« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月27日 (月)

季刊「国鉄時代」

NEKOの季刊雑誌「国鉄時代」は、毎号購入しています。2010年秋号のテーマは「みちのくの峠道」。23冊目です。

「国鉄時代」は記事もさることながら、毎号ついてくる特別付録のDVDがお宝もの。アマチュア撮影の貴重な動画をこのような形で共有、そして保存できたことは特筆すべきことだと思います。鉄道文化の保存に民間企業が大いなる貢献をしている好例です。

インターネットの普及等で活字文化の衰退が課題になっています。出版社のこのような社会貢献を考えたとき、優れた記事を掲載している出版物は積極的に購入して、貴重な出版物が持続していくことを社会として支えていく必要があります。

今回の「国鉄時代」の特別付録は「疾走!C62山陽特急」「寝台特急2列車『さくら』」「中部地方の蒸気機関車」の3本。いずれも8㎜映像です。「疾走!C62山陽特急」が昭和38年、「寝台特急2列車『さくら』」が昭和54年、「中部地方の蒸気機関車」が昭和47年の撮影。

「疾走!C62山陽特急」では、EF60からバトンを渡されたC62が20系ブルートレインを従えて文字通り山陽線を疾走します。写真では何度となく見たことのある光景ですが、動画となるとそうそうありません。こんな時代が確かにあったんだなあということを改めて実感させられる映像です。

「寝台特急2列車『さくら』」はEF651000PFが牽引する14系客車。ちょうどブルトレブームの頃の映像だと思います。昭和54年頃は私もよく寝台列車を利用していましたので、当時を思い出しながら懐かしく映像に見入りました。

「中部地方の蒸気機関車」はこれまで何本か作品を寄せられている方のもので、独特のナレーションと味わいある映像が見るものを作品の世界に引き込んでくれます。

さて、写真はずっと前に撮影した日豊線の485系。九州での485系の活躍も残り半年を切りました。

Dsc_0068

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月26日 (日)

九州鉄道記念館のC591

今日は市制5周年の市民スポーツ祭。この平成の大合併の副産物であるスポーツ祭に午前中参加して、午後は息子の中学校の体育祭へ。9月から10月にかけては体育祭関連の行事が目白押しです。

ということで今日は全く鉄分なしの一日。

写真は九州鉄道記念館に静態保存されているC591です。

Dsc_0209

C59は、均整の取れた直線的なスタイルがいかにも幹線系の旅客用という用途がその姿に表れていてお気に入りの機関車のひとつです。こうして美しく整備された姿を今でも見ることができるのは嬉しいことです。幹線を疾走するC59の現役時代の姿を見てみたかったですね。

前部の連結器を見てみるとさびが浮いているのかうっすら茶色。天賞堂カンタム仕様の蒸気機関車の連結器はこの様子を再現したのでしょうか。普通、ユーザーが色差し等で表現する部分ですが、メーカーのこだわり?模型は全体的に茶色ですので、色差しで少し落ち着かせて必要があります。

Dsc_0211

足回りです。公園等に保存されている機関車がペンキべったりで現役時代の肌の感じ?からかけ離れているのに対し、磨きだしでよく整備されている足回りは走るために生を受けた蒸気機関車の無駄のない機能美が伝わってきます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月25日 (土)

C622配置

天賞堂のC622号機が昨日、届きました。当初は今年末ぐらいの発売予定となっていました。これまで発売が遅れることはあっても早まることはありませんでした。プラのキューロクも1年ほど遅れての発売だったように記憶しています。

決して安い買い物ではないので、資金繰りは冷や汗ものです。今回は、C58とともに一月に2両の蒸機ということに結果としてなってしまいました。

Dsc_0187

宅配便の箱を空けると、中から出てきたのはこの箱。他のカンタム機と同じデザインの箱ですが、細長い箱ではなくこのようにボリュームのある箱になっています。

Dsc_0189

説明書等を取り出し、スポンジのふたを開けるとこのような形で収められていました。天賞堂プラ製蒸機はエンジン部とテンダーが一体となり永久連結された形になっていますが、こちらは別。一般の蒸気機関車模型と同じようにユーザーが連結します。

説明書を読むと、この箱はエンジン部が収まっている部分にテンダーを連結した状態でも収めることができると記されています。ただ単に収納する場合にはテンダーを連結した状態で上部へ、輸送等の必要が生じたときにはこのような形で分断して、と説明。電気回路のためのコネクターをテンダーからエンジン部に差し込まなければなりませんので、その辺りに配慮してこのような箱になっているようです。もとのように収納するためには写真を撮って残しておかなければ無理ですので、上のような写真を撮っておきました。

箱の長さは、同社の他の製品の箱と同じになっており、収納面ですっきりします。

Dsc_0190

テンダーの石炭は袋に入った石炭を自分で形よく積み、うすく溶いた木工用ボンドで固着するようになっています。石炭の入った袋は箱の左下に見えているものです。スケールからみるとかなり粗めのものも入っているようです。

下から出ている線がカンタムシステム用のコネクターです。キャブ下の受け口に差し込み、その上でエンジン部と連結します。連結穴は2つあり、運転状況に応じて選択できるようになっています。

Dsc_0194

ダイキャスト製の車体はさすがにプラ製のようなひ弱さはなく、がっしりとしていて重量感もたっぷり。手にしたときのずっしり感が違います。ましてやC62という我が国最大の旅客用蒸気機関車ですので、その存在感は他を圧倒します。カンタムのD51もそうでしたが、前部連結器が茶色っぽく仕上げられています。理由はよく分かりません。

この角度から見ると車体に比べてレールが広く、16番の弱点を見る思いがします。

Dsc_0196

サイドビューです。2号機のシンボルであるつばめマークが輝き、磨き出しを表現した足回りが金属特有のメカニカルな感じを出しています。空気作用管は金属をプレスしたようなもので、このままではいま一つ。墨入れや軽いウェザリングをすれば落ち着いた感じになりそうです。ドーム前の特徴ある形の手すりが前方へ曲がっています。この部分はブラ製のようで、パーツ自体が曲がっているのか、後から癖が付いたのか分かりません。折ってしまうと元も子もないので、無理しないことにします。

