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2012年1月10日 (火)

トンネル

交通新聞社新書は多彩な内容を取り上げた読み応えのあるシリーズで大変楽しみにしています。今、「『動く大地』のトンネル 世紀の難関『丹那』『鍋立山』を堀り抜いた魂」を読んでいます。鉄道トンネルについて歴史的なことや技術的なことなど記されており、大変興味深く読み進めています。

車窓を楽しみたいという乗客にとってはトンネルはあまり有り難くない存在です。ましてや近年開業した新線や新幹線などはトンネルばかり。しかし、この本を読んでいるとそのトンネルも煙たいばかりの存在ではなく、人との関わりの中で尊いものに思われてきます。世の中の様々なものを味わうためには「知る」ということは大切なことなのだと改めて思いました。

写真は薩摩布計駅跡に残るホーム。山深いこの地に鉄道を通すためにどれだけの人が関わったことか。苦労を重ねる中で、そう遠くない将来廃止になることなど考えた人は一人もいなかったことでしょう。薩摩布計をサミットとする前後にループ区間のトンネルなどここにもいくつかのコンクリート製のトンネルが存在します。

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鉄道」カテゴリの記事

コメント

南薩線よりも少し遅れて廃止されただけに、すでに25年ぐらいは経過しているのではないでしょうか。ホームの遺構もすでに自然に溶け込んでいるように見えます。鉄道があったときでさえ、戦前はここに金山があって、多くの人々で賑わっていることなど想像すらできませんでした。鉱山の住宅とC56の引く列車が一緒に写っている写真を見たときには大変驚いたものです。それにしてもC56が客車を引いていたころは、さぞ大変な難所だったかと思われます。水俣側からは海抜0m付近からこの高度まで登ってくるのですから、なおさらです。丁度、C56が1輌のオハユニ61を引いていた木次線の出雲坂根あたりの風景に通じるものがあります。布計には小学校があり、私が訪問したときにはすでに廃校となっていたようですが、素朴な木造校舎に校庭の八重桜が咲く姿は、まさに遠い昔のふるさとの風景でした。小学校の位置は忘れてしまいましたが、今でも小学校跡はあるのではないでしょうか。

投稿: なんさってっとう | 2012年1月13日 (金) 21時34分

ホーム端に塗られた黄色の警戒色がいまだ確認でき、四半世紀の時の流れが嘘のようです。布計集落も高齢化、集落人口減が進んでおり、あと四半世紀経つとこの辺りはどうなっているのだろうかという思いに駆られます。山野以北の蒸気機関車時代は鉄道誌等に掲載されることはほとんどなく、私のとって未知の領域です。さて、小学校跡ですが、布計駅を少し上がった道路沿いに今も一部の建物は健在です。数年前に痛んだ校舎の修復工事が行われ、縮小化とともに羽目板等が新しいものに取り替えられています。また、後日その様子は弊ブログで紹介したいと思います。

投稿: Nakachan | 2012年1月14日 (土) 18時51分

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