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2010年7月13日 (火)

駅夫が屋根をどしどしふんで…

「~じいさんはこんな事を言って、しきりに女を慰めていた。やがて汽車がとまったら、ではお大事にと、女に挨拶をして元気よく出て行った。
 じいさんに続いて降りた者が四人ほどあったが、入れ代わって、乗ったのはたった一人しかない。もとから込み合った客車でもなかったが、急に寂しくなった。日の暮れたせいかもしれない。駅夫が屋根をどしどし踏んで、上から灯のついたランプをさしこんでゆく。三四郎は思い出したように前の停車場で買った弁当を食いだした。」

「~この時三四郎はからになった弁当の折を力いっぱい窓からほうり出した。女の窓と三四郎の窓は一軒おきの隣であった。風に逆らってなげた折の蓋が白く舞いもどったように見えた時、三四郎はとんだことをしたのかと気がついて、ふと女の顔を見た。~」

夏目漱石の「三四郎」の一節です。三四郎が熊本から上京する列車での出来事が綴られています。どんな様子だったのだろうと頭の中で情景を思い浮かべてみます。映画ではなく小説のよいところは自分なりの情景を頭の中に思い描くこと。

三四郎の乗った明治時代の客車はどんな様子だったのでしょう。屋根をどしどし踏んでランプを差し込んでいくあたり、おもしろいですね。電気なんていう便利なものはまだ鉄道車両にはない時代ですから、照明はランプ。屋根には丸い蓋がついていてそこから駅夫が室内灯としてランプを差し込んでいくんですね。“どしどし”という表現から木造の屋根が音を立てている様子が伝わってきます。この客車がそのようになっているかはわかりませんが、昔の客車はダブルルーフ。1段目の屋根とそれより高くなった2段目の屋根の境には明かり取りの窓が並んでいました。構造的にはシングルルーフより複雑になりますが、昼間の室内を少しでも明るくするためにやむを得ないつくりだったのでしょう。

弁当の折を外へ放り投げる場面。昔は、車内で出たごみは容赦なく外へ捨てていたのでしょうか。現代社会のようにゴミ収集車がゴミを集め、清掃工場で処理するような時代ではありません。ゴミは外へ捨てるというのが一般の生活の中で当たり前だったのかもしれません。また、プラスチックのような素材はありませんから、時とともに自然に帰っていくような素材ということでこのようなことになったのかもしれません。ついこの間まで屎尿は線路上に垂れ流しということが当たり前でしたから、同じ事なのかもしれません。

また、窓は小さなものがずらっと並んでいました。当時は広いガラスを製造する技術がなかったからです。鉄道省が1929年(昭和4年)に製造したスハ32系まで狭い窓の客車でした。これは昭和末期まで活躍することになります。窓の幅は600㎜、その改良型として製造されたオハ35系からは1000㎜の広窓となりました。

当時の小説の中に出てくる描写はリアリティがあって、鉄分の高い者にはまた違った視点で小説を楽しむことができます。

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