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2010年6月12日 (土)

南薩線廃線跡サイクリング記(その13)

昨日は、川辺の市街地にある施設で終日研修会がありました。南薩線ゆかりの地でこのようなことになろうとはこの3月まで考えてもみないことでした。平成の市町村合併が行われましたが、私たちの職場をくくる上部組織も統合が行われ、今回からかなり広域にわたる職場から集まっての研修会となりました。地域持ち回りとなりそうなので、この次川辺て行われるのはいつになるか分かりません。

研修会終了後は、この集まりでは年1回のみの懇親会。研修会場から万之瀬川を渡り、川辺ではこれだけの人数を収容できる飲食店はここのみというところまで徒歩で移動しました。万之瀬川に架かる橋からは、自然と知覧線が通っていた鉄橋付近に目がいきます。子どもの頃、ここを車で通る度、川に半分落っこちた赤ちゃけた橋桁を目で追うのが常となっていました。

懇親会では旧交を温めたり、全くの初対面であっても思わぬつながりに驚いたりと、話をすればいろいろな驚きがあります。かつては、遠く鉄橋を渡る知覧線の列車の音が響いたであろう地で、心地よく呑むことができました。

さて、南薩線廃線跡サイクリング記も13回目。終盤へと入ってきました。

電動アシスト付き自転車の快走ぶりに目を丸くしながら、小さなアップダウンを繰り返す南薩線跡をトレースして吹上浜駅跡へともどってきました。小さな築堤から左手を見るとうっそうと茂ったブッシュの向こうに民家が見えました。立派なたたずまいとは裏腹に、勢いよくはびこる草木に飲み込まれようとしている姿が痛ましく、南薩線の栄光から衰退への歴史がだぶって見え、言葉を失ってしまいます。

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地方に行くと、うち捨てられ放置された家屋が多数存在します。景観上、そして防災、防犯の面からも大きな課題で、行政が何らかの手を打ち始めたところもあるようです。高齢になった住人が死亡することによって空き家になるケースが多く、家財道具も何もかもそのままという姿は一層哀れを誘います。

車を駐めた駐車場を通り過ぎ、南薩線独特の景観を誇った松林の中を探索してみることにしましょう。

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何のことはないただの松林に見えますが、ここを南薩線は通っていました。よく観察すると手前から奥まで支障となる松はありません。しかも、なだらかな起伏のある周りの地面に対し、ここだけは細長く平らになっています。まつぼっくりが落ちていますが、現役当時もこんな感じで、レールと白っぽくなった枕木が続き、バラストは砂にめり込んでいるのかあまり見えませんでした。そして、路盤にはまつぼっくりがこんな感じで落ちていたのです。

反対から向きを変えてみるとこんな風です。

Dsc_0174

この角度だと路盤があったことがよく分かります。左に見える道路は当時こんなに立派な道路ではなく、もっと左側に細々とあるだけでした。ですから、道路と並行にという感じではなく、まったくもって松林の中を悠然と走っていたのです。日本広しといえども、こんな雰囲気の中を走った鉄道はそう多くはないのではないでしょうか。

この辺りは、どちらかというと松林の地面を削って平らな路盤を作ってあるようですが、この先、ちょっとした盛り土になっているところもあります。

Dsc_0176

ここは周囲の地面が低くなっており、盛り土がなされています。少しだけ高い位置から撮影していますが、撮影している場所には温泉施設へのアプローチとなる道路が造られており、その部分から隣接する駐車場まで南薩線跡は失われています。

弊サイトにアップしてあります松林の中をいくキハ100の写真を再掲します。

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こうしてみてみると松はこの四半世紀の間にかなり成長しているようです。砂地に敷かれたレールだからかどうかは分かりませんが、かなり大きなジョイント音を立てながら走っていたように記憶しています。静かな場所でしたので、余計にそう感じたのかもしれません。

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