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2010年10月

2010年10月31日 (日)

キハ17

今日も鉄道模型をいじる時間を作ることができました。工場入りを待っている車両が多く、これまでの工場休業を挽回していかなければなりません。

天賞堂のキハ17にインレタ等の貼り付けを行い、整備することにします。いくつかナンバーが添えられています。ナンバーごとに配置区の変遷と担当車両工場が一覧表にまとめられています。これは有り難い配慮です。やはりこれらは実物同様にしたいですから。鹿児島関係のナンバーも入っています。「鹿カコ」「鹿ヨマ」「鹿ヤコ」「鹿シシ」の配置区に検査票は「鹿児島工場」。しかし、該当するナンバーは1両のみ。数字のみのインレタは入っていません。他のナンバーから数字のみを切り出し希望のナンバーを作ることもできるのですが、そこまではやりませんでした。1両は「鹿ヤコ」、都城所属、もう1両は「門カタ」、直方所属。転属直後、または借り入れということで仲良く手をつないで走ることになります。

ジャンパホースを取り付け、色差しをして終了。貫通幌はプラ成形のままのグレーです。実物の写真を見ると黒っぽい色をしているようですので、塗装した後に付けることにします。

模型のいいところは過去帳入りした車両とじっくり対話?ができることですね。それぞれの車両に思い出がありますので、机の前で作業をしながらじっとしていますが、頭の中ではあの頃を思い出しながら時間旅行。

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2010年10月30日 (土)

C58に部品付け

C58の作業の続きを行いました。

行った作業は、逆向き運転用暖房管、床下ブレーキ引棒、キャブ屋根クレーンフック、ピストン尻棒、リンゲルマン濃度計の取り付けです。逆向き運転用暖房管はランボードに沿って取り付けますが、キャブ下の配管の中へ潜り込ませるのに少々手間取りました。その他はスムーズにいき、一応C58の作業は終了することができました。

今後は暇を見て色差しや軽いウェザリングをしていきたいと思います。

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2010年10月29日 (金)

あの頃の鹿児島(第2回)

台風14号が接近し、心配をしました。幸い奄美大島を避け、当地でも東寄のコースをとったため全く台風を感じないまま去っていきました。東を通ると時計と反対回りに吹き込む台風の風と台風の進行速度が相殺され、風が弱くなります。もう何年も台風がやってきません。有り難いことですが、地球の気候変動と関係がありそうで不安にもなります。

さて、あの頃の鹿児島第2回目です。

未舗装道路

今や林道にでも行かなければお目にかかれなくなった未舗装道路。しかし、昭和40年代前半の頃までは鹿児島市内といえども舗装されているのはメインとなる通りばかりで毛細血管のように張り巡らされた住宅街の道路は未舗装でした。今からは想像もできないことですが、戦後20年ほどしか経っていない頃ですからまだまだ整備途上にあったといえます。車も今のように一人に1台というような時代ではなく、台数も少なかったので車が走るための道というよりは歩行者のための道といったほうがよかったのかもしれません。

自宅の前の道路ももちろん未舗装道路。でこぼこしており、小さなへこみは車が通ることでその大きさを増していき、雨ともなれば大きな水たまりと化するのでした。雨の日にはまっすぐ歩くことはできません。大小の水たまりを避けながら右へ左へ。雨が上がると大きな水たまりにアメンボウの波紋を見ることも。

鹿児島市内のメインを外れた道路が未舗装であった頃、地方の主要な道路にも未舗装区間は結構ありました。道路改良する前の古い道路ですから狭くカーブも多く速度はのりませんし、よく揺れます。また、車に冷房が付いていませんので、夏は結構暑い。先行車がいようものなら巻き上げる砂埃で窓を開けることもままなりません。

私の母は、観光地である霧島に行くのをあまりよしとしていませんでした。その理由は道路。今でこそ快適なドライブコースが続いていますが、当時は恐ろしくなるような崖の上を狭い道路が通っており怖くて仕方がなかったと言います。

ですから道路事情からして、また車自体の快適性からして車は長距離を移動する手段として選択肢の中にはなく、もっぱら鉄道が陸上長距離交通の主役だったわけです。

今、快適な幹線道路を走りながら、途中途中にある旧道であったり旧道の跡であったりする道路を目にすると、この幹線がかつてはこんな道でつながっていたんだとその歴史を垣間見る思いがします。鉄道の廃線跡巡りが静かなブームです。書店で旧道巡りの本を目にしたこともありましたしネット上で見た覚えもありますので、鉄道同様こちらの方を趣味としている方もいらっしゃるのでしょう。

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2010年10月28日 (木)

