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2011年3月

2011年3月31日 (木)

汽罐車

今日で平成22年度が終了。無事にこの1年が終了したことに感謝したいと思います。今回の大震災の惨状を見るにつけ、何気ない日常を送れることのありがたさが身に染みます。被災された方々の一日も早い日常の回復を願ってやみません。また、今回の原発の事故、エネルギー消費社会を容認してきた私たちの社会全体の責任でもあると思っています。世界の英知を集め、収束への見通しが立てられることを祈るばかりです。

先日購入したイカロス出版の「蒸気機関車vol4」の巻頭グラフに大木茂氏の「汽罐車」と題した写真が掲載されていました。どの写真もはっとするような力をもったものばかり。鉄道写真とはなんぞやということを老若男女誰にでも理解してもらえるような味わいのある優れた写真に心打たれました。

3月3日に同名の写真集が発行されたのだそうです。早速ネットで調べ、発行元へ注文しました。巻頭グラフには本の紹介はされているのですが、値段が記載されていませんでした。1万円ほどはするのではないか。しかし、破格の3990円。しかも、発行元へ直接注文すれば24枚の高解像度写真データが24枚入ったCDが特典で付きます。

発行元は「鉄道写真集刊行委員会」となっています。ここのHPはリンク先のページも含めて必見です。

新聞(4月1日付地元新聞:このブログ当日書けなかったので翌朝書いています)にも新刊として紹介されていました。最後の方にこのように記されています。「本書のSL写真は、生き物のような息遣いやぬくもりを伝えている。『人間に一番近い機械』といわれる理由だろう。効率優先の社会の中で大事な何かを見落としてきた気分にさせられる一冊だ。」

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2011年3月30日 (水)

運用を終えた485系

3月12日、九州新幹線全線開業の日、運用を終えた485系が留置されていました。世代交代により前日まで第一線で活躍していた車両が日付が変わったとたんに働き場所を失い、留め置かれている姿に何とも感傷的な気分になってしまいます。

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2011年3月29日 (火)

薩摩万世駅跡の駅前旅館「村田旅館」

南薩鉄道万世線の終着駅薩摩万世駅。昭和37年1月15日に廃止になっています。廃止からまもなく50年になろうとしていますが、更地となった広い駅構内跡の前に2件の駅前旅館が健在です。村田旅館と松屋。万世商人が闊歩した時代は遠い過去となり、辺りは静まりかえっています。そんな中で2軒の駅前旅館が過去の栄華を今に伝えています。

今日は、そのうちの1軒、村田旅館で送別会が行われました。総勢73名参加の送別会です。村田旅館ではお手伝いの人数名に高校生のバイト生も2名呼んで対応していました。

さて、村田旅館の館内を案内しましょう。堂々と構える正面玄関。かつては引き戸だったのでしょうが、現在は自動ドアとなっています。しかし、雰囲気を害するものではなく、引き戸が自動ドアに変わったぐらいで違和感はありません。自動ドアが開き中に入ると左右に木製の下駄箱があります。上を見ると少し造作を凝った天井。もちろん木製。そこで白熱球が淡い光を放っています。下駄箱に靴を入れると中に上がるために3段ほど上がります。フロントはやや左側の部分からまっすぐ奥に伸びる廊下の右側にあります。玄関を上がって正面には2階に上がる階段が右側から左上に向かって斜めに横切り、階段の上がり口を右手に進むと洗面所。これも時代を感じさせるもので、洗面所横にある大きな鏡にはアサヒビールの文字が書かれています。これが横書きなのですが、文字が右から左に流れています。かなり古いものと見受けられます。付近にある扉も木製のもの。

フロントの廊下を奥に進んでみましょう。廊下には古い木製の箪笥。仕事に使う細々としたものが入っているようです。廊下の右側には和室があります。廊下は左にいったん折れ、さらに右に折れながら2段ほど下がります。ここからさらに奥の方へ廊下が続きます。廊下右手は宴会場。舞台を備えた100人規模の宴会ができるような部屋です。カーテンの造作などから結婚披露宴も行われているのではないかと推測できました。この宴会場を通り過ぎると奥に部屋が二つほどあって、裏庭となります。裏庭も広々としていてなかなかの雰囲気。

ここまでの廊下はあまり広くなく、照明も白熱灯で昭和の時代のセットの中に紛れ込んだかのような雰囲気です。

正面玄関の前にある階段をきしみを味わいながら上ると、そこには旅館の前庭を望むミニロビーが左手にあります。かつてはここから薩摩万世駅構内を望むことができたことでしょう。右手に進むと中央を貫く廊下の左右に客室が並んでいます。昔ながらの畳の部屋がつながっています。

