« 石橋 | トップページ | Handycam VX-1 »

2011年8月15日 (月)

あの頃の鹿児島(第13回)

遠くに見える山の上の団地から煙が。以前、消防団の方から火事の煙はすぐに分かる、といってその特徴を教えてもらったことがあります。今回の煙の様子はどうやら火事のようです。煙の量、そして煙が出ていた時間からするとかなり燃えてしまっているのではないかと思われます。やがて、白い煙に変わり、遠目には煙は確認できなくなってしまいました。

以前は近所でも火事はよくあるものでしたが、最近は少なくなってきました。それでも、たまに起こる火事は怖いものです。

久々に「あの頃の鹿児島」です。

鹿児島刑務所

 市営バス13番線の終点は原良小学校前。ここから先は区画整理が進まず、バスが通れる道もここまで。場所によっては乗用車が離合するのも難しいところも。この道を永吉方向へしばらく進むと右手に石積みの高い塀が現れます。住宅街の中に異次元の空間を作り出す立派な石塀は鹿児島刑務所。監視用の櫓様の建物も塀に沿っていくつか見えます。表に回るとそこには堂々たるアーチを描く石造りの門がそびえており、近づくのがためらわれるような雰囲気を醸し出していました。そして、その門へのアプローチが甲突川に架かる鶴尾橋。こちらも美しい複数のアーチを川面に映す石造り。伊敷町肥田から切り出した石を甲突川を用いて運び、刑務所と一緒に造られたものです。その先には市電などを利用してやってきた面会者が、受刑者への差し入れを購入していたという商店もありました。
 石の冷ややかさと独特の色合いによって、子ども心にその辺りに流れる空気まで違っているような感覚を受けました。塀の外側には道路との間に帯状の畑があり、畑仕事をしている人の姿がありました。その人たちが受刑者であることを知ったのは、しばらくしてからのことでした。また、新聞のチラシの中に刑務所での物品販売を知らせるものが年に1回程度だったでしょうか、入っていることがありました。安いからと、母はよく出かけていきました。
 移転に際して歴史的あるいは建築様式としての価値など高いと保存運動も起こりましたが、残念ながら撤去され、正面入口を残すのみとなりました。石橋の鶴尾橋も新しい橋に架け替えられています。鹿児島アリーナの建物は石造りだった刑務所の建物のイメージを大切にして設計・施工されており、その雰囲気、色合いはまさにあの頃の刑務所そのものです。

|

« 石橋 | トップページ | Handycam VX-1 »

あの頃の鹿児島」カテゴリの記事

コメント

管理人様、こんばんは。久々に拝見する表題、若い衆に昭和期のヨモヤマ話をすると『え~』と疑問符の付いた反応が返ってきますが本当に有るモノが有ったのです。今の鹿児島市街地を見ますと僅か20年前の情景が浮かばない事が多くなりました。今や大平原となった薬師2丁目・原良町(一部)の界隈を車窓から見ると浦島太郎になった気分になります。西警察署前から永吉方面へ少し走ると急に道幅が狭くなり永吉町バス停の付近から今も残る山際の狭い道を小野方面へ抜けるものでした。道幅が拡がり便利にはなった反面、当時の雑然とした町の雰囲気が消えた事に一抹の寂しさも感じます。最近のヤング諸君達は「原良ボウル」なるNOWな遊戯場が有った事実を知らないのでしょうね。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年8月17日 (水) 00時02分

まさに私が子ども時代を過ごした場所なのですが、あの水害から大きく変わってしまいました。古い町がこれほどまでに変わってしまうのも珍しいのではないでしょうか。地元人間としては少々寂しい気がします。原良ボウル、ここも遊び場でした。あの頃は、原良ボウルをはじめ、市内には今では考えられないくらいのボウリング場があるものでしたよね。

投稿: Nakachan | 2011年8月17日 (水) 23時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: あの頃の鹿児島(第13回):

« 石橋 | トップページ | Handycam VX-1 »