晩秋

今朝、職場に向かう途中、カワセミに出会いました。タイムリーなことに夜のNHKのニュースで生物の特性を工業製品に生かすという取組が紹介されていました。新幹線500系は何をモデルに製作されているでしょうという問題が出され、とっさに「カワセミ」という答えが頭に浮かびました。果たしてそれは正解でありました。水の抵抗を軽減しつつ水の中に突っ込んでいくカワセミの前頭部。それはトンネルの突入する新幹線の前頭部にも応用されていたのです。

昨日辺りから急に冷え込んできました。晩秋と表現するにふさわしい肌持ちになってきました。晩秋はとても風情のある季節。駐車場のすぐ近くに柿の木があります。夕方、仕事が一段落ついたところで写真を撮ってみました。

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よく見ると鳥なのでしょうか、つついた跡があります。葉の色が黄色みがかりいよいよ秋の終わりであることを告げているようです。

台風が接近しつつあります。その影響なのでしょうか。今日の日暮れ時の空はいつになく夕焼け色が奇妙で、何かを予感させるような少々不気味な空でありました。

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2010年10月27日 (水)

新聞のコラムを老化防止に

急に寒くなってきました。今年の秋は短いのでしょうか。

パソコンで文章を書くことが多くなり、漢字を忘れてしまったり手書きで文字を書くときにペン先がスムーズに動かなくなったりするようになってきました。手書きよりパソコンで文章を綴った方が圧倒的に速いのですが、一方で漢字力や文字を書く力は間違いなく退化してきています。

ちょっと危機感を覚え、数年前から新聞のコラムを視写することを日課とするようにしました。およと20分ほどかかります。はじめは文字がぎくしゃくしていたのですが、随分なめらかに書けるようになってきました。また、漢字の忘れもかなり改善されてきたように思います。副産物として起承転結のある文章も自然と書けるようになってきた気がします。

日課とするようになるとジョギングやウォーキングがそうであるようにやらないと落ち着かない状態になってきます。指先や脳が欲するようになるのでしょうか。

九州新幹線鹿児島ルート全線開業を控え、最近では鉄道ネタが多くなっています。今日も、指宿枕崎線にデビューするという「指宿のたまて箱号」が取り上げられ、先輩格の観光列車「海幸山幸号」の快走ぶりを例に一過性の人気に終わらせず、育てていきたい旨のことが記されていました。

いつまでも脳が元気はつらつでいられるよう続けていきたいと思います。

写真は毘沙門の物産館で撮影したものです。琺瑯看板の展示は既に終了しています。

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2010年10月26日 (火)

あの頃の鹿児島(第1回)

子ども時代から青年時代を過ごした1960年代から1980年代にかけての鹿児島の様子を回想を交えながらまとめてみることにしました。思いつくままに綴っていきたいと思いますので、不定期そして何回まで続くか分かりませんがおつきあいください。なお、既出の内容もありますが改めてまとめてみるということでお許しください。

水搬送工法

 自宅からほど近いところに甲突川は流れており、よく遊び場にしたものです。もちろん肥後の石工岩永三五郎が架橋した五大石橋も健在。風情のある風景とは対照的に下水道が整備される前のことですから生活排水や工場排水が流れ込み、決して美しい流れではありませんでした。それでも自然豊かな河原は子どもの遊び心をくすぐり、いろいろなことをして遊んだものです。釣りのまねごとをしたこともありましたが、つれるものではありませんでした。爆竹を鳴らしたこともありました。この頃はおおらかな時代でそんなことをしていても咎める人はいません。砂の土手にダイナマイトのように仕掛けて効果を試してみたり、ちょっと残酷ですが大きなオタマジャクシを入れた容器の中で爆発させ、オタマジャクシの反応を確かめたりと、ちょっと危ない刺激的なことも友達とつるんでやっていました。
 この頃、この甲突川には大きな鋼管が上流から下流へと川の流れに沿ってつながっていました。この茶色っぽい色をした鋼管の上を歩くのも遊びのひとつ。鋼管からは中を流れるシャーという土砂の音が常にしていました。
 この鋼管は城山団地造成で削った山のシラスを海まで運ぶもの。鹿児島湾からくみ上げた海水と削ったシラスを混ぜて一気に海まで流すという工法。水搬送工法というのだそうです。
 流下する自然のエネルギーを使って運びますので、非常に経済的。ダンプで運べばエネルギーは使いますし、道路は傷む、交通渋滞は起こる、排気ガス、騒音…、いろいろと大変です。
 海水とともに海まで運ばれたシラスは鋼管の口から一気にはき出されます。場所は与次郎ヶ浜。もともと平地が少なくて山を削って団地を作る鹿児島市ですので、山の造成と同時に海の埋め立ても盛んに行われていました。城山団地から運ばれたシラスは与次郎ヶ浜の埋め立てに使われました。与次郎ヶ浜の埋め立ては1972年に開かれた太陽国体に合わせて行われ陸上競技場などの体育施設が作られました。一部の土地は埋め立て後もこれといった活用がなされないまま空き地のままでした。鹿児島市の条例で土地利用制限があったからなのでしょうか。
 ちなみにウィキペディアによると「地名の由来は、百姓の平田与次郎が荒田浜に塩田を拓き、いつしか一帯が『与次郎ヶ浜』と呼ばれた事に由来する」と説明されています。
 さて、鋼管に話を戻します。どこから来ているのか知りたくなるのが子ども心。鋼管をたどっていっていくと造成中の城山団地に行き当たりました。海水とシラスを混ぜて流すプラント周辺の様子、今でもおぼろげながら記憶に残っています。