Dsc_0197

キャブ付近です。テンダーとの連結には2番目の穴を使っていますので、もう少し連結間を詰めることができます。C57やC58に比べるとボイラーが格段に太く、キャブがボイラーに張り付いているように見えます。

Dsc_0201

最後に後ろ姿。重油タンク回りやテンダー後面のディテールも豊か。北海道のC62らしい後ろ姿です。テンダーライト、テールランプともに点灯します。

今回のC62の目玉はなんと言ってもカンタムシステムの搭載。カンタムエンジニアを通して通電すると、ライト類のオンオフや汽笛・ATSなどの音をスイッチひとつで遠隔操作できます。止まっているだけでも、発電機の音やエアコンプレッサーの音、安全弁の吹く音など、楽しませてくれます。まだ、短い直線を往復させただけですが、ドラフト音やドレインの音も速度に同調しますので迫力満点です。

本来なら重連でニセコを… となりそうですが、これは夢のお話。32系や43系あたりを牽かせて、間合いでの普通列車牽引や臨時急行列車牽引といったところを想定して運転を楽しみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月20日 (月)

C58にナンバープレート貼り付け

今日は、朝から曇ったり晴れたり、時には雨が降ったりと不安定な天気。午前中、先日届いた天賞堂のC58をC58277にするべく作業を行いました。

作業前の機関助士席側のキャブ付近です。

Dsc_0176

何とも寂しい表情です。これからインレタと金属のエッチングパーツを貼付していきます。区名板差しの下に検査表記とATS表記。この隙間ぎりぎりのインレタですので、ぎりぎりのところでインレタをカットし、位置決め。カットするときテープしろをつけ、その部分をテープで軽く固定して用具を使って転写していきます。

インレタはエアタンクにも転写します。丸くなっているのでやりにくく、テープで何とか仮止めをして転写。思ったよりうまくいきました。

277号機は汽車会社の製造。エッチングパーツで丸い製造銘板が付いています。ナンバーとともに切り出します。

Dsc_0178

ニッパーで切った後、余分な部分をやすりで削って形を整えていきます。小さいパーツなので無くさないように気をつけなければなりません。インレタには若干の予備が入っていますが、このパーツでは失敗は許されません。

Dsc_0179

削ったところをネームペンを使って黒く塗ります。きちんと塗ったつもりだったのですが、後で見てみると少々まだらになっていました。

車体への取り付けはゴム系接着剤。接着剤が流れませんし、接着後も少々のずれは調整できますので、とても使いやすい接着剤です。

インレタの転写が終わっているキャブに砲金製(実車は)のプレートを取り付けます。

Dsc_0180

撮影時の光の当て方が悪く、金属プレートが派手に反射してしまいました。実際はもう少し落ち着いた感じです。反射でプレートの枠がでこぼこに見えたり銘板の文字がつぶれて見えますが、これは光の影響です。

インレタの白い文字は3つ別々に切り出して貼ります。こうしてみてみるとATSの「S」の表記が少し傾いています。また、金属パーツで削った部分の黒塗りが十分でなかったことも分かります。志布志機関区の「志」は反対側は綺麗に貼れました。しかし、こちら側は少々しわが入ったようで光の加減でしわが目立ちます。もう一枚予備が入っていたので交換したいと思います。

ここで重大なミス。片方のナンバープレートを説明書の通り貼った後に、実際の277号機のプレート類の位置を確認するのを忘れていたことに気づきました。確かめてみると、汽車会社の銘板の位置はOK。しかし、ナンバープレートの位置がこの位置ではなく、窓枠にもっと近く、しかも窓枠の中心とナンバープレートの中心がそろうような位置になっています。剥がしてやり直すにはリスクが大きすぎるので断念。

どうしてこんな大事なことにもっと早く気づかなかったのでしょう。正面のナンバープレートは277号機の写真を見て位置決めしました。

Dsc_0181

今日の作業はここまで。まだ細かい部品つけが残っていますので、時間を作って進めていきたいと思います。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2010年9月19日 (日)

小林桂樹氏と青函連絡船

俳優の小林桂樹氏が亡くなられました。もう86歳になられていたんですね。実直な人柄が演技にもにじみ出ていて、好きな俳優さんの一人でした。先日は藤田まこと氏も亡くなられ、味のある俳優さんが次々に逝ってしまうのは寂しい限りです。

明日は折しも敬老の日。3連休の中どころの今日、私が住んでいる地域の敬老会が行われました。ここでは75歳以上が敬老の対象者ということでしたが、会場に来られたのは、そのうちの四分の一ほど。それでもお昼の12時から一緒に食事をしたり、踊りなどの出し物を楽しんだりと、敬老会にふさわしい会となりました。お昼からアルコールが入ると、どうも調子が狂います。夕方、もうお酒も抜けたようなので、自転車で干拓地の堤防を通りぐるりと隣町まで足を伸ばしてきました。

さて、話は戻りますが、小林桂樹氏が出演した作品の中で印象に残っているものがあります。それは青函連絡船を舞台とした作品。八千草薫さんが妻役を演じ、人間味あふれる魅力ある作品に仕上がっていました。

ネットで調べてみたところ、放送は1983年12月14日、午後9時から約2時間。タイトルは「最後の航海 ―ある甲板長の退職―」。国鉄の民営化が1987年ですから、国鉄時代の青函連絡船が舞台となっています。函館の町や連絡船の味わいある風景の中で繰り広げられる人間模様はまさに大人のドラマで、何度見てもその度に感動を得ることができます。録画して何度か見たことがあるのですが、もう長いこと棚に入れたままになっています。また、見てみたくなりました。きっと、当時は気づかなかった機微に自身が年齢を重ねたことにより気づくかもしれません。

