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2010年11月

2010年11月30日 (火)

海を渡る14系

マレーシアに譲渡される14系、親しんでいた車両が海を渡っていくのを見るのは何とも複雑な心境です。華のある寝台特急ですから現地でも最後まで華ある活躍して欲しいと願っています。JR西日本からも譲渡されるということです。内、数両は部品供給車として少々痛々しい姿を見せることになるのでしょうか。

新聞には軌道幅に合うように整備する旨記載されていました。調べてみるとマレーシアの鉄道はちょうど1000㎜幅。日本の1067㎜より67㎜だけ狭いようです。日本より更に狭軌になるんですね。1000㎜軌間に乗っかっている14系、どんな感じでしょう。

写真は弊鉄道のスハネフ14とオハネ15。

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2010年11月29日 (月)

あの頃の鹿児島(第8回)

非冷房市営バスの頃

鹿児島市内に住んでいましたので市営バスにはずいぶんお世話になりました。市営バスに関する私の記憶で最も古いものは鉄道の腕木式信号機のごとく、パタンと横に指示器の腕が飛び出すもの。実にアナログな構造です。

小学生の頃、基本運賃は大人30円、子ども15円でした。現在は大人180円、子ども90円。時代を感じます。この頃の市営バスについて記憶をたどってみます。

塗色は若草色に黄土色、茶色系、それに白のラインを加えた少々凝ったもの。つい最近までこの塗色のバスが走っていましたが、最近では見かけなくなりました。シートを貼り付けてのデザインが主流になった昨今ですが、当時よくあんな複雑な塗り分けを塗装で行っていたものだと思います。

車体はリベットいっぱいのモノコックボディ。乗車口は引き戸タイプ。窓はもちろん上部に明かり取り用の窓がHゴムで固定されたいわゆる「バス窓」。座席は2名分を分割しない一体型でモケットではなくビニール仕様。床は木製。木製の床には腐食防止のため油が染みこませてあり、その臭いがバスの臭いでもありました。

運転手に降車の意思を知らせるボタンは緑色だったでしょうか。現在のようにボタンそのものが光るつくりではなく、運転席後ろの仕切り上部にある緑色の行灯が「チン」というアナログ音とともに点灯するつくりでした。

サスペンションは板バネ。サスが硬くダダンと突き上げるような衝撃が車体全体に伝わり、木製の床が共鳴し、座席がぶるんと震え、窓枠がカタカタと音を立てる。市電の軌道敷を通過するときの衝撃はなかなかのものでした。

もちろん冷房はなし。夏になると窓全開。窓からは太陽で熱せられた空気、排気ガス、そしてオイルの臭いが入り込んできました。市内のバスには冷房などないのが当たり前の時代でした。今のバスに比べると外からの砂埃などで車内が汚れていたように思います。

市営の路線バスに冷房車が登場したのは平川動物公園が開園したとき。鴨池動物園から移転した平川動物公園は鹿児島市内中心部からかなり距離がありましたので、バスの乗車時間も長くなります。そのためサービス向上が図られ初の冷房車登場となったようです。その頃一大勢力になっていた西日本車体工業のかまぼこスタイルのバスでしたが、冷房効率をあげるため色ガラスを使っており外から見ると窓が青っぽく見えました。他の市営バスが窓全開にして走っている中ですべての窓を閉め切り、涼しそうな青色の窓を誇らしげに走る姿は一目で動物園行きのバスだと見分けることができました。

続いて路線に登場した冷房車。それは貸し切り格下げの車でした。市営バスでは現在と同じように定期観光バスの運行や貸し切り運行をおこなっていましたので、観光バスタイプのバスを持っていました。観光バスの車輌更新の際に、古い観光バスに中扉を改造新設して路線に転用しました。中扉部分とワンマン機器以外は観光バス時代そのもので、横引き大窓にずらっと並んだロマンスシート。車体は西日本車体工業のこれもかまぼスタイル。塗色も路線の一般車と観光バス時代から同じでした。

幸い、私がよく乗る路線に投入されることが多く、運良く乗れると嬉しいものでした。他のバスが非冷房車ばかりの中で、冷房用の補助エンジンを駆動しちゃんと冷房を入れてありました。

格下げ車投入直後の頃、こんなことがありました。

冷房を効かせながら走っていた盛夏。ある停留所でご婦人二人の待つ姿を認めて停車、中扉の折り戸が開きます。ステップに一歩足を踏み入れたご婦人は驚いた表情で「うんにゃ、こいは市営バスじゃなか(少々鹿児島弁)」と後ろのご婦人へ。標準語に直すと「いいえ、これは市営バスではありません」といった意。運転手がすぐに「市営バス○○番線、○○行きです。どうぞご乗車ください」と応え、おそるおそる乗車するお二人。

冷房が効いていたこととずらっと並んだロマンスシートに驚いたようです。

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写真は交通局に並んだ当時のバス。同じように見えますが、手前から日野自動車、日産ディーゼル、三菱ふそうのバスです。いずれも車体は西日本車体工業製。(許可を得て入場)

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2010年11月28日 (日)

国鉄指宿枕崎線

今朝、官舎の前の水路に再びコウノトリが舞い降りていました。用務を済ませ、再び撮影しようと思いましたら既に姿がありませんでした。足に識別用のリングが装着されています。一緒にアオサギもいたのですが、アオサギは人里にたくさんいる割には警戒心が強く、人の気配を感じるとすぐに飛び去ってしまいます。しかし、コウノトリは悠然としており、人の気配に動じることがありません。同じ鳥なのに警戒心がずいぶん違うものです。

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市の行事を終え、夕方鹿児島市内の書店へ。鉄道関係2冊と新書を一冊、それにウェザリングマスターを買ってきました。

書店に向かう途中で「国鉄」を見つけました。これまで何度も通っているところなのですが、今回初めて気づきました。跨線橋の銘板です。どっこい生きてます国鉄といった感じです。道路自体は地平部分から坂道を上りながら線路をまたぐ形で、地平部分からの始まりが跨線橋のような感覚を持ちます。しかし、あくまでもスロープ部分は道路の扱いのようで橋になっている部分の始まりに律儀に銘板が取り付けられていました。

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2010年11月27日 (土)

東シナ海を望む

今日は職場に終日工事が入るので、休みの日ではありますが動けない一日となりました。お手当の付かない全くのサービス対応であります。明日も終日、市の行事で拘束されます。もちろんこちらも仕事関連ではありますがサービス?です。

2両目のキハ181の作業の続きをしました。インレタの添付やタブレットキャッチャーなどを取り付けてほぼ終了しました。金属パーツで固めたお顔をきりっとしていいものです。シャープさと精密感が違います。

先日ぐるっと半島を回ったときに撮影した写真です。西に東シナ海が広がるリアス式海岸。うっとりするような景色が続きます。休みの日のサービス仕事のストレスもこんな風景を見ていると消えてなくなってしまいます。

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2010年11月26日 (金)