これだけの木造建築の旅館がよくも平成になって20年以上経っているのに未だ現役で活躍中というのが嬉しいところです。若女将さんもきれいな方で、いつまでもこのままの姿で過ぎ去った時代の良さを伝えてもらいたいと願ってやみません。

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2011年3月28日 (月)

ひなびたバス停

夕方、鉄道誌のチェックに行ってきました。といっても時間がなく、必要なものを買うので精一杯。じっくり見るのはまたの機会にします。今月は定期的に購入している季刊誌の発売があり、少々出費がかさみました。「蒸気機関車vol.04」に「国鉄時代vol25」、それに九州新幹線やおもしろそうな記事があったので鉄道ファンも買ってきました。

今日はバス停の写真を載せてみました。個人商店がバス停名になっている何ともローカル色たっぷりなもの。ひなびたバス停表示板が夕日を受けてしばし輝いて見えました。

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2011年3月27日 (日)

ミニ鉄道

昨晩は送別会。帰宅したのは日付変わって1時頃でした。6時間あまり飲み続けましたので、少々飲み過ぎ状態。今朝の目覚めはさわやかとはいきませんでしたが、幸い二日酔いになることはありませんでした。天気が良かったので、出かければよかったのですが、昨日の疲れもあり夕方までずっと家で過ごすことに。おかげで積ん読の本を読むことができました。内田幹樹著「拒絶空港」。パリから成田に向かっていたB747ー400に放射性物質が積み込まれ、しかも離陸時にランディングギアに損傷を来したという設定の小説です。東北大震災が起こる前に購入した本でしたが、放射性物質の拡散がテーマのこの小説、現在の東京電力福島原発事故と重なり、かなりリアリティのある話となりました。福島原発事故が現場係員の努力によって一日も早く事態が好転し、収束することを願ってやみません。

夕方から昨日に引き続き送別会。今回の会場は海端の宿泊施設。窓から港が見え、時折漁船が通るのが見える絶好のロケーションでした。今日は一次会のみで終了だったので、割と早く帰ってくることができました。あと1回、送別会が待っています。

写真は九州鉄道記念館のミニ鉄道。軌間450ミリです。885系「かもめ」、787系「つばめ」、883系「ソニック」、キハ72系「ゆふいんの森」、813系「近郊型電車」の5種類の列車が走ります。単線で途中、待避できる複線区間があります。信号機もあり、本物の鉄道を小さくした感じです。発車するときは運転士の操作が必要ですが、その後は全くの自動運転。小さな子どもが運転しますので、仕方ないかもしれませんね。

787系「つばめ」がやってきました。定員は3名です。大人も乗車できます。

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883系「ソニック」の車内です。女性運転士が前方注視中です。キハ72系「ゆふいんの森」がやってきました。

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2011年3月26日 (土)

閉園式

保育園の卒園式と閉園式に呼ばれて行ってきました。58年間の公立保育園としての歴史にピリオドを打ち、民間の保育園に移行するとのことです。少子高齢化による学校再編や財政難にあえぐ地方自治体の台所事情を反映した改革など地方は縮小していくばかり。

鉄道がなくなり、学校がなくなり、そして残るものは…

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2011年3月25日 (金)

こんな活用方法が

新聞に宮崎県にあるリニアモーターカー実験線跡にて太陽光発電が開始されるとの記事が載っていました。写真には実験線の高架にずらっと並んだ太陽電池パネル。こんな活用方法があったのかと感心してしまいました。宮崎県は地形的に晴天率が高いのではないかと思います。こちらが大雪でもからっと晴れていることがよくあります。

写真はまだ運行していた頃の485系。手前のEF81も後継機の登場で全国的には数を減らしつつあります。

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2011年3月24日 (木)

峠越えが次々と

年度末ということもあるのですが、少々仕事の泥沼状態になってきました。これから数日間、乗り越えなければならない山が次々とやってきます。霧島越えに矢岳越え、それに布計越えが次々にやってくる感じです。今日もめいいっぱいの残業。

写真は旧南薩線の吉利駅に立っている枕木のようなもの。

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2011年3月23日 (水)

6時間56分

6時間56分と聞いてぴんとくる方もいらっしゃるのではないかと思います。山陽新幹線岡山・博多間が開業したときの東京・博多間の所要時間です。

今、交通新聞社新書「国鉄ダイヤ千一夜」を読み進めています。この中に、この6時間56分の件が出ており、興味深く読みました。当初、設計上の所要時間は6時間40分だったそうで、ダイヤも6時間40分で各地のものができつつあったときに、新規開業区間の盛り土部分の沈下がしばらくは続くとのことで徐行運転が必要ということに。さあ、この16分の差をどこが吸収することになるのか。接続のことを考慮すると、この16分でダイヤは大きく変わってきます。車両運用から乗務員運用など、その波及する範囲は広く、それぞれの利害がぶつかることになったのだそうです。結局、総合的に見て最も影響が小さくてすむ九州が吸収することになったのだそうです。

