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2011年5月17日 (火)

小野での土砂災害

今日は、仕事がらみの会が夜あり、帰宅は9時を回りました。超勤手当が出れば年間でどれだけ収入が増えるか分かりません。弊鉄道模型会社の運営資金にも余裕ができるのにと恨めしい時間でもあります。

知覧線寄り道記の続きです。鹿児島で8・6水害と呼ばれる大災害が発生したのが平成5年。8月6日に鹿児島市を中心に大洪水に見舞われました。この水害で甲突川に架かる五大石橋のうちの2つ、新上橋、武之橋が流失、その他にも多くの石橋が被害を受けました。竜ヶ水駅では列車も流されています。その数日前、8月1日には姶良を中心に土砂災害が発生、九州自動車道の桜島サービスエリアが丸ごと土砂に呑まれるなど大きな被害を出しました。

その同じ年、ここ小野でも大きな災害が発生。8・1及び8・6水害から1ヶ月ほど経った9月3日、台風13号の襲来により大雨が降り、台風通過後の午後10時過ぎ、小野集落の一部を土砂崩れによる土石流が襲いました。慰霊公園の石碑によると9名の尊い命が失われ、19名の重軽傷者と11棟の家屋が全壊したといいます。

このときに土石流発生の原因として挙げられたのが知覧線跡の築堤。沢を下ってきた大量の雨水が築堤に遮られダムと化し、その後崩れ落ちたといいます。当時の新聞には知覧線の文字が大きく載り、心を痛めたものです。

小野集落は山麓に拓けた落ち着いたたたずまいをもつ集落です。ここでこのような大災害が起こったことなど今となっては想像もつきませんが、慰霊公園がその事実を静かに伝えています。

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東川辺を出た列車は山裾を知覧に向けて高度を上げていきます。写真の山裾に笹が直線上に帯になっています。この帯の上部が知覧線の路盤があるところです。左手が東川辺、右手が小野です。災害があった後、谷の部分にあった知覧線の路盤は削り取られるなどして砂防工事が施されています。

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コメント

管理人様、こんばんは。近くの雑木林を宅地化すると聞き休日に造成工事の現場に行ってみました。幾つにも重なった地層の表層部は予想通りのシラス、軽石混じりのソレは細い枝でも簡単に崩れてしまいます。南九州の広範囲に拡がるシラス土壌はサツマ芋の旨い蒸留酒を生み出す反面「土砂崩れ」を容易に招く厄介さも包括しているのは周知の処。93年は豪雨=自然の恐ろしさを実感したと同時に災害が常に日々の暮らしと共に有る事を痛感させられた忘れられざる1年でした。今は静かな小野集落で起きた災害の記憶を思い返す機会を与えて頂き感謝しますと共に次世代へ伝承すべき大事な郷土史の側面を持った知覧線跡を辿る今回のルポ的ブログ。鉄道趣味の域を超えて沢山の若者達に知って欲しい教訓です「災害は忘れた頃にやって来る」。戦争を知らない中年オヤジは国鉄を知らない平成の子供達に言いたい『ネットで遊ぶなら「NaKaChan日誌」も見てネ』と。非常時には「携帯電話」より『携帯ラジオだ!』とも。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年5月19日 (木) 00時20分

知覧線が現役であったころは、小野集落の手前ぐらいまでは築堤が露出していたかもしれません。川辺を出た逆機の1号機+木造ワフ+木造中型ボギー客車の小さな編成が、やがてぐるりと町を回り込んで、川辺の町を見下ろしながらシュッポシュッポとゆっくり登ってゆくときの車窓からの眺めを連想してしまいます。やがて列車は山の中に入ってゆき、突然真下に現れた小野集落を木々の間から真下に見て、再び山に分け入ります。しばらくして車体が大きく左上方に傾斜したかと思えば、真下は深い谷ではるか下には道路が見え、車窓に大きく広がった空の下には川辺の町の大パノラマが広がります。再び山の中に入ると、まもなく何事もなかったかのようにさきほどの道路の踏み切りを通過して田園の中を知覧に向かうという感じです。模型のレイアウトの外周部分に容易に再現できそうな非常に好ましい光景ではないでしょうか。

投稿: なんさってっとう | 2011年5月20日 (金) 00時44分

夢幻鉄道様、なんさってっとう様、コメントありがとうございます。昨年はいくつか土砂災害の慰霊碑を見て回りました。印象深かったのは南さつま市大坂の被災地。知覧線からそう離れていない場所です。ここでは20名もの尊い命がたまたま避難した場所が土砂災害に巻き込まれ一度に失われています。当時の資料を見るとまとまった集落が形成されているのですが、今では集落があったことすら想像できないような寂しい場所になっています。災害が及ぼす影響の大きさに言葉を失ってしまいます。しかし、限界集落が至るところで見られる昨今、災害ではなく自然消滅という形で多くの集落が危機を迎えていることも忘れてはならないことです。

日本の国の隅々まで人々の暮らしがあり、そこを公共の交通機関が結ぶ豊かな国であって欲しいと願うばかりです。都市を偏重した現代の在り方は国としてのバランスを欠き、ゆくゆくは都市自体の崩壊をもたらすのではないかと危惧しています。

投稿: Nakachan | 2011年5月21日 (土) 00時04分

2枚目の写真を見てコメントを書いてしまいました。このあとのテーマへのコメントの方がよかったと後悔しています。
さて現実問題として、山の麓に長年住んでおられる方が、山が崩壊するような災害を想定した移転は考えないと思います。特殊な地質の地域に住む非常に多くの方々がごく僅かな確率ながら災害の危険にさらされているということになります。長い間、同じ場所に住んでこられたのでしょうが、これはあくまで1年ごとの雨量の時間的な分布が従来のように繰り返された場合の話であり、地球の気象が変化して雨が集中する最近のような状況下では、かなり不安に感じられているのではないでしょうか。

投稿: なんさってっとう | 2011年5月21日 (土) 09時20分

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