« 父が撮ったB737 | トップページ | 旧客予約 »

2011年11月 4日 (金)

昭和25年

今日仕事から帰ってきて残りわずかになっていた実家のフィルムスキャンを行い、めでたく終了しました。あまり外へ出歩くことのできない体ですので、ときどきテレビに大写しにしながら思い出を語り合ってもらえたらと思っています。

夢幻鉄道様から航空機の写真のリクエストをいただきました。あまり撮っていないものですから期待にお応えすることできず申し訳ないのですが、いくつか紹介したいと思います。以前のブログ等で紹介したものと重なるものがあるかもしれませんが、お許しください。

昭和25年と記された紙袋の中に入っていた白黒フィルム。スキャンすると航空機を背にした集合写真が現れました。桜島を背にした集合写真も含まれていましたので鴨池の空港なのかもしれません。60年ほど前の写真のようです。古写真ということで登場される方の顔をそのまま掲載することをお許しいただきたいと思います。

006

|

« 父が撮ったB737 | トップページ | 旧客予約 »

航空機」カテゴリの記事

コメント

管理人様、こんばんは。貴重な写真を拝見させて頂き有難うございます。サンフランシスコ講和会議の前年・朝鮮戦争が勃発した年の撮影ですか、まだ後方に旧海軍の待避壕が見えますね。そして諸氏と共に写り込んでいるのは(ティラー)パイパー・カブ、米国が造ったプロペラ軽の傑作だと推察します。《戦前は膨大な数の民間パイロットを育成(既に対日戦を想定!?)戦中は陸軍航空隊を中心に多目的支援機で活躍しノルマンディー作戦にも使われ1950年の時点で量産総数が2万機を超えた(敵ながら)アッパレな高翼単葉です》と手持ちの文献に書いてあります。ソノ基本構造及びコンセプトの高い完成度はセスナなど現在のプロペラ機にも連綿と受け継がれているのは私ごとき小僧が述べるまでもありません。この飛行機を見ますと日本国がアメさんに負けたのは国力の圧倒的な違いというマクロ要因と共に基礎となる分野での緻密な研究準備と柔軟な発想行動の差も有り、と思ってしまいますネ。さて今後も『忘れた頃に』『飛行機モノに限らず』マルチな古今の記録を垣間見せて頂けましたら幸いに存じます。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年11月 5日 (土) 23時31分

夢幻鉄道様は、航空機にも造詣が深いのですね。一部が写っている写真で特定できるとはさすがです。量産総数2万機とは桁違いにすごいですね。土の山のようなものが旧海軍の待避壕であることにも驚きました。この写真について実家に帰った折に父に聞いてみたいと思います。

投稿: Nakachan | 2011年11月 7日 (月) 20時49分

(前略)コメントを投稿以来たびたび写真を拝見しております。機種がパイパー・カブ機ではなくてセスナの初期タイプではないか?と。白いYシャツ氏が左腕をもたれ置かれている垂直尾翼の前位、付け根部分のカーブがセスナ初期タイプ機に共通している形です。因みにパイパー機は直線状に立ち上がっています(本来は知識軽薄な素人ですので断定は出来ませんが)その可能性が大の様な!?。敗戦後、米軍占領下の日本上空を日本人が飛ぶ事は禁止されていたはずですので米国人パイロットが持ち込んだ機体かと考えます。しかし写真の希少性は非常に高いですね、国内航空史関連の専門サイトでも滅多に拝めない貴重な記録であります。また鴨池空港当時の旅客ターミナルビルが現存しているのも貴重です(内部は老朽化してますが)最近はバスを撮りに出没しています。旧海軍時代からの格納庫が有った頃から撮っておくべきだったと思いながらパチリパチリと。

投稿: 夢幻鉄道 | 2011年11月 9日 (水) 21時28分

部分的な特徴からの推測に感心しております。一枚の写真からいろいろなことをご教示いただき、有り難く思っています。もう少し関連したフィルムがあればよかったのですが、数としてはほんの限られたものでした。あと1枚、関連する写真がありましたので、9日付けのブログに掲載してみます。

投稿: Nakachan | 2011年11月 9日 (水) 22時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 昭和25年:

« 父が撮ったB737 | トップページ | 旧客予約 »