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2010年11月29日 (月)

あの頃の鹿児島(第8回)

非冷房市営バスの頃

鹿児島市内に住んでいましたので市営バスにはずいぶんお世話になりました。市営バスに関する私の記憶で最も古いものは鉄道の腕木式信号機のごとく、パタンと横に指示器の腕が飛び出すもの。実にアナログな構造です。

小学生の頃、基本運賃は大人30円、子ども15円でした。現在は大人180円、子ども90円。時代を感じます。この頃の市営バスについて記憶をたどってみます。

塗色は若草色に黄土色、茶色系、それに白のラインを加えた少々凝ったもの。つい最近までこの塗色のバスが走っていましたが、最近では見かけなくなりました。シートを貼り付けてのデザインが主流になった昨今ですが、当時よくあんな複雑な塗り分けを塗装で行っていたものだと思います。

車体はリベットいっぱいのモノコックボディ。乗車口は引き戸タイプ。窓はもちろん上部に明かり取り用の窓がHゴムで固定されたいわゆる「バス窓」。座席は2名分を分割しない一体型でモケットではなくビニール仕様。床は木製。木製の床には腐食防止のため油が染みこませてあり、その臭いがバスの臭いでもありました。

運転手に降車の意思を知らせるボタンは緑色だったでしょうか。現在のようにボタンそのものが光るつくりではなく、運転席後ろの仕切り上部にある緑色の行灯が「チン」というアナログ音とともに点灯するつくりでした。

サスペンションは板バネ。サスが硬くダダンと突き上げるような衝撃が車体全体に伝わり、木製の床が共鳴し、座席がぶるんと震え、窓枠がカタカタと音を立てる。市電の軌道敷を通過するときの衝撃はなかなかのものでした。

もちろん冷房はなし。夏になると窓全開。窓からは太陽で熱せられた空気、排気ガス、そしてオイルの臭いが入り込んできました。市内のバスには冷房などないのが当たり前の時代でした。今のバスに比べると外からの砂埃などで車内が汚れていたように思います。

市営の路線バスに冷房車が登場したのは平川動物公園が開園したとき。鴨池動物園から移転した平川動物公園は鹿児島市内中心部からかなり距離がありましたので、バスの乗車時間も長くなります。そのためサービス向上が図られ初の冷房車登場となったようです。その頃一大勢力になっていた西日本車体工業のかまぼこスタイルのバスでしたが、冷房効率をあげるため色ガラスを使っており外から見ると窓が青っぽく見えました。他の市営バスが窓全開にして走っている中ですべての窓を閉め切り、涼しそうな青色の窓を誇らしげに走る姿は一目で動物園行きのバスだと見分けることができました。

続いて路線に登場した冷房車。それは貸し切り格下げの車でした。市営バスでは現在と同じように定期観光バスの運行や貸し切り運行をおこなっていましたので、観光バスタイプのバスを持っていました。観光バスの車輌更新の際に、古い観光バスに中扉を改造新設して路線に転用しました。中扉部分とワンマン機器以外は観光バス時代そのもので、横引き大窓にずらっと並んだロマンスシート。車体は西日本車体工業のこれもかまぼスタイル。塗色も路線の一般車と観光バス時代から同じでした。

幸い、私がよく乗る路線に投入されることが多く、運良く乗れると嬉しいものでした。他のバスが非冷房車ばかりの中で、冷房用の補助エンジンを駆動しちゃんと冷房を入れてありました。

格下げ車投入直後の頃、こんなことがありました。

冷房を効かせながら走っていた盛夏。ある停留所でご婦人二人の待つ姿を認めて停車、中扉の折り戸が開きます。ステップに一歩足を踏み入れたご婦人は驚いた表情で「うんにゃ、こいは市営バスじゃなか(少々鹿児島弁)」と後ろのご婦人へ。標準語に直すと「いいえ、これは市営バスではありません」といった意。運転手がすぐに「市営バス○○番線、○○行きです。どうぞご乗車ください」と応え、おそるおそる乗車するお二人。

冷房が効いていたこととずらっと並んだロマンスシートに驚いたようです。

Img004

写真は交通局に並んだ当時のバス。同じように見えますが、手前から日野自動車、日産ディーゼル、三菱ふそうのバスです。いずれも車体は西日本車体工業製。(許可を得て入場)

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