青函連絡船に乗船したときの切符(指定券)をとっていたことを思い出し、取り出してみました。マルスで印刷された切符が懐かしい…

Dsc_0174_s

青函連絡船には桟敷席、椅子席、グリーン自由席、グリーン指定席などがありました。この切符は1980年8月13日青函連絡船2便深夜0時40分発、函館・青森のグリーン指定席のものです。あまり記憶にないのですが、駅弁のイカめしで有名な函館本線森駅で8月10日に乗車(船)変更の手続きをしているようです。函館・青森間は約4時間。

グリーン指定席は一人がけの独立シートで、横には棚があり大きくリクライニング。国鉄特急のグリーン車用シートよりずっと豪華なもので、現在の独立3列シートの高速バスのようなつくりでした。しかしグリーン席の乗客は多くはなく、我先にと桟敷席に自分の領地を確保するべく急ぐ乗船客がほとんどでした。ごろんとできる桟敷席は、ある意味グリーン席以上の快適さかもしれません。

Dsc_0175_s

乗船名簿です。青函連絡船に連絡する列車の中で配られます。グリーン席の乗客は薄緑色の用紙です。連絡船の改札付近にも置いてあり、改札を通るときに箱に入れて船へと向かいます。青函連絡船では洞爺丸事故という悲しい歴史があります。これから津軽海峡を渡るという高揚感と自分が乗船しているという証を桟橋に残して船に身をゆだねるという緊張感が交錯します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月18日 (土)

キューロク

今日から3連休。

午前中は、赴任先官舎の自室の整理をしました。今回の官舎は収納スペースが少なく、収まりきれない荷物で自室は占領されていました。荷物を何とか整理し、まともな部屋として活用できる状態にすることができました。

空いていた長テーブルを出窓の下に置き、書き物をしたり模型をいじったりするスペースとしました。これまでは作業を終えると片付けなければなりませんでした。ここならそのままにしておくことができます。これならまとまった時間が取れなくても、少しずつ作業を進めることができそうです。

写真は九州鉄道記念館の入り口に展示してあるキュウロクこと9600型蒸気機関車。現役での姿をこの目で見たことがない機関車ですが、九州での筑豊を中心とした活躍は写真集や録音等で何度も接したことがありましたので、親しみがあります。鹿児島には縁のない機関車かと最近まで思っていました。志布志線で活躍している写真が本に載っているのを見つけ、鹿児島でも走っていたことを知ることができました。どれくらいの期間、運用されていたのでしょうか。

Dsc_0208

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月17日 (金)

優等列車にあこがれていた頃

今から何十年前のことでしょうか。

学校が終わると決まって運転所の列車を眺めにいくものでした。同じような体験をしている方も大勢いらっしゃることと思います。

その頃は、まだ蒸気機関車が健在で、運転所の入替作業も蒸気機関車が行っていました。今思えば、貴重な蒸気機関車だったのですが、小学生の目には蒸気機関車より近代的な車両の方へ目がいっていたことも事実です。

今では近距離列車ばかりで、余剰となった線路が剥がされ当時の賑わいが失せてきた感があります。しかし、当時は、東京や大阪行きの特急や急行が健在で、運転所には優等列車の出入りが多く、側線には出発の時を待つ特急列車が留置されていました。まだ、特急というものに乗る機会のない頃でしたので、外からその豪華な車内を眺めては、鉄道へのあこがれをふくらませていたのでした。

当時の車両はもちろんほとんどが現役引退しています。しかし、模型の世界は別です。同じような場面を作っては当時の記憶を蘇らせています。

Dsc_0125

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月16日 (木)

C58配置

天賞堂のC58が甲種回送されてきました。関東から九州までの宅配便はコンテナ利用でしょうから、文字通り東海道・山陽線上を回送されてきたものと思われます。

天賞堂のHPに紹介されていた試作品や先に製品化された別タイプの車両を見ると、C58の特徴がよく表現されており、好ましい製品に仕上がっているとの印象を受けました。プラ製といえども天賞堂の伝統的なブラス製品の心意気は十分に盛り込まれており、価格とのバランスがとれた好製品だと思います。

到着した製品の箱を空けてみました。

Dsc_0143_2

これまでの同社の製品と同じように紙箱の中に透明な容器でがっちり挟み込まれた状態で入っています。また容器等とこすれる恐れがあるところは細かいところまで小さく切ったシートを挟み込み保護しています。

慎重に箱から出してみます。

Dsc_0146

九州型門鉄デフ装備の平底テンダーです。門鉄デフはもちろんですが、九州型ということでランボードに白線が入り、砂巻き管が片方に通常2つのところ3つ付いています。逆向き牽引時の暖房管が反対側のランボードにユーザー取り付けで準備してあり、煙の濃さを調べるリンゲルマン濃度計も準備されています。更にテンダーの石炭を前寄りに積載するための仕切りも九州型の特徴です。

豊富なパイピング、車輪やロッドの黒メッキ、煙室を塗り分けた落ち着いた塗装など、とても満足のいく製品です。空気作用管がC57のときは明るすぎ、実車のイメージとかけ離れていたのですが、今回の製品は実際の作用管の材質の色に近く、落ち着いて感じになっているのも評価できます。

資金に余裕があれば門鉄デフの船底テンダー機も配置し、在りし日の志布志線を再現したいところですが叶いません。

ナンバーは志布志線で最後の活躍をした277号機のナンバーが入っていましたので、それにする予定です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月15日 (水)

九州鉄道記念館のクハ481

今日は、昨日より更に涼しくなりました。一気に秋がやってきた感じです。暑い日々はたまりませんが、このように変化があって四季があるっていいなと思います。

九州鉄道記念館に保存されているクハ481です。クロ改造の普通車で客室のシートピッチと窓のピッチがあっていません。こんな車両に乗るときは、席を考えて乗らないと窓枠が視界のじゃまになります。

九州鉄道記念館は門司港駅に隣接しているため、展示車両も実際に運用中の車両と並ぶ形になっています。まるで現役の車両のようです。

Dsc_0223

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月14日 (火)

南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎(5)

