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2011年5月

2011年5月31日 (火)

佐々良トンネルとの邂逅

知覧線寄り道記。佐々良トンネルの方を窺ってみると、果たして草木の向こう側に丸く口を開けたトンネルを見ることができました。人の進入を拒むがごとく、手前には草木がゆく手を遮り、少々の勇気と決断がなければトンネルまでは行き着けないような状況です。足下に妙な生き物がいないか気になります。足下に気をつけながら、草木をかき分け中へ進むことにします。

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ようやくトンネルの前までたどり着きました。コンクリート製の見事なトンネルが目の前にその全貌を現しました。手持ちのカメラの広角側で捉えようとしますが、全体を写し込むことができません。引きが足りないのです。左右から笹が倒れ込んでいましたので、その笹を草木の間に押し込んで何とか引きを確保して撮ったのが下の写真。これが限界でした。ここに足を踏み入れるのは今となっては物好きなファンぐらいなのかもしれません。山の中に静かに眠るトンネル。かつての鉄道の存在をこれほど今に伝える構造物はありません。

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2011年5月30日 (月)

佐々良トンネルは藪の向こう

知覧線寄り道記。へろへろと続く廃線跡を進むといよいよ佐々良トンネルも間近。トンネル近くの築堤は近くにある施設の関係か、綺麗に刈り取られ土木構造物としての姿を観察することができます。左手が白川方向、右手が田部田方向、佐々良トンネルは右手です。

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この築堤までは車の乗り入れがあるようで道として歩きやすかったのですが、ここから先、佐々良トンネルの方向はご覧のような有り様。自然への回帰が進んでいます。左右の山から草木が覆い、足を踏み入れるのを躊躇させるような茂りようです。じめじめしておりマムシの恐怖も頭をよぎります。

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2011年5月29日 (日)

台風去って桜島噴火

台風2号は鹿児島の東海上を東北東に進み、雨風ともに大したことなく通り過ぎていきました。朝方、ちょっと出かける用事がありましたので車に乗り込もうとするとさあ大変。例のドアからの雨漏りにより水がたっぷりとたまっているではありませんか。駐車場にやや傾斜があり、後部が下がる形で駐車していますので、前扉からの水漏れが後部床下まで及んでいます。これまでの中で最大級のたまり具合。後部荷室からケーブルがつながっているカーナビのコネクター辺りが浸水してしまったのかカーナビのモニターもノイズが入り、正常に作動しません。

午後から晴れ間ものぞくようになってきました。台風一過とはいきませんでしたが、空気は至ってクリア。遠くのものが近く感じるような解像度にて自身の網膜に結像します。

先日購入した50周年記念となるF誌をじっくり読んでみました。高速道路無料化による影響でスジを減らしたり減車したりということが起こっているのですね。この事態を政府はどのように思っているのでしょうか。まったく時代に逆行した政策に改めて頭の中は疑問符だらけです。東日本大震災復興のために無料化政策は6月頃見直しがなされるようです。門司の銀釜ことEF81300も2両東北へ。鹿児島まで足を伸ばした304号機も今頃東北地方で重要な貨物輸送の一翼を担っています。

国を支える輸送力を確保するためにも鉄道の優位性を再確認し、公共性という視点から今一度鉄道の重要性に目を向けて欲しいと思います。

台風の影響を受け、空の様子もいつもと違います。青空に少々不気味な感じの雲。雲の動きも速いのです。夕日が街を染める頃、桜島がどかんと噴煙を上げました。いつもは桜島の上でもくもくと成長する噴煙ですが、北よりの強い風にあっという間に流され、桜島から平行移動しながら成長していきます。実際の桜島の位置はこの噴煙よりはるか左側にあります。

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噴煙を望みながら何事もなかったかのように415系が通り過ぎます。この向きだと降灰は垂水から大隅方面でしょうか。かなりの降灰に見舞われることになりそうです。これからの季節、風向きの関係で鹿児島市方向に流れてくることが多くなります。

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2011年5月28日 (土)

へろへろと廃線跡

台風2号が近づきつつあります。2レ「さくら」なら歓迎ですが、こんな若い番号の台風の接近は勘弁してもらいたいものです。とはいえ、降水量不足で電力ならぬ大口の水道使用の制限がかかっていたことを思えば恵みの雨をもたらす台風として歓迎する向きもあるかもしれません。耕作物にじょうろで水をかけたり、スプリンクラーで焼酎の素ことコガネセンガンの苗に水をかけたりしている様子を目にしていましたので、農家にとっても恵みの雨なのでしょう。紙には表と裏、電池にはプラスとマイナス、力には作用と反作用があるようにモノには二面性があることを理解すれば、台風がもたらす功罪も冷静に受け入れ、被害無きよう対策を講ずることが賢明なのかもしれません。