谷山の段々畑を行くバス

ユーチューブで鉄道模型の映像を見ていましたら、「罵声…」というタイトルの付いた映像が関連画像として載っていましたので興味半分で覗いてみました。鉄道写真撮影で自身のファインダーに入る人間を排除する荒々しい言葉が記録された画像でした。

同じ趣味を持つ人間が同好の氏に対して、罵声を浴びせています。有名撮影地や駅といった限られた空間で発生している事象のようです。見ていて恐ろしくなりました。もし自分がそこにいたら興ざめして撮影もせずにその場を後にするような気がします。

確かに撮影地での暗黙のマナーというのはあります。それを守らないのもよくないのですが、だからといってあんな汚い言葉を浴びせるのもどうかと…。

自分にはのんびりと撮影を愉しむ方が向いているようです。先日、谷山の段々畑を久々に通りました。この日は撮影目的。いざ、カメラを取り出して撮影しようとするとカメラが反応しません。なんと、バッテリー未装着。前日に気を利かせて充電しておいたバッテリーをカメラに入れるのを失念していました。歳を重ねるとこんなとんでもないことが時々起こります。自分を責めても仕方ありませんので、人に話す間抜け話がまた一つ増えたとばかりに自分の行いを素直に愉しむことに最近しました。

谷山の段々畑は江戸時代後期に移住してきた人たちが切り拓いたもので、平成6年頃までさつまいもなどの耕作が行われていたそうです。石垣は切り拓いた畑から出た石で安山岩質のもの。長い年月をかけて成長していったようです。現在では耕作は行われず、遺跡のような扱いで保存されています。今回訪れたときにはツワブキの黄色い花が段々畑を彩っていました。

やってきたバスは加世田発野間池ゆきのバス。途中途中で旧道に入りながら丁寧に集落を回っていきます。こんなところをバスが走るの?というような超狭隘区間もあります。乗客は決して多くはありませんが、他の路線との共通運用なのか大型のバスが運用されており、引き戸タイプの窓の特急バス仕様のものも入ってきます。

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2010年11月25日 (木)

日本国有鉄道

鉄道のことで頭がいっぱいだった少年時代、「国鉄」という言葉には特別な思いがありました。「日本国有鉄道」「JNR」…。

私鉄より国鉄に魅力が感じたのは、鹿児島交通は別として足下に私鉄がなかったのがその理由かもしれませんが、やはり全国津々浦々に延びた路線、行ったこともない行き先を表示した長距離特急列車、豊富な種類の車両たち、国鉄マンが醸し出す男の職場としての雰囲気等々、趣味の対象として大いに魅力のある存在だったからでしょうか。

テスト用紙の裏に国鉄車両を描いたり、JNRマークを描いたりしながら過ごした少年時代でした。

国鉄が消滅しJRという名になったとき、「ジェーアール」という呼び名にどうも馴染めませんでした。国電もE電に。でもこちらの方は定着せず、いつしか全くの死語になってしまったようです。

線路端に日本国有鉄道を見つけました。草むらの中でずっと眠っていたようです。なんだか懐かしい友に出会ったような感覚でした。改めて考えてみると、鹿児島にはまだ国鉄車両がその装いこそ変えてはいますが、まだまだいっぱい走っています。それだけ田舎だということだと思いますが、ある意味国鉄を味わえるということなんですよね。

国鉄型車両のあの重厚な乗り心地を味わってみたくなってきました。国鉄型電車特急の代名詞485系は来春まで。乗車は急がなくてはなりません。

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2010年11月24日 (水)

運良くご婦人が登場

車を運転しながらラジオを聞いていますと、女性アナウンサーが二人でN700系と800系のことを話題にしています。「みずほ」とか「さくら」は列車愛称として理解できてもこの700とか800とかいう数字は何だろうと。一人のアナウンサーが詳しい人に聞いたところ電車の型番だということが分かったと説明しています。

鉄道のことが話題になること自体嬉しいことですね。こうして鉄道のおもしろさ、奥深さが次第に分かってくると鉄子さんになっていくのでしょうか。

昨日、指宿枕崎線の薩摩板敷駅を訪れたことはお伝えしました。列車はしばらくやって来ない時間帯だったのですが、ご婦人が現れました。まさか次の列車を悠長に待つのではないよなといらぬ心配をしたものの、どうやら時刻を調べに来たようです。確かめるように指で押さえながら確認をしていました。

何にもない駅に素晴らしい被写体?が運良くやってきてくれました。直接レンズを向けるのも失礼なので、ホーム状況確認用のミラーに映った様子をとらえてみました。ひずんだ光景が味わいを増してくれたように思います。

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2010年11月23日 (火)

へろへろ線路

昨日と打って変わって今日は快晴。

ラジオのニュースでは、北朝鮮による韓国への砲撃や九州新幹線で営業運転時間内で初めてN700系が鹿児島中央駅まで3往復したことなど伝えていました。

こちらは何事もなかったかのようにいつもの生活です。

181系の作業の続きを今日も少ししました。妻板への検査票表示、所属区名表示、車両換算等表示の貼付、それに正面貫通扉下の渡り板への車両番号貼付です。渡り板の番号は、虫眼鏡でなければ見えないような数字の切り出し文字貼付。うまくいくか自信がありませんでしたが、思ったよりうまくいきました。

気をよくして2両目のキハ181にも取りかかりました。正面へのワイパーや手すりなどの金属パーツの取り付けをしました。1両目の経験を生かして?少々工夫を加えながらやったところ、スムーズにしかも1両目より美しく仕上がりました。

午後は、天気も良いのでカメラを持って出かけることにしました。指宿枕崎線の末端部分をゆっくり回るつもりでしたが、途中の寄り道が過ぎてほんのちょっとの訪問になってしまいました。

枕崎のひとつ手前の薩摩板敷駅で何枚か写真を撮りました。一日のうちに数えるほどしか列車はやってきません。従って列車のいない写真ばかりです。それでも鉄分の補給にはなりました。

国鉄赤字ローカル線がばっさり切られたとき、指宿枕崎線という名前をもらっていたお陰で生き残りました。実質、山川・枕崎間は別路線といっていいような性格の路線です。もし、同区間が独立した路線名であったなら今頃南薩線と同じく、静かに自然に帰していたことでしょう。

頼りないへろへとした線路が同区間の性格を物語っているようです。

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この後、鹿児島へ向かいました。枕崎から最短ルートで行くと間違いなく鹿児島市内で渋滞に巻き込まれそうなので、少々距離が伸びますが旧南薩線沿線経由で向かうことにしました。

道路沿いの南薩線廃線跡の現状を確認しながらの道中となりました。途中でこれまで確認していなかった石橋(眼鏡橋)を発見。何度も通っているのに見逃していました。周りの風景もよく、これは改めて出陣して撮影しなければなりません。

鹿児島の家で家族と食事。食事を始めようとすると小学生の長女が食卓の前へ出て、勤労感謝の日なのでお父さんとお母さんは前へ出てくださいと言います。感謝状と記念品の花鉢の贈呈がありました。感謝状はメモ帳に書いたもので花鉢は子どもたち3人でお金を出し合って買ってきたそうです。