ようやく待ちに待った秋がやってきました。今日の抜けの良い空、そして空全体から降りてくるような冷気、久々の感覚です。それにしても今年の夏は長かった。

昨日に引き続き、今日も仕事を終えた後に自転車こぎ。昨日40分、今日は1時間。後半はすっかり暗くなり、ライトオン走行。三日月に金星、そして等級の高い星たちが徐々に姿を現す大空の下、気持ちよく走ります。

先日行われた健康診断の結果が送られてきました。恐る恐る見てみると、すべての数値に渡って所見なし。すべてが正常範囲内に収まりめでたしめでたし。この自転車こぎの成果もあるに違いなしと、期待を込めて自分なりに勝手に解釈してみます。

メールを開いてみると、模型店からC58を発送したという知らせ。地元志布志線で活躍していた門デフ平底テンダー仕様を予約していました。それにしても今回も同一形式におけるバリエーションが半端ではありませんね。懐具合が豊かであれば食指が動く仕様が多くありますが、1両で精一杯。

さて、南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎5回目です。

教室から校庭へ直接出る扉から中を覗いてみましょう。

Dsc_0079

廊下から教室に入る扉です。他の木材部分も含めて、ペンキによる塗装がなされておらず木材の質感の良さがそのまま生かされています。隣の教室とのしきりが取り払われ、間にサッシの引き戸が設置されていますが、これは閉校後の活用のために教室をぶち抜いて多目的に使えるようにしたものだと思われます。

Dsc_0080

廊下との間の壁全体を見てみましょう。窓枠を含め、すべてが木製というのが今となっては贅沢な感じがします。下部にも引き戸があるのは南国の暑さを克服するための仕様でしょうか。中央の窓の両側に掲示板が設置されています。これは窓を潰して設置されたものではなく、先般アップした廊下の写真と比べると分かるのですが、窓はなくもともと壁だった部分です。私が通った小学校は既に鉄筋コンクリートの建物でしたが、廊下とのしきりには黒板が設置され、その上下に引き戸の窓があったように記憶しています。この木造校舎とは仕様が異なりますが、部分的には共通項があるように思います。

Dsc_0082

黒板です。下が前に出るような形で傾斜しています。これは現在の学校の黒板と異なるところです。このような形は教師にとっては書きやすいのかもしれません。また、現在の学校の黒板は窓からの光の反射を最小限にするために円弧状になっています。しかし、この黒板は素朴な平板状です。掲示物がほとんど残っていないのが残念ですが、奥の上の方に1枚の掲示物が見えます。校歌でしょうか、何でしょうか、興味がわきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月12日 (日)

南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎(4)

午前中は、職域対抗輪回しに出ることになっていたために、近くの中学校の体育大会に行ってきました。校区にある3つの小学校からこの中学校に上がってきます。それでも全校生徒の数は大きな学校の一クラス程度のもの。山の中の小さな学校ならいざ知らず、これだけの町を抱えておきながら、この人数。地方の人口先細りの深刻さを目の当たりにした思いです。

プログラムは盛りだくさんで、生徒は出ずっぱり。大規模校であれば出番は限られたものですが、ここでは次から次に出番と係が回ってきます。出番は少ないよりは多い方が良さそうですが、限度というものがあります。少々生徒たちが気の毒に思えた体育大会でした。しかし、生徒たちはそれぞれの競技や演技に一生懸命取り組み、この大会を通してまたひとつ成長したのは間違いありません。

午後、古い食器棚が空いたので、模型棚にすることにしました。これまで多段ボックスに押し込んでいた16番の鉄道模型の中から機関車21両と気動車12両を移し、長らく箱の中で眠っていたNゲージの中から787系や583系など53両も久しぶりに引っ張り出してみました。まだ空いている棚がありますので、明日以降、作業を続けたいと思います。

南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎の4回目です。

廊下の端にある出入り口からガラス越しに中を見てみます。

Dsc_0075_2

教室と廊下の間の壁は何とも歴史を感じさせるつくりになっています。下半分が木材による処理、そして上半分が漆喰となっています。木枠の大きなガラス窓の上にも明かり採り、換気用と思われる小窓があり、下にも夏場の通風のためでしょうか、木製の引き戸が設けられています。床張りも当然木材ですね。長らく使っていないようで、床には埃が積み、廊下にはいろいろなものが置かれたままになっていました。ここで映画のロケができそうです。

Dsc_0076

天井です。床のように板材が丁寧に打ち付けられています。色合いも自然な木材の色でいいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月11日 (土)

この空で素晴らしい光景が見えたはずなのに…

9月も中旬だというのに異様な暑さが続いています。そんな中、今日は息子の高校の体育祭。私が通った高校と同じ高校に行っていますので、昨年に引き続き2回目の母校訪問を兼ねた体育祭参観となりました。

どの生徒も体育祭に真剣に取り組んでおり、見ていてとても爽やかです。入場行進、開会式、競技、演技等、どれをとってもいい加減にしている生徒がいません。暑い中、汗まみれ砂まみれになりながらも、青春の貴重なひとときを無駄にせず、謳歌しているように思われます。若いということはただそれだけでいいなあと、つくづく感じ入るひとときでした。

息子は野球部所属ですが、私が所属していたのは鹿児島の高校では珍しいと思われる鉄道研究会。国鉄鹿児島運転所を訪問したり、鹿児島交通加世田駅(本社)を訪ねたりと貴重な体験をすることができました。

今夜、種子島からH2A18号機が打ち上げられました。20時17分のことでした。実は、天気は良好、視程もよいので自宅のバルコニーから打ち上げの様子を見ることにしていたのですが、その時間になったらすっかり忘れてしまい、貴重な光景を見逃してしまいました。

打ち上げ後、30分経った時間に気づきました。外へ出てみると、見事に広がる澄み渡った空。この空で日本の技術の粋を集めたロケットがオレンジ色の光を放ちながら、ゆっくり彷彿線を描き宇宙へ吸い込まれていく光景が展開されていたはずです。

