「工」の用地杭
午前中、2つの書店をゆっくり回ってきました。鉄道誌を1冊と新書を3冊購入。帰宅するとネットで注文しておいた本が2冊届いていました。
帰宅後、475系のインレタ貼付作業の続きを少し。今日はクハ455とモハ474の3両のみ。配置表によると鹿児島運転所に配置されていたのは…
クモハ475(モハ474)…9 10 11 12 13 14 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39
クハ455…5 6 7 8 9 10 11 12 21 22 23 24 25 26 27
サロ455…12 13 14 15 16 17 18 19 20 42 43 44
1983年の配置表には既にサハシ455の配置はありませんでした。それにしても多くの475系が配置されていたんですね。
さて、写真は用地杭です。南薩線吉利駅のもの。赤いペンキにより少々気味悪い姿になっています。側面には「工」の印。
この用地杭を含めて同駅跡に今のところ3つ確認しています。下の写真がそれ。右奥が現在工事中の駅跡、駅前商店も見えています。手前の用地杭が上の写真のもの。そく奥にも2本立っており、住宅との境にぴたっとくっつく形で設置されています。
奥の2本の用地杭の様子。
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コメント
以前の訪問で私も確認しました。
他の跡地で見られる「鹿交用地」表記の杭ではなく、「エ」ということで頭を捻っています。
とりあえず本物だと仮定して、その昔、国鉄に勤めていた人が自宅の周囲に埋めたのではないかという想像も…。
投稿: hvcc | 2012年6月24日 (日) 18時42分
鉄道用地と宅地との境だとすると何とも中途半端な土地だなと感じます。どのような経緯があったのか、鉄道用地として活用されていたのか興味深いものがあります。いずれにせよこの凸凹な土地の境界をはっきししておかなければという意志を感じることができます。この住宅の方にお話を伺ってみたいですね。
投稿: Nakachan | 2012年6月26日 (火) 04時52分