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2010年11月25日 (木)

日本国有鉄道

鉄道のことで頭がいっぱいだった少年時代、「国鉄」という言葉には特別な思いがありました。「日本国有鉄道」「JNR」…。

私鉄より国鉄に魅力が感じたのは、鹿児島交通は別として足下に私鉄がなかったのがその理由かもしれませんが、やはり全国津々浦々に延びた路線、行ったこともない行き先を表示した長距離特急列車、豊富な種類の車両たち、国鉄マンが醸し出す男の職場としての雰囲気等々、趣味の対象として大いに魅力のある存在だったからでしょうか。

テスト用紙の裏に国鉄車両を描いたり、JNRマークを描いたりしながら過ごした少年時代でした。

国鉄が消滅しJRという名になったとき、「ジェーアール」という呼び名にどうも馴染めませんでした。国電もE電に。でもこちらの方は定着せず、いつしか全くの死語になってしまったようです。

線路端に日本国有鉄道を見つけました。草むらの中でずっと眠っていたようです。なんだか懐かしい友に出会ったような感覚でした。改めて考えてみると、鹿児島にはまだ国鉄車両がその装いこそ変えてはいますが、まだまだいっぱい走っています。それだけ田舎だということだと思いますが、ある意味国鉄を味わえるということなんですよね。

国鉄型車両のあの重厚な乗り心地を味わってみたくなってきました。国鉄型電車特急の代名詞485系は来春まで。乗車は急がなくてはなりません。

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コメント

管理人様、こんばんは。私達の鉄道愛好の原点、『日本国有鉄道』JNRがタイトルアップされておられたので拙文をば。国鉄時代を知らない若手鉄道愛好諸君も国鉄車輛のデザインや原色の素晴らしさから熱心に系譜資料収集や形式詳細研究を行っています。ただ私共世代が現役蒸機の本当の魅力的情景を体感出来なかったのと同様に国鉄車輛が全国一律方針の下、多種多彩な列車種別と名称・路線で活躍していた日常を実感出来ない事に同情の念を禁じ得ません。鈍行客レの発車衝撃や雑多なDC編成、積載物毎に特徴ある外観を持つ黒い貨物列車。手荷物がクロネコではなくニッツウで運ばれ、〒マークが付いた車輛に投げ込まれる郵便物。何やら書いてるだけで昭和の時代にスリップします。窓が開けられない普通列車、ロングシートの都会仕様車輛。旅の楽しさ、ただ乗っているだけで満足だった列車旅。汽車という言葉が生きていた国鉄時代に戻って「ディスカバージャパン」してみたい『いい日旅立ち』世代の(自称)ヤングマン、折角なら旅立つ日は「ビューティフルサンデー」がイイですねェ~泳げタイヤキ君。(おそまつ)

投稿: 夢幻鉄道 | 2010年11月26日 (金) 21時03分

夢幻鉄道様、懐かしい言葉がちりばめられた記述に遠いあの日を想うことでした。いつもコメントありがとうございます。
国鉄は全国津々浦々に路線網を広げ、まさに日本の経済や生活を支える大動脈としてその役割を果たしてきました。その一方で、私が知る頃の国鉄は、赤字の代名詞のような存在でもありました。政治家による我田引水、戦後の大量失職者の受け皿、親方日の丸の放漫経営など、三公社五現業の一つである国鉄は時代の波や人の思惑に振り回され、とうとう特殊会社に移行することになってしまいました。国鉄時代末期まで国鉄時代全盛の頃の雰囲気がよく残り、趣味的にも魅力のある存在でした。国鉄を語るのは懐古趣味だけがその理由ではないと思います。奇をてらったところがなく、黙々とまじめに国民のために尽くしてきた姿に心が動かされるのだと思っています。JRになり、車両の過剰なまでの塗色変更、駅の無表情化、無駄な側線の撤去、現場の整理、人員の整理などが急速に進み、生まれ変わった鉄道は私たちが知る国鉄の頃に比べると、一般に人たちには明るく便利になったと思いますが、趣味的にはその魅力が大きくしぼんだように思えます。

投稿: Nakachan | 2010年11月27日 (土) 06時36分

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