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2011年3月18日 (金)

鉄の道の残照

先日から頼まれてちょっとおめかしした女の子の写真を撮ることに。今日も天気が良かったので外へ出て撮ってみました。依頼主は、「へえ、さすがにカメラが違いますね」。いろいろお褒めの言葉をいただくのは嬉しいのですが、すべては「カメラ」がいいということに収束。

露出補正をしたり、構図を考えたり、絞りを考えたり、ライティングを考えたり、ニッコリさせる手段を講じたり、カメラの高さを工夫したりとそれなりに持てるものを総動員しているのですが、すべては「カメラが違いますね」ということに。

さて、昨日紹介した諏訪神社近くに残っている南薩線の跡です。斜陽を浴びて今日もあの日から時間が止まった廃線跡の一日が終わろうとしています。手前からあぜ道、鉄の道の残照、水の道、そして車の道と、生活の場には大小様々な道が混在しています。その中には人の道という多くの人生も通り過ぎていきます。

何となく感傷的になる風景でありました。

Dsc_0004

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コメント

カメラが違う。
言われるとちょっとがっかりしますね。
言った方はほめたつもりなんでしょうけど、

投稿: おおとり | 2011年3月19日 (土) 08時09分

まだまだ腕前不足である証拠だと思います。謙虚に受け止め精進することにします。

投稿: Nakachan | 2011年3月19日 (土) 14時08分

管理人様、こんばんは。人を撮るよりテツを写す方が好きなので人物撮影は苦手です、アラーキ氏など著名な写真家の作品も素敵ですが管理人様の作品は更に魅力的。何時も勉強させて頂いております、今日は某所でテツ撮影中に8才位の男の子が。また渋い場所で電車見物かと思いきやコンパクトデジカメでパチパチ。そのサマがまた格好良くてオッチャンも負けずにパシパシ。最近、若い(幼い)諸君達に触発され刺激を受けまくり「写真撮影」上からも下からも学ぶモノが多いと感じます。只フィルム機で撮る方が真剣になるのは気のせいでしょうか、デジタル撮影は何処か軽い感じがします。

投稿: 夢幻人☆ | 2011年3月19日 (土) 23時40分

写真とは「真なるもの」を「写しとる」ものと読めます。写真を撮ると言うことの意味が漢字の中にこめられているようでうまい言葉を造ったものだと思います。真なるものは何なのか、それを表現するにはどのように写せばよいのか、シャッターを切るときに悩みは尽きません。駄作ばかり並べて申し訳ないのですが、撮るという行為を続けなければ答えに近づくことができないのも事実ですので勘弁してください。8才の男の子の心に電車はどのように映っているのでしょうか。その夢中になっている姿は、心の中に揺るぎない「真」を感じていることの現れなのではないかと思います。大人になって得るもの、失うもの。ときには子どもの姿に大人も学ばなければならないと常々思っているところです。フィルムでの撮影について復活を望んではいるのですが、コストをかけた分を一度に撮影しきるほど時間が取れないこと、カメラにフィルムを入れっぱなしにはできないことなどの制約で依然フィルムカメラの休車状態が続いています。

投稿: Nakachan | 2011年3月20日 (日) 13時36分

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