未明の午前3時過ぎの打ち上げでも目覚ましをかけて見上げるくらいこんな様子を見るのは好きなのですが、こんなベストタイムの打ち上げを見逃してしまいました。

見逃してしまったショックと2時間前までは見るぞと思っていたことを失念してしまった自分自身の記憶構造の劣化?に対するショックのダブルショック。

高校生のみずみずしい感性と行動力。その若さと見逃した自分の姿との対比に卒業からの月日の経過を否応なしに思い知ることとなってしましました。

茂木健一郎氏がアウトプットをすることが脳の活性化には必要だと書かれていました。その中でブログもよいと。個人の日記と違い、ブログになると相手意識が生まれ、より脳を働かせることができると記していました。

実は、このブログを続けるモチベーションのひとつがこのことです。毎日、ある程度まとまった文章を書くことを自分に課しているのです。つたないことしか書けないのですが、書かないよりはましだろうというぐらいの気持ちで続けています。手帳にも一日のまとめをするように課しています。

ある程度の年齢になると、本当に自分でも驚くような衰えが出てくるものです。体力、知力、気力…。40代半ばからちょっと意識していろいろなことに取り組むようになりました。

鉄道趣味を末永く楽しまなければなりませんので、衰えるわけにはいきません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月10日 (金)

あわや正面衝突

明日、長男の高校の体育祭があるために、仕事を終えてから鹿児島市へ帰ってきました。南薩線跡にできた広域農道をいつものとおり走りました。途中までは快速走行だったのですが、途中で遅い車につかまりました。農道の終点も近かったので、前の車は追い越していってしまいましたが、私はちんたら付いていくことにしました。終点の三叉路で一旦停止なし、いつもは車の往来の少ないところですが、左右から車。双方の行く手をさえぎる形になりました。強引に右折して優先道路の車は頭に来たのかこれまた強引な追い越し。左カーブで見通しが悪いにもかかわらず。向うからは対向車のヘッドライト。あわや正面衝突かというきわどいタイミングでしたが、間一髪のところですり抜けて一大事になりませんでした。

それにしても対向車の運転手は驚いたことでしょう。よくもぶつからずにすんだものだというタイミングでしたから…。

追い越した車も強引だったのですが、そもそも一旦停止を無視して進入してしまった車に非があります。ずっと後ろから付いていて観察できたのですが、速度は遅いにもかかわらずとっても危ない運転。当該車の左折時に運転席を見てみると高齢者。

日本は超高齢者社会を迎えます。高齢者になっても車がなければ生活が難しい実態も地方ではあります。このような危ない運転の高齢者に出会う機会が最近富みに増えた気がします。もみじマークの改訂が話題になっていますが、日本の自動車事情について新たな課題だと思います。

他人事みたいに記している自分ですが、最近、自動車を運転しながら注意力が低下したなということを時々感じています。鉄道の指差し確認よろしくしっかり確認して運転したいと思います。眠気覚ましには自作自演の鉄道車内放送でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 9日 (木)

南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎(3)

少々秋の気配が感じられるようになりましたが、無理して感じればそういえばそうかもねというレベル。まだまだ日差しは厳しく、朝夕も熱帯夜に近い状態です。

午前中はデスクワーク。午後は外の仕事をしました。吹き出す汗は容赦なく、首に掛けたタオルで何回ぬぐってもなおも汗は止まることを知りません。帰宅後、1時間弱のサイクリングをして体重を計ると昨日より1キロ以上落ちています。仕事を通した健康管理、一石二鳥であります。

数日前から今日に掛けて、地元の放送局が制作して放送した番組をDVD化した作品を2本見ました。数年前に購入したものですが、久々に見てみました。MBC南日本放送が制作したYS-11ラストフライト関連のもの。映像及び構成のレベルは高く、何度見ても新鮮です。DVDでは放送されなかった特典映像が収録されており、航空ファンとりわけYS-11ファンにとっては必見の内容です。

YS-11に初めて搭乗したのは、福岡・鹿児島線。その後長らく乗る機会はなかったのですが、鹿児島県の離島では本土から一番遠い与論島に赴任した4年間はYSとともにありました。もちろんJACに在籍したYS-11 12機がまだすべて現役の時代です。与論・鹿児島間を何度飛んだことでしょう。1年目は特に多く、他の機材も含めて搭乗回数は50回を越えています。正式に数えていませんが、4年の間には相当数乗っています。

DVDでは、本村キャプテンや廣瀬キャプテンが注目を浴びています。確率からいって両キャプテンの操縦する便にも複数回乗っている可能性があり、DVDを見ながら当時に思いをはせ、YS独特のダートエンジン音にしばしタイムスリップを愉しんでいる自分がいました。

YS-11の最後の拠点であった鹿児島にYS-11が保存されていないのは残念です。JACから外国へ売却された機体が引退するとき、是非、鹿児島の地へ呼び戻し、保存してもらいたいものだと思います。

写真は与論時代に撮影したYS-11です。与論空港を珊瑚礁のリーフに向かって離陸しているところです。

4_ys11_yoron11

さて、前置きが長くなりましたが、南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎の3回目です。

当時はこの木造校舎の他にどのような建物があったのか記憶は曖昧です。現在、公民館が建っている場所にも木造校舎があったような気もします。

さて、現存している木造校舎の入り口です。

Dsc_0071

靴箱が置かれ、廊下へは3つほどの段を上がらなければなりません。入り口のサッシ扉も閉校後に整備されたものかもしれません。手前の柱の上部に小筋交いの覆いが見えます。木造校舎である証がこんなところにも現れています。

窓越しに中を見てみると…

Dsc_0074

外側は塗装がしてありますが、中は純木造といった雰囲気。廊下にはいろいろなものが少々雑然と置かれていますが、整然と並んだ木枠の窓が見事です。平成になって20年以上経っていますが、昭和の香りを色濃く残すこのような木造校舎がいまだに現存することに驚きを覚えます。整備して町の観光資源として活用すれば、訪れる人も少なくはないのではないでしょうか。