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2010年10月24日 (日)

お座敷運転

たまには模型も動かしてあげなきゃと、午前中運転してみることにしました。お座敷運転ですので、その都度レールを座敷に敷設しなければなりません。これはちょっと面倒。時間があり、その気が十分になければなかなか実行に移せません。敷きっ放しにできる部屋があれば最高なのですが、今の住環境では叶わないことです。

6畳2間続きにエンドレスとヤード。それだけです。

まずは、カンタムのC62を試運転。何もない畳の上に敷かれたレール上でサウンドを披露していますが、やはりちょっと違和感が…。シーナリーの整った地面の上でなければその値打ちは半減してしまうようです。役者はいるので簡単なレイアウトセクションでも作って演出をしてあげるとぐっと引き立ってきそうです。

カンタム機は走行を半自動制御しますので、従来の方法と異なります。加速や減速にはある程度の慣れが必要で、停止位置にきちっと止めるのはかなり難しい作業です。起動がもう少しスローでスムーズだったらと思います。これはカンタムのDD51も同じです。

続いてまだ動かしていなかった天賞堂のC58。同じ蒸機ですが、ダイキャスト製でずしっとくるC62に対してプラ製とあってかなり軽く感じます。走行は静かでスムーズ。細かいところまで作り込まれていますので、目線の高さを走る線路でじっくり眺めたいところ。お座敷運転は地べたを這い回るので、実感的に見えるサイドからの姿を眺めるのが困難。勢い寝転がって目を畳すれすれにして眺めることに。これは他人からはかなり異様な光景です。

次は天賞堂のキハ55系3連。各車にモーターを積んでいますので、プラ製といえども重量があります。ジョイントを踏む音がプラ製のトレーラーと違います。しかし、問題が…。私が借りている官舎は部屋と部屋の間の敷居が畳面より若干高く、レールの下にスペーサーを入れて調整はしているのですが、ケーディーカプラーが自動解放。形状のよさとは裏腹によく自然解放してしまう連結器でもあります。

次はED76牽引の富士。最終期の基本6連の編成。最近の模型はライト類のちらつきがありまぜん。ちらつくんだったら付いていない方がましと思うくらいでしたので、技術の進歩を有り難く思います。

次はコンテナ列車。コキ12連を牽かせます。客車列車が激減した現在、実物の鉄道の世界では貨物列車の魅力に注目が集まっていますね。各種のコンテナを載せた長大編成のコンテナ列車の迫力は鉄分の高いものにはたまりません。

コンテナ列車を牽引する機関車の写真を流し撮りで撮ってみました。

まずはEF210です。後期型シングルアームパンタ仕様。

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続いてEF66の100番台。モノクロにしてみました。色という情報がなくなった分、模型っぽさが少し影を潜めて実物の雰囲気に少し近づいたような。

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同機の連結部分です。

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EF64の1000番台です。上と同じような明るさの写真なのですが、ソフトでレベル調整をして夜のようにしてみました。

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2010年10月23日 (土)

ものとの付き合い

子どもの頃はよく自転車を磨いたものでした。自転車を買うにも自転車屋さんで在庫品を買うというようなことはなく、メーカーのカタログをもらってきて何回も検討してお気に入りの自転車を購入しました。大人が自動車を買うような気合いの入った買い方です。値段もそれなりにしたように記憶しています。

ですから自転車は貴重品。汚れてきたら掃除、さびが少し浮いてきたらさび止め剤でごしごし。可動部やチェーンに油をさし、チェーンに油とともにこびりついたどろ状の砂を落とす。細かいところまで掃除しますから結構時間がかかります。掃除が終わったら気持ちよく試運転。

この頃の自転車には愛着があり、友人たちもそれなりにこだわった自転車に乗っていたように思います。放置自転車という言葉が生まれるずっと前のことで、それぞれ大切にしていました。

また鉄道模型のメンテナンスもよくやりました。今の鉄道模型は走行性能がよくなり、ほとんど手を加えなくても素晴らしい走行性能を維持していますが、縦型モーターにインサイドギアが常識だった頃は、注油と調整が欠かせません。車輪もよく汚れました。ビスをくるくるっと回して分解、そして組み立て。この過程が車両工場のようで子ども心に楽しいものでした。そうして性能を維持していくことが得もいえぬ喜びとなりました。