明日からの仕事をがんばらないわけにはいきません。

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2010年11月22日 (月)

キハ181の作業の続き

少しの時間、キハ181の作業の続きをしました。今日の作業は、片方しか終えていなかった車両番号の貼付、ドアコック表示の貼付、ATS表記の貼付、それに電気連結器の取り付け。実車の写真を見ながら位置決めをしていきました。

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2010年11月21日 (日)

あの頃の鹿児島(第7回)

今日は日曜日でしたが、一日仕事でした。おまけに夜は懇親会。丸一日、プライベートな時間はまったくない一日となってしまいました。明日はその振り替えでお休みになります。天気予報がさえないのが残念。少々、いえ、かなりお酒が回った身で何をするか現在検討中です。ということで、これ以上記すことができない状態なので、書きためておいたあの頃の鹿児島第7回をば、ご笑覧ください。

宣伝飛行

ちんどん屋さんが小さな商店街でも宣伝のためににぎやかに闊歩していた頃、昭和らしいアナログな光景があちこちで見られました。映画「三丁目の夕日」的な光景でしょうか。

新装開店などの宣伝は今でしたらテレビやチラシなどで行っていますが、あの頃はそれに加えて宣伝飛行が行われていました。軽飛行機が上空を旋回しながら拡声器を使って地上へ向けてメッセージを流します。飛行機のエンジン音、そしてスピーカーから流れる音声が気流の関係なのかドップラー効果なのか独特の抑揚を伴って耳元に届きました。そんなに長時間同じ場所を飛行するわけではありませんが、結構な音量で世間を騒がせることになります。

鹿児島市内への宣伝飛行を見かけなくなった後も地方へ行くとまだ見かけることがありました。市の条例か何かで規制されるようになったのかもしれません。今となっては空から一斉に広範囲にわたって垂れ流す一方的な宣伝は明らかに社会にとって迷惑な行為

そんなに前のことではありませんが、選挙の棄権防止を訴える広報飛行を行っていました。まだ宣伝飛行そのものはあるのでしょうか。

宣伝飛行と同時に行われていたのが、今では考えられないことですが、飛行機からビラをまくこと。拡声器で宣伝をしながら紙吹雪のように飛行機から無数の紙切れが宙を舞います。ひらひらと地上に落ちていくビラの落下範囲を予測しながら拾いにいったものです。上空ではあれだけ多くのビラが舞っている様子が見えるのですが、いざ地上に舞い降りたものを探すとなるとこれが至難の業。なかなか見つかるものではありませんでした。

写真は参考。最近の写真にイメージとして加工を施してあります。

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2010年11月20日 (土)

鹿児島中央発着「つばめ」、ほんのわずかに

今朝の新聞に九州新幹線鹿児島ルート全線開業時の列車体系について検討中としながらも記事として紹介されていました。

鹿児島中央駅からの新幹線はそのほとんどが「さくら」となる模様です。「さくら」の定義は一駅でも通過する駅がある列車で、博多ゆき、新大阪ゆきは問いません。九州内の各駅停車が「つばめ」。鹿児島中央駅を発車する新幹線で博多まで全ての駅に停まる列車は限定的で、鹿児島発着の「つばめ」はほんの少しになるようです。

これまで「つばめ」に親しんだ県民にはちょっと寂しい知らせとなりました。「つばめ」は熊本・博多間の現在の「有明」のような性格をもった列車となるのでしょう。「つばめ」にとっては活躍の場を「さくら」に譲るような形になりました。

九州内で鹿児島中央・熊本・博多・小倉のみに停車する最速列車の「みずほ」は朝夕4往復の設定。

「さくら」や「みずほ」の名から新幹線をイメージすることは未だできませんが、九州ゆかりの列車名が近代列車となって復活することは素直に喜ばなければなりません。

ちなみに「つばめ」は800系、「みずほ」はN700系、「さくら」は両形式併用となるそうです。もちろん大阪方面ゆきの「さくら」はN700系です。

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2010年11月19日 (金)

失われる前に

先日、鹿児島港周辺の臨港道路を通ってみると、なんだか開けた印象。

ずっと以前に東開町に移転した中央青果市場周辺の建物がすっかりなくなっていたのでした。国鉄の臨港線沿いに少々ごちゃごちゃした昭和の香り漂う場所でした。つい最近までいろいろ残っており、通る度にまだあるなと思っていただけに、失われた空間に思わず「あっ」と声が出そうになりました。

当時の建物として照国郵船、現在のマリックスラインの建物だけが残されていました。建物の中には照明が灯されていましたので、使用されているようです。大きなビルとの印象が当時はあったのですが、今見ると鉄道模型のレイアウトにちょこんと置けるような市販のビルストラクチャのようなこじんまりしたものです。このビルを頼りにしなければかつての周辺の位置関係を捉えにくいほど変わっていました。

これまで車で何度も通る機会があったにもかかわらず、写真は撮っていません。周辺道路の交通量が多く、車を止めにくいということもあります。しかし、はやり撮っておくべきでした。

市電もセンターポール化、軌道敷きの芝生化、中央駅の電停場所変更、郡元・涙橋間の道路併用区間化など、大きくその姿を変えています。もちろん車両更新も進み、旧型車が数を減らしつつあります。人間とは勝手なもので、失われてしまうと懐かしさという感情がわき起こり、失われたものに妙な価値を見いだしてしまうものです。今は価値を感じなくても、今を記録することは大切なようです。

写真は高見馬場電停付近の交差点。夕暮れ時の光で交差するレールが鈍く光っていました。

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2010年11月18日 (木)

韓国ヒュンダイのバス

小惑星探査機はやぶさが小惑星イトカワから帰還し、先日カプセルの中にイトカワの鉱物が入っていることが発表されました。快挙です。

昨日買ってきた「小惑星探査機はやぶさ物語」(的川泰宣著 NHK出版生活人新書)を研修の合間などに半分ほど読みました。内容が大変おもしろくどんどん読み進むことができる本です。高度な技術の粋を集めた衛星ですが、生身の人の力で作られ飛んでいることが的川先生のわかりやすい文章から伝わってきました。人間ってすごいことをするものです。

はやぶさの命名についてこんなことが書かれていました。

<鳥のハヤブサは、目がたいへんよくて、遠くから獲物を見つけてすばやく舞い降り、すばやく舞い上がる。その動作は、着陸してすばやくサンプルを採取し、一秒後に離陸する「MUSES-C」のミッションとたいへん似通っています。記者会見で「はやぶさ」の名前を発表するとき、鳥のはやぶさと「MUSES-C」の動きが類似しているとの説明をしながら、わたしの頭の中にはかつて内之浦への出張の際に東京と西鹿児島を二九時間もかけて走った寝台特急「はやぶさ」と、糸川博士が設計を担当した戦闘機「隼」も渦巻いていました。>