さらに反対側の出入り口にレンズの押し当てて、中の様子を撮影してみます。

Dsc_0084

今は人気のない校舎ですが、多くの子どもたち、そして先生たちがこの空間で日々過ごしていたことに想像を巡らすとき、時代の無常を感じざるを得ません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 8日 (水)

南薩線沿線、吹上小学校木造校舎(2)

朝、当地を出て知覧に向かいました。今日は、終日知覧で会合です。田部田バス停、万之瀬川の橋台、小野慰霊碑公園入り口、蟹ヶ地獄、城ヶ崎、知覧駅近くの橋台などを見ながら会場へ。あちこち寄り道をしたいのですが、勤務中ですので我慢。

終了後、知覧駅跡へ車を回し、一通り眺めてから峠を越えて鹿児島へ。久しぶりに越える知覧峠でした。道路はほとんど昔のままでカーブがきつく、毎日通るとすぐにタイヤやブレーキパッドがすり減りそうな道です。

ここではずっと前の話なのですが、ちょっと気の毒な光景を見たことがあります。私は鹿児島から知覧へ向かって走っていました。峠を下ってくる車がカーブを曲がって目の前に現れました。その車の後方にはリードにつながれた犬が転げながらついてきていました。車に犬をつないでいたことに気づかなかったのか失念していたのか分かりませんが、おじさんの運転する車でした。咄嗟のことに合図をすることもできず、かといって狭い峠の道故、Uターンして追いかけるにもUターンする場所がありません。車の速さですので、犬の足ではどうしようもありません。必死に駆けてついていこうとしているのですが、足がついて行かず転倒。そして何とか起き上がる…。

願わくば、何らかの形で気づき、犬の命が救えていたらと思うことです。今でも時々思い出す気の毒な光景です。

さて、南薩線沿線、吹上小学校木造校舎の2回目です。

木造校舎にちょっと近づいてみましょう。

Dsc_0070

外装はクリーム色に塗られています。経年でかなりはげ落ちた部分も目につきます。屋根はスレート。おそらく建築当時は瓦葺きだったのではないかと思われます。教室から外への出入り口は数カ所アルミ製に取り替えられています。閉校当時は木造だったものをその後の校舎活用の際に整備したのではないかと思います。

さらに校舎に近づいてみましょう。

Dsc_0077

手前の出入り口は木造のままです。アルミ製の出入り口以外は網で覆われています。おそらく閉校後の校舎活用時に虫対策として網戸として設置されたのではないかと思われます。エアコンがありませんので、特に夜間での活用では窓を開けていると多くの虫が入ってきて大変なことになります。廊下側も同じような処置がなされています。また、台風時の窓保護としての役割も担うことができそうです。

木造の出入り口を見てみましょう。

Dsc_0078

羽目板に細い桟を有した窓。薄くて小さな窓が時代を物語っています。今は静かな中で時間が止まったかのような姿を見せていますが、かつては大勢の子どもたちでさぞや賑やかだったことでしょう。この窓から南薩線の列車に手を振った子どももいたのではないでしょうか。また、教室で学んでいる子どもたちの耳にこの窓を通して日々、南薩線の息吹が届いていたはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 7日 (火)

南薩線沿線、吹上小学校の木造校舎(1)

ゆっくり九州の西海上を回り込むように進んだ台風9号。今日も、一日中強風の中にありました。夜になってようやく虫の音が聞こえるような静けさが戻ってきました。

9月に入り、仕事を前倒しでどんどん進め、今日の午後はエアポケット状態。午前中までは片付ける仕事が多数あったのですが、一段落した午後は「さて、何をしようか」状態。「どうもお疲れ様でした」と鉄分補給に出かけたいところですが、それもできずつらいところ。

さて、南薩線の伊作・南吹上浜間の線路沿いにあった吹上小学校。廃校になった今でも建物の一部がそのまま残っています。敷地内に公民館ができており、公共の場として現在でも活用されています。夏には校庭で夏祭りが開かれている様子も目にしました。

Dsc_0089

門柱にある吹上小学校の文字。今でもそのままです。この校門と反対側の敷地が南薩線の線路に面していました。吹上小学校は明治12年4月、入来小学校として開校。その後、昭和25年1月に吹上小学校と改称されています。昭和54年には創立100周年を迎え、いろいろな記念事業がなされたようです。下の写真は、そのときに建立された記念碑です。

Dsc_0068

その他に記念式典の開催、記念誌の作成、教育環境の整備を行ったと記されていました。

この吹上小学校は、昭和60年(1985年)に伊作小学校に統合される形で閉校になっています。昭和60年といえば南薩線が廃線になった昭和59年(1984年)の翌年に当たります。この界隈の住民は南薩線を失い、古里の学舎を同時期に失ったことになります。

Dsc_0093

南薩線の線路があった方から学校を望んでみました。体育館は鉄筋コンクリート造りですが、向かい側の校舎は木造です。伊作小学校に統合されるぐらいですから、児童数はそう多くなかったのでしょう。南薩線より歴史があり、南薩線の歴史を見守ってきた小学校。南薩線の汽笛は時刻を知らせるチャイム代わりだったかもしれません。

写真には写っていませんが、右手の敷地内に新しく公民館が建てられ、グラウンド等も活用されており、荒れていないところは嬉しいところです。

この木造校舎の様子、外から垣間見ることができる姿を何枚か写真に撮ってきました。今日から数回に分けて紹介します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 6日 (月)

出水のC56

台風の影響で一日中風が強く、時折激しい雨が降りました。今年も今のところ、直接的な影響を及ぼす台風の接近はなし。台風対策に追われることがなくよいのですが、気象の変化に少々心配になります。

先日、出水に行った際、出水駅に寄ってみました。新幹線開業で近代的な駅に生まれ変わった出水駅。駅前には蒸気機関車が展示されています。

この蒸気機関車は豪雨災害による河川檄特事業の河川工事で、市総合運動公園多目的広場に展示していたものを移設してきたもの。C5692号機です。1973年11月に吉松で廃車になっていますが、保存状態は良好で綺麗な姿を保っています。