ものとの付き合いというのは、ただ道具として使うだけでなくそこに人間がどのように関わっていくかでその人にとっての値打ちが変わってくるものだと思います。使い捨てという言葉が高度成長の大量消費時代に使われるようになりましたが、できたら一つのものと長くつきあっていきたいものだと思います。

そういう意味では、非常に便利な道具ではありますが、デジタルカメラはフィルムカメラに比べて分が悪いようです。同じカメラを使い続けて何年でしょうか。おそらくフィルムカメラのようには長く使っていないのではないでしょうか。

5年ほど前からシステム手帳を使うようになりました。仕事とプライベートを一元化するのが大きな目的でした。身近に置いてフルに活用できるように手帳活用本もいろいろ読みました。読むだけで自分の世界や夢が広がるような気がしました。

本やネットでいろいろな手帳を調べ、かつて自転車を選んだようにお気に入りの手帳を購入しました。皮はコードバン。馬の皮で北フランス産の馬1頭から手帳2枚分しか取れないのだそうです。なめらかな表面をしています。メンテナンスキットを購入して、ときどきワックスをかけて手入れをしています。これから長いこと、ひょっとしたら生涯つきあっていくことになるかもしれません。そう思うと手入れにも力が入ります。

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2010年10月22日 (金)

子ども時間と大人時間

どうも最近、時間が不足していることに少々いらだちを感じています。というか不安を感じているという方が正直な印象でしょうか。

仕事はそこそこ充実しているのですが、プライベートな時間が満足のいくものになっていません。いつの間にか時間が経過して、これといった成果を残せないまま次の日へ。その繰り返し。子どもの頃には無限といってもよいほどに時間は感じられたものです。しかし、休みの日であっても時間はあっという間に過ぎてしまいます。

いったいどういうことなのでしょうか。

時計で刻まれる時間という絶対的なものがあります。これは子どもであっても大人であっても、誰であっても同じでしょう。しかし、個人的な時間の感じ方、時間の密度、時間の記憶というのは相対的なものであるように思います。

脳科学者の茂木健一郎氏が著書の中で「偶有性」ということを論じておられます。クオリアと並んでどの著書にも出てくる考え方です。私たちの生活の中には、「半ば確実なことと半ば不確実なこと」が混在しています。このことを「偶有性」というのだそうです。

確実なことばかりでは安定はしているけれども脳は退屈します。不確実なことばかりだと刺激はあるが不安も大きくなり脳のストレスは大きくなる。このバランスをとっていくことが大切なのだそうです。

子どもの頃は見るもの聞くもの新しいことばかり。未知の海にこぎ出した船は多くの収穫を得て安定した家庭(港)へと帰ってきます。子どもにとっての時間は実に密度が高く、記憶に残るものが多いことでしょう。一日の時間が長く感じるのも分かる気がします。

翻って大人はどうでしょう。これまでの生活経験の延長として日々淡々と。いろいろなことはしているのでしょうが、確実なことばかりで脳への刺激も少なく記憶にも残っていきません。「あれっ、夕べは何を食べたっけ?」ということになります。

大人になればなるほど、意識して毎日の生活の中に不確実なことを取り入れていくことが必要なようです。何かに向けてこつこつ取り組んでみる。新しいことを始めてみる。旅に出てみる。

茂木健一郎氏は最近の著書で「脳をやる気にさせるたった1つの習慣は『書くこと』である」と述べています。今日のブログを書きながらプライベートな時間が満足のいくものになっていない理由が少し分かってきたような気がします。

実はこのブログも自分のプライベートな時間を充実させる一つの手段として始めたのでした。しかし、日常のことになってしまうとそれすら意識の中から離れてしまい、マンネリになってしまうということに改めて気付かされます。

脳は、安定した基礎の上に常に刺激を求めているのですね。

小さな子どもを見ていると飽きません。それは目の輝きなのでしょうか。いつまでもこんな子どもの心を持ち続けたい…。

下関の水族館にて

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2010年10月21日 (木)

奄美で豪雨

梅雨ではないこの時期に想像もできないような豪雨災害が奄美で起こっています。縁の人もおり、他人事ではありません。この春まで隣同士で同時に転勤になった方の奥様へ家内がメールで状況を確かめたところ、官舎は屋根まで水に浸かったとのこと。鹿児島であった8・6豪雨の恐怖が蘇ります。落ち着いてからまたゆっくりメールするとのことで心中察するにあまりがあります。一番被害の大きかった住用に赴任された方です。テレビの報道を見るとその惨状に目を覆いたくなります。これがあの美しい奄美なのかと。久々に画面を通して見る隣人。このような緊迫した場面で全国放送に乗っかっている姿に自然の突然の猛威の恐ろしさに、現実をにわかに信じることができませんでした。

