昨日に引き続き、煙霧現象で視界がすっきりしない一日でした。3連休の初日ですが、2日目は地区の体育大会、3日目はゲートボール大会と半強制参加の地域行事が控えており、今ひとつ気持ちもすっきりとしません。おまけに2日間とも終了後に懇親会付き。気候がよい季節になると休みの日は行事続きで、休みが休みでなくなるのは毎年のことながら恨めしく思います。
仕事の本の追録を差し込んだり、国鉄の基礎知識を読み進めたり、買ったまま積ん読になっていた重松清氏の「せんせい」を読んだりと、今ひとつぱっとしない一日を過ごしてしまいました。
重松清氏の著作は作品から伝わってくる主題にはっとさせられることが多く、人の生き方を考えさせてくれます。今日読んだのは文庫本の最初のお話「白髪のニール」。
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先生は『孤独の旅路』を弾いて、吹いて、歌った。うまくなったほんとうに。あの夏はどんなに練習してもできなかったハンマリングオンもプリングオフも、いい音でなっている。歌もいい。細く頼りなげな声でも、いい感じに枯れている。
二十八年間、一度も会うことはなかったし、思いだすこともめったになかった。それでも、先生はずっと、僕の先生だった。理科室ではなくドレミ楽器店の二階で教えてくれた。受験には役立たなかったし、先生からなにかを教わったんだということにも、若いうちは気づかなかった。オトナになってからわかった。ほろ苦い後悔や自己嫌悪とともに、先生から教わったことは胸に染みていった。
転がりつづけること。
生き抜くこと。
センセ、ボクはロールしよりますか。キープ・オン・ローリングしよりますか。
止まってしもうとっても、もういっぺん動きだしたら、まだ間に合いますか。
センセ、オトナにはなして先生がおらんのでしょう。先生なしで生きていかんといけんのをオトナというんでしょうか。
(新潮文庫「せんせい」重松清著から引用)
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「センセ、ボクはロールしよりますか。キープ・オン・ローリングしよりますか。」という問いに果たして自分自身はキープ・オン・ローリングしているのだろうかとはっとしました。いくつになってもキープ・オン・ローリングしている若さを保ちたいものです。
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