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2011年1月

2011年1月31日 (月)

豪華列車計画

昨日の夜、自宅でカリブ海をゆく豪華客船の旅を見ました。巨大ホテルがそのまま海に浮かんだような超豪華客船。その船にも驚きましたが、そのような船でクルージングを楽しむ裕福な人の存在にも改めてこの地球上にはいろいろな人たちがいるものだとその多様性?にも気付かされました。この船は1週間ほどの航海を定期的に行うのだそうです。いったいどれくらいの費用が必要なのでしょうか。もちろんその人たちの努力と才能によって得た富ですので、私たちがとやかく言う筋合いのものではありません。

そんな人たちの存在に少々うらやましくも思った翌朝、新聞を開いてみると「豪華列車 九州一周20万円」という囲み記事が目に止まりました。以前、何かの本で水戸岡氏だったでしょうか、九州で新たなコンセプトの寝台列車と走らせたいという構想を見た覚えがあります。このことだったのでしょうか。記事によると、2013年春か夏をめどに九州を一周する豪華列車(6~7両)を運行するといいます。2泊3日程度で湯布院・桜島・日南海岸などの観光地を巡り、年に2・3回のルート変更もあるそうです。車内にはラウンジやレストランがあり、客室は1両に3~5室、編成の定員はなんと30名程度。そして料金は、車内泊以外の宿泊施設の宿泊料や食事代を含め15~20万円。これは超豪華、破格の料金設定です。

まさに豪華客船の陸上版。いったいどのような車両が登場するのか気になるところです。非電化区間への乗り入れや寝台列車ということを考えると客車列車になるのでしょうか。そのためにはディーゼル機関車が必要になります。本線をそれなりの速さで運行でき、日南線のような路線にも入線可能?いったいどのような列車になるのでしょう。まさかお得意のキハ40系改造ということはないでしょうし。

写真は出水駅に保存中のC5692号機のキャブ。ぼくもそんな列車を牽引してみたいなと思っているかもしれません。もし、肥薩おれんじ鉄道に入線するようなことがあればキャブ窓から見える本線上にてご対面となるかも。少々青色が効き過ぎのキャブ。

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2011年1月30日 (日)

久々にインレタ等の作業

小松易さんが書いた「たった1分で人生が変わる片づけの習慣」という本があります。昨年末には続刊となる実践編が出ました。物があふれる時代、物はほっておくとどんどん増えてしまいます。整理整頓の習慣は現代人にとって目立たないですがとても大切な能力です。

氏の記述の中で「片付けは空中戦」というものがありました。これはうまい表現です。手にしたそのときに片付けモードで処理するというもの。家に帰るとまず手にするのは郵便物。大切なものもありますが、ダイレクトメールのような開く必要もないようなものもあります。とりあえずテーブルの上に置くのではなく、その場で処理。要らないものは宛名を処理してリサイクルなどへ。そうするともう一回見て処理するという時間的なロスもなくなります。

このようなスタンスで手にしたものは、“とりあえず”ということをせずにきちんと整理整頓して片付け。片付けは手にした「空中」にあるうちにどうするかで決まってきます。

人間“とりあえず”がたまると身動きが取れないほど大変になるもの。これからも「空中戦」をキーワードに身の回りは整えておきたいと思います。

久々に模型の部品つけをしました。キハ181系特急気動車のキロ180に所属区名、形式表示、検査表記、番号、グリーンマークなどの貼付をしました。181系はあと4両作業待ち状態です。頑張らなければなりません。

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2011年1月29日 (土)

南薩鉄道12号機

保存機は現役の車両のように撮影の制約がありませんので、いろいろな角度から撮ったり、近づいて撮ったりすることができるので、ついつい撮影枚数が多くなります。動かない保存機ですが本物ですし、現役時代を知らない車両であれば当時の様子に思いを馳せながら撮影する楽しみもあります。廃線跡にじっくり向き合うのと似ているような気もします。角度やライティングなどで現役同時のような生き生きとした表情を見せることもあります。

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築堤を単機で回送する様子を想像しながらいたずらをしてみました。南薩線の蒸気機関車時代の写真を多くは見ていません。どこかに眠っている写真も多数あるのでしょうか。気になるところです。

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2011年1月28日 (金)

最後の485系にも影響

寒さが続くせいか、最近鉄道模型の部品付けやインレタ貼付が滞ったまま。来週にはこの寒さが和らぐと予報が出ていますから、作業をする気持ちになってくるかもしれません。

先日、近くの海岸に新たに3頭のマッコウクジラが打ち上げられました。これで最近になって5頭が打ち上げられたことになります。浅瀬が続く場所ですので、一旦迷い込んでしまうと座礁して動けなくなるのでしょうか。

新燃岳の火山活動は198年ぶりのマグマ噴火だということです。連日報道される内容を見ていると状況は深刻になってきているようです。日豊線の国分・田野間は他のローカル線とともに運転見合わせが続いています。最後の活躍をする485系も同区間を走行することができません。同区間で撮影予定だったファンも多いはず。いつになったら運転再開となるのでしょうか。写真は田野・門石信号場間を行く485系。ずいぶん前の撮影。

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2011年1月27日 (木)

12号機

午後、研究会があり帰りに加世田運動公園に寄ってみました。ここには南薩鉄道12号機が静態保存されています。国鉄のC12と同型の私鉄版。国鉄では小型機関車でも南薩鉄道では大型機関車。3両いたうちの1両で残りの同型は解体された後、分骨よろしくあちらこちらで動輪のみが小分けされて保存されています。この12号機はドームが角形の所謂戦時型。他の2両は普通の形をしていました。

運動公園内の児童公園に鎮座していますが、寒風吹く夕暮れ時とあって訪れたとき人気は全くありません。保存車両には現役機とはまた違った魅力があるような気がします。役割を終え、静かに余生を送る車両との誰にもじゃまされない一対一の対話ができるような…。角度を変えながら眺め、黒煙を上げ活躍していた頃を思い浮かべると急に生き生きとした姿に見えてくるのでした。

しかし、近くに寄ると風化がさらに進んでいることに胸が痛みます。長い目で見ると最初に上屋を設けることは末永い保存と後の管理費のことを考えると反って安上がりなのかもしれません。

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噴煙を勢いよく噴き上げる新燃岳。今日も収まる気配がないどころか、その勢いがますます増しています。桜島でもこんなに連続して爆煙を上げ続けることはありません。12号機との対面を終えた後、帰路につきましたが、途中新燃岳の噴煙が見えていることに気づきました。東シナ海側の南部からもこのように爆煙が見えています。

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2011年1月26日 (水)

天変地異

夕方、車を走らせ鹿児島市に向かいました。途中、ラジオから霧島が大変なことになっているというリスナーからのメールが続々と入っている様子が流れてきました。噴煙はスタジオからも見えるとのことで、緊迫した雰囲気がリアルタイムで伝わってきます。

峠を越え、桜島が見えてきました。いつものように昭和火口から噴煙を上げています。そして左奥にも灰色のもくもくとした噴煙が上がっているのが見えます。いつもは静かな霧島からあの噴煙!まさに天変地異の様相を呈しています。大丈夫なのだろうかと不安になるような信じがたい光景です。

周辺の道路は降灰のため通行止め、宮崎自動車道も部分通行止め、JR日豊本線も国分・田野間で運転見合わせ。交通にも大きな影響が出ています。

これから火山活動がどうなっていくのか心配です。鳥インフルエンザに火山噴火と続き、新幹線全線開業どころではなくなってきました。どちらも一日も早い収束を祈るばかりです。

途中立ち寄ったところで写真を撮りました。桜島の左側に広がっている雲のようなものが新燃岳から上がった噴煙です。都城方面に流れているとのことです。

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2011年1月25日 (火)

出水で鳥インフルエンザ

出水でツルの鳥インフルエンザに続いて鶏にも鳥インフルエンザが発生しました。一番恐れていた事態になり、先行きが心配されます。半径10キロ以内は移動禁止等の措置がとられると報じられていました。半径10キロ圏内といってもこの中に160カ所の養鶏場があり525何羽が飼育されているとのことでその数に驚きました。一日も早い収束を願うばかりです。写真は出水をゆく肥薩おれんじ鉄道。

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2011年1月24日 (月)

夕日に染まるもの言わぬ橋脚

鹿児島の民放で「どーんと鹿児島」という番組があります。以前はキー局からの番組を放送することがそのほとんどだった地方の民放ですが、自主制作の優れた番組を放送することがいつの頃から多くなってきました。放送局の存在意義ここにあり、ということを我々に示しているような気がします。

この「どーんと鹿児島」ではこれまでいくつもの優れた番組を送り出してきました。中にはDVDとして発売されているものもあります。その最初は鹿児島を根拠地に最後の活躍をしたJACのYS-11をテーマにした番組だったと思います。映像、構成ともに中央のキー局に劣らない素晴らしいものでした。地方局ならではの細やかな取材が光っていました。航空ファン、とりわけYS-11ファン必携のDVDに仕上がっています。

今回、つい最近放送された「かごしま鉄道物語」がDVD化されました。九州新幹線鹿児島ルート全線開業を目前に控え、これまでの鹿児島の鉄道の歴史を振り返るものでした。内容は同局が所蔵する映像のアーカイブス的なもので、今となっては貴重な映像ばかりです。もちろん鹿児島交通線の映像もあります。廃止になった国鉄路線も含め、懐かしい映像がふんだんに盛り込まれ、これまた鹿児島の鉄道を愛するものとして必携の内容です。番組の録画もしていたのですが、特典映像も含まれていたので購入しました。

昨日のブログで夕日の写真をアップしました。実は南薩線の永吉川に架かる橋梁跡の橋脚を撮ろうと立ち寄ったときの写真。車を走らせながら運良く夕日が沈むタイミングで現地を通りましたので、車を物産館の駐車場に止めてすぐに撮った写真です。ほかに2名の方が大砲のようなレンズを装着して夕日を撮影されていました。

2名の方は、夕日中心で撮られているようでしたが、私は南薩線の橋脚跡が中心。現役当時、夕日が沈むタイミングで列車がやってきたならそれは見事な写真が撮れたのではないかと思います。

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2011年1月23日 (日)

落日

明日からウィークデイで鹿児島市内の書店に行けないものですから鉄道の月刊誌がきていないかなと寄ってみましたが残念ながら鉄道模型趣味のみでまだ店頭には並んでいませんでした。残念、1週間お預けです。せっかく寄ったので新書を2冊買ってきました。

昨日、H2Bロケット2号機が宇宙へ旅立った日の夕日です。久々に水平線に沈む夕日を見ました。自然は本当に美しいものです。

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2011年1月22日 (土)

H2B2号機打ち上げ成功

14時37分57秒、種子島宇宙センターからH2Bの2号機が打ち上げられました。昨日までの天候から一転して今日は快晴のはずでしたが、当地は朝から雲が多く、打ち上げの様子を見られるのかは運次第という状況になりました。ラジオを聞いていると鹿児島市内は雲一つない快晴とか。同じ県内でも地形の影響なのかこんなにも違うものかと恨めしくなります。

午後から少々晴れ間も見えるようになり、期待が持てるようになってきました。地図を見てこの辺りから上がるのではないかという方向に目星をつけ、カメラをもってスタンバイしました。相変わらず雲が多く心配しましたが、目星を付けた方向に一筋の白雲が下の方からどんどん成長していく様子が見えました。一旦雲に隠れ、姿を現したのですが、再び雲に隠れたまま見えなくなってしまいました。

打ち上げ後15分で国際宇宙ステーションに届ける物資を載せた無人宇宙船HTV(こうのとり)2号を軌道に投入し、H2B2号機は見事に使命を果たしました。巨大システムですが、わずか15分でその使命を終えるのは何だかもったいないような。しかし、あれだけの重量のロケットを地球の重力に逆らって渾身の力を振り絞って宇宙まで運ぶのですから、長い長い15分なのかもしれません。

後はHTV(こうのとり)が無事に任務を果たし、日本の宇宙技術のすばらしさを全世界に再びアピールしてほしいと願っています。

写真は宇宙に向かって上昇を続けるH2B2号機。無人宇宙船の名の主であるコウノトリ。昨年飛来して以来、この地に居着いて今でもその姿を見ることができます。

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2011年1月21日 (金)

あの頃の鹿児島(第12回)

鹿児島県日置市日吉町日置3314、なんとも南薩線の香りがしてきそうな住所です。これは今日封を切った焼酎に記されていた住所。小正醸造の「小鶴黄麹」を飲んでみました。CMでよく見かける焼酎です。独特の風味がありました。焼酎も醸造元や銘柄でずいぶん味が違うものです。これまで一つの銘柄を飲み続けることが多かったのですが、いろいろな銘柄の焼酎を楽しむことにし、酒屋で選ぶ楽しみもできました。

さて、あの頃の鹿児島第12回です。

大島紬の糸を干す

あの頃、町中には個人経営の小さな工場や作業場が多くありました。人の働く姿が身近な生活空間の中にあり、それを垣間見るのも子どもの頃の楽しみでありました。建具屋、表具屋、家具工場、製麺工場、畳屋、自動車工場など近くにたくさんの働き場を見ることができました。

そんな中、当時未舗装だった道路に支柱を立て、多くの糸をぴんと張って干す様子をあちこちで見ることができました。大島紬の糸を干す作業です。

大島紬は1本1本の糸が縦横に織られていったときに模様が浮き上がるようにあらかじめ縦糸と横糸が実に絶妙に染められています。設計図にあたる緻密な図面があり、それに基づいて16本ほどのりで固められた糸を締機(しめばた)を使って糸で締めた上で染めていきます。締めた部分は泥染めされません。白く残った部分は後で手作業で色をすり込んでいきます。これで出来上がった1本1本の糸を縦糸と横糸の交差を合わせながら文様になるように紡いでいきます。まったく気の遠くなるような職人芸です。

このような作業工程の中で、糸を必要な本数束ねてのり付けする作業があります。のり付けした後、ぴんと張って天日に干す作業が道路でも普通に行われていたのです。引っ張りすぎずまんべんなく天日に干す作業は、天気との兼ね合いを考えながらの熟練の作業だったそうです。また、染色が終わった糸ののりを洗い流し、その後干す作業もあったのではないかと思います。

大島紬の作業工程についてはあまり詳しく知りませんので、違っている部分があるかもしれません。

あの頃はあちらこちらでこのような光景が見られ、生活空間の中で伝統工芸品が作られていました。

大島紬の需要は年々減り、鹿児島にあった大手の工場も撤退し、マンションが建ったり量販店になったり…。産業道路沿いのビッグⅡの建物が大島紬の機械織りの工場だったということを知る人も少なくなってきているのではないでしょうか。

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2011年1月20日 (木)

世代をつなぐ鉄道ブーム

今日のNHKクローズアップ現代は「世代をつなぐ鉄道ブーム」。最近は鉄道趣味が市民権を得てきたなと思っていましたが、最近では女性にまでその広がりを見せているのですね。

乗り物の中でもとりわけ鉄道の魅力には奥深さを感じてきました。それが物心ついてからずっと鉄道趣味から離れられない理由でもありました。今日の番組では、鉄道が人と人をつなぐ役割を果たし、その中で人間本来のアナログな関係を蘇らせる舞台となっていることを伝えていました。私たちの生活により密着した公共交通機関であるからこそ、このような力を持っているのでしょう。

生活に密着していればいるほど、そこには人間的なものを感じてしまいます。無機的になっていく世の中にあって、その反動として多くの人が鉄道の持つ魅力に気づき魅せられていくというのは自然なことなのかもしれません。番組の中で「癒される」という表現がいくつか出てきました。ローカル線から新幹線まで、昔から2本のレールの上を走るという基本的なスタイルは変わらないまま発達した鉄道には、新しい古いに関係なく、どこか等身大の人間の感性と合うところがあるのかもしれません。

今日の番組は埼玉の鉄道博物館から伝えられていました。国鉄時代に活躍した名優たちが番組に華を添えていました。SLブームやブルトレブームとはまた質の異なる今回の鉄道ブーム。末永く確かなブームとして定着して欲しいと思います。そうしてそのような流れが鉄道博物館のような貴重な車両の保存が進展する契機にもなってくれたらと思います。

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2011年1月19日 (水)

鉄な本2冊

ネット書店に注文にしていた本が2冊届きました。お誕生日ギフトなる商法の餌食になり購入してしまいました。誕生日に合わせて一定期間内に3000円以上の注文をすると500円の割引が受けられるというもの。ときどき300円のギフトの餌食になることもあります。ギフトがなければ買わなかったような本まで買ってしまいますので、うまく商売をするものです。

1冊目は、中村弦さんの「ロスト・トレイン」。新聞に作家の紹介が載っており、おもしろそうだと思って切り抜いていたものでした。廃線跡が舞台という異色の作品。本の帯には「誰も知らない場所行きの列車が、いま、目の前で動き出す(なつかしくなる、旅に出たくなる、じんわり切ない大人の青春小説)」とあります。

もう1冊は、松澤健さんの「鉄のバイエル」。これは鉄道発車メロディの楽譜集。JR東日本のホームで流される発車メロディが101曲楽譜に起こしてあります。こんな楽譜があることを最近知り、おもしろそうなので購入してみました。

さて、皆様にお礼を。先日、息子がエコノミクス甲子園の大敗者復活選に参戦している旨お伝えし、もしよろしければ1票をとお願いをいたしました。日・月と投票が行われ、本日発表がなされました。20チームの参戦で上がれるのは1チームのみ。厳しい戦いだなと思っていました。有り難いことに次点のチームの倍の得票を得て、全国大会に進めることになりました。1票を投じてくださった皆さん、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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2011年1月18日 (火)

鶴丸

新聞の小さな囲み記事に今となっては懐かしさを感じる日本航空の鶴丸マークがマーキングされた垂直尾翼の写真が載っていました。鶴丸が復活するという記事でした。全日空がモヒカン塗装を一部の飛行機に施したのと同じように一部飛行機での特別塗装と思いきや、4月から航空機の塗り替えに合わせて順次鶴丸マークを復活させていくというものでした。JALのロゴは形の変更があるようですが、基本的には昔懐かしい鶴丸になるようです。

会社更生中の日本航空。イメージの一新というか過去の栄光をもう一度というところなのでしょうか。確かに昔は鶴丸を掲げた日本航空の航空機は国際線も唯一になっているということもあり、他の航空会社より格上に見えたのは確か。現在の赤い尾翼にはその頃のイメージはありません。

人口減少時代、経済的成長のない時代など、閉塞感のある日本にとって鶴丸は高度経済成長時代の象徴的存在であったのかもしれません。新しい時代に対応した日本を築いていく象徴として羽ばたいてもらいたいと思います。

ある一定の年齢以上の人たちにとって鶴丸は過去の栄光とともに懐かしい存在だと思います。ますます高齢者が多くなっていく日本人。鶴丸のついた飛行機を選んで利用する人たちも出てくるかもしれません。

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2011年1月17日 (月)

あの頃の鹿児島(第11回)

まるで冷凍庫に入ったような寒さが続いています。温暖化で厳しい冬の寒さが感じられなくなった昨今、久々に子どもの頃の寒さを思い出しています。鹿児島市内でも霜柱が立ち、学校の大きな池にも厚い氷が張ることがある冬でした。今では氷が張るようなことはめったになくなっています。さて、そんな厚い氷が張っていた頃、あの頃の鹿児島第11回です。

鹿児島本線複線化工事の頃

昭和40年代前半、非電化単線だった鹿児島本線西鹿児島口の複線電化が行われました。その頃のことを思い出してみたいと思います。

自宅近くの新上橋。石工岩永三五郎が手がけた4連アーチの石橋新上橋があり、国道3号線には鹿児島市交通局の市電も走っていました。単線の築堤区間だった新上橋付近では複線電化工事が行われていました。列車の運行を行いながらの工事です。プープーという電子的な音が聞こえると間もなく列車がやってきました。列車接近を知らせる合図が工事区間では鳴り響いていました。やってくる列車はもちろん蒸気機関車牽引列車やDCなど。まだ、鹿児島本線でもC60やC61、D51が走っていた時代です。

自宅からほど近いところにあり、自転車で線路のあるところを訪ね回っていた頃ですので、今でも鮮明にあの「プープー」という音を覚えています。

小学生のとき、列車に乗っていく遠足が1回だけありました。列車好きな先生がいたのでしょうか。学校から西鹿児島駅まで徒歩で移動し、そこから列車に乗り込みました。中学年の頃だったと思います。西鹿児島駅のホームで列車が来るのをしゃがんで待っていたことを今でも覚えています。駅構内には架線を張る真新しいビームが設置されており、鉄道の近代化が着実に進んでいることを子どもながらに感じました。乗車したのはキハでした。1学年7学級から8学級ありましたので、300人ほど乗車したことになります。

途中、旧広木トンネルに入るときに右手に真新しいコンクリート製の大きなトンネル工事がなされているのが見えました。広木トンネルを抜けると広木信号場に停車。振り返ると先ほどの新しいトンネルの反対側が見えました。

帰りの列車は蒸気機関車が牽引する客車列車。大柄なカマでしたのでC61かC60だったと思います。

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2011年1月16日 (日)

ライフログ

以前のブログで奥野宣之著「人生は1冊のノートにまとめなさい」という本で紹介されているノウハウを今まで活用してきた統合ノートに生かしていくことを紹介しました。

実際やってみるとこれは実に楽しく、長続きがしそうなものです。ライフログは生きてきた足跡を見える形で残していくという試みです。日記など昔からある古典的な手法は多くの人が日常やっていると思います。このライフログは形や量にこだわらず一日の終わりにじっくりということではなく、空いた時間にいつでも書き加えていくというものです。もちろん一日の終わりにまとめて書いていってもよいのですが、わずか一日といえども思い出せないことは多くあります。やはりその都度、時間がある時にこまめに書き加えていくというスタンスがよいようです。

文字だけではなく領収書や名刺やパンフレットを貼ったり、撮ったスナップをプリンターで小さく打ち出して貼ったりすると具体的でそのときのことがありありと記録として残せます。大きな物は写真に撮って縮小して貼るという手もあります。縮小コピーを貼るという手もあります。

方法は実際にやっていきながらいくらでも出てくるものだと思います。自分なりの改善を加えながら自分に一番合ったスタイルを築き上げていくというのも楽しさの一つかもしれません。

ライフログを意識しながら統合ノートをまとめるようになって感じたこととして以下のことが挙げられます。

①自分の一日の生き方を見つめることができる。②自分の一日をつまらないものにしないよう(つまらない記録にならないよう)意識するようになる③何か困難なことがあっても記録することを意識することによって新しい力がわいてくる④自分史を自分で作っているんだという意識がもてる⑤自分の一日をまとめる作業自体が楽しい⑥これから将来に渡って自分の歴史を事細かに振り返られる楽しみが得られる⑥これまで目的もなしにスナップ写真を撮ってきたがその日のうちにライフログに活用できるという目的意識が生まれる

旅行記などをアルバムにまとめる楽しい作業を日常的に進めていっているという感覚です。下の写真はとある日のライフログ。この日はふんだんに写真を盛り込みました。ご覧になった方で心当たりのある方もいらっしゃるのでは…。

A5サイズのルーズリーフを用い、今使用している分はいつも持ち歩くバインダーにとじてあります。バインダーが膨らんでくると別の保存用バインダーに少しずつ移していくようにしています。既に1000ページを超えています。ライフログを意識してからは一日の枚数も増えました。これから何ページまで増やすことができるのか、私の人生の厚みでもあります。

さて、最後のお願いになりました。先々日からお願いしておりますエコノミクス甲子園の大敗者復活選。もしよろしければ鹿児島の「15-BOYS」にご声援をお願いします。投票のURLは先々日のブログにて紹介しています。投票は17日23:59までです。

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2011年1月15日 (土)

バースト

先日、夜中になだらかに続く舗装道路を走行中に突然タイヤがバーストしました。強風が吹いてきたのかと最初は思いましたが、すぐに車の状態からパンクだと判断できました。運転席側の後輪です。まったく問題なく走行していたにもかかわらず、突然のタイヤの急減圧。あっという間にタイヤの空気圧は0になってしまいました。

すぐには何が起こったのか理解することができませんでした。原因になるような事象はまったくなし。いきなりの急減圧でしたから。

あと1時間で日付が変わるような時刻。辺りには人家もない寂しいところ。気を取り直してタイヤ交換作業を進めようとしますが、真っ暗でとても作業ができるような状況にありません。結局断念してJAFに連絡を取ることに。

JAFに加入して30年ほどになります。ロードサービスをお願いするのは初めて。会費ばかり払ってもったいないなあと思っていました。しかし、こんな藁にもすがりたいような時には大いに頼りになる存在であることに気づかされました。

電話をして40分ほどで提携工場の人が来てくれました。24時間サービスとはいえ、こんな時間に来てもらうのは非常に申し訳なく、しかもひときわ寒さの厳しい夜でしたので、ありがたみが身に染みました。

バーストしたタイヤを見てみると側面に大きな亀裂が入り、平らな舗装面でのパンクとは思えないような悲惨な状況です。よほど鋭利なものが刺さり、空気圧と車重量により一気に開口部が開いたのかもしれません。まったくもって修理不能であることがすぐに分かりました。

30分ほどで作業終了。とても人の良い方で安心して作業を見守ることができました。

さて、問題はタイヤをどうするか。4つのタイヤは半分より少し摩耗が進んだ状態。まだまだ走れます。ここに新しいタイヤを一つ入れ込むとバランスが悪くなりそうです。四駆なので4つとも換えなければならないのか。以前も修理不能のパンクになり、結局4つとも換えた経緯があります。

今日、ディーラーへ行き、車検の予約とともにタイヤのことを相談してきました。メカニックの人によればスペアタイヤはメーカー装着品でまだ新品状態なので、このタイヤと同等のタイヤを1本準備して前輪へ、残った3つのタイヤのうち一番摩耗したタイヤをスペアへ回すということで1本購入で大丈夫ということでした。

前輪と後輪のタイヤの溝の形が違うことになりますが、出費が抑えられて一安心。たちの悪いところへ持って行けば「お客さん、もう半分以上すり減っていますし、4本換えるしかないですね、安くしときますよ」なんてことになるのかもしれません。

よろしければ1票を

すみません。昨日のブログに書きましたが、高校生によるエコノミクス甲子園の大敗者復活選が行われ、各チームのマニフェストをもとに投票によって復活チームが決定されることになっています。投票受付は16日と17日の48時間。もしよろしければ昨日アップのブログに掲載したURLにアクセスの上、鹿児島県の「15-BOYS」を応援してください。よろしくお願いします。

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2011年1月14日 (金)

よろしければ1票を

いわさきバスネットワークが鹿児島市内で連接バスの運行を始める準備をしていると報道されていました。既に元京成のバスを4台購入済みということをしゅうさんの掲示板で知りました。長さが18メートル、定員が140人だそうです。それだけの需要があるのか疑問ですが、会社としてはそれなりの戦略があるのでしょう。複数路線に投入予定とのことですが、オプシアミスミ線は、途中に鹿児島本線の踏切があります。この踏切は道路の交わりに問題があり、普段から危険が指摘されている踏切です。踏切を渡ってすぐにT字交差点となり、左右の車の切れ間を縫って進まなければならず、連接バスは踏切内に後部を残したまま一時停止を余儀なくされるのではないかと思います。これを機にこの踏切を渡らないコースに路線変更するつもりなのでしょうか。その他、九州新幹線全線開業をにらんで観光客向け周遊バスの運転も始めるのだそうです。既存路線との関係や料金体系など、初めて訪れる観光客に混乱を招かないか懸念されるところです。

さて、皆様にお願いがあります。第5回エコノミクス甲子園というイベントが行われ、地方予選が終わり各都道府県からの代表が出そろい、全国大会が2月に行われる運びとなっております。内容は高校生が経済問題の知識を競うクイズ大会です。私の息子も高校の友達と出場しました。このことはこのブログでも紹介しました。残念ながらサドンデスの末準優勝。

しかし、全国の準優勝チームが「大敗者復活選」なるチャンスにチャレンジし、1チームのみが決勝戦に臨めるチャンスが残っています。方法は、各チームがマニフェストを作成し、それに投票してもらい一番投票総数が多かったチームが敗者復活を果たすというものです。エコノミクス甲子園のサイトには辞退したチームを除く20チーム分のマニフェストが出揃い、投票を待つのみとなっています。投票は、16日と17日の48時間。サイトの投票したいチームのページを開き、QRコードを携帯で読み取り投票するというシステムです。

私の息子は鹿児島県の「15-BOYS」というチームです。もしよろしければ1票を投じてください。第5回エコノミクス甲子園のURLは http://econ-koshien.com/ です。皆様の暖かいご声援をよろしくお願いします。

写真はイメージです。携帯で1票!

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2011年1月13日 (木)

マッコウクジラその後

今日も寒い一日でした。先日近くに漂着した2頭のマッコウクジラはまだそのままです。1頭は干拓の排水門のくぼみの中にいます。もう一頭は堤防から少し離れた沖にいます。漁業に従事している方によると今日、福山からクジラを運搬する船が到着したそうです。そのまま沖へ曳航するのかと思っていましたが、打ち上げられた状態なのでそう簡単にはいかないのでしょう。かなりの費用がかかりそうです。ちなみに2002年に14頭のクジラが打ち上げられたときには8000~9000万円の費用がかかったのだそうです。

昨日、ようやく本年度の取組をまとめた論文が仕上がりました。装丁を整えて今日無事に提出を終えました。提出は任意ですが、これで7年続けて提出したことになります。その年の取組を形にしてまとめることは、自分がしたことを見直したり整理したり価値付けしたりするよい機会にはなるようです。

導入しようと思いながらなかなか一歩が踏み出せなかったエアブラシ。ホビーコーナーのいくつかの製品を見ながらも、決して安い買い物ではないのでそのままになっていました。今回、意を決して購入することにし、今日ネット店から商品が届きました。東京からコンテナに揺られて東海道線・山陽線などを経てやって来たのでしょうか。

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2011年1月12日 (水)

睡眠時間が

ここ数ヶ月睡眠時間不足の日が多くなってきました。一時は健康のために必ず6時間寝る生活をかたくなまでに守った時期がありました。毎日ウォーキングも1時間以上。気分爽快、体も絞られ、やればできることを実感したものでした。

今、夜中の1時。5時過ぎには起きなければなりませんので4時間ほどの睡眠時間。すみません、掲示板のレスもブログの語らいもできないまま寝てしまいます。

かつての健康生活を取り戻し、長ーく人生を楽しむ努力をしなければなりません。

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2011年1月11日 (火)

キハ47

鹿児島中央駅に停車中のキハ47です。国鉄末期に登場した同車は、台所事情が逼迫した中でローカル用に大柄な車両を投入したものだと思っていました。しかし、長い目で見ると国鉄らしい堅実な車両で、長持ちで各種改造にも応え、鹿児島でも「はやとの風」や「いさぶろう・しんぺい」として活躍し、もうすぐ「いぶすきの玉手箱」も登場しようとしています。

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2011年1月10日 (月)

久々の電車

久々に電車に乗る機会がありました。切符を手に電車に向かうとき、小さな旅とはいえ少々わくわくするのは鉄分があるからでしょうか。行きはクハ411-615+モハ414-515+モハ415-515+クハ411-515、帰りはクハ411-614+モハ414-514+モハ415-514+クハ411-514という編成。番号を見ると続番の編成です。

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2011年1月 9日 (日)

4号機関車の体験

すぐ近くの海岸にマッコウクジラが打ち上げられました。しかも2頭同時に。体長はそれぞれ17メートル前後。沖の1頭はまだ痛みは少ないらしいですが、干拓の防波堤近くの1頭は口を大きく開け、腹が割れて内蔵が出てきているとのことでかなり腐敗が進んだ状態のようです。市では海中投棄の方針を固め、沖に曳航した後、重しを付けて海中に沈める予定だそうです。平成14年には隣接する干拓地の防波堤に14頭ものマッコウクジラが生きたまま打ち上げられ、大きなニュースになりました。

消防の出初め式があり、夜には消防団の激励会が行われました。ここでも鯨の話題がちらほら。平成14年のクジラ打ち上げの時には、クジラが死んだ後、堤防からかなり離れた国道まで腐臭がしてきたとのことで、油がたっぷりのったクジラの腐臭はかなりのもののようです。処理に当たった人たちは、その腐臭が衣服に染み付き大変だったという話も聞きました。ニュースでは伝わってこない事実が実際にはあるようです。

写真はクジラとは全く関係のない南薩鉄道4号機関車のキャブ。ご存じの通り、4号機関車は上り列車運転中に米軍機の空襲に遭遇し、被弾しています。その弾痕は被弾後65年経った今でもその痕跡を見ることができます。被弾は1945年3月18日のことでした。米軍機を認め必死に走り、大田トンネルに逃げ込んでいますが、残念なことに尊い犠牲者を出しています。そんな歴史をもった運転室。機関士はどんな思いでレギュレーターを引いていたのでしょうか。また、機関助士はどんな思いで石炭を焚いていたのでしょうか。歴史の生き証人が今静かに平成の世にその姿をとどめています。

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2011年1月 8日 (土)

エアブラシを購入しようかな

鉄道模型の塗装のためにコンプレッサーやエアブラシを購入しようと思っています。雑誌やネットでいろいろ調べ、これがいいかなあという製品が絞られてきました。価格は店によってまちまち。一番安いところに頼むつもりです。あと、塗装をするときの環境も考えておかなければなりません。ミストを吸引してくれる製品もありますが、まずは段ボールあたりで工夫をしてみようかなと思います。

プラ製模型の床下や台車などの未塗装部分を塗装したり、ウェザリングを行ったり、これまで手を付けられなかったことが楽しめるようになりそうです。

「人生は一冊のノートにまとめなさい」流に、昨日から今日にかけてのログをこまめにまとめてみました。写真も意識して撮って小さく印刷して数枚貼り付けました。この作業はなかなか楽しいもので、まさに自分の人生を形にして残していっている感じです。単にあったことをまとめるだけでなく、よいログにしていくためにこれから起こす行動にも影響を与えていきそうです。

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2011年1月 7日 (金)

あの頃の鹿児島(第10回)

また寒波がやってきました。夜の11頃まで集まりがあり、寒い町を40~50分ほど歩いて帰ってきました。耳が切れそうな寒さは久しぶりです。さて、だいぶ間が空きました。久しぶりのあの頃の鹿児島です。

どんどん

網笠をすっぽりかぶり袈裟をまとった異様な格好をした人が、町中をドンドンと太鼓のようなものを打ち鳴らしながら歩いていました。虚無僧だったのか。子ども心にその姿は恐ろしく、どんどんが来たといっては逃げ回るものでした。遠くからどんどんが聞こえてくるとこちらへ来ないようにと祈るような気持ちでいました。どんどんは、家の入り口にくると向きを玄関へ変え、どんどんと打ち鳴らしました。初めはゆっくりと、しかし誰も出てこないとなると次第に大きく、そして早いテンポで打ち鳴らすのです。

自分の家の前で立ち止まり、こちらに向かってどんどん打ち鳴らされているときの恐ろしさ。そのどんどんという音のひとつひとつが心の奥まで恐ろしい音として響いてきます。恐怖で心臓の鼓動が早くなっているのが分かります。母が出て、お金を渡すとぶつぶつと言いながら、また次の家へと移っていくのです。

一番怖いのは、留守番をしているときにどんどんが来ること。遠くからどんどんが聞こえ始めると、こっちへ来ないかなと不安でいっぱいになります。だんだん大きくなってくるどんどん。窓を閉めたりカーテンを閉めたり、居留守を使うためにどきどきしながら準備をします。留守だと判断してそのまま行ってしまうことを祈りながら…。それでも家の前で立ち止まる気配がし、どんどんが始まります。怖くて怖くて押し入れの中で耳を押さえて小さくなっています。次第に大きくなりテンポが早くなってくるどんどん。まるで居留守を使っていることを見透かされて咎められているのでは思うほど、その音は恐ろしく響きます。

そんなに長い時間ではないと思いますが、恐ろしくて小さくなっている間は、それはそれは長い時間が感じられました。

いつの頃からか、どんどんは見かけなくなりました。あの頃の恐ろしい思い出です。

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2011年1月 6日 (木)

人生は1冊のノートに

平成19年2月から「統合ノート」にいろいろなことを記すようにしています。統合ノートは、ノートを分けて分類して記していかずに、何でもかんでも1冊のノートに押し込んでいくノート。これだと情報の散逸がなく、ごっちゃではありますが時系列に確実に残っていきます。

しばらく手帳に凝ったことがあり、手帳関連本を手当たり次第に読んだことがあります。その当時の私には目から鱗状態で、システム手帳とのつきあいは今日まで続いています。その関連本の中に「統合ノート」という考え方があり、手帳では量的に対応しきれない部分をこの統合ノートで補っていこうということで始めました。

A5の大きさのルーズリーフをバインダーに閉じて鞄に入れて持ち歩いています。書き込んで増えていったものはときどき紙ファイルに移し、保管しています。ルーズリーフの肩の部分に日付と通し番号を入れています。

「人生は1冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之著 ダイヤモンド社)という本を昨日娘と書店に行ったときに買ってきました。統合ノートが少々マンネリ化してきたので、バージョンアップを図るのが目的です。100円ノート整理術第3弾ということで、第2弾の「読書は1冊のノートにまとめなさい」も興味深い内容で購入して読んだことがあります。今回の第3弾も大いに参考になる内容で、低空飛行状態だった統合ノートにパワーを与え、大空へ向かって急上昇させるだけのアイデアがつまっていました。

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2011年1月 5日 (水)

ゆっくりの一日

昨日が仕事始め。今日は早速2011年最初のお休みをもらいました。妻も休み、子どもの部活も午前中のみで午後は久しぶりに家族そろってゆっくり過ごしました。

年末に買った国鉄時代vol.24をじっくり読む時間ができました。今回はC61の特集、鹿児島や宮崎にゆかりのある機関車ですので、興味深く読むことができました。当時の様子が生々しく伝わってきて、しばし古き良き国鉄時代に戻ったような気になります。33両しか誕生しなかったC61の活躍範囲はかなり限定的で配置区の変化もあまりなかったのですね。その中にあって1949年に新製配置された鳥栖機関区から翌年には鹿児島機関区に移った6両が鹿児島本線でのロングランで華々しい活躍をし、晩年は特急牽引はなくなったものの鹿児島電化の1970年10月まで全機揃って運用を行ったことは特筆すべきことです。

C61より格上ではないかと思われるC60が特急運用につかずにC61が特急を牽引したのはストーカー(自動給炭機)に因るところが大だということも改めて認識しました。連続給気運転がどれだけ厳しいものかということも記事を読みながら伺えました。

夕方、長女が本を買いに行くというので付き合ってあげました。すぐ近くに本屋があり、とても助かっています。最近24時間営業になったのでますます便利。ちょっと時間があれば、ふらっと出かけることができますから…。長女も購入する2冊の本を抱え、児童書コーナーにあるベンチに座って図書館のごとく別の本を読んでいます。私は買うつもりはなかったのですが、おもしろそうな本があったので3冊買ってしまいました。その中には、新潮文庫の新刊(元日発行)の「『鉄学』概論」という本があります。サブタイトルが「車窓から眺める日本近代史」となっています。単行本「鉄道から見える日本」を改題したものだそうです。

未読の本がたまってきました。焼酎の量を減らして本を読む時間を作らなければなりません。しかし、つい誘惑に負けて飲み過ぎてしまう悲しい現実があります。誘惑に負けず、強い自分になれるノウハウを書いた本をまず読まなければならないかも。

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2011年1月 4日 (火)

大雪後の南薩線廃線跡

大晦日から元日にかけての大雪は、未だにいたるところに雪の固まりが残り、道路の規制も続いています。私の家のかまくらの残骸もまだ残っています。

南薩線の廃線跡は一面の雪景色でいつもにない表情を見せていました。時間的な余裕がなくて写真に収められなかったのが残念です。美しさの一方で廃線跡には傷跡も残っています。多量の積雪により木の枝が折れ、地面に落ちてきているものも多くあります。薩摩湖付近の松林の中をいく廃線跡にも松の枝が多く散乱していました。また、正式な名称は分からないのですが、こちらの人が「にが竹」と呼んでいる細い竹が雪の重みで廃線跡に倒れ込み、自転車道化したところでは通行できないような状態になっているところもあります。広域農道に生まれ変わったところでも同じような状態が見られ、片側車線を完全にふさいでいる場所もあり、今日現在で手つかずの状態です。昼間ならまだしも夜になるとたいへん危険です。