先生が寝台特急「はやぶさ」に特別な思いをもっていらしたということが嬉しいですね。はやぶさ打ち上げ時には廃止の話すらなかった寝台特急「はやぶさ」が小惑星探査機はやぶさが任務を遂行し予定より大幅に遅れて満身創痍で地球に帰還したときには既に鉄路から姿を消していたというのは何とも皮肉です。それだけ小惑星探査機はやぶさの旅路が長かったということなのでしょう。

研修会からの帰り、天文館近くで不況で広告主が減少しオリジナル塗装をまとった市電とたまたま隣に並んでいた空港バスをパチリ。ちょっと見かけないデザインのバスです。このバスは韓国のヒュンダイ製のバスだそうです。岩崎コーポレーションが日本の販売代理店になっているらしく複数のヒュンダイ製のバスが活躍中です。

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2010年11月17日 (水)

長声一発

今朝の新聞にJR西日本の14形座席車がマレーシアに無償譲渡されるという記事が載っていました。JR九州も「富士」「さくら」に使用していた14系寝台車を同国に無償譲渡するということです。これまでも日本の客車や気動車が海外に譲渡された例は多くあります。

老朽化もありますが、どちらかというと用途廃止で廃車となった車両ですのでまだま活躍の余地があるのでしょう。いずれにしても現役で活躍できる道が開けたのはよかったと思います。青函連絡船も海外に売られて活躍した船もありましたね。

今日は、鹿児島市内で研修会。明日まで続きます。終了後、近くにある書店に寄りました。鉄道関係の本を中心にチェック。結構興味をひく本がありました。写真関係、技術関係など食指が動くのですが、子育て真っ最中の身には少々ハードルが高く、今回はパス。一冊一冊が高いのです。

小惑星探査機はやぶさ物語(的川泰宣著)、人はなぜ約束の時間に遅れるのか(島宋理著)、「気づき」の力(柳田邦男著)の3冊を買ってきました。新書や文庫本は安くていいですね。

帰りに鹿児島新港の奄美航路の船でも撮ろうかなと思っていたのですが、店を出ると外は真っ暗。まだ陽がまぶしい時間に入ったもののいつの間にか時間が経っていました。車に乗り込むときに長声一発。奄美・沖縄に向けての出航です。たまにはゆっくり洋上の旅でも楽しんでみたいですね。

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2010年11月16日 (火)

あの頃の鹿児島(第6回)

ツーマンバスからワンマンバスへ

現在ではワンマンバスは当たり前で「ワンマンバス」という言葉自体が意味あるものとして使われなくなってきています。一方で列車のワンマン化は地方閑散路線で進行中で、ワンマンであるかどうかで開くドアの位置や整理券の受け取り、降りるときに運転席側の扉からお金を払って降りるなど、普通の列車とは利用方法がかなり違ってきます。私も日豊線のワンマン列車にローカル駅から乗り込むとき、乗車しようと思った扉が開かず慌てたことがあります。また、お金を払うときバスのように直接料金箱に入れようとしたら運転士に渡すようにとちょっときつい感じで注意されたことがあります。確認する目的だったと思いますが、疑われているようであまりいい気持ちはしませんでした。放送では「運転席横の料金箱に…」と流れており、従ったまでなのですが。よって列車においてはワンマンという言葉は利用者にとって大いに意味ある言葉として使われています。

前置きが長くなりましたが、ワンマン化される前のバスは車掌さんも乗務するツーマン運行。鹿児島市内からバスで1時間ほどのところに祖父の家があり、休日よく連れて行ってもらっていました。里山の風景が美しく、絵に描いたような日本的な風景が広がる場所。山や野、川遊びを大いに楽しみました。まだ小学校低学年のときでした。一人で祖父のところへバスで泊まりに行くことになりました。南国日生ビルまで親に連れて行ったもらいそこでモノコックボディの南国バスに乗り込みます。扉は中央のみの1箇所。扉のすぐ後ろには女性の車掌さんが乗務されています。母は車掌さんに一人で子どもを乗せることと降車停留所を説明し、よろしく頼むと伝えバスの出発を見送ります。

バスは市街地を抜け、錦江湾沿いの国道を北上。車掌さんは停留所の案内をしたり切符を発行したりします。首から下げた大きながま口のような車掌鞄と紺色の制服姿が子ども心にも輝いて見えました。車掌さんは扉のすぐ後ろの車掌スペースで腰部分を支えるパッドに身をゆだねながら立っての乗務です。やがて目的の停留所が近づき、車掌さんのすぐ後ろの席に座っていた私は車掌さんに次降りることをどきどきしながら伝え、降車したのでした。日生ビル1階は南国交通のバスセンターになっていましたので、切符はあらかじめ買っていたのだと思います。小さくなるバスの後ろ姿を見ながら、子ども心になんだか大きなことをやり遂げたような気分になっていました。

ワンマン化が進むころになると緑色のワンマンという表示がバスにつけられるようになりました。ワンマンという言葉は、犬が吠えているような音で、ワンマンが英語であることはよく分からない子どもでしたからどうも違和感のある言葉として響いていました。料金箱は導入当時はどのような機器だったか分かりませんが、電動式のものが入るまでは運転手さんが投入後のお金と整理券をトレイ上で確認して、パタンとトレイを反転させて中に落とし込む構造。おつり用のコインが不足してきたからお金はここに置いてくださいと終点でお願いする運転手さんがいました。乗客は言われたままにするのですが、後にそのような方法で料金を料金箱に入れさせずに着服していた人がいたということで事件として報道されたことがありました。

ワンマン化が進む中で市営バスでもかなり後までツーマン運行だった路線もありました。1番線などがそうだったと記憶しています。前に扉のない中扉のみのバスで運行されていました。確認用なのでしょうか、前扉があるべき部分に小さな窓があったように思います。

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2010年11月15日 (月)

civic国内販売終了

今日は午後7時から会合。終わったのは9時を回っていました。それから帰宅して風呂に入って夕食を準備し、先日購入した焼酎「伊佐大泉」を楽しみながら夕食を終えた頃には11時を大きく回っていました。少々不健康な生活ですね。

ホンダの基幹車であったシビックの国内販売が終了するそうですね。ホンダと言えばシビックでしたが、今ではフィットやステップワゴンのイメージが強くなっています。

初代のシビックは1972年の登場だそうです。私の友人宅は当時ホンダ党。当初、初代ライフに乗っていましたが、シビックの登場で買い換えをされました。

早朝の西鹿児島駅へ送っていただいたことがありました。透過光のインパネが新鮮で今でもそのときの印象が鮮明に残っています。車内が静かであったことも特筆すべきことでした。まだ蒸気機関車が現役で走っていた時代のことです。

昭和が終わり、22年も経っています。時代も静かに変わっていっているのですね。

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2010年11月14日 (日)

飲んで終わった一日

今日も鉄分のない一日。

午前中、駅伝大会。お昼は反省慰労会。昼間からすき焼きを囲んで乾杯!2時過ぎに終わるかと思いきや、すき焼き用にと牛肉の塊が到着。すき焼きには間に合わず、好意を無駄にすることもできないことから4時から屋外で炭火をおこして焼き肉をすることに。結局、1時間半ほどの休憩を入れて、7時過ぎまで飲むことになってしまいました。山のような牛肉と猪肉を何とか平らげることができ、上弦の月が静かに見つめる中、お開きとなりました。

