ポンパ号
NEKO発行の「わが国鉄時代」も今回で5冊目。投稿画像をもとにした構成はファン目線での写真や記述が楽しく、毎回楽しみにしています。今回の表紙は絵に描いたような昭和の風景。よくぞこのような光景をフィルムに残していたものです。遠い日の記憶を蘇らせるに十分な力があります。
ページをめくっていくと「ポンパ号」のコラムがありました。これによると当時国鉄が大々的に行っていたディスカバージャパンキャンペーンの目玉として運転されたとのこと。タイアップした日立のテレビ「キドカラー」のキャッチフレーズである「ポンパ」をそのまま列車名に。当時のテレビはスイッチを押してもなかなか画像が出てきませんでした。日立の「ポンパ」はスイッチを「ポン」と押すと「パッ」とつくという意味を表しています。余談ですが「キドカラー」キャンペーンは飛行船でも行われていました。大きくキドカラーと書かれた飛行船が鹿児島市内にもやってきて教室の窓からみんなで見上げたものです。これが私にとって初めての飛行船目撃でした。インパクトは十分、今でも飛行船と「キドカラー」の名は鮮明に記憶の中にあります。
話をポンパ号に戻します。ポンパ号は鹿児島にもやってきました。コラムによると大分にやってきたのが昭和45年といいますから鹿児島も同じ昭和45年だと思われます。ポンパ号はC1191を先頭にオハ60系客車を5両つないだ列車。外装はどこかの保育園の遊具かと思わせるような派手なもの。中の座席は取り払われ、いろいろな展示がなされていました。C11は無火で移動は他の機関車に頼らなければなりませんでした。
鹿児島での展示は鹿児島駅で行われました。どのホームに据え付けられていたのか記憶がないのですが、駅本屋から見るとホームに対して左側に停車していたようにも思います。しかし、これも今となっては定かではありません。鉄道少年にとっては非日常の鉄道ビッグイベントで一人で自転車をこいで2日続けて行きました。入場記念にポンパ号のイラスト入りの下敷きをもらうことができました。ポンパ号を真横から編成順にイラスト化したもので、大変美しい仕上がり。これが欲しくて2日目も行ったように思います。
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