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2010年11月16日 (火)

あの頃の鹿児島(第6回)

ツーマンバスからワンマンバスへ

現在ではワンマンバスは当たり前で「ワンマンバス」という言葉自体が意味あるものとして使われなくなってきています。一方で列車のワンマン化は地方閑散路線で進行中で、ワンマンであるかどうかで開くドアの位置や整理券の受け取り、降りるときに運転席側の扉からお金を払って降りるなど、普通の列車とは利用方法がかなり違ってきます。私も日豊線のワンマン列車にローカル駅から乗り込むとき、乗車しようと思った扉が開かず慌てたことがあります。また、お金を払うときバスのように直接料金箱に入れようとしたら運転士に渡すようにとちょっときつい感じで注意されたことがあります。確認する目的だったと思いますが、疑われているようであまりいい気持ちはしませんでした。放送では「運転席横の料金箱に…」と流れており、従ったまでなのですが。よって列車においてはワンマンという言葉は利用者にとって大いに意味ある言葉として使われています。

前置きが長くなりましたが、ワンマン化される前のバスは車掌さんも乗務するツーマン運行。鹿児島市内からバスで1時間ほどのところに祖父の家があり、休日よく連れて行ってもらっていました。里山の風景が美しく、絵に描いたような日本的な風景が広がる場所。山や野、川遊びを大いに楽しみました。まだ小学校低学年のときでした。一人で祖父のところへバスで泊まりに行くことになりました。南国日生ビルまで親に連れて行ったもらいそこでモノコックボディの南国バスに乗り込みます。扉は中央のみの1箇所。扉のすぐ後ろには女性の車掌さんが乗務されています。母は車掌さんに一人で子どもを乗せることと降車停留所を説明し、よろしく頼むと伝えバスの出発を見送ります。

バスは市街地を抜け、錦江湾沿いの国道を北上。車掌さんは停留所の案内をしたり切符を発行したりします。首から下げた大きながま口のような車掌鞄と紺色の制服姿が子ども心にも輝いて見えました。車掌さんは扉のすぐ後ろの車掌スペースで腰部分を支えるパッドに身をゆだねながら立っての乗務です。やがて目的の停留所が近づき、車掌さんのすぐ後ろの席に座っていた私は車掌さんに次降りることをどきどきしながら伝え、降車したのでした。日生ビル1階は南国交通のバスセンターになっていましたので、切符はあらかじめ買っていたのだと思います。小さくなるバスの後ろ姿を見ながら、子ども心になんだか大きなことをやり遂げたような気分になっていました。

ワンマン化が進むころになると緑色のワンマンという表示がバスにつけられるようになりました。ワンマンという言葉は、犬が吠えているような音で、ワンマンが英語であることはよく分からない子どもでしたからどうも違和感のある言葉として響いていました。料金箱は導入当時はどのような機器だったか分かりませんが、電動式のものが入るまでは運転手さんが投入後のお金と整理券をトレイ上で確認して、パタンとトレイを反転させて中に落とし込む構造。おつり用のコインが不足してきたからお金はここに置いてくださいと終点でお願いする運転手さんがいました。乗客は言われたままにするのですが、後にそのような方法で料金を料金箱に入れさせずに着服していた人がいたということで事件として報道されたことがありました。

ワンマン化が進む中で市営バスでもかなり後までツーマン運行だった路線もありました。1番線などがそうだったと記憶しています。前に扉のない中扉のみのバスで運行されていました。確認用なのでしょうか、前扉があるべき部分に小さな窓があったように思います。

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コメント

管理人様、最近「南日本新聞」を読むより楽しみなコノ『シリーズ』。今回は小生やや苦手分野の「バス」に無責任と同義語に聞こえる「ワンマン」。経営収支を考慮すればやむを得ないのでしょうが頻発する「ドア開閉方向の過ち」や「停車駅の誤通過」等の新聞記事を見る度にワンマン運行の弊害を感じます。(特に営業鉄道では)運転士は信号確認や計器注視、車輛状態監視など本来の安全確保業務に専念し、(乗客)案内対応や車内外情況の把握業務は車掌に任せる分業が何よりのサービス提供だと思うのです。銀河鉄道の車掌さんが語るセリフ「お客様の安全を守るのが私の使命でして」、これこそが鉄道の本来あるべき姿だと思います。テーマとは少し逸れますが昔、毎週「8時だョ~」の終了後に流れていた『霧島林田ホテル』のTV・CM。僕も大きくなったら林田ホテルでカッコよく「Go!Go!」を踊るぞッと思ったものでした。

投稿: 夢幻鉄道 | 2010年11月17日 (水) 22時43分

毎回、読んでいただいて恐縮です。思いついたらテーマをリストアップし、その中から時間があるときに遠くなってしまった記憶をたどりながらしたためております。
バスにしても列車にしても安全第一。ツーマン運行が理想的なのでしょうが、収支の兼ね合いから合理化できるところは合理化していかなければやっていけない事業者側の事情も理解できます。
一番いいのはお客さんが増えること。乗客減で人件費を削らざるを得ない事情が事業者側にあるのであれば、十分に収入が得られるようになれば解決しそうです。お客さんが増えれば、当然一人で対応するというのは難しくなってくるでしょうから。でも、このお客さんが増えるということは多様化・個別化した現在の交通体系の中では非常に困難なことですね。

投稿: Nakachan | 2010年11月20日 (土) 07時54分

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