奄美は何回か行ったことがある土地です。自然豊かで人も豊かな島。これから元の生活に戻るまでの道のりは困難だと思いますが、早く日常の生活に戻れることを切に願っています。

今日、前任地でお世話になった方から生椎茸が送られてきました。松茸を思わせるようなまるまると太った新鮮な椎茸。椎茸生産者でもある方ですので、取れたてを送ってきてくださったのでしょう。早速、職場の人にお福分けをし、単身の身に見合うだけの椎茸を持って帰ってきました。実は、椎茸を送ってくださった方がお住まいの場所もこの夏、豪雨に襲われ甚大な被害を出しています。今年は県にとって豪雨災害の被害が大きかった年として後年に語り継がれる年となりそうです。

私が住んでいるところは幸い大きな土砂災害もなく平穏な毎日です。何もないことに感謝しなければと思います。私が車を駐車する目の前に芭蕉があります。実がだんだんと大きくなってきました。県本土といってもここは南国だなとこんな光景を見ていると思います。

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2010年10月20日 (水)

指宿のたまて箱

今朝の新聞に九州新幹線全線開業に合わせて指宿枕崎線の鹿児島中央・指宿間に観光特急「指宿のたまて箱」を走らせるという記事が載っていました。

海側が白、山側が黒という配色でドアが開くとたまて箱にならって白い霧が出てくるのだそうです。鉄道車両も変わったものですね。JR九州の車両はこれまでの常識にとらわれない自由さがいいなと思います。どんな車両ができあがるのか楽しみです。開業に間に合わせて造るということですから、既存車からの改造車なのでしょうか。

指宿枕崎線には、私が小・中学生の頃は急行「錦江」の一部が宮崎と山川の間を結んでいました。ともに観光地である宮崎と指宿を直結する観光急行でした。西鹿児島を出ると指宿までノンストップ。キハ58系急行型気動車を使っていましたが、指宿枕崎線内はまさに特急列車。普通列車の冷房化がまったく進んでいない頃でしたから冷房の効いたキハ58系は優等列車の名に恥じない列車でした。

もし大隅線が廃止されていなかったら、鹿児島湾(錦江湾)をぐるっと回るシーサイド観光列車の運転が可能だったのにと惜しまれます。見る場所によって変わる桜島の景観やイルカとの出会いを楽しみながらの列車の旅はさぞ魅力的だろうと思います。

よく大隅半島は新幹線が全線開業してもその恩恵は受けにくいとちまたでは言われています。鹿児島中央・鹿屋の直行バスの試験運行も行われ、準備は進んでいますが、鉄道が今でも通じていたらまた違った展開があったものと思われます。日南線と大隅線・日豊線を結んだ観光ルートを軸に、大隅各地の名所への列車とリンクしたバスルートを設定すれば交流人口増につながったものと思います。

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2010年10月17日 (日)

煙と生活

晴天に恵まれ行楽日和になりました。今日は赴任先の地区の運動会。いくつか種目に出ることになっているので出かけてきました。入り江に面した風光明媚な場所にグラウンドはあります。3地区対抗で競い合いです。といっても和気藹々として雰囲気。

運動会は日本特有のものだと聞いたことがあります。農耕民族の日本人は和を大事にします。この運動会という皆が集って楽しむ行事もその現れなのでしょうか。自宅がある校区も今日が校区運動会ということで長女は友達を誘って行く段取りを進めていました。今日も、日本のあちこちで運動会が行われたことでしょう。

昼食時間が1時間15分あったので、駐車場に止めた車の中で本を読むことにしました。すると近くの家でおじいさんが風呂焚きを始めました。煙突からは煙が上がります。私の実家も子どもの頃は薪焚きの風呂でした。どこもそうでした。街中の住宅街ですが、夕方になるとあちこちの家の煙突から煙が上がり、きな臭い香りが辺りに漂い、夕方の香りとして生活の中に普通にある光景でした。

風呂焚きは子どもの役目。焚き口からの炎に顔を火照らせながらも、うまく燃えるように薪を入れたものです。もちろん蒸気機関車の缶焚きよろしく楽しみました。

落ち葉も庭や道路で普通に焼いていました。生活の中に火と煙は普通にあり、それが人間の生活とは切っても切り離せないものとして存在していました。

駅や操車場からも黒い煙が上がっていました。そして工場からも。

公害のもとにもなりそうですが、今思えば風情もあったなと思います。今は煙のない生活になり便利になっていますが、見えない部分でどれだけのエネルギーを使って地球にダメージを与えているか、当時とは違った次元で怖い気がします。

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2010年10月16日 (土)

