へろへろ線路
昨日と打って変わって今日は快晴。
ラジオのニュースでは、北朝鮮による韓国への砲撃や九州新幹線で営業運転時間内で初めてN700系が鹿児島中央駅まで3往復したことなど伝えていました。
こちらは何事もなかったかのようにいつもの生活です。
181系の作業の続きを今日も少ししました。妻板への検査票表示、所属区名表示、車両換算等表示の貼付、それに正面貫通扉下の渡り板への車両番号貼付です。渡り板の番号は、虫眼鏡でなければ見えないような数字の切り出し文字貼付。うまくいくか自信がありませんでしたが、思ったよりうまくいきました。
気をよくして2両目のキハ181にも取りかかりました。正面へのワイパーや手すりなどの金属パーツの取り付けをしました。1両目の経験を生かして?少々工夫を加えながらやったところ、スムーズにしかも1両目より美しく仕上がりました。
午後は、天気も良いのでカメラを持って出かけることにしました。指宿枕崎線の末端部分をゆっくり回るつもりでしたが、途中の寄り道が過ぎてほんのちょっとの訪問になってしまいました。
枕崎のひとつ手前の薩摩板敷駅で何枚か写真を撮りました。一日のうちに数えるほどしか列車はやってきません。従って列車のいない写真ばかりです。それでも鉄分の補給にはなりました。
国鉄赤字ローカル線がばっさり切られたとき、指宿枕崎線という名前をもらっていたお陰で生き残りました。実質、山川・枕崎間は別路線といっていいような性格の路線です。もし、同区間が独立した路線名であったなら今頃南薩線と同じく、静かに自然に帰していたことでしょう。
頼りないへろへとした線路が同区間の性格を物語っているようです。
この後、鹿児島へ向かいました。枕崎から最短ルートで行くと間違いなく鹿児島市内で渋滞に巻き込まれそうなので、少々距離が伸びますが旧南薩線沿線経由で向かうことにしました。
道路沿いの南薩線廃線跡の現状を確認しながらの道中となりました。途中でこれまで確認していなかった石橋(眼鏡橋)を発見。何度も通っているのに見逃していました。周りの風景もよく、これは改めて出陣して撮影しなければなりません。
鹿児島の家で家族と食事。食事を始めようとすると小学生の長女が食卓の前へ出て、勤労感謝の日なのでお父さんとお母さんは前へ出てくださいと言います。感謝状と記念品の花鉢の贈呈がありました。感謝状はメモ帳に書いたもので花鉢は子どもたち3人でお金を出し合って買ってきたそうです。
明日からの仕事をがんばらないわけにはいきません。
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