« 南薩線廃線跡サイクリング記(その16 最終回) | トップページ | EF66100発注 »

2010年6月20日 (日)

私と鉄道写真

私が鉄道写真らしいものを撮ったのは小学生の頃。それから走行中の写真を撮ったのは中学生になってから。そして、自分のカメラを持って撮り出したのは高校生になってから。さらに車や列車を使って撮影の範囲を広げたのは大学生になってから。

撮影のモチベーションを持ち続けるのは難しいことで、人間同じことをやっていると、これでいいのかなといろいろと疑問が湧いてくるもの。そんな中、同好の士の写真に刺激されたり、鉄道誌の記事や写真に触発されたりと、様々な刺激を糧に今日までやってきました。とはいうものの、単行時代から増結を繰り返す過程で、撮影の機会が著しく減ってきているのも事実。こればかりは皆さん同じではないかと思います。

ネット時代になり、鉄道写真を趣味とされる方のサイトで作品が紹介され、気軽に見に行けるようになりました。それぞれに作風があり、大いに参考になるとともに刺激にもなります。正直言って今の自分にとって面白みのない作品もありますし、ぐぐっと惹き付けられる写真もあります。

人間100人いれば100通りの鉄道の感じ方があるわけで、それはよいわるいの世界ではありません。その人が感じた鉄道をその人なりに味わえばよいのだと思います。ですから、惹き付けられる写真というのは自分の感じ方と共通する部分が多い方の作品なんだと思います。

一目惚れということがありますが、これも目の前にいきなり素敵な男性なり女性が現れたわけではなく、その人が意識するしないは別にして心の中で常に思い描いていた異性像と重なる部分が多い人に出会ったときに、自然と心が反応するのだと思います。その意味では、一目惚れの対象は十人十色で、よいわるいの世界ではありません。

鉄道写真でここ数年その対象になっているのが、中井精也氏の写真です。直接お会いしたことはもちろんないのですが、ブログから氏のあたたかさやひょうきんさ、感性の豊かさが感じられて、その人柄は氏の写真の作風に大いに反映されているように感じます。

毎日更新の「一日一鉄」も見に行きますし、氏の写真集も購入して見ています。これまでの鉄道写真のジャンルを超越したような作品もあり、賛否は分かれるところだと思いますが、いろいろな手法や表現に果敢にチャレンジする中から新しい作品が生まれてくるものですので、その過程を共有することができるのも楽しみの一つになっています。

以前、このブログでも紹介しましたが、氏の「撮らずにいられない鉄道写真」という新書が発売されました。一日一鉄で紹介された写真を中心に、撮影の裏話やスタンスが軽妙な文章で綴られています。氏は最近の作品を「ゆる鉄」と称しています。言い得て妙で、確かに堅苦しくないゆるい風景で何となく癒されます。鉄道というと堅いイメージがありますが、それだけではない、自然や人との関わりの中で醸し出されるゆるい風景という側面をうまく表現しています。「ゆる鉄」の原点と言われる踏切の写真。一枚の作品がその後の作風を変えてしまうのですね。最近では鉄子さんが増えているそうですが、ゆる鉄ファンにも男性ばかりではなく女性も多いのだそうです。

Dsc_0185

がちがちの鉄道写真ももちろん魅力的で、鉄道写真も緩急投げ分けながら楽しんでいくと楽しさの幅が広がるのかもしれません。時刻表片手にぶらりと旅に出たくなりました。

HPの路面電車のページにアップしてある写真を再掲します。もう何年前になるのでしょうか。熊本に出張した際に、ホテルの近くで撮影しました。ときどきはっとするような鉄道風景というものがありますよね。いい風景だなと思っていたところへ、自転車がやってきて信号待ち。石畳の敷石と鈍く光るレール、そして町の風景が心に染みました。感じた風景を形として残し、再び味わうことができたり、その感動を人と共有できたりするのが写真の魅力ですね。

Shiden00281

|

« 南薩線廃線跡サイクリング記(その16 最終回) | トップページ | EF66100発注 »

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 私と鉄道写真:

« 南薩線廃線跡サイクリング記(その16 最終回) | トップページ | EF66100発注 »