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2011年6月17日 (金)

吉松の魅力再び

地元新聞のコラムに鉄道の町吉松に再び鉄道を軸にした賑わいを取り戻す取組のことが取り上げられていました。かつての鹿児島本線であり、吉都線(宮崎線)を介して宮崎へもつながるまさに都市間輸送の交通の要衝だった場所。学校の児童生徒の約半分は鉄道関係者の子どもだったというのも当時の吉松の性格をよく表しています。

今でも立派な駅舎やホームにその面影を見ることができますが、機関区があった頃はその広い構内と敷き詰められた線路の多さに、吉松がどれだけ重要な役割を担ってきたのかを伺い知ることができました。鹿児島、吉松、大口、都城、志布志、宮崎などジャンクションに当たる当時の駅は鉄道が主要交通であった時代の栄華を感じることができ、子どもの頃の私たちには鉄道の原風景ともなる場所だったものです。

吉松駅を起点にウォーキングコースを設定し、それに地元ガイドを付ける取組が進行中であることが紹介されていました。田の神様、温泉、美しい田畑など吉松のよさを発掘、発信していくとのことです。先日の駅構内へのひまわりの種まきも吉松の魅力を高めるための取組の一つだそうです。今後の盛り上がりに大いに期待したいと思います。

鹿児島中央駅前では永らく親しまれた南国日生ビルに替わって新しいビルが建設中です。ホテルがメインとなる建物になるようで、西駅時代の風景がまたひとつ消え、新しい風景が加わります。

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コメント

管理人様、こんばんは。吉松へ初めて行ったのは81年の夏でした、DEが牽く朝の客レ(オハユニ←何故か惹かれて)に乗って。前年の改正まで運行されていたという混合列車も無く八代まで有り触れたDC列車・何か感激の薄い小旅行だった気がします。10年早く同じルートを辿っていたら沢山の蒸機達を見て強い感動を覚えていたのでしょうが。写真集や趣味誌、ウェブサイトを通じて蒸機の拠点だったと知るのは後年の事です。最初の訪問で受けた薄い印象が響いて再度吉松のホームを踏んだのは急行「えびの」の終焉期、寂れた構内・寂れた駅前に往事を偲ぶのは不可能でした。我々が今だに追い求めている南薩鉄道の魅力・廃止後に生まれた諸君達へ語っても関心を寄せてくれるのは小数だと思います。『百聞は一見に如かず』鉄道の路線や情景に対する想いは感性や世代に依って違いが有りますが(もしも)再び汽笛と煙りが復活したなら吉松駅と町に暮らす人々も一気に活気づく筈です。観光特急も良いですが現役蒸機のメッカ・煙りの楽園と称された南九州エリアに汽車がいないのは淋しい限りであります。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年6月18日 (土) 22時27分

「吉松」は鹿児島県の鉄道ファンの聖地的存在。「よ・し・ま・つ」と聞いただけで血が騒ぎます。今でこそ、単なる肥薩線と吉都線の分岐駅的存在に甘んじていますが、多くの人手によって鉄道が動いていた時代、吉松の重要性は今では想像できないようなものでした。一人一人が誇りを持って鉄道を動かしていた当時、運用される機関車はその1両1両が輝いていました。58654が復活した当時、久々に目にする吉松での生きた蒸気機関車にこんな日が来るとは夢にも思わなかっただけに感激もひとしおでした。ここはもっとも蒸気機関車に相応しい地。是非、何らかの形で蒸気機関車の運転が近い将来実現できたらと思います。

投稿: Nakachan | 2011年6月19日 (日) 22時09分

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