Dsc_0347

C56は戦時中に1号機から90号機までが南方へ供出されています。ですから91号機が日本における実質1号機、92号機は2号機ということになります。この92号機は、昭和47年10月24日に91号機と重連でお召し列車を牽引するという輝かしい経歴をもっています。私も、鹿児島運転所で回送中のお召し仕様の91号機と92号機の重連を偶然目撃しています。情報の乏しい時代、しかも小学生でしたからこんな列車が運転されるということを知らなかったのです。出会えたのは幸運でした。

ちなみに予備機はC56135号機で、鹿児島に3両のC56が集結しました。

Dsc_0354

C56特有のカットテンダーからの勇姿。保存状態がよく、今にも動き出しそうです。美しい姿ではあるのですが、現役時代にはあり得ない青や黄色(ゴールド?)などの色はおめかしのし過ぎです。もう少し落ち着いた塗装で現役時代を彷彿させてくれるといいのですが…

さて、お召し列車を牽引したお相手の91号機ですが、こちらは今、一対の動輪と車輪のみを残して解体されてしまいました。鉄道のない離島へという配慮から種子島の西之表市に保存展示されましたが、潮風と管理の悪さが災いして荒廃。そのまま解体という運命をたどりました。1号機から90号機までが海を渡り、大井川鉄道で活躍している44号機のみが再び帰ってきましたが、奇しくも91号機は国内でありながら海を渡り帰らぬ機関車となってしまいました。

下の写真は弊HPに掲載されている吉松機関区での91号機の姿です。友人と二人、初めて吉松駅に行った際に撮影しました。C622とC623に劣らない?ゴールデンコンビだったのですが…。

Kyoushu007511

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年9月 5日 (日)

宮ヶ浜という焼酎

午前中、保育園の運動会に行ってきました。久しぶりに小さい子をいっぱい見た気がします。地方では過疎化や少子化で子どもの数がめっきり少なくなってきました。この状況は、とうてい持続可能な社会として成り立ちません。数十年後、地方はどうなっているのでしょう。

世の中の様々なものには一様ということはあまりなく、大きなスパンの中で波のように変化していくものではないでしょうか。この少子化の問題も、このまま負のスパイラルに入るのではなく、時期が来たら復調してくる気がしないでもありません。大きな振り子が振れるようにゆっくりと…。

九州新幹線が来春開業するなど、新幹線網の整備で日本における時間地図はずいぶんと変わり、日本が小さくなってきました。この点においては中央と地方の格差が是正されてきたといえます。しかし、地方を含めた日本の将来像が政治の面から見えてきません。高速道路無料化やエコポイントなど、小手先の政策ばかりが目につき、どうも根本的にどうしたいのかが見えてきません。

保育園の運動会を見ながら、こんなことを考えざるを得ない状況の日本。このけなげな子どもたちに明るい未来を保障してあげたい、これはみんなの願いです。

焼酎を切らしてしまったので、近くの酒屋へ。前回は、あらわざ桜島を2本続けて購入。顔見知りの店のおばちゃんに「何かおすすめの焼酎はありますか」と尋ねたところ、「宮ヶ浜」という焼酎もおいしいと教えてくれました。このおばちゃんも結構飲んべいです。

ぶら下げて帰ってきたのがこの焼酎。

Dsc_0438

絵手紙風の味わいのあるラベルです。裏の説明書きには

南薩摩の錦江湾と桜島を望む海岸沿いにある「宮ヶ浜」は、明治の頃から焼酎造りを続けている大山甚七商店のふるさとです。そこで造られる薩摩芋焼酎「宮ヶ浜」は、代々受け継がれてきた技と和○、そして焼酎の原点である黒麹と新鮮で良質な南薩摩産さつま芋で丁寧に仕込みました。かめ壺仕込みならではの豊かな香りと味わいをお好みの飲み方で是非お楽しみください。

と記してあります。この焼酎を飲みながら打ち込み、少々ほろ酔いです。○のところは小さくて難しくて判読できませんでした。後日虫眼鏡で確認。

確かにこくがあって、ひと味違う焼酎に仕上がっています。飲んべいのおばちゃんが薦めるだけのことはあります。宮ヶ浜といえば指宿枕崎線の駅もあります。一昔前までは、海辺の駅として親しまれていましたが、埋め立てで海辺は遠くに行ってしまいました。ここにこんな焼酎があったんですね。

ふたの写真です。

Dsc_0439

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 4日 (土)

久々にカトーから新製品24系25形0番台

昼前に鹿児島へ。大気が不安定で晴れているのですが、途中で急な雨に見舞われます。峠を越えると桜島が姿を現します。いつも気になるのは、噴煙が上がっているかということと風向きはどうかということ。

今日のような天気だと、火山灰混じりの雨が降る可能性があります。姿を現した桜島からは濃い灰色の噴煙が間断なく上がっています。しかも自宅方向へ向かっているように見えます。

灰混じりの雨が降るとワイパーによってフロントガラスに傷がつきます。私は、フロントガラスへの傷つきを避けるために普段から撥水剤を塗布し、ノーワイパー走行をしています。15年目を迎える老兵ですが、フロントガラスはきれいなもの。ワイパーの跡はほとんどありません。しかし、灰雨が降れば研磨剤とし化した灰をワイパーでぬぐわなければ前が見えません。そうすれば自ずと灰で研磨された傷がフロントガラスに残ります。

幸いなことに、自宅よりさらに北の方へと火山灰は流れ、灰雨に打たれることはありませんでした。

先日、桜島の東側に行った際に昭和火口から噴煙を上げる桜島を撮影しました。

Dsc_0411

これまでは南岳から噴煙が上がっていたのですが、最近は拡大した昭和火口から噴煙をはき出すことがほとんどです。左側に見える黒い固まりが大隅半島と地続きになったときの大正3年の溶岩、そして中央下付近にはすり鉢状の古い火口が見えます。

中井精也氏の一日一鉄のブログを見て、「ああ、しまった」。今日は、アミュ広場で中井氏のBSデジタル号の特番生中継があるのでした。どうも生活に追われ?余裕がありません。すっかり忘れていました。中井氏や水戸岡鋭治氏が徒歩圏内にいらしたというのに。絶好の機会を逃してしまいました。