知覧線寄り道記。美味しいスルメのごとく、同じ場所をいろいろな角度から何度もかみしめ、そこから醸し出される鉄道の香りを味わっております。現役時代を知らないということは弱みでもあり、一方で強みでもあります。ここでも二面性の登場?。廃線跡しか知らない身には廃線跡は蜜の味。想像の世界は人間だけが有することができる夢幻の世界。こと知覧線に関しては現役時代の写真や資料が乏しいだけに、余計魅力を感じることができるような気がします。

前日紹介した築堤からへろへろと山手に向かって道床が延びています。かつてこの地面を踏みしめながら鉄道車両が行き来していたと思うと一般の人にはただの地面のように見えますが、鉄分を含むものには哲学(鉄学・鉄楽)の道としてその値打ちは天井なしです。

列車本数の極めて少ないローカル線のレールがかろうじて光っているがごとく、現在において運行本数が極めて少ない軽トラ運行によってかろうじて廃線跡がか細い轍となってその姿をとどめているように思えました。この奥、佐々良トンネルが口を開けているはずです。

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2011年5月27日 (金)

山裾の築堤

旧南薩線永吉川橋梁を夕方通りました。築堤の切り取りが気になっていましたが、駐車場周辺の芝生化と同時に築堤の切り取り部分も芝が張られ、築堤を構成していた地面は見えなくなりました。

知覧線寄り道記。美しい築堤を昨日の画像の左手から望んでみました。手前が田部田、奥が白川寄りです。奥の部分は笹に覆われていますが築堤はもう少し続いているようです。

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上の写真は築堤を横切る農道から撮っています。農道を挟んで田部田側は下の写真のような様子です。山裾に沿ってカーブを描きながら奥へと続いています。ゆるやかなカーブを描いた築堤が鉄道の香りを感じさせてくれます。この辺りの築堤はトンネルに挟まれたわずかな平地に築かれた山深いところに位置しており、それ故現役時代とさほど変わらぬ雰囲気を今に伝えています。

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2011年5月26日 (木)

美しく延びる築堤

今日は仕事が終わった後、週末に行われるバレーボール大会へ向けての練習。久々にくたくたになるまで体を動かしました。汗もよくかきました。あまり運動は得意ではないのですが、体を動かすと気持ちがいいですね。今年の末には人間ドッグの予定がありますので、よい結果が出るように運動も適度にしながら気をつけていきたいと思います。

知覧線寄り道記。林の中を抜けると開けたところに出てきました。山に囲まれた農地の中を低い築堤で知覧線は進んでいきます。この部分の築堤は実によく管理されており、バラストとレールがないことを除けば当時の様子を色濃く残しているのではないでしょうか。手前が田部田、奥が白川方面です。この築堤も農作業用の道路として使用されているようで、軽トラがときどき通っていると思われる轍が見られます。

私が初めてこの場所を訪れたときは、田部田から上ってきた道路からこの部分へ下りる道を利用しました。この光景を目にしたときにはさすがに感激しました。その時はこの区間を車で通ったのですが、今回は途中の状況を考えて断念しています。

手前の畑には杉の苗木が植えられているようです。数年経てば成長し、ここからの撮影はできなくなりそうです。中山間地の耕作を断念した畑には杉や檜が植えられることもあり、里山の風景は次第に変化してきています。

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2011年5月25日 (水)

ウグイスのさえずりを聞きながら

今日は仕事が終わった後、地域の総会。50分ほどで終了し、懇親会となりました。昨日に続いての懇親会、楽しく飲めるのはいいのですが、さすがに連チャンは疲れます。

最近、川辺謙一著「電車のしくみ」(ちくば新書)を読みました。2011年5月10日発行の新書版です。電車はやや味気ない印象があったのですが、この本を読むと電車の技術的なことがわかりやすく説明されていて、電車への理解と興味がぐんと沸きます。これまで鉄道誌などの車両解説で普通に出てきている言葉だけれども実のところよく分かっていなかった言葉の意味が分かったり、モーターのこと、回路のこと、制御のことなど、これまで曖昧な知識であった部分がなるほどそういうことだったのかと納得したりすることができる良書です。ユニークなのは鉄道模型と対比させながら説明している部分が出てくるところ。電車のしくみを理解する上で助けとなります。また、筆者の作図したイラストも思考の助けとなります。

難しいことを平易に書くことは本当に大変なことだと思います。ここまで難しいことを平易に分かりやすく解説した書物は他にないのではないかと思います。ときどき書店の新書コーナーを時間をかけて見て回るのですが、発行されたばかりの本で素晴らしい内容の本に出会うことがあります。この本の内容も期待以上のものでした。

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知覧線寄り道記。見事な杉林を抜けるとまた光が届く部分へと出てきました。初夏ということもあり、緑の濃さが際だちます。廃線跡に軽トラの轍。結構轍が深い部分があり、轍の部分を歩いた方が歩きやすいのか、真ん中のこんもりした草地の方が歩きやすいのか、その都度判断しながらよさそうな方を選んで歩いていきます。この辺り、聞こえてくるのは鳥の鳴き声だけ。ウグイスのさえずりにしばしの癒しを感じながら、さらに奥へと分け入っていきます。