体と心の健康のために

昨日はいつもより早く仕事から帰ることができましたので、1時間ほど歩いてみました。以前は雨が降っていても歩くぐらい気合いが入っていましたが、今はその意気込みはどこへやら。きっかけは書物。書物の力は恐るべしです。関連本を次々に読み、自称健康オタクのような状態になっていました。お陰で人間ドッグで指摘された体重をはじめとする数値はどんどん改善の方へと進み、すべて正常範囲に収まるようになりました。

それで安心したのか、転勤で環境が変わってしまったからなのか、以前のようなはまりは全くなくなっています。それでもまだ数値は正常範囲内にありますので、若くもないからだを維持していくためにも、また取組を復活させねばなりません。

昨日は、歩いているうちに闇に包まれ、上弦の月から届くおぼろげな月明かりを頼りに歩きました。人工衛星が見えないかなと時々星の少ない空を見上げましたが、出会うことはありませんでした。

久しぶりに歩いて気をよくして仕事帰りに買ってきた「宮ヶ浜」という焼酎を飲みました。余分なカロリー摂取となりますが、リラックスでき精神面での効果ありということで自分で納得することにします。

今朝は6時前に目が覚めました。焼酎が効いたのか、ちょっと現実的な夢をみてしまい、その余韻の中での目覚めとなりました。古い車に乗っています。これまでに故障も何度かしました。いつ動かなくなるか分からない領域に入ってきているような気がします。夢の中で、信号待ちをしていると車が静かになり、そのうち煙に包まれてきたのです。外へ出て、車内の貴重品を持ち出したところでエンジンから火が出ました。消火を手伝ってくれる人もいました。ああついに…。

目が覚めて夢だと分かってほっとしました。まだ夜明け前で外はうっすら明るくなってきたばかり。自転車でしばらく走ってくることにし、すぐに家を出ました。何事もなかったように車はそのままの姿でそこにありました。

自転車で走りながら半袖できたことをちょっと後悔。風が強く、体感温度はかなり低いのです。しかし、しばらく走るうちに体の内側から暖まってきました。わざわざ軽トラでやってきて干拓地の堤防を散歩する夫婦の姿がありました。それ以外に人気はなし。突然の侵入者に鳥たちが驚いたように飛び立ちます。しかし、強風のために対気速度は出ていますが、対地速度はゼロに等しく、目の前でばたばたと羽を動かしているだけで、まるでひもでつながれているよう。ちょっと気の毒に思いながらもその姿はユーモラス。

東の空が次第に明るくなってきました。

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カメラを提げていきましたので、その様子を撮ってみました。秋らしくもう少し雲が高ければもっときれいな朝焼けを見ることができたと思います。でも朝からこんな景色を見るとなんだかいい一日になりそうな気もしてきます。

南の方から2機の航空機が短いコントレールを引きながらクロスする形でゆっくりとやってきました。もちろんかなりの速度で飛行していますが、地上から見るとゆっくりとしたものです。ぼくもとばかりに一羽の鳥もファインダーの中に入り、ちゃっかり一緒に収まってしまいました。

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2010年10月15日 (金)

金木犀の頃

雨が上がった昨日の朝、車のドアを開けると金木犀の香りが辺りに漂っているのに気づきました。金木犀の頃になったんですね。それぞれの季節特有の香りというものがあります。菜の花の香りであったり、草むした香りであったり、餅を焼く香ばしい香りであったり…。時には意識して香りを感じてみるというのもいいかもしれません。そうするとこれまで気づかなかったその場所や季節ならではの香りを味わい深く感じることができるかもしれません。

香りといえば鉄道車両にも独特の香りがありますね。その香りをかぐとああ本物の鉄道だと妙に感じ入ってしまう自分がいます。特に旧型客車のそれが私にとっては印象深いものでした。床板に染みた油のにおいなのか、いろいろなものが混じり合ったにおいなのか。友人の車に乗ったときに、鉄道車両の香りがしたこともありました。「あっ、鉄道のにおい」とすぐに感覚が反応しました。

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最近、ツマベニチョウがよくやってきます。白を基調に羽の先にオレンジ色をつけているやや大型のチョウです。アゲハチョウなどに比べると明らかに格の違いを感じます。南方系のチョウらしい華やかさがあります。写真に撮ろうとするのですが、飛翔が非常に俊敏でゆったりとしていません。また、花にとまることもありません。ただただひらひらランダムに舞っているだけなのでファインダーの中に納めるだけでも至難の業。結局、ぴんぼけ、動体ぶれの写真になってしまいました。

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2010年10月14日 (木)

鉄道の日

今日は10月14日、鉄道の日。日本で初めての鉄道である新橋・横浜間が開通した日です。

朝、ラジオを聞いていましたら、今日は国鉄初のキャンペーン「DISCOVER JAPAN」が1970年に始まった日だと紹介していました。

「DISCOVER JAPAN」懐かしい響きです。小・中学生の頃、どこの駅に行ってもこのロゴの入ったポスターが貼られ、同じタイプのスタンプ台が置かれていました。まだ蒸気機関車も走っていた頃で、列車の種類も多種多様でおもしろみのある時代でした。

