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2011年3月 3日 (木)

急行「日南」3号

今日は3月3日、桃の節句です。我が家は家族が揃う昨日、一足早くお祝いをしました。次の記念日は、九州新幹線鹿児島ルート全線開業となる3月12日、長男の誕生日。しかし、地域の行事が入り、これまた前倒しでお祝いするしかありません。一年は365日もあるのにどうして重なってしまうのでしょう。

3月3日は桃の節句でありますが、私にとっては1974年に1211レに乗った日。1211レと聞いてぴんとくる方も多いのではないでしょうか。1211レと言えば最後の蒸気機関車牽引急行列車として一躍脚光を浴びた急行「日南」3号。運用の都合でDF50からC57に牽引機が変更になりました。西鹿児島からキハ82系特急「にちりん」で宮崎へ入り、折り返し乗車しました。宮崎での引き出しは結構強烈で、がつんとかなりの衝撃がありました。停車時に列車の連結器が詰まっていた上に、加速が大きかったのでしょう。後方の自由席でしたので、かなりの衝撃に驚いてしまいました。

日南3号は、蒸気機関車牽引に加えて、その編成にも魅力がありました。荷物車の後にはB寝台車、そしてその後にはグリーン車が2両もぶら下がっていました。西日本で活躍したナロ10を冷房化改造したオロ11です。ずらっと並んだ小窓にこれまたずらっと並んだユニットクーラー、軽量車体のスマートな車体は編成のアクセントとなっていました。

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コメント

(前略)あ、ア、アノ、伝説の1211レに乗られたタノですか?勿論カメラ撮影も?。だから未だに何で7年早く産んでくれなかったのかと無茶な文句を口にするのです。へへへ、7年早く生まれていても野球少年だったら意味無いのですが、トトト(鉄脳CPUが壊れてます)。15:49に宮崎を出発し途中は南宮崎と田野に停車、後は一路「終着」都城まで驀進、16:59に着くまで黒煙を浴び放題(オロに御乗ではないですョね)。羨まし~い!モウ絶句。私にとっての急行「日南」は80年代に入ってからの1夜1人旅、漆黒の宮崎(やや長)停車中にレム睡眠。『オイ!兄ちゃん、』の声に驚き起きると酔っ払いのオジさん。「大分に着いたら起こしてくれ」と鼾を掻いて爆睡する見知らぬオヤジ、中津辺りで目覚めるとソノ姿は無く降り立った小倉駅の朝の空気が悪夢から解放してくれました。(当時の)夜行列車にはよく有る出来事、島内夜急が消えてモォ20年余りが経ちますがドリームは現役(今改正で廃止?)。高千穂、日南、青島、しいば。73年10月発行の交通公社『時刻表』には垂涎の急行列車達が走り続けております。VIVA、ライトパシフィック!最後の蒸機牽引急行ォ~。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年3月 3日 (木) 23時59分

まだお小遣いで鉄道誌など購入することができなかった時代のこと、新聞に最後の蒸気機関車牽引の急行列車が走っていることが載っていました。これは乗りに行くしかありません。友人と二人、初めての宮崎行きを敢行。初めてのディーゼル特急に初めての蒸気機関車牽引急行列車。後にも先にもこれほど印象深い鉄道旅行はありません。山越えのたくましさ、広野を駆け下る軽快さ、駅の通過…。蒸気機関車牽引の急行列車の醍醐味を存分に味わうことができました。この頃はまだ急行列車は大切な移動手段。多くの旅客を乗せていました。高千穂、しいば、青島…。確かに私たちにとっての古き良き時代がありました。話は戻って1974年3月3日の1211レは田野・都城間で機関士さんにお願いして通しでキャブ内にて録音をさせてもらいました。もちろん録音機というかラジカセを置かせてもらっただけですが…。

投稿: Nakachan | 2011年3月 4日 (金) 19時06分

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