失念していなければ、今日のブログは間違いなくその話題と画像です。残念ですが、広場の写真のみ。まだ駅舎が黒くなっていない頃の写真です。

Dsc_0025

さて、模型の話へ。模型メーカーのカトーが久しぶりに16番の新製品を出します。ブルートレインの24系25形の0番台。100番台は以前発売していましたが、窓の大きな初期型の製品化です。また、16番に積極的なトミックスから24系も製品化されます。

ブルートレインはある程度まとまった数をユーザーは購入しますので、メーカーにとっては採算ラインに乗せやすい車両かもしれませんね。しかし、同時に複数製品化というのは金欠ユーザーにとっては悩ましい問題で、同じような時期にマイクロエースのキハ52も製品化されます。

さてさて、資金調達と導入計画、厳しい選択が迫られます。

カトーのオロネ25です。大きな通路側の窓からのぞく、扉の表現が秀逸ですね。

Dsc_0182

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 3日 (金)

路面の魚

今年の暑さは尋常ではありません。9月に入ったというのにこの暑さ。昼の暑さはもとより、朝夕も暑いこと。まさに熱帯地方に住んでいる気がします。

ビール(発泡酒ですが)も飲む前に冷凍室へ入れて、きんきんに冷やしていなければのどの渇きを潤すことが出来ません。冷凍していたグラスに注ぐと、シャーベット状になることもありますが、これくらいでないと「きたーっ」という感覚になりません。

職場である人が「一緒に分けて飲みません?」と言ってスポーツ飲料の500ミリリットルペットボトルを持ってきました。「麦茶じゃミネラル分が補給できませんものね」なんて言いながら4人で有り難くいただきました。すると、すぐにもう一人部屋へ入ってくるなり、「ああ暑い、麦茶じゃのどの渇きを取れませんよね。アクエリアスが飲みたいなあ。さっき、冷蔵庫で見たんだけど」。まるで見ていたかのような言葉に一同顔を見合わせて苦笑い。正直に「今、ここにいるみんなで飲んでしまった」とスポーツ飲料を持ってきた人が白状。ちょっと微妙な空気を察知し、私は近くの店へ行き、アクエリアスの2リットルペットボトル2本をぶら下げてこの空気を和ませることに…。それにしても当人は見てもいないのに自然と起こったこのシチュエーション。まるで作り話のようです。

いやあ、世の中いきなりどのような展開が起こるか分かりません。こんなことで人間関係が気まずくなっては大変です。

夕方、ときどきでかける干拓地の堤防。休日を中心に釣りを楽しむ人たちもちらほらいます。何を釣ろうとしているのか分かりませんが、お目当ての魚でないとそのままぽいっと放置する人がいます。自転車を進めながら地面に放置された魚を避けなければなりません。

釣りをしないのでよく分かりませんが、お目当ての魚でなければすぐに海に帰すことは出来ないのでしょうか。一度釣ってしまうと生きることは出来ないのでしょうか。もし、腹いせにそのまま放置しているのであれば人間のおごりでしかありません。

コンクリートの路面で寂しそうな顔をしています。

Dsc_0111

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月 1日 (水)

800系を新大阪へ

8月もお盆を過ぎた頃から朝夕秋めき、9月にはすっかり秋の気配というのがこれまでの感覚だったのですが、今年は違いますね。9月に入ったというのにまだ真夏。報道によればこの夏の平均気温は、あちこちで過去最高だったとか。この4月から海辺での生活に変わりました。クーラーなし生活をちらでも決め込み、なんとかここまで乗り切ることができました。これまで山手での生活でしたので、朝夕は真夏でも割と涼しかったのですが、ここは違いました。一般家庭にクーラーなどなかった時代を味わい、こんな時代もあったんだよなと妙な感動を味わっているところです。一人暮らしだからできる身勝手かもしれません。

今朝の新聞にいよいよ九州新幹線新規開業区間での営業列車を使用した試運転が始まったという記事が掲載されていました。車両は新大阪直通の700系さくら型のもの。来春の全線開業に向けてまたステップを一段上がりました。

地元新聞のコラムにはさくら型700系に比べて800系が素晴らしい旨のことが記されていました。新700系も素晴らしい車両ではありますが、山陽区間を走る他の新幹線との兼ね合いや輸送力との関係で、どうしても山陽区間を基本として設計せざるを得ません。その点800系は九州島内だけの運用で、全線開業までは鹿児島中央・新八代間の離れ島運用でしたので、JR九州の論理をふんだんに盛り込んで設計することが出来ました。

これまでの常識から言えば、九州新幹線は博多・熊本間が最初に開業する区間だと思われますが、あえて既存の新幹線から切り離した形で新八代・鹿児島中央間を選択したところに大きな意味がありました。リレー号をはさんでも時間短縮効果が大きかったこと、末端区間の開業は未開業の中間区間の建設を促進すること。見事な選択だったと思います。

もし、博多・熊本間が先に開業していたら当然、熊本・新大阪間の列車が設定されるでしょうから、800系のような車両は生まれていなかったかもしれません。また、この厳しい経済情勢ですから熊本・鹿児島中央(西鹿児島)の工事は行われていなかったかもしれません。

コラムにはどの車両もグリーン車並の魅力的な800系を新大阪まで運転してはどうかと記されていました。停車駅を絞った「みずほ」を投入して4時間を切る列車を設定し、航空機に対抗する構えのJRに対して、時間は多少かかっても800系のような列車での旅は時間短縮という価値観に十分太刀打ちできるものではないかと問題提起しています。

これまでの常識の中で物事を考えず、柔軟に考えることは大切だと思います。輸送力の新幹線から付加価値を高めた旅の魅力を演出する新幹線への転換を図ることに800系の新大阪乗り入れは大きく貢献するような気がします。実現へのハードルは高いと思いますが、実現するといいなあと思います。

Dsc_0330

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »