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2011年1月 7日 (金)

あの頃の鹿児島(第10回)

また寒波がやってきました。夜の11頃まで集まりがあり、寒い町を40~50分ほど歩いて帰ってきました。耳が切れそうな寒さは久しぶりです。さて、だいぶ間が空きました。久しぶりのあの頃の鹿児島です。

どんどん

網笠をすっぽりかぶり袈裟をまとった異様な格好をした人が、町中をドンドンと太鼓のようなものを打ち鳴らしながら歩いていました。虚無僧だったのか。子ども心にその姿は恐ろしく、どんどんが来たといっては逃げ回るものでした。遠くからどんどんが聞こえてくるとこちらへ来ないようにと祈るような気持ちでいました。どんどんは、家の入り口にくると向きを玄関へ変え、どんどんと打ち鳴らしました。初めはゆっくりと、しかし誰も出てこないとなると次第に大きく、そして早いテンポで打ち鳴らすのです。

自分の家の前で立ち止まり、こちらに向かってどんどん打ち鳴らされているときの恐ろしさ。そのどんどんという音のひとつひとつが心の奥まで恐ろしい音として響いてきます。恐怖で心臓の鼓動が早くなっているのが分かります。母が出て、お金を渡すとぶつぶつと言いながら、また次の家へと移っていくのです。

一番怖いのは、留守番をしているときにどんどんが来ること。遠くからどんどんが聞こえ始めると、こっちへ来ないかなと不安でいっぱいになります。だんだん大きくなってくるどんどん。窓を閉めたりカーテンを閉めたり、居留守を使うためにどきどきしながら準備をします。留守だと判断してそのまま行ってしまうことを祈りながら…。それでも家の前で立ち止まる気配がし、どんどんが始まります。怖くて怖くて押し入れの中で耳を押さえて小さくなっています。次第に大きくなりテンポが早くなってくるどんどん。まるで居留守を使っていることを見透かされて咎められているのでは思うほど、その音は恐ろしく響きます。

そんなに長い時間ではないと思いますが、恐ろしくて小さくなっている間は、それはそれは長い時間が感じられました。

いつの頃からか、どんどんは見かけなくなりました。あの頃の恐ろしい思い出です。

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コメント

管理人様、今年イッパツ目の「あの頃の」。アレ『ドンドン』って名付けていたのですか。私も異様な姿と太鼓の音が怖かったです。草牟田町に有った借家の国道(電車道)を挟んだ甲突川沿いを伊敷方面へ歩いてゆく姿が記憶に焼き付いております。まだ幼少期『仮面ライダーショー』の出だし(ショッカー達)でビビり。「お前達の中から・・人質を」にオノノき捕まるまいと県文化センターのWCに逃げ隠れた位の『ひっけじゴロ』。修業僧?さん自身は真面目な務めだったのでしょうが子供達には大迷惑でした。そう言えば非水洗の便所も怖かったですし、何よりも夜中に(家の)外に追い出し板張りの雨戸を閉める『母親』の方が数倍も恐ろしかったです。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年1月 9日 (日) 12時45分

夢幻鉄道様の記憶の中にもありましたか、あのどんどんが。時代劇から出てきたようなあの出で立ちにあの恐ろしい音。あんな恐ろしいものはありませんでした。怖いと言えば、鉄砲での猟を趣味とする叔父がおり、もう他界しておりますが「鉄砲のおじさん」と勝手に名前を付けて恐ろしがっておりました。「○○ぼう」と自分の名前をその叔父から呼ばれようものならびくっとしたものです。木枠の窓に薄い板ガラスの頃は必ず雨戸をしめるものでしたね。あの頃は子どもたちにとって恐ろしいものが結構身近におり、勝手な振る舞いに歯止めがかかっていたのかもしれません。今の子どものように?横柄な態度が取れるような時代ではありませんでした。

投稿: Nakachan | 2011年1月 9日 (日) 14時27分

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