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2011年5月24日 (火)

山間をゆく知覧線

今日は終日研修会。弁当の世話に100人を超す懇親会の会計係。会計処理を行うために一線を越えないように呑まなければなりません。

懇親会も会計も無事終わり帰宅しました。知覧線寄り道記の続きです。

田部田・白川間のサミットに当たる部分に車を止め、田部田方向へ様子を見るために歩いてみました。車で行く自信があれば車で下ったのですが、どうも先行きに不安がありましたので徒歩で様子を見ることにしたのです。左右を草に覆われた道路をしばらく下ると薄暗い杉林の中に出てきました。この辺りは既にレベルに近い状態で知覧線の路盤まで下ってきているものと思われました。杉が天に向けて真っ直ぐに伸びている様子が印象的。辺りには杉の香りが漂い、森林浴を楽しみながら歩を進めました。この写真を見ると知覧線がどれだけ山の中を走っていたのか想像することができます。

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2011年5月23日 (月)

田部田・白川間のサミット

知覧線寄り道記。川辺から田部田・白川間のサミットへ移動。この辺り、かなりの山間となります。川辺から白川へ抜ける道路から細い路を下りるとちょうどサミットの部分に出ます。ここを境に左右へ下っていく知覧線。といっても鉄道にしてはかなりの急勾配。ここには佐々良トンネルとともにもう一つのトンネルがあったといいます。万世線のトンネルも何故か撤去されて単なる切り通しになっていますが、この部分のトンネルも現在見ることはできません。状況から見て、トンネルは地中に埋没し、その上に現在の道があるようです。水害により、田部田・白川間で大規模な土砂崩れがあったとの記録がありますが、この部分であったとすればトンネルをあきらめ、その上を越える道路での復旧をしたという可能性もあります。知覧線廃止は水害による被災からの復旧を断念したことによります。廃止は代替バスを廃線跡に走らせることが条件で地元も了承したようです。そのような経緯から代替道路がトンネルを越えて造られたのでしょうか。

サミットから田部田方向へ下っていく道路です。農作業で使うのか、車の往来があるようです。お陰で容易に歩くことができます。しかし、軽トラ専用?一般の車は左右から覆い被さる草木が部分的にあり、入線にはかなりの覚悟が必要です。また轍が深い部分もあります。写真では分かりづらいですが、かなりの急勾配。トンネルを越える代替道路のようです。

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こちらはサミットの反対側。白川方面です。私が最初に訪れたときには、こちらも車での走行は可能でした。といっても急勾配を流れる雨水により、深く浸食されている部分があり、4WDの車で慎重に走った記憶があります。並行する道路が整備されたことや沿線に農地がないことなどから利用されなくなったようで、今では深い草木に覆われ足を踏み入れることができないような状態になっています。

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2011年5月22日 (日)

築堤の断面

知覧線寄り道記をお休みして永吉駅近くにある物産館「かめまる館」の整備工事に伴う築堤切り取りの話題を。

昨日、取り付け道路と築堤の海側にできた駐車場の舗装工事が行われました。工事は順調に進んでいるようです。

この工事に際して興味深いのはきれいに削り取られた築堤。まるでカットモデルのようです。100年ほど前に行われた南薩線建設工事が発掘されたような様相を呈しています。土が盛られていった様子が層となって現れ、草に埋もれていた道床部分のバラストも見ることができます。工事の進捗とともにこの面の処理もなされるか、そうでなくとも草に覆われてくると思われますので、期間限定に眺めとなりそうです。

Dsc_0017下の写真は道床部分のアップ。70年間列車を支えてきたバラストがここに凝縮されています。

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2011年5月21日 (土)

知覧線万之瀬川鉄橋付近

知覧線寄り道記。川辺の展望台から東川辺駅の川辺寄りを俯瞰してみます。手前の流れが万之瀬川。左手から右手へ流れます。下流側に堰がありますのでゆったりと水をたたえています。黄色のラインが知覧線跡です。右端を少し行ったところに東川辺駅がありました。この部分の廃線跡はほとんどが生活道路として活用され舗装もされていますので、廃線跡だということには気付きません。左手に万之瀬川を渡る数連の鉄橋がありました。水害で桁が崩落したり、橋脚が傾いたりしていましたが、廃線後も長らくその姿のまま放置されていました。広瀬橋だったでしょうか。国道の橋からもその姿を見ることができましたので、私にとって川辺といえばその崩落した鉄橋というイメージが最初のものでした。

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上の写真の右側の部分をズームアップ。矢印の道路が知覧線跡です。運行当時はのどかな鉄道風景を見ることができたのでしょう。

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万之瀬川へのアプローチ付近をズームアップ。堤防を越えるために緩い勾配がありました。住宅の中にある長細い緑地部分が知覧線跡。緩い勾配になっていましたので、次第に築堤が高さを増していました。現在、築堤は削り取られ広い基礎部分が広場のようになっています。以前はそのアプローチ部分の築堤及び道路をオーバークロスする小さな鉄橋の橋台も残されていました。