6時間56分の裏にそんな話があったなんて知りませんでした。盛り土部分の沈下が落ち着いてきたところで当初計画の6時間40分運転。まだ、読み始めたばかりですが、興味深い話に多く接することができそうです。

写真は鹿児島市電。立ち並ぶセンターポール。やってきたのは古参の500形。交通局のオリジナル塗色がよく似合います。

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2011年3月22日 (火)

皆でできることを

今回の大震災で東電の計画停電が実施されるようになってこちらのコンビニでも節電のためか店内以外の照明が落とされるようになりました。東電エリアの節電には何ら影響はないと思われますが、日本の危機を知らしめ、できることから協力支援していこうという意識を高めるためには大いに貢献していると思います。フランチャイズ加盟店としての痛み分けという側面もあるのかもしれません。

今回の震災による原発被災はエネルギーを必要以上に消費している日本人をはじめとする人類への警告だったのかもしれません。これを機会に安全で持続可能はエネルギー消費について改めて考える必要があるのではないかと思います。原発反対を訴えるのならば、それ相応のエネルギー節減を同時に行っていかなければ説得力に欠けます。

長男は、計画停電の実施が決まった日から家中の無駄な照明を消し、学校では募金組織を立ち上げ、活動を続けています。次男は手持ちのお小遣いの3分の2以上を募金に回したと言います。いつの間にそんな意識を持つようになったのか分かりませんが、親としては嬉しいことです。震災という過酷な運命の中でそれでも高い倫理観を失わない日本人。今一度日本人としての誇りを再認識し、歴史あるよき日本の構築に皆で取り組んでいきたいものです。

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2011年3月21日 (月)

581・583系

JTBのCan Booksに「581・583系物語」が加わりました。北は青森から南は西鹿児島まで活躍した581・583系。新幹線で青森から鹿児島まで結ばれたこの時期に発売となったのは意味深いものがありそうです。同系の歴史が時代背景とともに記され、専門的な立場から興味深い内容が盛りだくさん。

581・583系がやってくると「ゴトゴトゴトゴトゴト…」というフラット音が印象的でしたが、このことについても触れられ、12両で走っていた「有明」も一時期フラット等対策のために7両に減車して走っていたことがあったのだそうです。また、山陽・九州筋が6M6Tで東北筋が8M5Tである理由など編成についても興味深いものがありました。クハネ583は東北筋の15両化に対応して設計されているそうで、当時は15両化についても計画があったようです。

その他にも初めて知るようなことが多くあり、581・583系を知る貴重なバイブルです。

今、こうして改めて581・583系を眺めると実に魅力的な車両だったなと思います。そして、登場から40年を経て、未だに急行列車とはいえ、「きたぐに」で活躍していることは特筆に値することです。

写真は西鹿児島・上伊集院間をいく「有明」。昭和57年度のダイヤ改正で需要減のため12両からサハネ2両を抜いた10両に減車された姿です。先頭からクハネ581+モハネ583+モハネ582+モハネ583+モハネ582+サシ481+サロ581+モハネ583+モハネ582+クハネ581の編成。撮影は1983年。

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2011年3月20日 (日)

まもなく終点鹿児島中央

南薩線が走っていた金峰町の北多夫施・南田夫施間の田んぼで田植えが始まりました。旧沿線には菜の花もちらほら咲き、春の風情が感じられます。

そんな風景を車窓に見ながら夕方鹿児島に帰ってきました。鹿児島中央駅近くの新幹線ガード下の道路を通るのですが、最近、運よくN700系が通るのを見かけます。本州とつながったんだなというのを実感することができます。

今宵はアップする写真がなかったので、急遽、バルコニーから調達することにしました。時刻表を見ると鹿児島中央駅に22時48分に到着する列車がいます。さて、うまくいくかどうか。結果は下の写真のようになりました。鹿児島中央駅に進入する新幹線。少々アルコールが入り、手元がおぼつかなかったのですが、何とか窓らしきものが写りました。

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2011年3月19日 (土)

夢の跡

今日、新製配置から16年目になる車が全検出場してきました。床下の泥汚れはスチームで綺麗に洗い落とされ、足回りも黒光り。まさに鉄道車両が全般検査を終えて出場してきたような様子です。

