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2010年11月11日 (木)

あの頃の鹿児島(第5回)

デパートの模型売り場

鹿児島の老舗デパート、山形屋。中4階と呼ばれる3階から4階の1フロア分の高さを2等分したような天井の低いフロアがあります。ここは子どもにとって聖地。おもちゃをはじめとする子ども向け商品が並べられています。当時は広いと思っていたフロアも今自分の子どもを連れて訪れてみるとそれほどでもありません。いつの間にかこんな年齢になってしまったんだなあと通り過ぎた年月に驚いてしまいます。

ここには鉄道模型売り場があります。現在でもありますがNゲージのみ。あの頃はまだNゲージは一般的ではなく、もっぱら16番の模型が主流。その16番の模型も三線式Oゲージに比べればコンパクトな模型と見られている時代でした。

鉄道模型コーナーといってもショーケース一つか二つのこぢんまりとしたもの。それでもこのコーナーだけは羨望の的。おもちゃではなく、模型ですから。商品に着けられていた正札も周りのおもちゃに比べれば桁違いに高価なものでした。

一番下の段にはフレキシブルレールでひょうたん型のエンドレスが作ってあり、いつもこの線路を模型が走っていました。ショーケースの中の急カーブをカツミの自由形EB58やEB10、EB66などが二軸貨車の単編成を牽いて走り回っていました。ガラスが音を遮断し、静かに走り回っていた印象があります。

その上の段にはカツミやエンドウの模型が蓋を開けられた状態で平積みで陳列されており、機関車だけは短く切ったフレキシブルレールの上に箱から出され格好良く並べられていました。加えてパワーパックやレール、それに信号機やストラクチャーなど、それを眺めるのが山形屋に行ったときの楽しみ。まだカツミやエンドウから出されている車輌の数がそれほど多くない時代でしたのでこれで用が足りるのでした。

ここで初めて買ってもらったのはカツミの入門セット。これで鉄道模型を始めた同年代の人も多いのではないでしょうか。EB58に自由形の2軸客車が2両。16本組のR600の金属道床のレール、それに無電区間のあるパワーパック。素早く次の接点までつまみを回さなければ無電区間で列車が止まるという代物でした。

今思えばプラレールが金属製になったぐらいの模型です。しかし、そのずっしり手応えのある箱の重さに鉄道模型を買ってもらった喜びと誇りが凝縮されていたように思います。

実際に運転をすると手元で機関車の速度をコントロールできる喜び。電池式でなく動力代を意識せずに長時間運転できる喜び。機関車からにおうかすかな油の香り、パワーパックが発する電気的なかおり、線路の継ぎ目で実物同様に奏でるジョイント音。それはまさにおもちゃではなく模型の世界でありました。

話は山形屋の鉄道模型売り場に戻ります。当時はフレキシブルレールやコルク道床、モーター、米粒球などのパーツも置いてありました。また、月刊誌鉄道模型趣味をはじめとする機芸出版社の出版物もあり、初期の頃はここで鉄道模型趣味は購入していました。また、レイアウトモデリング、レイアウト全書、レイアウトテクニックといった当時のレイアウトづくりのバイブル的な本もここで購入しました。

ここで鉄道模型を購入するとお決まりの走行チェックをします。フレキシブルレール1本分の試験線の上でチェックが始まるといつの間にか近くにいた人たちが珍しそうによってくるものでした。ブリキ製の2軸貨車を購入しても転がりチェックをしてくれました。

後に天賞堂の蒸気機関車なども扱うようになり、初めて目にした超精密な模型とその高額な価格にため息が出た思いがあります。その頃にはNゲージの模型も少しずつではありましたが本格的に製品化されるようになり、16番の模型はブラスモデルとして高級化の道をたどり、私たちの手の届く模型ではなくなっていきました。そのような時代の流れの中で16番の扱いがなくなり現在のようなNゲージだけの品揃えへと変わっていきました。

地元には山形屋の他に丸屋と高島屋がデパートとしてありました。丸屋にも一時期鉄道模型コーナーがありました。こちらは確かメルクリンのシステムだったと思います。外国の模型には興味がありませんでしたので、あまり行くこともありませんでした。

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コメント

管理人様、丸屋に模型売り場が有ったというのは初耳でした。新装なった「マルヤガーデンズ」には輸入モデル専門店が似合いそうですが。高プラが百貨店だったのを覚えているのも私共が最後の世代かと。山形屋デパートの鉄道模型売り場は本当に「天国」みたいな場所でした。ショーケースに張り付き過ぎると「買う」お客さんに迷惑ではと思い(確か)隣り合わせでマジシャンな紳士店員氏が華麗?なテクニックを見せる手品売り場と往復してました。経済的な理由で大食堂のお子様ランチにも屋上の遊園地にも無縁で大きくなったら食べまくり遊びまくってやると、遊園地と言えば城山にアトラクションランドが有ったらしく数少ない当時の色付きフォトに2才のチビが写っています。鉄道模型に話しを戻せば老舗『明治屋』さんが西千石で営業されておられたのを知るのはベテラン愛好家諸氏だけかと。オヤジさんには大変お世話になりました。

投稿: 夢幻鉄道 | 2010年11月12日 (金) 22時59分

短い期間だったのかもしれませんが、外国型が置かれていました。山形屋のマジシャンコーナーの前には人だかりができていましたね。鉄道模型売場に隣接して一時期、自走はできないNゲージぐらいの大きさのディスプレイモデルが売られていたことを覚えています。ミニカーの鉄道版といった感じでした。城山の遊園地も覚えています。西千石の明治屋さんにもお世話になりました。そうそうというような話題を夢幻鉄道さんから寄せていただき懐かしさに浸っています。

投稿: Nakachan | 2010年11月13日 (土) 19時04分

>ショーケースの中の急カーブをカツミの自由形EB58やEB10、EB66などが二軸貨車の単編成を牽いて走り回っていました。

なつかしいですね。私も数十年前にある百貨店の子供向け商品エリアの一角にて親とともに見かけました。ショーティーのモデルながら本物のように見えていたことを懐かしく思い出しました。
 現在はブリキ製の2軸貨車数両と2軸の自由形電気機関車で小さなレイアウトを走らせています。

投稿: ひょうたん2号 | 2019年5月29日 (水) 10時43分

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