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2011年5月20日 (金)

知覧線遠望

知覧線寄り道記。川辺の市街地にあるひまわり館(図書館を中心とした複合施設)横の道を登り、右手に進むと展望台があります。近くの広場では女子学生がのどかに昼食をとり、展望台の1階部分では若い家族が弁当を囲んでいました。展望台の階段を登り3階へ。ここからは川辺の街を一望できます。万之瀬川を渡り、小野集落へ至る知覧線跡も一望できます。私は昼食はまだなのですが、空腹も忘れて知覧線の名残を味わうことにします。

Dsc_0369_s写真のサイズが小さくはっきりとしませんが、展望台からは知覧線の路盤ははっきりと認めることができます。下の写真では知覧線跡をオレンジ色の線でトレースしてあります。上の写真と比べてみてください。左端が旧東川辺駅付近、カーブを切り山手へ向かい勾配にかかるのが見て取れます。

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カーブの辺りをズームアップしてみました。石積みの低い築堤がカーブしていく様子が見えます。普通であれば角度45度ほどの土のままの築堤にしそうですが、どうしてわざわざ石積みを施したのでしょうか。

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2011年5月19日 (木)

撮影名所?

どうも最近、知覧線に縁があるようで今日も知覧線沿線の町で研修会が行われました。加世田から国道沿いに川辺まで行きました。万之瀬川が流れ、途中に九州電力の水力発電所があり少々の高低差はありますが、いたって明るく平坦な道です。知覧線は阿多から白川へ向かい山手を選ぶようにして川辺まで敷かれました。国道沿いのルートの方が負担にならないような気もするのですが、どのようないきさつがあって路線設定がなされたのか興味があるところです。

知覧線寄り道記。東川辺の知覧寄りの低い路盤です。ゆるやかに大きくカーブを描きながら途中から勾配へとかかります。白川付近では築堤の側面が石垣により施工されています。ここ東川辺の知覧寄りも低い築堤ではありますが、同様に石垣による処理がなされています。平地にありながらこの付近の路盤は失われることなく、当時の雰囲気をよく現在に伝えています。もし現在でも列車が走っていたならよい撮影ポイントになりそうです。初夏の緑がさわやかでした。

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2011年5月18日 (水)

橋台跡横の石積み

夕方鹿児島へ帰ってきました。途中、永吉川に並ぶ南薩線の橋脚群の横を通るとき、オレンジ色の丸い太陽が沈もうとしていました。以前、ここで夕日と橋脚群を一緒に撮ったときは実によい場所に太陽が沈んだのですが、今回はかなり右手に寄っており、当たり前のことですが、橋脚群と夕日をからめるためには時期と天候という二つの条件が合わなければ撮影できないことに改めて気づかされました。

給油をして燃費をチェック。省燃費になるようにかなり気を遣って運転しての成果は…。トリップメーター576キロの対して満タンで入った軽油は50.4リッター。計算するとリッター当たり11.43キロとなりました。これまでの最高記録です。11キロを超えたのも初めて。15年前の車で排気量2800ccのディーゼルとしてはなかなかの成績ではないでしょうか。先を読んでの絶気?に長くなりそうな信号待ちでのエンジンカット、一定加速に一定速度をかたくなに守ってみました。

さて、知覧線寄り道記。東川辺からゆっくりとスロープ状の築堤で高度を稼ぎながら知覧へ向けて、山裾へとアプローチしていきます。小さな小川を小さな鉄橋で跨ぎ、しばらくして道路をオーバークロスします。今でもそのオーバークロスする部分の名残が健在です。橋台は道路の幅員確保のためだと思われますが撤去されています。しかし、えぐるように取り除かれた橋台の左右には築堤の妻面を守る石積みがそのまま残されています。コンクリートが多用されている知覧線にあってもこの部分は石積みの工法が用いられていたようです。

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このオーバークロスを過ぎた築堤の様子です。高度が上がり築堤としての存在感も十分です。人里にあるため定期的に草刈りをしているようで状態は良好です。廃線になっても土木構造物はこのような形で残りますので、興味深く観察することができます。山肌の崖が南九州特有のシラス。火山噴出物です。

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2011年5月17日 (火)

小野での土砂災害

今日は、仕事がらみの会が夜あり、帰宅は9時を回りました。超勤手当が出れば年間でどれだけ収入が増えるか分かりません。弊鉄道模型会社の運営資金にも余裕ができるのにと恨めしい時間でもあります。

知覧線寄り道記の続きです。鹿児島で8・6水害と呼ばれる大災害が発生したのが平成5年。8月6日に鹿児島市を中心に大洪水に見舞われました。この水害で甲突川に架かる五大石橋のうちの2つ、新上橋、武之橋が流失、その他にも多くの石橋が被害を受けました。竜ヶ水駅では列車も流されています。その数日前、8月1日には姶良を中心に土砂災害が発生、九州自動車道の桜島サービスエリアが丸ごと土砂に呑まれるなど大きな被害を出しました。

その同じ年、ここ小野でも大きな災害が発生。8・1及び8・6水害から1ヶ月ほど経った9月3日、台風13号の襲来により大雨が降り、台風通過後の午後10時過ぎ、小野集落の一部を土砂崩れによる土石流が襲いました。慰霊公園の石碑によると9名の尊い命が失われ、19名の重軽傷者と11棟の家屋が全壊したといいます。

このときに土石流発生の原因として挙げられたのが知覧線跡の築堤。沢を下ってきた大量の雨水が築堤に遮られダムと化し、その後崩れ落ちたといいます。当時の新聞には知覧線の文字が大きく載り、心を痛めたものです。

小野集落は山麓に拓けた落ち着いたたたずまいをもつ集落です。ここでこのような大災害が起こったことなど今となっては想像もつきませんが、慰霊公園がその事実を静かに伝えています。

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東川辺を出た列車は山裾を知覧に向けて高度を上げていきます。写真の山裾に笹が直線上に帯になっています。この帯の上部が知覧線の路盤があるところです。左手が東川辺、右手が小野です。災害があった後、谷の部分にあった知覧線の路盤は削り取られるなどして砂防工事が施されています。

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2011年5月16日 (月)

山の中の廃線跡

昨日は夕方、鹿児島へ帰ったのですが、カメラのバッテリー残量が10パーセントを切っていたので、カメラを置いて帰りました。こんな時に限って何かあるかもという思いもないことはありませんでした。案の定、鹿児島の自宅の窓からは夕方の淡い光に包まれた空に並行に複数のコントレール。そして、また新たなコントレールを作る航空機が2機並んでやってきます。その上には月。そうしているうちに鹿児島空港にアプローチしてくるB737が着陸灯をきらめかせながら頭上を通り過ぎていきました。月と一緒にからめることができる位置関係。ちょっとしまったという後悔の念がよぎりました。やはりどんな時も傍らにカメラを置いておかなければなりません。よい教訓を得たひとときでした。

南薩鉄道知覧線寄り道記。知覧を出発してかつての路盤の跡にできた歩道を左側に見、城ヶ崎を通過、道路をクロスして山へ分け入っていくところを今度は右手へ見て坂道を下っていきます。次の見所は蟹ヶ地獄。右手に見えるのですが年々藪に覆われて見通しがきかなくなっています。付近には駐車スペースもなくそのまま通過。小野集落で右手の集落内の道路へ入ります。かつて道路を跨ぐ鉄橋があったところへ。橋台も築堤も失われ、知らない人は鉄道が通っていたということなど気づきもしない場所になっています。以前は蟹ヶ地獄への線路跡は開けていたのですが、ちょっと厳しい状況になっているようです。また、反対側の小野駅があった辺りは事業所があり、部外者立ち入り禁止の表示。この土地の払い下げを受けたのでしょうか。

車をUターンさせ、少し下ったところに砂防関係の工事により線路跡まで上がれそうな階段を見つけました。上がってみると果たして線路跡にたどり着きました。といってもこの部分は工事により線路跡は大きく欠き取られ、水路となっています。左右に線路跡は健在で、右へ行くと先ほどの事業所敷地、左側に行くと東川辺側の線路跡となります。立ち入り禁止の事業者まではいきませんでしたが、かつて橋梁のプレートガーダーが置かれていた場所にはその姿を認めることができませんでした。鉄くずとして処分されたのでしょうか。

写真は左側、つまり東川辺側の線路跡です。樹木がうっそうと茂り自然への回帰が進んでいます。しかし、山の中に平らな路盤はまだはっきりとその姿をとどめていました。ここを蒸気機関車やキハ100形が走っていたのです。

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2011年5月15日 (日)

知覧線に沿って

昨日今日と会が重なり、週末ではありましたが自由になる時間が十分にはありませんでした。天気が良かっただけに少々恨めしく思うことでした。

今日の会は知覧でありました。正午前には終わり、家まで直行の予定でしたが、知覧線跡という鉄分がありますので、やはり気になって途中下車を頻繁に繰り返すことになってしまいました。廃線跡というのはどうしてこう気になるのでしょう。特に知覧線は現役時代の記憶がないだけに想像力をかき立てられます。

結局家に帰り着いたのは会が終わって2時間半後。十分に鉄分を補給することができました。

今日の足跡をしばらく記していきたいと思います。まずはプロローグとして写真を1枚。

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2011年5月14日 (土)

新聞のコラムに南薩線橋脚のことが

今朝の地元新聞のコラムに永吉川に架かる石橋の浜田橋と南薩線の橋脚のことが触れられていました。執筆者が近くの食堂(正ちゃん食堂?)で食事をした際に、気になった石橋や橋脚のことを尋ねたら説明をしてくださったそうで、両方が収まる撮影ポイントの話も出てきたほど、地元にとっては自慢の景観になっているとか。

同コラムでは南薩線が水害による悲運により廃線になったこと、高千穂鉄道も同様の運命をたどったこと、そして東日本大震災による鉄道の今後への危惧などが書かれていました。

浜田橋と南薩線の橋脚との風景は交通の歴史を感じ取ることができる貴重なものであり、是非過去からのメッセージを伝える生きた使者として活用されることを望みます。浜田橋についての説明板はあるのですが、南薩線の橋脚については何もありません。隣接する物産館「かめまる館」には観光で立ち寄る人も多いようですので、橋脚についての説明板も何らかの形でできたらこの光景の値打ちがさらに増すのではないかと思われます。

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2011年5月13日 (金)

柱の古い広告

ここ数日、帰宅後に進めている作業が父が撮った写真をスキャンすること。ことのはじめは、仕事をリタイヤしずっと家にいる父母に何か贈り物をしようということから。デジタルフォトフレームはどうだろうと考えましたが、最近購入した46型のテレビにフォト機能があることが分かり、これまでに撮影した写真をテレビの画面でゆっくり楽しんでもらうことにしました。

一時期、私はとても手が出せないようなC社の白玉レンズを購入し、ボディも同じものを2台態勢により、写真に凝ったことがあります。そのため結構な枚数がありますので時々その当時を思い出しながら写真を楽しむのもよいかもしれません。

スキャンにはある程度の時間がかかりますので、ほかの作業をPCで進めながらやっています。

写真は鹿児島市電専用軌道。架線を支える柱に「メガネ光学堂」の広告看板。古い柱を更新した際に再び巻いたのでしょうか。少しずつ下にずれてきているのかコンクリート面に痕跡があります。

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2011年5月12日 (木)

ATCに当てない走り

「ATCに当てない走り方に心がけている」
これは、東海道新幹線運転士の本の中に出てきた言葉です。東海道新幹線で速度制限や先行列車による車内信号変化時に自動ブレーキや手動ブレーキ操作で速度を落とさず、マスコンのみの操作によりスムーズな運転でお客様に不快な減速を感じさせずなめらかな走りを提供することに心がけているということでした。
ぎりぎりの精度で組まれているダイヤ。ATCに当てないためには先を読んだ運転が必要で、到達目標までの距離や時間を計算するなど、経験と判断力、高度な技能が要求されるのだそうです。
これを読んで、新幹線の運転はできませんが、自分で運転する車には応用することはできますので、ちょっと意識するようになりました。車の運転をしながら気持ちは電車の運転士。できるだけスムーズな加速、定速運転、そしてエネルギーを無駄遣いしない先読みによるスロットルオフ。後続の車がいる場合はあまり極端なことはできませんが、なるべく消費エネルギーを抑えた走行を心掛けるようにしています。給油をする際にトリップメーターをゼロにし、毎回燃費の確認をするのも楽しみのひとつ。コンマ以下の数字の攻防になりますが、常に省エネを意識した運転をするのには役立っています。

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2011年5月11日 (水)

子どもの気持ちが

子どもが日記に書くことが見つからないと思案に暮れていることがあります。一日過ごしたんだから何もないことはないだろうと声をかけますが、それでも書き出そうとしません。

今日は、子どもの気持ちが分かる日。毎日何がしらつづっていこうと思っているのですが、書くことがいっこうに見あたらない時もあるものです。「平凡も続ければ非凡になる」という言葉にどこかの本で出会いました。特別なことはできませんが、平凡なことならできそうなので、それを続ける努力だけはしたいと、今日も何のことやら分からない文章をキーボードで打ち込んでいます。何もないからとここで止めてしまうと、そのまま運休、そして廃止となってしまいそうですので…。

写真をあまり撮っていないので、相変わらず鹿児島市電専用軌道の画像が続いています。おいしそうな電車がやってきました。新緑と絡めようと枝から出てきた新しい葉を前ぼけで入れようと思いましたが、うまくいかず中途半端になってしまいました。

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2011年5月10日 (火)

菜園へ

鉄道模型とゲージの問題。実際より広めの軌道を走る1067㎜軌間の模型は仕方がないとはいえ、模型自身の精密化がいくら進んでも根本的なものとして実際の鉄道との大きな隔たりとなっています。

それともう一つ。カントの問題です。実際の鉄道車両の走行に於いて、カーブでのカントは安定走行のための必須条件。このカントでの車両の傾きが鉄道車両走行のダイナミックな姿として魅力を倍加させています。一部のゲージではカント付きのレールが販売され、実感的な走行を再現していますが、16番においては路面電車のカーブのごとく全く車体を傾けることなく走行せざるを得ないレールしかありません。

日本の住宅事情ではお座敷運転を余儀なくされるモデラーも多いのではないかと思います。カント付きの16番レールが発売されればどれだけ歓迎されることか。車両への力の入れ方に対して、レールについては今一つのような気がします。道床や枕木の表現、そして実感的なレールの色など、圧倒的に多い1067㎜軌間の模型とのバランスを考慮したレールの登場を望むところです。

写真は鹿児島市電専用軌道。菜園への水掛は軌道を横切って。

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2011年5月 9日 (月)

電力問題

今日は真夏日を記録する蒸し暑い一日だったようです。少々他人事のように書いているのは自分自身がそのように感じなかったから。半袖で暑い暑いと言ってうちわを盛んにあおいでいる人もいます。こちらは長袖にネクタイ。それでもあまり暑さは感じません。これは7年間クーラー無しの私生活を送っているからなのでしょうか。

日付が変わろうとしている今、開け放たれた窓からカエルの鳴き声がげこげこと賑やかに聞こえてきます。そして網戸を通してさわやかな風を感じます。そんな風を感じながら幼い頃、田舎に泊まった頃を思い出しています。クーラーなんてものはどこにもなく、自然のなすがままを疑いもなく受け入れていました。

今、東日本大震災に伴う原発事故で電力供給の先行きが不安定になっています。新たに浜岡原発の停止も決まりました。中部電力からの給電を受けていたという九電も危機感を露わにしていました。いよいよ電力面でも影響がこちらにも及ぼうとしています。

人間は与えられた環境に適応すると言うより、快適な環境を求め環境を変えてきたという側面が近代においてありました。そのことが地球にどれだけダメージを与えてきたのか。そのしっぺ返しが今回の電力供給不足問題にあるように思えます。

本当に必要な電力はどれだけなのか。根本に立ち返って考え直す機会を与えてくださったのかもしれません。

写真は、遊びに興じる子どもたち。電力も使わないこんな単純な遊びは子どもたちを夢中にさせます。

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2011年5月 8日 (日)

桜島

桜島の灰や黄砂で汚れていた車のボディを洗い、ワックスがけまで行いました。車を購入以来ずっとシュアラスターの天然カルナバロウの固形ワックスを使っています。このワックスにはコンパウンドが入っていないので塗装へのダメージがなく、今でも新製時のような状態を保てていることは有り難いことです。窓には撥水剤を塗布しておきました。

昭和火口から噴煙を上げる桜島。小規模な噴火を繰り返し、風下の人たちの生活に影響を及ぼします。降灰には参りますが、その一方で桜島を悪く言う人は鹿児島にはいないようです。

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2011年5月 7日 (土)

2冊の写真集

注文していた原京一氏の写真集「蒸気機関車の記憶」が届きました。表紙は北海道のD5170の夜間バルブ撮影。故人となられていますが、こうして作品が世に出されたことを有り難く思います。

Dsc_0326 夜間バルブの写真は怪しい光に浮かび上がる蒸気機関車が情感たっぷりに写し込まれており、見るものを魅了してやみません。静寂と空気感、その中で確かに生きている蒸気機関車という圧倒的な存在感。写真という表現手段の豊かな可能性を感じずにはおれません。

惜しいと思ったのは用紙がマット紙である点。光沢紙であればもう少し黒の締まりが表現でき、全体に透明感が出て作品本来のよさが伝わったのではないかということ。明るい照明の部屋で見るとマット紙特有のパステル感で全体のコントラストが弱くなります。少し照明を落とした部屋で見ると黒が締まり、作品の雰囲気が伝わってくるようです。日中に撮影された写真についてはそのような問題はなく、素晴らしい仕上がりです。

先日届いていた大木茂氏の写真集「汽罐車」をこれまでじっくり見る時間がなかったので、今日は地図で場所の確認もしながらゆっくりページをめくってみました。

Dsc_0325 こちらはすべてモノクロの写真。蒸気機関車のみでなく時代を写し取った作品といった方が作品群の性格を言い当てているような気がします。大木氏も巻末で述べておられますが私小説的な写真集で、氏の生きてきた道のりがこの写真集に表現されています。

人々の生活の中で生きてきた蒸気機関車の等身大の姿がありのままに表現され、またそこで働く鉄道員、乗客の姿が生き生きと写し込まれていることにある種の感動を覚えます。

私たちが失ってきた大切なものに気づかせてくれる2冊であるような気がします。

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2011年5月 6日 (金)

クレーム対応

最近クレーマーが多いのだそうですが、今日は私もクレーム対応をすることになりました。今回の方は1ヶ月ほど前にも電話をかけてこられました。確かにこちらに落ち度がありますので、不当なクレームではありません。しかし、重箱の隅をほじくり返し、ようやく見つけることができるような内容で、相手方が訴えるほどの一大事ではないようなものです。こちらが十分に気をつけていたら防げたことなので、素直に応じるしかありません。前回もそうでしたが、相手の主張を謙虚に認め、こちらの真摯な態度を感じ取ってもらうしかありません。少しでもこちら側の主張をするものなら火に油を注ぐことになりますので、まずは相手方の感情の沈静化に努めることが一番。