お陰で楽しみにしていた世界バレーを見ることができたのは8時を回ってから。昨日のブラジル戦は惜しかったですね。いけると思ったものの、世界ランク1位の実力を見せつけられてしまいました。勝てない試合ではなかったので、選手たちは本当に悔しい思いをしたと思います。

今日は昨日の負けを引きずることなく、全員バレーでアメリカから勝利をもぎ取りました。第3位、悲願のメダルを獲得することができました。あの粘りを見ていると日本人は捨てたものではないなと思います。世界の中での地位が下がり、停滞気味で今ひとつ元気のない日本人に力を与えてくれたのは間違いないと思います。

基本的にテレビを見ない生活を送っているので、今日の世界バレーはあんなに大きな舞台なのに小さなワンセグの画面で見ました。スポーツ観戦においてワンセグは小さすぎるのと画面のピッチレートが低いので、ボールや選手の動きを追うことができません。実況を聞きながらでないと状況がつかめません。それでもこんなに小さなテレビで世界バレーを楽しむことができるのですから技術の進歩は大したものです。

今日の地元新聞の「記者の目」に「スローの魅力」と題して、鉄道の話題が取り上げられていました。何でもこの記者は20年ほど前、東京から大阪まで鈍行夜行列車に揺られたことがあるとか。午後6時頃東京を出て、大阪到着が翌10時ごろ。列車は混雑し、窮屈な姿勢で体中が痛くなったにも関わらず、スローな旅だからこそ見えた光景が今でも忘れられないと。その後、肥薩おれんじ鉄道が最近、海外の団体旅行客に好評だと続けています。肥薩おれんじ鉄道のスローな旅が受けているのだそうです。

また、贅沢な旅の広告も今日の新聞に掲載されていました。旅行費用を見てびっくり。一番安いものでも4,250,000円、最も高いものは24,500,000円。下から一十百千万…と数えていかなければすぐには読み取れないような馴染みのない数字。飛鳥Ⅱによる世界一周クルーズの代金です。喜望峰を越え55,560キロを航海する97日間の旅。これも究極のスローな旅ですね。

妻は鉄道にはあまり興味を示しませんが、船旅には興味津々。豪華客船でのクルーズが定年後に是非実現したい夢なのだそうです。12月、鹿児島に入港する飛鳥Ⅱの船内見学会が行われるので、一応私の方で応募しておきました。

鉄分のある写真を撮りに行きたいなと思っているのですが、なかなか。野鳥ファンにとっては当地は鳥が多く生息する楽園。わざわざ写真を撮りに来る人たちもいるくらいです。鉄分のある写真が撮れないので、玄関先から一枚。

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2010年11月13日 (土)

待つ楽しみ

今日は鉄分のない一日。

午前中は、料理教室に参加。プリンケーキを作ったり春巻きを作ったりしました。ケーキの生地を混ぜるのがプラスターに見えたり、粉をふるいで濾すのが地面として振りかけるパウダーに見えたり、頭がどういう思考回路になっているのか自分でも不思議になります。

一度も作ったことのないレイアウト。夢ばかりはいつもみているので、こんなことになってしまうようです。

プリンケーキは入れた生地の比重の関係から三層になることになっています。容器に入れて20分ほど蒸します。ここでの会話。「なんだか開けて見てみたいね」「どうなっているか楽しみですよね」…。

この待つということの楽しみ。最近は、いろいろと便利になり、またせっかちになったため、じっくり待つという機会が少なくなってきているように思います。「待つ」という機会が少なくなったことはそれだけ楽しみも減ってきているのではないかと思います。

すぐに思い浮かんだのは写真のこと。デジカメが主流になり、仕上がりは瞬時にその場で確認することができます。デジカメの恩恵は計り知れないものがあります。一方でフィルムの仕上がりを待つ間の楽しみ、上がってきたポジやプリントを一つ一つ確認していくときの高揚感というものを味わう機会はめっきり減ってしまいました。

すぐに画像を見ることができたり、PCを通じてすぐに活用できたりと、本当に便利なのですが、フィルムカメラのシャッターを押してからその結果が明らかになるまでの有意味?な時間を経て見る写真の新鮮さというのはまた格別なものがあるように思えます。

九州新幹線鹿児島ルートが来春には全線開業。当地鹿児島から博多まであっという間です。食堂車を連結した長編成の特急列車で5時間を要していた頃が懐かしく、過ぎゆく街を眺めたり、駅や車両基地を楽しんだりしながらの道中には楽しみが満載でした。

鉄道の高速化という至上命題のもと、このような旅は味わえなくなっていくのですね。時間を削ることに躍起になっている現代ですが、時間を楽しむという視点ももっと大切にできたらと思います。

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2010年11月12日 (金)

好みの焼酎探し

焼酎を買いに車を走らせます。近くに酒屋さんがあるのですが、これまで店主が出てきた確率が30パーセントぐらい。のんびりしたものです。留守なのか気づかないのか。

少々業を煮やしたところで、10キロほど離れたスーパーに割と充実したお酒コーナーを見つけたので、ここで燃料補給のためのアルコールを買うことにしました。南薩鉄道の旧薩摩万世駅近くのスーパーです。これまでは焼酎なら味の違いがあっても体が受け付けていました。しかし、最近、焼酎がおいしくなく感じるときがあります。ちょっと辛いなと思ったり、きついなと思ったり。

舌が肥えてきたのか、はたまた体が弱ってきたのか、理由は定かではありません。仕事を終えたご褒美の焼酎はおいしく飲みたいもの。自分好みの焼酎探しが今、続いています。

黒伊佐、宮ヶ浜、新技桜島、子鹿と購入し、今日は「伊佐大泉」を購入。初任地でよく呑んでいた焼酎。その後もこの焼酎には随分お世話になりました。山野線が走っていた沿線の焼酎です。

呑むと懐かしい味がしました。同じ芋焼酎でもどうしてこんなに味が違うのでしょう。不思議です。

先日の新聞にスカイマークがエアバスA380の導入計画を進めているとの記事がありました。これには驚きました。新興航空会社のスカイマークが大手老舗航空会社に先駆けて超大型機の複数導入とは。しかも国際定期路線への進出。全日空や日本航空が小型機へのシフトを進めている中での発表ですので、あまりにも対照的です。

規制緩和の時代、バス業界も雨後の竹の子のごとく新しい事業者が進出し、路線を維持しながら営業してきた大手既存バス会社は稼ぎ頭の貸切部門のパイを持って行かれ四苦八苦。新しいバスへの更新もままならない状況。その一方で新興バス会社で経営状態のよいところでは大手に先駆けて新車投入ということになっています。

何でも自由競争させればよいということではないと思います。社会をトータルな目で見ていけば、ある程度の政策的な規制というのは必要ではないかと思うのです。社会のバランスをとっていくというのは難しい問題です。

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2010年11月11日 (木)

あの頃の鹿児島(第5回)

