« 佐々良トンネルの亀裂 | トップページ | 青田に寄り添う白川の築堤 »

2011年6月 7日 (火)

佐々良トンネルのコサージュ

「恐怖の2時間18分」。1979年、アメリカのスリーマイル島で起こった原発事故を扱った柳田邦男氏のドキュメント。1986年の出版。文庫本が今年5月に第5刷りとして増刷され、その本を今読んでいます。今回の東日本大震災による福島第1原発の事故。今日の報道によれば、事故調査の組織が立ち上げられ、その構成メンバーに柳田邦男氏も迎え入れられているとのこと。柳田氏はこれまで航空機事故、医療現場、装置産業事故など、現代社会の今日的課題を客観的な事実の検証をもとに、冷静に見つめその本質を明らかにされてきました。今回の原発事故の検証でも大いにこれまでの経験と氏の冷静な目がいかされることと思います。チーフの失敗学を提唱している畑村洋太郎東大名誉教授が出された基本指針には共感できる部分が多々ありました。周りからの干渉を受けることなく、客観的な事故調査がなされることが今後の鍵だと思います。「恐怖の2時間18分」を読み進めいていくと、原発という最先端の技術を支えるのはやはり生身の人間であり、特別な存在ではないという事実に突き当たります。今回の福島第1原発事故も、調査が進むにつれ、私たちが唖然とするような事実が出てくるのではないかと危惧しています。

知覧線寄り道記。最後にコサージュで少々おしゃれをした佐々良トンネルの様子をご覧いただいて、佐々良トンネルを後にしたいと思います。

Dsc_0401

|

« 佐々良トンネルの亀裂 | トップページ | 青田に寄り添う白川の築堤 »

南薩鉄道」カテゴリの記事

コメント

管理人様、こんばんは。コレ程までに保存(放置?)状態の良い佐々良隧道をあとにするのは少し寂しく「木綿のハンカチーフ」が必要みたいです。ポータルに遇われたコサージュは今だに若さ溢れる『良妻賢母』イメージな裕美さんの透明感ある素晴らしい歌声と重なります。さてJ北では又白煙騒ぎが有った様で度重なる車輛トラブルを残念に思い、国難を余所に混迷・権力争いしている永田町には怒り心頭。利用客を疎外にした国鉄時代の労使闘争を回想させる(杜撰で醜い)権力争いは国益を損ね復興への希望を踏みにじるモノで許せません。大相撲の八百長問題も消費税の段階的な増税も国民不在のまま『既成事実』となりそうで納得出来ません。こんな国にする為に特攻隊の多くの英霊戦士は南の海に命を散らされたのでしょうか、誠に申し訳なき切なさで胸が痛みます。福島第1原発で鎮静化の為に危険な業務に献身されておられる全ての皆様が戦争末期の英霊戦士に見えてしまうのです。作業員の御家族様がハンカチーフで涙を拭う事の無き様、ただ祈るばかりであります。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年6月 8日 (水) 00時27分

ご無沙汰しております。
ブログ毎日楽しく拝見しております。
知覧線跡の近況を拝見して今から四半世紀前に廃線跡をたどったときからの変化に驚いております。
当時、佐々良トンネルは舗装はされていなかったものの地域の生活道路として利用されており難なく通ることができたのがこのようになってしまうとは大変驚いております。
代替の道路ができたこともあるでしょうが過疎化が進んでいることも通る人がいなくなったことこと関係しているのではないかと思ってしまいます。
福島第一原の発事故は、装置産業のハード面に携わっている者にとっては色々と考えさせられます。
人間は便利(=暮らし易く)するために色々な物を造って使用しています。
その物はかってに動いているものではなく使う人(=オペレータ)があって動かされているものですが、ある意味高度化してしまっている現代の物は使う人の意思と異なった動き(=暴走)してしまうものが多くなったと感じています。
自動化の進行があまりにも速いために人のオペレーション能力がおいつけていないよな感じもします。
時々新幹線0系のことで、「人が使うことを前提に考えて設計された」とか「故障が発生したら人がわかるようになっている」と紹介されることがあります。半世紀近く前の物のことですが、設計の考え方については非常に共感しています。
しかし、装置のことはよくわからない人でも容易に操作できるようにと思いで物が高度化してきたものはたくさんあります。
世の中を測る尺度としては一般的に「経済」がありますが、経済性を高めるために装置の自動化による効率化、省力化進めたもののその装置のことを全て理解している「人」が非常に少なく突発的な有事に適切な対応ができなくなっているのではないかと感じています。
巨大な装置の部分部分のスペシャリストはいると思いますが装置全体を掌握しているコーディネータが重要な役割を担っていると思います。
(もっとも経済という尺度も色々なことで基準が大きく変動するものであり絶対てきなものではないのですが・・・)
鉄道にしてもバスにしても施設と車両、運転士がいれば事業ができるように言われることもありますが、運行計画の作成、実行、有事が発生したときの処理の方針決定や実行指示などをする人がいなければ運行はできないものです。(現場をおろそかにするということではなく組織として事業を遂行するには色々な役割がありそれがひとつ欠けても事業はできないとの考えです。)

投稿: You-enてっど | 2011年6月 8日 (水) 07時29分

夢幻鉄道様
 佐々良トンネルに長々とおつきあいいただいてありがとうございました。人里離れたところに時代から取り残されたかのようにたたずむもの言わぬトンネル。静かであればあるほど、時代をさかのぼり私たちをあの時代へ誘うまさにタイムトンネルのような効能があるように思えます。人々が一生懸命生きていた時代、生きるということに熱かった時代、そんな時代の人から見れば今の政治や相撲界のことはまさに信じられないような事態なのではないでしょうか。人々が夢見て追い求めてきた豊かな社会へひた走る中で、何か大事なものを置き忘れてきたように思えてなりません。人の手を離れて暴走する原発、何が何でも止めなければならない現場作業員の苦労はいかばかりかと思います。

You-enてっど様
 かつて歩かれた頃からするとずいぶんと様子が変わっていることと思います。里山がただの山に変わりつつあるところも多く、人の生活が感じられない藪に覆われた荒涼とした風景に寂しさが募ります。
 鉄道車両は、床下や屋根上など他の交通機関と比べると機器がむき出しになり、そのしくみがわかりやすいのも趣味の対象としての魅力ではないかと思っています。また、運行にしても人が多く関わり、その総合力として安全運行、安定運行が支えられてきたことが鉄道マンの誇りでもあり喜びでもあり、そんな姿が私たちを惹きつけてきたのだと思います。
 時代とともに自動化が進むとブラックボックス的な要素が増え、それが巨大システムとなっていくとますます人間の手から遠のき、あるときモンスターと化するような懸念があります。名古屋空港での中華航空機の墜落事故も乗員の意思と航空機の意思がぶつかり、乗員の思うように航空機が動かなかったことが原因でした。今回の原発事故、コントロール困難に陥り暴走する装置にどう向き合っていくのか。映画の中で見るような展開が実際に起こってしまったこと、しかもそれが広大な範囲に及ぶ被害をもたらすものであることに大きな衝撃を受けています。一日も早い収束、そして科学技術盲信からの脱却へ世の中が進むことを願っています。

投稿: Nakachan | 2011年6月10日 (金) 20時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 佐々良トンネルのコサージュ:

« 佐々良トンネルの亀裂 | トップページ | 青田に寄り添う白川の築堤 »