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2010年10月22日 (金)

子ども時間と大人時間

どうも最近、時間が不足していることに少々いらだちを感じています。というか不安を感じているという方が正直な印象でしょうか。

仕事はそこそこ充実しているのですが、プライベートな時間が満足のいくものになっていません。いつの間にか時間が経過して、これといった成果を残せないまま次の日へ。その繰り返し。子どもの頃には無限といってもよいほどに時間は感じられたものです。しかし、休みの日であっても時間はあっという間に過ぎてしまいます。

いったいどういうことなのでしょうか。

時計で刻まれる時間という絶対的なものがあります。これは子どもであっても大人であっても、誰であっても同じでしょう。しかし、個人的な時間の感じ方、時間の密度、時間の記憶というのは相対的なものであるように思います。

脳科学者の茂木健一郎氏が著書の中で「偶有性」ということを論じておられます。クオリアと並んでどの著書にも出てくる考え方です。私たちの生活の中には、「半ば確実なことと半ば不確実なこと」が混在しています。このことを「偶有性」というのだそうです。

確実なことばかりでは安定はしているけれども脳は退屈します。不確実なことばかりだと刺激はあるが不安も大きくなり脳のストレスは大きくなる。このバランスをとっていくことが大切なのだそうです。

子どもの頃は見るもの聞くもの新しいことばかり。未知の海にこぎ出した船は多くの収穫を得て安定した家庭(港)へと帰ってきます。子どもにとっての時間は実に密度が高く、記憶に残るものが多いことでしょう。一日の時間が長く感じるのも分かる気がします。

翻って大人はどうでしょう。これまでの生活経験の延長として日々淡々と。いろいろなことはしているのでしょうが、確実なことばかりで脳への刺激も少なく記憶にも残っていきません。「あれっ、夕べは何を食べたっけ?」ということになります。

大人になればなるほど、意識して毎日の生活の中に不確実なことを取り入れていくことが必要なようです。何かに向けてこつこつ取り組んでみる。新しいことを始めてみる。旅に出てみる。

茂木健一郎氏は最近の著書で「脳をやる気にさせるたった1つの習慣は『書くこと』である」と述べています。今日のブログを書きながらプライベートな時間が満足のいくものになっていない理由が少し分かってきたような気がします。

実はこのブログも自分のプライベートな時間を充実させる一つの手段として始めたのでした。しかし、日常のことになってしまうとそれすら意識の中から離れてしまい、マンネリになってしまうということに改めて気付かされます。

脳は、安定した基礎の上に常に刺激を求めているのですね。

小さな子どもを見ていると飽きません。それは目の輝きなのでしょうか。いつまでもこんな子どもの心を持ち続けたい…。

下関の水族館にて

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