デパートの模型売り場

鹿児島の老舗デパート、山形屋。中4階と呼ばれる3階から4階の1フロア分の高さを2等分したような天井の低いフロアがあります。ここは子どもにとって聖地。おもちゃをはじめとする子ども向け商品が並べられています。当時は広いと思っていたフロアも今自分の子どもを連れて訪れてみるとそれほどでもありません。いつの間にかこんな年齢になってしまったんだなあと通り過ぎた年月に驚いてしまいます。

ここには鉄道模型売り場があります。現在でもありますがNゲージのみ。あの頃はまだNゲージは一般的ではなく、もっぱら16番の模型が主流。その16番の模型も三線式Oゲージに比べればコンパクトな模型と見られている時代でした。

鉄道模型コーナーといってもショーケース一つか二つのこぢんまりとしたもの。それでもこのコーナーだけは羨望の的。おもちゃではなく、模型ですから。商品に着けられていた正札も周りのおもちゃに比べれば桁違いに高価なものでした。

一番下の段にはフレキシブルレールでひょうたん型のエンドレスが作ってあり、いつもこの線路を模型が走っていました。ショーケースの中の急カーブをカツミの自由形EB58やEB10、EB66などが二軸貨車の単編成を牽いて走り回っていました。ガラスが音を遮断し、静かに走り回っていた印象があります。

その上の段にはカツミやエンドウの模型が蓋を開けられた状態で平積みで陳列されており、機関車だけは短く切ったフレキシブルレールの上に箱から出され格好良く並べられていました。加えてパワーパックやレール、それに信号機やストラクチャーなど、それを眺めるのが山形屋に行ったときの楽しみ。まだカツミやエンドウから出されている車輌の数がそれほど多くない時代でしたのでこれで用が足りるのでした。

ここで初めて買ってもらったのはカツミの入門セット。これで鉄道模型を始めた同年代の人も多いのではないでしょうか。EB58に自由形の2軸客車が2両。16本組のR600の金属道床のレール、それに無電区間のあるパワーパック。素早く次の接点までつまみを回さなければ無電区間で列車が止まるという代物でした。

今思えばプラレールが金属製になったぐらいの模型です。しかし、そのずっしり手応えのある箱の重さに鉄道模型を買ってもらった喜びと誇りが凝縮されていたように思います。

実際に運転をすると手元で機関車の速度をコントロールできる喜び。電池式でなく動力代を意識せずに長時間運転できる喜び。機関車からにおうかすかな油の香り、パワーパックが発する電気的なかおり、線路の継ぎ目で実物同様に奏でるジョイント音。それはまさにおもちゃではなく模型の世界でありました。

話は山形屋の鉄道模型売り場に戻ります。当時はフレキシブルレールやコルク道床、モーター、米粒球などのパーツも置いてありました。また、月刊誌鉄道模型趣味をはじめとする機芸出版社の出版物もあり、初期の頃はここで鉄道模型趣味は購入していました。また、レイアウトモデリング、レイアウト全書、レイアウトテクニックといった当時のレイアウトづくりのバイブル的な本もここで購入しました。

ここで鉄道模型を購入するとお決まりの走行チェックをします。フレキシブルレール1本分の試験線の上でチェックが始まるといつの間にか近くにいた人たちが珍しそうによってくるものでした。ブリキ製の2軸貨車を購入しても転がりチェックをしてくれました。

後に天賞堂の蒸気機関車なども扱うようになり、初めて目にした超精密な模型とその高額な価格にため息が出た思いがあります。その頃にはNゲージの模型も少しずつではありましたが本格的に製品化されるようになり、16番の模型はブラスモデルとして高級化の道をたどり、私たちの手の届く模型ではなくなっていきました。そのような時代の流れの中で16番の扱いがなくなり現在のようなNゲージだけの品揃えへと変わっていきました。

地元には山形屋の他に丸屋と高島屋がデパートとしてありました。丸屋にも一時期鉄道模型コーナーがありました。こちらは確かメルクリンのシステムだったと思います。外国の模型には興味がありませんでしたので、あまり行くこともありませんでした。

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2010年11月10日 (水)

あの頃の鹿児島(第4回)

書店

鹿児島市内にもようやく大型書店が複数出店するようになりました。それまで鉄道関係の本はわずかしか目にすることがなかったのですが、鉄道書籍コーナーが置かれその充実ぶりには目を見張りました。しかし、店内のレイアウト変更のたびに鉄道コーナーが縮小しているようで鹿児島のテツ人口はそれほど多くないことの表れなのでしょうか。

あの頃は、個人経営の小さな書店が各地の商店街ごとにありました。しかし、鉄道専門誌などを購入するとなると天文館界隈の書店まで足を伸ばさなければなりませんでした。割と規模の大きな書店は天文館アーケード近辺に集中しており、はしごをするものでした。

最も大きかったのは春苑堂。3階建てで1階が雑誌や新刊書などで2・3階が参考書や専門書。1階の雑誌コーナーでは鉄道誌をよく購入しました。後に電車通り沿いの天文館バス停前に支店を出しました。金海堂は当時、平屋の建物。私が初めて自分で買った鉄道誌はこの店でした。朝日新聞社発行の「世界の鉄道」。C55とC57、そして客車が特集されているものでした。まだ蒸気機関車も現役の頃で最新の客車も12系。南薩線の客車も現役のものとして紹介されています。久永金光堂、あまり大きくない店でしたが、桐原書店発行「ローカル線をいく」シリーズはこの店でほとんどを購入しています。穴場的な店でした。吉田書店、鹿児島では老舗です。地下1階地上2階で店舗はあまり広くありませんでしたが、地下には小さいながら鉄道本を並べているコーナーがありました。

この頃の鉄道情報はインターネットがある訳ではなく、また鉄道関係雑誌も限られ、そう多くはありませんでした。ですからむさぼるように見たものです。

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2010年11月 9日 (火)

キハ181作業

今日は、風が強い日でしたね。まるで台風が近づいたような強風でした。

日曜日に作業したキハ181系についての補足です。

プラ製量産製品大手2社の基本仕様として手すり等のユーザー取り付けがあります。製品価格の低減と工作好きのユーザーのニーズに応えた形である思います。この作業は、完全完成品とは趣が異なり、自分が関わって仕上げるという充実感があります。インレタの貼付や部品取り付けの品位など、関わった人の技量がある程度反映されますのでうまく仕上がったときの満足感が味わえます。

今回の181系については、これまでプラ製であった部分の多くが金属製となっているところが真新しいところでした。手すりはもとより、カトー製キハ82では車体と一体モールドだったタブレットキャッチャーが金属製の別パーツとなっています。台座として固定ボルトまで表現された金属板も用意されています。これはトミックスのプレステージモデル仕様に通じるものがあります。やはり金属製はシャープで質感が当然ながら優れています。

Dsc_0641

切り抜きナンバーも金属製です。質感が素晴らしく実物の雰囲気をよく再現しています。さて、ここで問題になるのが番号をどうするかです。設定した昭和47年3月15日改正後に所属する米子に在籍していたキハ181系は以下の通りでした。