あちこち動かない部分が出てきていますが、車検に関係ない部分はパス。動かないタコメーターの交換だけで4万円になるといいますから…。今回の車検で一番の問題は、燃料噴射ポンプからの燃料漏れが見つかったこと。これは直さないと車検をパスできません。オーバーホールして修理することになるそうで、これだけで10万円の費用が必要になりました。それに先日バーストしたタイヤも代わりの品を購入することになりましたので、またまた余計な出費が。

封筒に用意した現金を支払いながら、これだけあれば天賞堂のブラスモデルが買えるのにと何とも恨めしい思いに駆られました。

さて、さつま湖を見下ろす場所にそびえる廃墟。南薩線さつま湖駅近くのロープウェイ駅から湖を横断して伸びていた索道の終点。さつま湖駅側は撤去されて久しいのですが、こちらは今でもこのような姿になりながらも実存しています。家族連れで、また親しいもの同士で乗ったという記憶がある方ももう年配になっていると思いますがいらっしゃるのではないでしょうか。私も幼い頃このロープウェイに乗った記憶がかすかですが残っています。

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2011年3月18日 (金)

鉄の道の残照

先日から頼まれてちょっとおめかしした女の子の写真を撮ることに。今日も天気が良かったので外へ出て撮ってみました。依頼主は、「へえ、さすがにカメラが違いますね」。いろいろお褒めの言葉をいただくのは嬉しいのですが、すべては「カメラ」がいいということに収束。

露出補正をしたり、構図を考えたり、絞りを考えたり、ライティングを考えたり、ニッコリさせる手段を講じたり、カメラの高さを工夫したりとそれなりに持てるものを総動員しているのですが、すべては「カメラが違いますね」ということに。

さて、昨日紹介した諏訪神社近くに残っている南薩線の跡です。斜陽を浴びて今日もあの日から時間が止まった廃線跡の一日が終わろうとしています。手前からあぜ道、鉄の道の残照、水の道、そして車の道と、生活の場には大小様々な道が混在しています。その中には人の道という多くの人生も通り過ぎていきます。

何となく感傷的になる風景でありました。

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2011年3月17日 (木)

南薩線廃止の日に

今日は南薩線が最後の運行を行った日。あの日は夜明け前から撮影を始めました。西の空には満月。いつもと変わらない朝でしたが、1本通るたびに二度とやってこない列車の時刻が記された駅の古めかしい時刻表に胸を打たれました。

多くの乗客をさばくために中には4両の長大?編成で走った列車もありました。最終期にはキハ100型はキハ103とキハ106、キハ300は1~3の3両が稼動。稼働5両のうち、4両が一列車に組成されるという編成でした。

先日、上日置・日置間にある諏訪神社を訪ねてみました。鳥居越しに南薩線の列車を眺めることができた場所です。道路横の小さな沢にかかる鉄橋の枠が今でも残っています。南薩線も自然への回帰が進んでいますが、付近の集落もその凋落振りには目を覆いたくなるものがあります。美しい里山の風景が広がっていた場所も今では耕作放棄地に廃屋ばかり。少しばかり沈んだ気持ちになりながら夕暮れの神社を後にしました。

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2011年3月16日 (水)

かめまる館整備に伴う築堤切り取り

かめまる館整備に伴う南薩線跡の築堤切り取り工事が進んでいます。建設から100年ほど経っています。切り取り工事で出現した築堤の断面はおよそ100年振りにその姿を見せたことになります。土質をみると南九州特有のシラスのようです。大規模火砕流で噴出した火山性の土です。

築堤の切り取り角度が左右で異なっています。これは何を意味しているのでしょう。単なる切り取りであれば同じ傾斜でよいはず。築堤に上がる階段でも設置するのでしょうか。

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2011年3月15日 (火)

永吉駅のホーム

今日も永吉駅の話題。ホームの整備状況です。ホームは現役末期当時島式ホームの使われていない方は土で埋められなだらかな丘のようになっていました。また、ホームも当時は今残っている部分より長かったと思われます。下の写真は県が設置した案内板に掲出されていたもの。写真のキハ103は接触事故を起こしたのかホーム側の車体下の塗装が派手に剥げ落ちています。

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キハの部分を拡大したものです。

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さて、ホームは下の写真のようになっています。スロープの部分には階段が設置され、石のプレートが敷き詰められています。工事中に撮ったその下の写真には「溶岩石」との書き込み。この部分に使われたものかは定かではありませんが参考までに。嬉しいことにホームの上面は舗装をしたりタイルを敷き詰めたりすることなく地面そのままで当時の面影を十分に感じることができる仕上げとなっています。ホーム横には花壇が設置されていますので、近いうちに春の草花が植えられ華を添えるのではないでしょうか。

