。一畑電車の記録映画としての価値も大いにありです。

私もちょうど同じ年齢。仕事を辞めて電車の運転士に!というわけにもいきませんので、模型の運転でお茶を濁すことにします。

ちなみに本日の客層ですが、劇場内で私が一番若い!結構年齢のいった方ばっかり。

さて、以前笠沙恵比寿のトイレの壁にJR九州の車両などに使われているデザインがなされていると紹介しましたが、スリッパもこのようなデザイン。楽しいですね。

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2010年6月 5日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その12)

今週は、いろいろとあって数日連続してブログがお休みになってしまいました。毎日書いているとそれほどエネルギーを使わずにすむのですが、ちょっと休んで再開するとなるとより多くのエネルギーが必要です。続けるということが何より大切なんですね。

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一昨日、薩摩半島南部にある当地までふつうの雲とは明らかに様子が異なる灰色の固まりが流れてきました。桜島の灰でした。活発化している桜島ですが、こんなところまで半島を越えてやってくるのですね。鹿児島市内ならいざしらず、こんなところでもこれだけの降灰に見舞われたことに驚きました。

写真は、桜島の灰とは全く関係がありません。ある日の西の空の光景を撮ったものです。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の12回目です。

吉利駅跡を後にして、日置方面に向かいます。

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すぐ脇に立派なお屋敷が見えました。敷地も広く蔵を備えています。このような歴史を感じさせる建造物にはすぐ目がいきますね。道路沿いには芥子色の看板に「日置瓦」と記されています。

この後、すぐに横断歩道で道路を渡るのですが、廃線跡はここまで。道路改良により廃線跡は広い道路に飲み込まれ、その後は日置までほぼ手つかずのままで続いています。

さて、自転車道はこのあとどこへ続くのでしょう。

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しばらく道路の歩道と一緒の部分を進むのですが、ほぼ直角に左へ折れ、再び独立した自転車道となります。もうここは廃線跡ではありません。途中、農作業をしている人たちの姿もありました。緑の中を快調に進みます。

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松林の掘り割りを抜けると東シナ海の大海原が眼前に広がりました。東シナ海からの強い季節風を受けるのか、松たちは一様に陸側に向かって傾斜して立っています。南薩線廃線跡にあった掘り割りがただ地面を掘っただけだったのに対し、新設部分は立派な法面処理が施されています。鉄道の旧線部分と新線部分の違いと似ている感じがします。

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日本三大砂丘のひとつ吹上浜沿いにしばらく進みます。永遠と続く砂浜の向こう側には北薩摩の山並み、そして南側には笠沙の山々が遠望でき、スケールの大きな風景に圧倒されます。自転車道の終点付近にはこのような見所が用意されていたのでした。

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海から離れるとまもなくそこは自転車道の終点となっていました。ここは若干の駐車スペースもありますが、他には何にもありません。長居をする場所ではないので、自転車道案内地図などの写真を撮り、すぐにUターン。今来た道を吹上へ。

吉利駅跡付近にさしかかったところで、後ろの方から軽いモーター音が近づいてきます。こちらもそんなにゆっくり走っているわけではありません。しかし、モーター音はどんどん近づいてきて、すぐ横をお先にとばかり追い抜いていってしまいました。乗っていたのは、おばちゃん。電動アシスト付き自転車恐るべし。おばちゃんの背中はどんどん小さくなっていきます。

蒸気機関車、そしてディーゼルカーが走り、現在はハイブリッド自転車が軽やかにおばちゃんを乗せて走る南薩線でありました。

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