キロ180 8 9 10 13

キハ180 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 50 51 52 53 54 77 78 79

キハ181 25 26 27 28 29 30 44 45 46 47 48 49

キサシ180 8 9 10 13

この中から若番を選んで組むことにしました。

181系の金属製インレタは形式名以外は一文字ずつ数字を拾って貼付していかなければなりません。ちょっと面倒ですが、鉄分の高い人のこだわりを考えれば製品化する側としては妥当な判断なのかもしれません。

Dsc_0642

485系は型式番号貼付の位置が数値とともに示されていましたが、181系にはそれがありませんでした。少々一貫性に欠けているようです。実測することができないので、写真を見ながら位置決めをしました。簡単なスケールを当てて位置決めと水平を出します。後から番号を付け加えますので、センタリングが難しいところです。

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2と5をそれぞれ切り出し、間隔を調整しながら貼付しました。このインレタのよいところは少々のことでは勝手に貼り付かないことです。置いただけで貼り付いてしまっては細かい位置決めができなくなってしまいます。

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個別に貼り付けた2と5は割とうまくいきました。しかし、一体で貼り付けたキハ181の最後の1が少々傾いています。購入後時間がたっている影響かインレタのつきがよくなく、何度かやり直しているうちに傾いてしまったようです。カッターの刃を隅に差し込んではじいてやると取れますので、貼り直したいと思います。

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写真では分かりにくいですが、タブレットキャッチャーの立体感がお分かりいただけますでしょうか。ワイパーもプラ製のカトーキハ82に比べて繊細、手すりもシャープです。トミックスの製品は後発製品ですから優れたカトーのキハ82系を多分に意識してその上をいくように設計されたことは容易に想像できます。こうして複数のメーカーが切磋琢磨しながら製品化を進めることは製品のポテンシャルアップに大いにつながっているように思えます。

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2010年11月 8日 (月)

コウノトリ

先日見かけたコウノトリが再びやってきました。

兵庫県豊岡市のコウノトリの郷公園から今年6月11日に放鳥された幼鳥とのことです。足には識別用のリングが装着されています。

およそ30分ほど目の前で観察することができました。青サギなどは人がある程度の距離に近づくとすぐに飛び立ってしまいます。しかし、このコウノトリは人の気配に臆することなくずっと毛繕いに励んでいました。途中で首の下の毛繕い中にくちばしが引っかかり外れなくなるというハプニングもあり、コウノトリはあわてている様子でした。ちょっと心配しましたが、しばらくすると外れ、何事もなかったかのようにまた毛繕いを始めました。

やがて何かに驚いたということもなしに自らの意志で大空に舞い上がっていきました。目の前でこんな光景が展開されるとは。なんと幸運なことでしょう。今回は写真に納めることができましたので、数枚紹介します。

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2010年11月 7日 (日)

キハ181系工場入り

長らく手を付けていなかったキハ181系の作業を進めることにしました。工場入りを待っているのはキハ181(2両)、キハ180(3両)、キロ180、キサシ180の7両です。実物同様?7両にモーター車2両の強力編成。

作業を進めるに当たり、この編成をどのような特急列車にするのかを決めなければなりません。本当でしたらまずどのような特急列車にしたいのか決めてから模型を購入するのが順序ですが、差し当たって購入できる(懐具合と相談)模型を品切れになる前にと購入していました。

手持ちの車両構成で実際に7両編成での運転実績のある特急列車。「つばさ」や「しなの」など魅力ある列車もキハ181系で運転されていましたが、この編成での運転は資料にありません。模型に添付のシールが使える特急の中にようやく該当するものがありました。

岡山と出雲市を結んでいた「やくも」です。昭和47年3月15日改正で、基本7両と付属3両の10両で運転。基本編成には食堂車の連結もあります。付属編成は岡山・米子間回転でその先は基本編成のみで運転された列車もあったようです。基本編成から1号車、2号車と振ってありますのでこれも好都合。

これで決まりです。特急「いずも」出雲市ゆき。

一方、本物のキハ181系は昨日で営業運転を終了し、栄光の歴史に幕を閉じてしまいました。最後の特急運用は「はまかぜ」でした。

今日の作業を終え、キハ82系と並べてみました。

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2010年11月 6日 (土)

キハ11

朝夕冷え込むようになってきました。そろそろ暖房器具の準備を始めた方が良さそうです。

先週のキハ17に引き続き、今日はキハ11の作業を行いました。番号はキハ1128(鹿カコ)としました。ジャンパホースは車体のオレンジ色でモールドされていますので、ホース部分をつや消し黒で塗ります。

先週の作業で保留にしていたグレーの貫通幌に塗装をして幌装着としたい面に接着しました。キハ17系の現役当時の写真を見ると黒色が主流のようです。よく見ると枠は黒いけれども幌自体はグレー系、でも巻き上げる埃や油煙でかなり黒っぽくなっています。

全体をつや消し黒で塗ったものと枠のみ黒くし幌を汚れ色のグレーとしたものの2種類を準備しました。両者とも接着する前にパステルを削って油煙や鉄さび色をすり込んで色を落ち着かせました。

これで貫通幌を装着した顔と装着しないつるんとした顔の2種類を楽しめるようになりました。

作業を終えてレールに載せたキハ11とキハ17です。

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2010年11月 5日 (金)

不自由な車

先日、前を走っていた車が異様な動きをしました。途中の信号から合流して前を走ることになった車。かなりの高級乗用車です。普通の平坦な道なのですが、急に右へ振れてみたり急減速したりと後ろを走る車にとってはかなり迷惑な走りで、頻繁に衝突を避けるためにブレーキを踏まなければなりません。

よく観察してみると路面のわずかな凹凸を避けて走っているようです。マンホールがあるとそれを避ける、路面補修の跡があるとそれを避ける…。極端に車高を低くした改造車には見えないのですが、運転手はかなり気にしている様子。未舗装のでこぼこだらけの林道ならいざ知らず普通の舗装道路です。

車内には液晶モニターが複数付けられ、ドレスアップした自慢の車なのでしょう。しかし、私は心配していました。この先には、道路拡張工事に伴い、1メートルほど盛り土をしてせり上がった部分があるのです。上ってすぐ下るというモトクロスコースのような部分。この車はどうなるのでしょう。これまでの不可解な走行により私の後ろにも多くの車が数珠繋ぎになっています。

ついにその部分に来てしまいました。後ろには多くの車、もう逃げ路はありません。一旦停止し、恐る恐る登っていき越えようかというところで車はストップ。一瞬バックライトが点灯したので下がってくるのかと思いきや、ギアをパーキングにした運転手は降りてきました。

「すみません、車がつかえて動けないので追い越してくれませんか」と。そして後ろの車にも同様のことを告げに…。そのまま追い越していきましたが、対向車がすぐに来て何事かと驚いている様子でした。

車を着飾る気持ちは分からないでもありませんが、車としての機能まで犠牲にしてなんになるのでしょう。ヤンキーな人が運転しているのではと思っていたのですが、降りてきた青年はそんな雰囲気はなく、どちらかと言えば好青年。車には車としての本質的な機能があるはず。