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永吉駅を通過?する自転車道利用者。自転車利用者だけでなくウォーキング道として利用している人の姿も目にします。駅名標が設置されたことで鉄道駅らしい雰囲気が出てきました。

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2011年3月14日 (月)

キハ303がここにも

永吉駅にキハ303を模した案内板が登場したのは嬉しいことでした。実は、もう1両永吉駅にキハ303が再デビューしています。車を止めて思わず、「おうっ」と声が出そうになりました。それが下の写真。

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白波洗う松林を背景になかなかよい雰囲気のキハ303がすまし顔でたたずんでいます。南薩線の独特の赤い色をよく出せたものだと感心しました。業者さんが造った案内板のキハ303より、こちらの方が存在感があります。よく見ると案内板のキハ303をモデルに描かれているようです。

さて、裏側に回ってびっくり。この絵にはまだ仕掛けがありました。下の写真を見てください。

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なんと側面も描かれています。かなり実車のイメージを捉えており、扉の配置や引き戸の戸袋部分の小窓、バス窓などよく特徴が出てきます。行き先表示は伊集院、サボではなくなぜか車体に直接書かれています。また、側面のキハ303の表示が青い帯の中に記されています。ベンチレーターも実車とはイメージが違いますが、それを差し引いても実に良くできています。そして、もしやと思い反対側にも回ってみました。

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果たしてこちらにもありました。松の位置とお顔の位置が反対だったらつながりがよさそうです。ということは3つの側面で立体的にしようという意志は最初はなかったのではないかと思われます。先ほどの向きがたまたま貼り合わせてみたら立体的に見えたということではないでしょうか。

キハ303が描かれている小屋はもともとここにあった浜田後自治会のゴミステーション。ステーション跡にゴミステーションというのも少々できすぎな感じがします。公園整備に際し、自治会の方々がごみが丸見えでは見苦しいと言うことで回りに覆いをすることになったのではないでしょうか。せっかく覆いをするのなら…、とどなたかがこの素晴らしいアイデアを思いついたのではないかと。

これは県が設置した看板以上にインパクトあり。地域の方々の南薩線に対する深い愛情に脱帽です。

ちなみに下の写真は、工事中のときのゴミステーション。ビフォーの状態です。

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2011年3月13日 (日)

キハ303が登場

旧南薩線の永吉駅跡の整備工事が終わったようで、工事事務所も撤収されていました。旧駅前商店前はアスファルトで固められた数台分の駐車場となり、ここへ車を置いて積んできた自転車で自転車道を走ることができるようになります。休日はこの自転車道をウォーキングしている方もよく見かけるようになりました。そんな方もここに車を置いて歩き始めるという使い方もできるようになります。

すぐに目にとまったのは大きなキハ303のイラスト。駅舎があった辺りの線路側に立っています。グラデーションも入った本格的なものです。貫通扉に後付けされた特徴ある通風口もしっかり表現されています。下の方には「永吉駅案内」とあり、裏に何があるのか期待が高まります。

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裏に回ってきました。ヘッドライトの丸い飛び出しの裏側には鹿児島県の丸いマーク。よく考えたものです。そしてその下には、永吉駅の簡単な説明と南薩線の写真などが掲出されています。以前、案内板の設置がなされることを期待する旨、記しましたが嬉しいことにこのような形で永吉駅や南薩線のことを利用者に紹介することができるようになりました。看板の下には「鹿児島県鹿児島振興局平成23年2月設置」とあります。吉利駅は今日現在、工事の動きはありません。平成23年度予算での工事となるのでしょうか。

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2011年3月12日 (土)

桜島と787系

一夜明けた今日、次第に被害状況が明らかになりつつありますが、まだまだつかみきれていない部分があることが今回の災害の甚大さを物語っています。多くの人の命が失われたこと、生活が奪われたことに今日も心が痛みます。原発も心配です。

今日、九州新幹線が全線開通しました。自宅からも鹿児島中央駅を発着するN700系を見ることができました。青磁の車体色は新鮮で、800系との区別は一目瞭然。パンタグラフのカバーも800系との大きな違いです。また8両編成となったことでこれまでの800系が6両編成だったことから長く感じます。

九州新幹線は始発から平常運行されましたが、津波警報を受けて日豊線の鹿児島中央・隼人間、指宿枕崎線全線は始発から運転見合わせとなりました。

写真は鹿児島総合車両所に停車中の787系。有明用に増備された4両編成を転用したもの。かつて多客時に通常の「つばめ」に増結され11両編成となって鹿児島にもやってきたことがあった車両です。ロゴは「787AROUND THE KYUSHU」に変更。

