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2011年5月24日 (火)

山間をゆく知覧線

今日は終日研修会。弁当の世話に100人を超す懇親会の会計係。会計処理を行うために一線を越えないように呑まなければなりません。

懇親会も会計も無事終わり帰宅しました。知覧線寄り道記の続きです。

田部田・白川間のサミットに当たる部分に車を止め、田部田方向へ様子を見るために歩いてみました。車で行く自信があれば車で下ったのですが、どうも先行きに不安がありましたので徒歩で様子を見ることにしたのです。左右を草に覆われた道路をしばらく下ると薄暗い杉林の中に出てきました。この辺りは既にレベルに近い状態で知覧線の路盤まで下ってきているものと思われました。杉が天に向けて真っ直ぐに伸びている様子が印象的。辺りには杉の香りが漂い、森林浴を楽しみながら歩を進めました。この写真を見ると知覧線がどれだけ山の中を走っていたのか想像することができます。

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南薩鉄道」カテゴリの記事

コメント

管理人様、こんばんは。麓町から谷・川・野を辿って来られた知覧線ルポも佳境ですね、コノ辺りをカメラ片手に探索しておりますと「好きでないとやれない行動だなァ」と思う事も有ります。本線と違い乗車体験がありませんので想像力を豊かにする必要があり、ただ『昔はココに鉄路が有ったのだ』と言う史実が探険心を支えてくれます。先日17年ぶりに在るポイントを訪ねました、旧広木トンネル市街地寄りの地点です。トンネルが目的では無かったのですが煉瓦と石積みのポータルに再び会い暫く時を過ごしました。蒸機列車は勿論、DC有明やDL隼・暁もコチラのラインを行き交ったのだろうナと溜息もポロリ。近代的なソレとは明らかに風格が違う風情に忘れかけていた汽車の文字が蘇ります。C型タンク機に牽引された汽車もサミットを越えて間もなく白川駅ですネ。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年5月24日 (火) 22時55分

こんばんは。
赤土坂トンネル跡からの下り坂は道の凹凸がひどく、普通の車(2WD)で入ったときに何度も床を強打した記憶があり、よくオイルパンからブレーキオイルが漏れなかったと思います。ここが知覧線”桃源郷”の入口(だたしアクセスしにくいほうの)で、佐々良トンネルまでは低い築堤上をほぼ平坦で抜けていたかと思います。廃線跡の脇には何故かぼろぼろの車が放置してあり、撮影に邪魔でしたのでデジタル処理で排除ということになりました。佐々良トンネルの30mぐらい手前までは車で入れますが、近年では左右が草だらけとなりボディはスリキズだらけになるようです。トンネルの田部田側はたしかブタ小屋(牛小屋?)があり、小屋発・鼻粘膜着の蒸気分子の匂い?がたまらず、あえなく敗退して再訪が叶わなかったのも今となってはよき思い出です。

投稿: なんさってっとう | 2011年5月25日 (水) 01時18分

夢幻鉄道様、こんばんは。
会の帰りに知覧線に寄ったこの日は、動きやすい服装での参加となっていましたので、ここまでやってくることができました。さすがにスーツではこの場所においては違和感があります。こんなところで人に会ったらきっと怪しまれるだろうと思うのですが、手にしたカメラが免罪符。知覧線を撮りに来たことを暗黙のうちにアピールしなければなりません。
旧広木トンネルへは私も自転車で何度となく訪れました。当時の写真を一枚も撮っていないのは今となっては不思議な感じがします。広木信号場には踏切表示や短いホームが残っていたのですが、それも撮ってはいません。石と煉瓦で造られたトンネルは今でも人を圧倒する存在感を有していますね。

なんさってっとう様、こんばんは。
最初にこの区間に至ったときにはその勾配に驚いたものです。まさかトンネルがあった場所をまたいでいるとは知らず、知覧線の謎が深まった思い出があります。車高が高いとはいえ、ハンドル操作で進路を選ばなければ底をこすりそうな雨水に浸食された凸凹道でした。また場所によっては左右から笹が伸びており、そのときに付けてしまったこすり傷が今でも残っています。今では佐々良トンネルの田部田側は足を踏み入れることができないような状態になっています。ブタ小屋(牛小屋?)も今となってはどうなっているのでしょうか。

投稿: Nakachan | 2011年5月25日 (水) 22時06分

管理人様 こんばんは。知覧線のこの区間は現在では車の乗り入れがまったく不可能な区間があるようで、それだけに以前にも増して神秘的な要素を感じております。これは丁度、南薩線や知覧線にかぎらず鉄道廃線後の一定期間のちに、廃線跡が最も美しくなる”今が旬”の時期があるのにも似ていて、知覧線の廃線時期からすればとっくに旬の時期を過ぎているはずなのですが、廃線後から近年までよく整備され続けて、農道として利用されてきたので、旬の時期がずれ込んだものと考えることができます。しかし、現在では旬の時期を通り越しているように感じています。駅や鉄橋などの設備は、完全になくなっており、一部の区間のみが美しい姿をとどめているというような状況です。この白川-田部田間の一部もこれに該当するかと思われます。
 2年前の訪問以前は、10年ぐらい前と27年前にもこの区間を訪問したことがあり、久しく写真の所在が不明でしたが、10年前の写真の所在を特定できていますので、夜中に段ボール箱をごそごそと移動させて頑張って出してみようと考えております。この区間の”唯一”のトンネルを通れたときの姿をあらためて見てみたい気がします。

投稿: なんさってっとう | 2011年5月26日 (木) 00時18分

昨日まで、南薩を訪問していました。
今回は、個人的な線路跡探索ではありませんでしたから、話題となっている知覧線の区間(薩摩白川~田部田)に足を踏み入れていません。
それでも、伊集院から枕崎まで、南薩線の歴史などを紹介して、主な駅の跡地や、加世田の鉄道記念館にも立ち寄りました。

他県からの観光客は、一般的に南薩線が走っていたエリアには足が向かず、観光案内所に旧駅舎の椅子が置かれている枕崎は別として、知覧においても、昔、鉄道が走っていたことすら、団体でやって来る人々には知られていないのが現実だろうと思います。
そうした意味からすれば、今回の同行者3名は、私の拙いガイドではありましたが、多少なりとも南薩線への認識が深まったものと思います。

投稿: hvcc | 2011年5月26日 (木) 08時04分

なんさってっどう様、こんばんは。廃線跡の旬とは新たな境地ですね。確かにそのようなものがありそうな気もします。私が大学時代、友人に連れられて訪れた知覧線。廃線から15年余り経った頃でした。この頃は駅舎を始め、いろいろなものがまだ残っていました。現在の本線に当たる区間が廃止後25年以上過ぎているのですから15年なんてそれに比べると短いものです。なんさってっどう様のフィルムにはどのような様子が結像しているのでしょうか。

HVCC様、こんばんは。
今回の旅は、同行者の方がいらっしゃったということで違った味わいを得ることができたのではないでしょうか。私も以前、自らが興味を持っていた少々マイナーな部分を巡る職員旅行を企画したことがあります。バスを貸し切っての旅行でしたが、途中で58654の牽く列車に乗ったり、通潤橋を始め石橋をいくつか訪ねたり、バスの行けないところへ別の車に乗り換えて食事をしに行ったりと、ツアー的な旅行では味わえない体験をすることができました。若い人から年配の人まで「今度の職員旅行はよかった」という声をいただくことができました。HVCC様の今回の旅行も同行の方々は大いに満足を得ることができたものと思います。

投稿: Nakachan | 2011年5月26日 (木) 21時57分

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