人とものとのつきあい方を見ると、その人のセンスを伺い知ることができるような気がします。もちろん人とのつきあい方もそうですが…。やはり独りよがりな考えではなく、対象を十分に理解し生かしたつきあいというものが世の中を本当に豊かにしていくような気がします。

件の運転手、何かにとらわれて自分も車もともに自由を狭めているように思えます。

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2010年11月 4日 (木)

おはら祭りを改めて

カンタス航空の新鋭エアバスA380が大きな事故を起こしましたね。大事に至らなくてよかったと思います。バードストライクだったのかエンジンそのもののトラブルだったのか調査を待たなければ分かりませんが、あれだけエンジンが破損しても無事に空港に帰ってこられたのはフェールセーフの設計思想の成果だと思います。事故原因が分かるまでカンタスでは運行停止の措置をとるとのことです。A380にとって原因が究明されるまでは試練の時。他の運行航空会社への影響もありそうです。

またまたコウノトリの話題です。今日、日本野鳥の会の方が撮影された写真を見せてもらいました。スポーツカメラマン、鉄道カメラマン、そして野鳥(航空)カメラマン御用達の大口径長玉レンズの威力を十分に見せつけた写真でした。シャープでクリア。足に付けた識別票の記号まで読み取れる解像力です。その中に飛翔している写真があったのですが、翼のそり具合がB787の翼にそっくり。同じ空を効率よくと飛ぶという目的に於いて類似した形になるのですね。

昨日のおはら祭りでも多くのアマチュアカメラマン、プロカメラマンの姿を見かけました。みなさん、魅力的な被写体を求めてアングルを工夫しながら思い思いに撮影を愉しんでいらっしゃいます。

お父さん写真係でしたのでそこまでテンションの上がらない自分でしたが、いくつか写真を紹介します。

まずは、花電車と踊り連。

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市電の運行は祭り会場区間では運休。高見馬場での折り返し運転となります。よって、この花電車は一日中ここに鎮座しています。続いて花電車を単独で…。

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以前は2両体制での運行でした。しかし、景気悪化でスポンサーがつかないのか最近では1両での運行です。車体にスポンサーの表示はありません。隠れて見えませんが2軸(単車)仕様です。お顔部分は鹿児島市電スタイル。軌道敷芝生部分は三脚及び脚立使用自粛を何度か放送で呼びかけていました。三脚・脚立でどれだけ痛むかはどうも理解できないところですが…。

鹿児島と言えば西郷さん。犬を連れた西郷さん2題。

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ここでは西郷さんに加え、大学時代の鉄道研究会の先輩に久しぶりに出会うことができました。おはら祭り参加のために関東から帰省していらっしゃいました。

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2010年11月 3日 (水)

おはら祭り

今朝、またコウノトリを見ることができました。休日ということもあって愛鳥家の方でしょうか、立派な望遠レンズを装着したカメラを三脚にセットし、コウノトリを狙っている方が数名いらっしゃいました。おはら祭りへ行くために時間がなかったので、少々後ろ髪を引かれながら先を急ぐことにしました。

今回のおはら祭りには長女が町内会の踊り連で参加することになっていましたので、親としてのつとめを果たすべくカメラにビデオの出で立ちで出かけてきました。

写真は途中の休憩時間に花電車の前で記念撮影をする園児。

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2010年11月 2日 (火)

あの頃の鹿児島(第3回)

今朝の新聞にコウノトリが鹿児島で目撃されたことが掲載されていました。兵庫県コウノトリの郷公園から巣立ったものでこれまでで最も南で目撃された例だということ。足に標識が付けられており、これまでの移動距離は約1400キロに及ぶといいます。

実は目撃されたのは本市。今日、地元の写真家の方が昨日撮影したというコウノトリの写真を職場に持ってきてくださいました。撮影場所は昨日アップしたカワセミを撮影した場所のすぐ近く。新聞には詳しい撮影場所は記載されていませんでしたが、お話によると職場の目の前の川だったということです。

その写真のコウノトリの特徴から、私が昨日目撃した鶴と思われた鳥はコウノトリだったようです。頭に赤い部分があったように思ったのですが、羽の先の黒い部分の様子などから昨日目撃した鳥に間違いありません。

さて、動物つながりで、あの頃の鹿児島第3回目です。

鴨池動物園

ダイエー鹿児島店近くに小さな公園があります。電車通りに面しておりちょっと洒落た石造りの塀で道路と隔てられています。歴史のありそうな重厚な石造りの塀は鴨池動物園の遺構であることは若い人には分からないでしょう。

ダイエー鹿児島店は鴨池動物園跡地に建設され、鴨池動物園は遠く離れた平川へ平川動物公園として移転。1972年10月14日のことでした。ちょうど鉄道の日ですね。その平川動物公園も現在、開園以来の大規模リニューアル中。

さて、鴨池動物園は鹿児島電気軌道が開園。日本で4番目の動物園となりました。都会の私鉄のように乗客を当て込んで郊外に動物園を造ったのでしょうか。現在はすっぽり市街地に入っていますが、当時は動物園周辺はまだ築堤による専用軌道。

その後1928年、鹿児島市の鹿児島電気軌道買収により市営となりました。

子どもの時の記憶をたどると、入ってすぐに高い塔があり、滑り台が付いていたような気もします。ミラーハウスもありました。小さな水族館もありました。像舎もよく覚えています。

そして奥へ進むと鉄分の高い者には興味深いモノレールとナロー軌道。池の周りを回っていました。

小さい頃はよく連れて行ってもらっていたと思うのですが、小学校も高学年となるとあまり行っていないような気がします。それで記憶も曖昧です。

動物園に隣接した電停は高架になっていました。私が動物園に行っていた頃そうだったかは残念ながら記憶にありません。

建設当時は郊外立地だった動物園。周りが年月とともに完全に市街地化された上に手狭になったことから移転となりました。

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2010年11月 1日 (月)

カワセミ

風の強い一日でした。台風が東海上を進むときにはほとんど風がありませんでしたが、台風が去ったとたんにこの強風。

この強風の中、珍客が現れました。最初は青サギかと思っていたのですが、その優雅な舞いは青サギのそれとは格が違うように見えました。そのしなやかな体、翼の造形美、伸びやかな首、頭には赤い部分、羽には黒い文様、全体は白を基調、それはマナ鶴でした。こんなに近くで鶴の舞いを見たのは初めてでした。虜になる人の気持ちが分かる気がします。航空機にたとえるならばコンコルドでしょうか。他の追随を許さない何かがそこにあるような気がしました。

地元の人に話を聞くと時々鶴がやってくるそうです。また一つ楽しみが増えました。

さて、鳥つながりでもう一つ。朝、職場に行く途中によくカワセミに出会います。今日もそうでした。そおっと撮影にチャレンジ。何とか姿をカメラに納めることができました。つがいなのでしょうか、二羽一緒にいました。堤防の上から川面をじっと見つめています。

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