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2011年3月11日 (金)

お見舞い

今回の巨大地震並びに大津波に心を痛めています。小学生の頃、本に掲載されていた巨大地震による建物崩壊、火災、地割れ、断層、そして三陸地方の津波被害、目にしても歴史の中の出来事であり実感がわいていなかったのですが、阪神大震災や奥尻島での津波など、これまでに多くの激甚災害を目の当たりにしてきました。そして、今回の未曾有の大災害。

起こる起こると言われながら、いつもの生活を送らざるを得ない私たち。突然のその日になすすべもありません。リアルタイムで送られてくる映像、そしてその中でいつものように生活を送っていたであろう車の動き、本当に心が痛みます。丸ごとすべてを奪っていく津波の猛威にただただ唖然とするばかりです。

被害に遭われた地域の方々や関係者の方に深くお見舞い申し上げます。

明日は九州新幹線全線開業。すべての開業関連の行事が中止となり、静かに滑り出すことになりました。

心を痛めながらの職場からの帰途、夕暮れからしばらく経ち、満天の星空となった空にふと目を向けると、一つの輝く星に目がとまりました。マイナス何等星ぐらいの明るさでしょうか。すうっと移動しています。点滅もなく、すうっと。これだけの明るさですので、国際宇宙ステーションだったのかもしれません。今回の災害のことを考えながら、星空を静かに横切る輝きを何とも言えない気持ちで見つめていました。全天の3分の2ぐらい横切ったところで徐々に輝きを失い、見えなくなってしまいました。地球の陰に入り、太陽光が届かなくなったようです。

復興への道のりは遠いと思います。一日も早く希望の光がささんことを祈るばかりです。

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2011年3月10日 (木)

新しい橋?の使用開始

旧鹿児島交通線吹上浜駅の伊集院寄りにある跨線橋が道路の拡幅及び急カーブ対策のためにすぐ横に新しいものができ、今日通りかかりましたら既に道路が新しい方へ付け替えられていました。まだ舗装はされていません。新しい跨線橋というか単なる陸橋となりますがこちらはコンクリート製の暗渠のような造り。橋の下の線路跡は自転車道となっており、自転車が通れればOKですので、このような造りになったものと思われます。夏場は涼める場所となりそうですが、少々圧迫感もあります。

旧道となってしまった跨線橋には「吹上浜停車場線」というプレートがはめこまれ、旧鹿児島交通線の名残をとどめています。すぐ横に住宅があり、今後も生活道路として使用されるのではないかと思います。

手前が従前の跨線橋、奥が新しいもの。この写真は橋部分のみが完成し、前後の道路工事はまだ行われていない頃のものです。

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2011年3月 9日 (水)

風力発電

最近至る所に設置されている風力発電施設。風光明媚なところにもお構いなしに設置されています。えっ、こんなところにもと驚くことしばしば。風景写真を撮られる方にはやっかいものになっているのではないかと思います。付近に住宅がある場合、低周波による健康被害の懸念があるようですが、これほどクリーンなエネルギー源はありません。発電量や安定性などの課題があるとはいえ、太陽光発電など今後50年、100年経ったときに地球のエネルギー源がどのようになっているのか興味がわきます。車のEV化も今後加速していくのではないかと思われ、こちらにも注目しています。環境破壊の時代から環境と共生していく時代へ、人間の知恵の生かしどころです。

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2011年3月 8日 (火)

吉利駅貨物ホーム

晩年は赤字に苦しむ南薩線。しかし、各駅の構内配線を見るとかつて南薩陸上交通の主軸として活躍していたことが伺えます。荒廃した無人駅も当時は交換設備を要し、貨物引き込み線も備えていました。そんな時代の南薩線をタイムスリップして見てみたいものだなと思います。ここ吉利駅も緩やかにカーブした構内に貨物ホームが残っています。対向式の旅客ホームの側石もすべて残っており、往時の賑わいを知る貴重な場所の一つとなっています。

駅前商店の女将さんのお話では、駅長や駅員の社宅も近くにあったということで好ましい私鉄の駅風景が偲ばれます。整然とした駅風景の中できびきびと働く鉄道員、貨物の入れ換え作業をするタンク機関車、多くの旅客を乗せた客車列車。今となっては想像の世界でしかありませんが、確かにこの場所で展開した日常風景でした。

永吉駅で進んでいる整備事業。今後はこの吉利駅でも行われるのではないかと思われます。どのような整備になるのか少々心配しています。素朴な風景が失われないことを祈ります。

写真は吉利駅跡に残る貨物ホーム。石の積み方に興味がそそられます。

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2011年3月 7日 (月)

