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2010年6月17日 (木)

南薩線廃線跡サイクリング記録(その15)

今日は朝から終日研修会。じっとしているのもなかなかつらいものがあります。機関銃のように発せられる説明攻撃に頭は飽和状態。しかも、昼食の弁当が揚げ物が多く、胃はもたれ気味。前回も同じ店の弁当で同じ症状が…。他の人は大丈夫だったのでしょうか。弁当代を下げて、もう少しあっさりしたものにしては、と思います。胃のもたれは帰宅して遅い夕食を食べるときまで続きます。ぎんぎんに冷やしたビールで胃を洗浄したところで治りました。ちょっと勝手な胃です。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記の15回目です。

薩摩湖駅の常連さんだった吹上高校を右に見ながら坂道をしばらく下ります。ここは道路に吸収され、鉄道跡だとは分かりません。しばらく歩道を行くと、歩道からゆるやかに左に折れる狭い道が現れます。これまでのアスファルトの自転車道が茶色っぽい舗装になります。これにはちょっとした理由がありました。それは後ほど。

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すぐに鬱蒼とした切り通し。左右の法面は特に処理がしてあるわけではなく、削ったままの様子。鹿児島県特有のシラスは、ある程度斜面を立てておくと崩れにくいという特性があります。この辺りでハイキングを楽しむ親子連れに出会いました。

Dsc_0177_2

線路跡は地形に沿って右側へカーブを描きます。右手に見える土地の高さまでどんどん高度を下げていきます。さあ、右側の平地の部分を拡大して見てみましょう。

Dsc_0177_1

右上の方に転々と植え込みが見えますね。実は、ここがこの廃線跡の続き。伊作の有名なU字型の線路配置です。伊作駅を頂点に、ほぼ平行に線路が並んでいました。伊作駅で交換する列車は、到着時も発車時も同じ方向にしばらく進んでいました。久大線の湯布院も同じような形になっていましたね。伊作駅を通過する乗客にとっては、営業キロが伸びてちょっぴり損をするような?実際、運賃に影響がある区間があったのでしょうか。調べてみるのも興味深いですね。この坂、結構な勾配があるので登るのも下るのも結構ゆっくりしたスピードでした。

Dsc_0178

伊作の町がある高さに近いところまで下ってきました。この先、Sカーブを描いて急カーブで伊作駅へと進入していきます。左側には薩摩湖方面から下ってくる道路が併走します。法面はこちらは石積みの処理が施されています。右側に見えている茶色っぽい鉄筋の建物は農協。南薩線現役の頃からありました。伊作駅の改札口からはちょうど正面に見える建物でした。この先、踏切があったのですが、踏切の手前に伊作駅の場内信号機がありました。

Dsc_0179_1

この付近に場内信号機が立っていました。もちろん腕木式です。南薩線が廃止される頃に用意された「さようなら南薩線」のイラストが描かれたアプローチ。このイラストは記念切符や車両のヘッドマークなどに使用されました。100型が白いハンケチを振ってさよならをしています。現在、ゆるキャラブームですが、当時このようなゆるキャラでキャンペーンをして南薩線の列車を擬人化したら、ひょっとしたらブームとなって南薩線に乗りに来る人たちが増えたのでは、なんて思ったりします。現在見ても、実に良くできたイラストだと思います。ポールには車輪らしきデザインの円盤も見えます。もっともこのような形の車輪は南薩線には存在しませんでしたが…。

ここで問題が。実は、向こう側から自転車で下ってきたのですが、この関所を克服するのが大変なのです。自転車道になんでこんな通りにくい場所を作ったのだろうと思ったのですが、よく見るとこんな表示が…。

Dsc_0179_2

なんと、車いす青信号ですが、自転車は赤信号。ここは自転車の通行はあいならぬ区間だったのです。どうりで自転車が通りにくいはずです。自転車を通れないような構造にしてあったのですから…。それにしても何故?吹上浜駅方向からの自転車道を自然に下ってくるとここへ来るのですが…。謎は深まるばかり。バリケードの左側を見ると、こんな風に。

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自転車がすり抜けた跡です。これを見るとかなりの台数の自転車が通過しているようです。出発点で見た自転車道の案内板をもう一度見てみましょう。

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おや、自転車道は薩摩湖から吹上町役場(現在は市町村合併されて支所)の方向へは向かわずに、くねくねと入来浜方向へ。案内板があったのか分かりませんが、早々と南薩線の廃線跡からは別れを告げているようです。また、このコースを自転車で走ってみたいと思いますが、伊作へ下る廃線跡が自転車道ではないことは意外でした。

舗装がアスファルトから茶色のカラー舗装に変わっていた理由がちょっぴり分かりました。どうやら事業主体が違うらしく、伊作駅を中心とした廃線跡の特徴あるU字部分は「アイアンロード」として農村振興総合整備事業で行われたようです。歩行者及び車椅子専用だったのです。自転車が走ってはいけないのですね。

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