前回は周りにも声が聞こえるほど大きな声で怒鳴っていました。しかし、上記の作戦で沈静化に成功。しまいには少々言い過ぎたかもしれないとおっしゃって電話を切りました。今回は前回の印象もあったのか内容はともかく感情を爆発させることなく冷静な態度でクレームを主張してこられました。静かなやりとりでしたが、内容は一触即発の攻防、最後には何とかこの電話だけで納めるということで決着しました。

人間というものは完全なものではありませんので、過ちを犯してしまうものです。過ちといってももちろん程度の問題はあります。小さな過ちを一つ一つ大問題にしていくと人間世界は窮屈で住みにくいところになってしまいます。許されない過ちはとことん追究する必要があるでしょう。今回のような小さなことは、紳士的に連絡をしてこられたなら、相手方への私たちの見方は180度違ったものとなったことでしょう。

鹿児島市電専用軌道。土地の凹凸に逆らわない敷設は正に路面電車。

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2011年5月 5日 (木)

踏切

黄砂かなと思ったら桜島の灰。やっかいな季節がやってきました。窓の外のほこりっぽい町を見ると外出する気にもなれず、近くの書店に出かけた以外ずっと家の中でした。いろいろな本をめくって見たのですが、さすがに飽きがきます。好きな鉄道誌さえ頭が飽和状態になってしまいます。

鹿児島市電専用軌道の踏切です。線路際の情景というのは味わいがあっていいものです。ゆとりが出てきたら模型鉄道にて自分の好きな情景を作り、その中をゆっくり好きな車両を走らせてみたいなと思います。

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2011年5月 4日 (水)

もやと太陽

朝方窓の外を見るといつもと違った様子が広がっていました。町がうっすらと水気を含んだもやに包まれています。全体ということではなく川沿いに広がっているようですので、川から上がったもやなのかも知れません。地方に行くとよく見られる光景ですが、街中ではあまり見ることができないような気がします。やがて、東の山の端からもやというフィルターを通した太陽が顔を出しました。輪郭がはっきりとしまるで月を見るようでした。子どもが言うには、ここで日食が起こったらはっきり見えるね。眺めていましたらちょうど輪郭のはっきりした太陽に重なるように大型の鳥が左手から右手へ通り過ぎていきました。惜しい瞬間を逃してしまいました。

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2011年5月 3日 (火)

軌道際

今日はこの季節にしては思いの外寒くなりました。長男の野球の練習試合観戦に行ってきました。高台にある球場からはコンテナ列車の姿も見ることができ、ちょっと線路までは遠いのですが、桜島や錦江湾とからめながら俯瞰できる新たなポイントの発見となりました。黄砂と雨により、撮影できるような状況ではなかったので残念ながら撮影はお預け。

鉄道ジャーナルを読んでいましたら、久しぶりに出会う「原京一氏」というお名前。氏の写真に初めて触れたのは、キネマ旬報社発行の「蒸気機関車」誌。毎号氏の写真を楽しみにしていました。隔月間の蒸気機関車に特化した雑誌で後年は巻末の辺りで蒸気機関車以外の車両も取り扱っていましたが、残念ながら終巻を迎えてしまいました。その中で夜間バルブを中心とした透明感のある蒸気機関車のカラー写真には大いに魅せられました。その写真の撮影者が原京一氏でした。氏の写真集の紹介記事がジャーナル誌に掲載されていたのです。

「原京一写真集 蒸気機関車の記憶」草思社発行3,570円。A4判横開き93ページ2011年3月刊。早速ネット書店へ注文を入れました。

写真は再び鹿児島市電専用軌道。生活感漂う線路際が鉄道を生活の距離の近さを感じさせてくれます。

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2011年5月 2日 (月)

航跡

黄砂がすっぽり包み込み、視界がききません。ここまでひどい黄砂は久しぶり。連休中に写真撮影を計画していた人たちはがっかりではないでしょうか。ほこりっぽく機材にもよくないような気がします。

写真は連休初日に撮影した花博が行われている吉野公園から望んだ錦江湾。穏やかな水面に往来する船舶が航跡を描きます。左右からやってきた船は桜島と市街地を往来する桜島フェリー。奥へ向かう船は種子島・屋久島航路のジェットフォイル。

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2011年5月 1日 (日)

月と航空機のコラボレーション

午前中、バルコニーで仕事関係の本を読みました。空気も心地よく、木製の椅子に体を預けながら最後まで読み切ることができました。ここからは鹿児島中央駅に発着する九州新幹線の車両が遠望できたり、鹿児島本線をいく列車も楽しむことができたりする鉄分のあるものには嬉しい環境。485系に替わって運用に入った787系や783系が新しい風景となりました。

午後は鉄道模型チャンネルを見ました。世界遺産をモチーフにしたNゲージのレイアウトづくり。その技術の高さと感性の豊かさに脱帽。世の中にはすごい世界があるものです。

写真は先日出会った光景。大空をいく航空機を見上げ、その姿に子どものような憧れを抱くのは今でも変わりません。

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