JR九州を知る良書

日曜日、トミックス14系15形の金属インレタ不具合にについて同社通販テックステーションにメールを送っていましたが、仕事から帰ると早速返信が届いていました。同店にて同じ製品を試したところ貼付できなかったとのこと。代替の製品がなく、2つの案が示されてきました。一つは14系14形の金属インレタを切り貼りにて使用すること。もう一つは返金。

もちろん14系14形のインレタの切り貼りにしました。14系14形のインレタは初期製品のインレタの残りがありますが、再生産分のインレタをもらうことにしました。長期保存には向かないと説明書に記載されていますので、新しいにこしたことはありません。

1週間ほど前でしたか、自宅近くの書店に子どもたちと行ったとき、長々としたタイトルの本が目にとまりました。「世界から集客!JR九州唐地恒二のお客様をわくわくさせる発想術」。現JR九州社長がJR九州の事業内容等を語る内容の本です。同社の経営に第一線で携わってきた方の本ですので、JR九州の事業の有り様がコンパクトにまとめてあり、国鉄から民営化され成長してきた様子がよく分かります。

聞き取りによりライターが執筆した本ということで、表現が平易でたいへん読みやすい本です。JR九州への興味関心がさらに高まるとともに今後の同社の展開に目が離せなくなる内容となっています。

今後の少子高齢化並びに国際化に対応した展開。アジアの観光客の取り込みも大きな戦略の一つになっているそうです。併せて観光列車を多数登場させているJR九州の経営戦略も他社にないもので興味深く読むことができました。

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2011年3月 6日 (日)

かめまる館横の築堤のかき取り工事始まる

今日は昨日と打って変わって悪天候となりました。先日届いた14系15形の金属インレタの貼付を行ったのですが、こちらも状況は附属していたインレタと同じで、金属部分の粘着力が弱く、ベースのシートにそのままくっついてきてしまいます。一応、貼付ができない旨通販サイトへメールで連絡しておきました。どうもこれまでのインレタと違い問題ありだったようです。

続いてキハ181系に方向幕と号車札を貼付。「やくも」の出雲市ゆきとしました。方向幕などが入ると車両が俄然生き生きとしてきます。特急サボも入れたいところですが、指定席と自由席の札があるため、当時の時刻表をもとに調べておかなければなりません。分からないときは、後部2両を自由席にしようかなと思います。

夕方、旧南薩線沿線にある「かめまる館」前を通りました。新たな整備工事がどの程度進んでいるのか気になります。自転車道と橋台との間に残っていた築堤の上に小型のユンボが乗っかっており、築堤のかき取り工事が始まっていました。今日は工事は休みだったようで、静かに雨に打たれていました。今週中にはかき取りは終わるのではないかと思います。

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2011年3月 5日 (土)

指宿・枕崎間にも観光列車が欲しいなあ

今日は部活の車当番。朝は妻が送り、帰りは私が迎えることになりました。場所は指宿の球場。球場まで枕崎方向から指宿枕崎線沿いに車を走らせました。久々の抜けるような晴天で、菜の花の黄色、空や海の青等々、その色彩の美しさが際だっており、東シナ海に浮かぶ黒島、竹島、硫黄島もはっきりとその島影を望むことができました。硫黄島から白い噴煙が上がっている様子も見えます。海を隔てた大隅半島も手を伸ばせば届くのではないかと思うほどクリア。

「いぶすきの玉手箱」の運転が始まります。錦江湾沿いの眺望は素晴らしいと思います。しかし、それ以上に枕崎までの開聞岳、東シナ海やそこに浮かぶ三島の眺望などは魅力的だと思います。「いぶすきの玉手箱」から乗り継ぐ形で単行でもよいので観光列車を運転できないものかと思います。終点枕崎では海産物を食したり買い物できたりするスポットへバスで案内すればどうでしょう。一日に数えるほどしか運転されていない超閑散区間ですが、本土最南端の駅、西大山駅を有する南の果ての鉄道旅を売り込んでみてはと思います。

写真は今日の練習試合3試合目。バッターは息子、相手ピッチャーは何と女の子です。

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2011年3月 4日 (金)

鹿児島と485系

九州新幹線鹿児島ルート全線開業まで残り1週間。今日は、新聞のテレビ欄にさようなら485系というタイトルを見つけました。鹿児島へのお目見えは鹿児島本線の昼行特急「なは」が最初だったでしょうか。新大阪(大阪?)・西鹿児島間の運転でした。当時は丸一日かけての運転。新幹線全線開業時の所要時間に比べるとまさに各駅停車のようなもの。時短は世の中の人にとってはこの上なく嬉しいものなのでしょうが、私のような人間にとっては少しでも長く乗っていたいものですから、のんびり走る列車の方が向いています。