一部区間での確認ですが、これは南薩線の廃線跡全線に及んでいる被害だと予測できます。

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2011年1月 3日 (月)

博多駅延伸

早いもので新年が明けて3日目。これまで元日に家族そろって神社へ歩いて初詣に行くのが恒例となっていました。今年は大雪のため元日の初詣は見送り。それぞれに用事があって一緒に行くことができなくなり、私は今日次男と長女を連れて行ってきました。

途中入り組んだ住宅街の路を歩きます。生活感があって楽しめる路です。長女はこのあたりの土地は高いの?と聞いてきます。いったい何を思って聞いてきたのか。市内中央部に近いけど路が狭く入り組んでいることや崖が迫っていることが少々マイナス要因。実際はどうなのでしょう。まったく変なことを聞いてくるものです。

神社は正月3日目ということで思ったより少なく、すんなり初詣を済ませることができました。いろいろな形式的な行事が自然消滅していく中、この初詣だけは若い人もおろそかにすることなく老若男女の別なく詣でています。年の初めに願をかけるという気持ちは日本人の心からまだなくなっていないようです。

ある本で初詣では、神様に今年はこんな年にして欲しいと一方的に祈願するのではなく、昨年のご加護に感謝することが本来の姿である、と述べられていました。よくよく考えてみると一年の最初に神頼みに行くというのもなんだか浅ましい気がします。それより昨年1年間のことを振り返り、神様のお陰ですとお礼を述べる方がよほど自然な感じがします。今回も昨年1年間のことについてお礼を述べてきました。

神社には九州新幹線乗り入れ用N700系の写真が掲げられ、参拝者を迎えていました。開業日の3月12日は、私の長男の誕生日でもあります。

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N700系の写真には「祝開通 九州新幹線 三月十二日 博多駅延伸 大阪直通便」と書かれています。「博多駅延伸」というのが九州新幹線の性格を表しています。末端区間の飛び地での先行開通は、博多から鹿児島へというより鹿児島から博多へ伸びていく新幹線であり、鹿児島にとってはまさに「博多駅延」であります。工事が比較的容易な博多・熊本間が先に開通していたら、鹿児島延伸はまだまだ先になった可能性が大だったように思えます。

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2011年1月 2日 (日)

雪の中を南薩縦断

赴任先で地域の行事があるために早朝、鹿児島を出発して赴任地へ向かいました。まずは、車の雪を払いのけての発掘作業。家内の車の後ろに止めているので、2台分発掘しなければなりません。丸二日そのままにしていましたので、雪が堅くなり大変な作業でした。

いつも使う峠道が昨日までは通行止め、今朝は除雪作業が済んだらしくチェーン規制に変更になっていました。1年に1回使うか使わないかのチェーンは今乗っている車用は買っていません。チェーン規制のない路を選び大回りしながら向かう計画です。

鹿児島市内は常に車が降った雪を踏みちらす状態でしたので、車道の雪はいつの間にか消えていました。しかし、市街地を出ると除雪した雪が道路の両脇に寄せられ、大きな雪の固まりが続いています。車の温度計を見ると氷点下。雪こそないものの道路は凍結状態。カーブでは速度を落とさなければ危ない状態です。旧鹿児島交通線上日置駅近くの毘沙門界隈では車が滑っている感覚を味わい、ちょっとひやっとしました。

旧鹿児島交通線は伊作駅前後の駅の間に急な勾配があります。同じような地形に沿いますので道路にも勾配があります。手前の勾配を下っているとき、タクシーが後輪を空回りさせながら立ち往生しているところに行き当たりました。道路をふさいでいるので動向を見守ります。後続の車を先に行かせて、坂道をバックしていくことにしたようです。ほどなく先の勾配に差し掛かると今度は複数の軽トラが空回りして立ち往生。数台で作業に行くところだったのでしょうか。何とか端に寄せて滑らないように垂木の切れ端のようなものを後輪にかませて対策を考えることにしたようです。軽トラから降りてきた初老の男性は足が滑ってすくわれそうになるのを恐れながらそろりそろりと歩いています。

いずれにしてもスリップする車とノーマルタイヤのままで登れる車とあります。いろいろな条件でこのような結果になるのだと思いますが、軽トラのおじさんたちは普通に登っていく車を不思議そうなまなざしで見送っていました。

道中、眺めた南薩の雪景色は見事なものでした。気温が低くなったために川からもやが立ち上がり、真っ白い風景にさらに白いベールをまとわせるようなまさに絵に描いたような光景。先を急ぐ必要があったため、写真に納められなかったのは残念。

いつもより時間をかけてやっと目的の地に着きました。しかし、摩訶不思議。全然雪がありません。途中で線を引いたように路面が乾き、辺りには残り雪も全くありません。いつもの光景と変わりないのです。10分前まで雪の中を走ってきたというのに。

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2011年1月 1日 (土)

新年の制作物

新年あけましておめでとうございます。2011年が始まりました。昨日来の雪で銀世界でのスタート。鹿児島では珍しいことです。今朝の新聞を見ますと鹿児島市内としては観測始まって以来の積雪を記録したとのことです。

バルコニーに子どもたちが新年を祝して「新」の文字を刻みました。かまくらづくりのために長女が雪集めをした動線跡を生かして文字を刻もうということになったらしく、その一部を使える文字として「新」になったとか。家族それぞれいろいろな新しいことにチャレンジできる年になったらよいと思います。

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昨夕中断していたかまくらづくりの続きが始まりました。寒い中、やる気満々の様子で私も少し手伝いました。眼鏡橋のアーチ構造を生かしながらアーチで全体的に支え合うようにと子どもに伝え、雪を重ねていきました。形ができたところで全体的に肉太にするために雪を補充。長男は中を広げるために内部を削る作業。最後には中に簡単なベンチも雪で作って完成となりました。子ども3人が中に入って座ることができました。この冬のよい思い出になったことでしょう。写真は制作途中のかまくら。

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