今日、宅配便で来年度のシステム手帳のリフィルと保存バインダーが届きました。毎年、ネットで購入しています。今年も取扱店からメールで来年度商品発売の知らせがきました。あちらも商売ではありますが、メールで知らせてくれますので、ついうっかり忘れてしまい品切れということがなく助かります。ちょっと気が早いのですが、早期購入割引で15パーセント引きは魅力です。

さあ、来年はどんな年にするか。

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2010年10月11日 (月)

ゲートボール

「3番第2ゲート通過」という主審の声に「3番第2ゲート通過」と記録係が復唱。これって「第2閉塞進行」という機関士の声に応える機関助士の復唱に似ています。記録係もしながら、審判の声に復唱する中で、ちょっと機関助士気分を味わっていました。

今日は、朝から集落のゲートボール大会。実は、私はゲートボール初体験。数日前、ちょっと心配になってユーチューブでゲートボールのやり方について勉強をしました。ある程度のことは分かっても実際にやってみなければ見えない部分が多くあります。

たまたまラフなコートに当たったものですから、第1ゲートをクリアするだけでも大きな困難が…。

それにしてもゲートボールというのは高齢者向けのレクかと思っていたのは大間違い。チームワークが試される頭脳プレイが要求される高度な試合展開。もちろん基本的なスキルを身につけていなければお話になりません。

しかし、いぶし銀の技を披露するのは高齢者。若い人はなかなかかないません。

今回は、タイやベトナムからの留学生、そしてアメリカからのALTも参加して4名の外国人が一緒にプレイするという国際色豊かな大会となりました。

優勝は10年ぶりに優勝旗を持ち帰ることになった某集落。早速、今日は即席仕掛けの祝賀会だそうです。

全体の反省慰労会は午後4時から。まだ陽の高いうちから飲むことに相成りました。

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2010年10月10日 (日)

ハムスター

今日は昨日と打って変わって良い天気でした。

朝、一日の計画を書き出し、一日を有効に使うべく実行に移していきます。

まずは、車のワックスがけ。全体にかけるには時間がないので、計画通りボンネットと屋根のみ。この部分のワックスの効果減が側面に比べると早いようです。ブロックごとに手入れしていくと隙間の短い時間を使ってワックスがけもすることができます。

昼前には、黒瀬の杜氏で有名な黒瀬に焼酎を買いに。集落内の道を車を走らせながら気づいたのですが、電柱に街灯なのか焼酎瓶がいくつか取り付けられていました。土地の特徴を表した街灯はよく目にします。でも焼酎瓶はこれまで見たことがありません。

昼食後、鹿児島市へ走り、昨日購入したパソコンを受け取ってインターネット接続の設定等を行いました。どこでも使えるように今回無線ランの設置も。子どもも使いますので、セキュリティソフトでフィルターもかけておきます。

夕方、長女を連れてイオンへ。前からの念願だったハムスターを飼えることになり、ペットショップでハムスターとともにゲージなど一式購入してきました。長女は以前買ってあげたハムスターの飼い方の本を隅々まで研究し、夜行性なので夕方の購入がよいなど知識だけは豊富になっていました。

とは言ってもペットショップの店員さんからいろいろレクチャーを受け、病気にかからないかなど買ってもらった喜びとともに心配もふくらんできたようで、ハムスターの様子がとても気になる長女でした。

鹿児島から赴任先へ戻る途中、もう日付が変わる頃、車のメーターの9並びが一斉に回転し、280000キロに。まだまだ元気に走ってもらわなければなりません。

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2010年10月 9日 (土)

息子の高校の文化祭へ

息子の高校の文化祭に行ってきました。午前中はステージ、午後は展示などを見て回りました。

息子の高校は私の母校でもあります。高校生の若さ溢れる発表を見ながら、30余年前の記憶が交錯し、自分自身のこれまでの歩みを振り返る時間ともなりました。高校生のこの若さは、気持ちの部分だけでもいつまでも持ち続けたいものだとつくづく思いました。

体育館は建て替えられ、当時のものではありません。校舎も耐震化工事と室内の大規模改造工事が施されているので、当時とはずいぶん趣が変わっています。鉄製の吊り窓がサッシになり、窓桟が付いた分、開放感がなくなっているようです。耐震化の補強材を入れるため、窓だった部分が広い壁になっており、小さな窓が付いているとはいえ少々閉塞感があります。一方で、教室と廊下の仕切りは木材が使われ、温かい感じになっています。