その後は581(583)系で運転されていた3往復の「有明」がL特急化され、山陽筋で活躍していた481系が投入されたとき。後に東北新幹線開業で余剰となった東北筋の485系のユニットが古い481系のユニットを置き換えました。

日豊線の南宮崎・鹿児島電化では最初から485系の運転。運転当初はグリーン車が2両も連結された長大編成。「有明」がボンネット形の先頭車だったのに対し、こちらは200番台のおかま形。新しい485系で編成されていました。

急行列車が特急に格上げされるような形で特急列車の急行列車化が進み、今のような短編成による多頻度運転となって今日に至っています。

その485系も定期列車運転が残り1週間となりました。民営化後、485系が真っ赤になったときには本当に驚きました。ボンネットまで真っ赤になったのですから。JRバスの真っ赤はよく似合っていると思ったのですが、どうも485系の真っ赤は最後まで好きになれませんでした。

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2011年3月 3日 (木)

急行「日南」3号

今日は3月3日、桃の節句です。我が家は家族が揃う昨日、一足早くお祝いをしました。次の記念日は、九州新幹線鹿児島ルート全線開業となる3月12日、長男の誕生日。しかし、地域の行事が入り、これまた前倒しでお祝いするしかありません。一年は365日もあるのにどうして重なってしまうのでしょう。

3月3日は桃の節句でありますが、私にとっては1974年に1211レに乗った日。1211レと聞いてぴんとくる方も多いのではないでしょうか。1211レと言えば最後の蒸気機関車牽引急行列車として一躍脚光を浴びた急行「日南」3号。運用の都合でDF50からC57に牽引機が変更になりました。西鹿児島からキハ82系特急「にちりん」で宮崎へ入り、折り返し乗車しました。宮崎での引き出しは結構強烈で、がつんとかなりの衝撃がありました。停車時に列車の連結器が詰まっていた上に、加速が大きかったのでしょう。後方の自由席でしたので、かなりの衝撃に驚いてしまいました。

日南3号は、蒸気機関車牽引に加えて、その編成にも魅力がありました。荷物車の後にはB寝台車、そしてその後にはグリーン車が2両もぶら下がっていました。西日本で活躍したナロ10を冷房化改造したオロ11です。ずらっと並んだ小窓にこれまたずらっと並んだユニットクーラー、軽量車体のスマートな車体は編成のアクセントとなっていました。

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2011年3月 2日 (水)

国鉄官舎

左に見える古い集合住宅は国鉄の官舎として建てられた建物です。私が小学生の頃に建設され、工事の様子は今でもよく覚えています。R5と記されています。今では解体されてしまいましたが、ほかにも4棟同じような建物がありました。民営化後はJR九州の社宅として使用。解体された跡地には右側に写っているJR九州のマンションが建ちました。最後に建設されたR5も今では誰も住んでいません。解体の後、こちらにもマンションが建つ予定とのことです。手前の駐車場はかつて国鉄の物資部があったところ。官舎の人たちの利便のために日用品を扱っていました。道路の下は暗渠になっており、当時はふたはなく、デンプン工場の真っ黒い排水が流れていました。そう遠くない将来、この場所からも国鉄の名残が消えてしまいそうです。

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2011年3月 1日 (火)

「鉄学」概論

昨日、今日と仕事の関係で帰りが遅くなっています。トミックスに注文していた14系15形の金属インレタも届いているのですが、作業を進める時間が長いこと作れません。少々フラストレーション?

今年1月1日に発行された原武史著の「鉄学」概論。少しずつ読み進めてきました。車窓から眺める日本近代史というサブタイトルが示すように、歴史との関連で鉄道が語られているどちらかというと硬派の部類に属する書籍。なかなか読み応えのある本で鉄道への関心がますます高まる内容となっています。

文庫本ですので税別438円。こんなに安くでこのような内容の本が買えるのは有り難いことです。活字離れが進んでいるという報道を目にしますが、本ほどおもしろいものはないと思っています。若い人たちにはケイタイやゲームに興じる時間をもっと本に費やして欲しいと願っています。

「お父さん、何読んでいるの?」という問いに素直に「てつがく概論という本だよ」。ほら、と見せると「なあんだ、哲学概論かと思った」と拍子抜けした様子。うむ、君たちこの本を読んでみたまえ、そうすれば鉄の奥深さが分かり、鉄学は哲学でもあることが分かるはず。なあんて言いたいところですが、説明するのも面倒なので先を読み進めることに。

鹿児島中央駅で発車を待つ715系。

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