昨年は文化祭に来ることができませんでしたので、校舎に入ったのは卒業以来ということになります。

二男が私の母校の中学校、長女も私の母校の小学校に現在通っていますので、小・中・高と我が母校へ行く機会を得ています。思い出がいっぱいつまった学舎に、子どもの親として再び関われることは嬉しいことです。

夕方、自宅用のパソコンを買いに出かけました。置く場所をあまり広く取ることができないので省スペースのものをと思っていましたが、ちょうどよいものがありました。これでさくさくと動く環境が自宅でも整い、利便性が高まりました。

パソコンを買いに行った帰り、妙に2両が接近したまま近づいてくる市電に遭遇。連結棒で牽引中でした。故障でもしたのでしょうか。

夜、外を見てみると奇妙な光景が広がっていました。霧です。川から発生しているのか、川に沿って帯状に伸びていました。

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2010年10月 8日 (金)

C62重連ニセコの映像

今日は、朝から終日研修。朝のラジオで聞いた運勢もよくなく、どうも士気の上がらない一日でありました。

昼食に出た弁当は前回と同じで、値段の割に豪華なのですが、もう若くない身には量が多過ぎます。残すわけにもいかず、胃のもたれを覚悟して無理して完食。お陰で夕食時になってもお腹がすきません。

夕食までの時間かせぎにユーチューブでC622を検索してみました。すると現役時代の急行ニセコを重連で牽引するC622+C623を題材にした作品を見つけました。機関区、駅、車内、キャブ内、空撮など、あらゆる面からニセコに迫った作品で、おそらく放送局制作の作品だと思われます。いくつかに分割してアップされています。C62重連ニセコが走った時代を見事なまでに映し出した作品でした。

古い食器棚を使った模型棚。レール1本分の特設展示スペースを準備してみました。交代でこれまで奥で眠っていた車両を載せて、その姿を味わってみたいと思います。

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2010年10月 4日 (月)

ヨンサントオのムック

本屋に行ってきました。家の目の前にあるので重宝しています。深夜1時までの営業が最近になって24時間営業になり、さらに便利になりました。

1冊小説を読み終えたので、何かおもしろい本はないかと物色に。いろいろ見て回り、文庫本などちょっとジャンルの違うものを3冊購入しました。

もちろん鉄道本のコーナーへも。中でも興味津々だったのは国鉄の昭和43年10月の白紙ダイヤ大改正をまとめたムック。いわゆる「ヨンサントオ」です。表紙が日豊線田野・門石信号場間をいくキハ82系にちりんというのも目を引きます。

エリアごとに改正時の優等列車の時刻表と列車の編成図がまとめられ、ヨンサントオの全貌を知ることができます。これだけのデータが集約された本はこれまでになかったのではないでしょうか。資料として一級の価値ありです。それにしても鉄道が陸上交通の主役であった時代の列車は何と魅力的なのでしょう。

値段は2300円。ちょっと躊躇。確かによい本なのですが、衝動買いで後悔することもあります。そこでちょっと時間をおくことにしました。じっくり考えて、それでも買いということになれば書棚に備えるつもりです。

急行「南風」や「フェニックス」など、懐かしい急行も時刻表や編成図で登場します。キハ58系に混じってキハ55系も編成に組まれています。当時の様子をデータをもとに想像するだけで楽しくなります。模型の編成を組むときの資料にもなります。まさに古き良き時代というにふさわしい国鉄の一時代です。

写真は、九州鉄道記念館の企画展で展示されていた「やたけ」のサボ。「えびの」に併結され、吉松で分割された編成は西鹿児島まで足を伸ばしていました。もちろんヨンサントオの頃はまだ肥薩山線では重装備のD51が混合列車や旅客列車を牽引。そんな中を優等列車が多くの乗客を乗せて疾走していたのです。

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2010年10月 2日 (土)

実りの秋

あまり床屋は変えたくないので、転勤しながらも可能な限り行きつけの床屋に行くようにしています。現在のところからは片道1時間40分。ちょっと距離はありますが、ドライブを愉しみながら通っています。

私が住んでいるところは早場米で夏場に刈り取りが終わってしまいます。今日、床屋に行く途中に通ったところはちょうど今、稲穂が重い頭を垂れているところ。畦には彼岸花が咲き、日本の秋の風景そのものです。時間があれば写真でも撮ったのですが、予約の時間にちょっきり間に合うように家を出ましたので、余裕時分なし。ちょっともったいないことをしました。

かけ干しも行われており、いい風情です。

高いところを走る道路から見下ろす広々とした田んぼは正に黄金色の絨毯。遠い床屋に行けばこそ出会える風景です。

中一の二男の誕生プレゼントのリクエストはドミノ。自分で日本ドミノ協会なる組織をネットで調べ、そこでドミノが売っているとのこと。お金を振り込んだら、こんなドミノが送ってきました。アナログな遊びはいろいろな力を育ててくれそうです。

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