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2012年10月23日 (火)

メールでいただいたお話

冬がそこまで来ているような冷え込みになりました。明日の朝もかなり冷えるようです。

ときどきブログやHPを見てくださったからからメールをいただくことがあります。そんなときブログやHPをやっていてよかったなと思います。

つい先日もそんな有り難いメールをいただきました。ご本人のご了解を得まして紹介できることになりました。たいへん興味深い内容ですので、どうぞご覧ください。なお一部割愛しております。

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>貴記事にある鉄道のことが呼び水となり当時のことが奔流のように思い出されてまいります。
当時の鹿児島市電は500, 600系が主力でした。 定期券には甲券、乙券の2種類がありました。
福岡や北九州で西鉄の連接車を頻繁に目にしていたので連接車自体は珍しくなかったのですが、700系が導入されたときにはコントローラーが間接式、ブレーキも電気式(ブレーキハンドルの下の透明のプラスチックのカバーがとても斬新に思えた)、というわけでずいぶん近代的な車両がはいって来たものだと思ったものです。

指宿枕崎線にはC12が牽く6両編成の旅客列車があり、谷山で2両を切り離し(その入換えも牽引機が自分でやってました)、そこから4両で下って行きました。
翌朝の上り列車のときにまたその本務機が自分で2両を増結して西鹿児島に向かっていましたが、思えば朝の通勤時間帯にのどかなものでしたね。
客車のなかには荷物との合造車もまじっていたりする編成で、そこにも客が詰め込まれて相当に混みました。
後年山手線の6ドア車ができた時には、まっさきにその時の合造車のことを思い出したしだい。
C12にとってみれば客車4両ではあっても慈眼寺の坂などはかなりきついようでしたね。
きつい上りといえば、肥薩線の隼人から吉松に向かう夕方の列車の牽引機がC55でしたが、急勾配区間ではかろうじて前に進むくらいのスピードまで落ちてしまい、こんなことならD型機にすればいいのにと思ったものでした。

○○の実家に帰る際に、熊本から筑豊線経由の急行天草に乗り、冷水トンネルの中では最後部の客車の貫通部に立って、目の前数メートルにいる後補機D60のすさまじい排気音を聞いたのも懐かしい思いでです。
川内から阿久根に向かう海沿いを走る急行かいもん(キハ58)の車窓から見た海に沈む夕日に感激してから、もうずいぶんたちます。

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当時にタイムスリップしたかのような錯覚に陥るようなお話です。私一人だけで味わうにはもったいな内容で、是非このブログを読んでくださる方にもご紹介したいということでお願いをした次第です。ご快諾をいただきまして本当にありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

さて、今朝の鉄道模型いじりは座席枠の塗装。文具店で購入してきたポップスターという製品を使いました。水性顔料を用いたペンタイプで扱いやすく色乗りも良好。効率的に色差しを進めることができました。枠部分は試しにフリーハンドで色を乗せてみました。やはりどうしても揺れがあり、すっきりしませんので少々面倒ですがマスキングをしてから作業を進めることにしました。

Dsc_0380

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コメント

管理人様、こんばんは。興味深いと言うより引き込まれてしまいますねメールお便りの内容に。観光かごでん到着のニュースよりも谷山駅での客車解結シーンを幻想しワクワクしてしまいます。さて謎の続きをば、まだ日豊指宿肥薩線に蒸機列車が健在の頃。鹿駅からのC57重単が稲荷川橋梁上で向きを変えて機関区へ入っていく様子を撮影された一枚の写真が(架線されて区にはEDもいますので昭和45~47年頃の撮影かと)。重単は上流側にいるのです、もう長い年月を気にもかけずにいたのですが鳥越の件からアレ?何故?となりました。現在は上流側が本線で貨タ発着列車の方転は下流側(以前は更に下流側にも線がありましたが)の線で行われています。幾ら今より運転本数の少なかった日豊線と言えど本線上を塞ぐ形で入出庫作業をしていたのでしょうか?。因みに下流側の橋桁は石積みで歴史を感じさせますね、私は下流側が元々の本線だったと見ているのですが確たる証拠資料が手元にありません。

投稿: 夢幻鉄道 | 2012年10月24日 (水) 22時16分

夢幻鉄道様
その時代に体験された方のお話には本当に引き込まれてしまいます。木造駅舎時代の谷山駅で乗客を残したままでの解結作業、想像がふくらみます。さて、鹿児島機関区からの入出庫についてが新たな謎だったのですね。流石、見る視点が違うと感心いたしました。また、橋脚の様子から考察する鉄道考古学。私は残念ながら答えを持ち合わせておりませんが、これからあの界隈の古い写真に接したり、実際に橋脚を見たりする視点を与えていただいたようで、新たな関心がわいてきました。

投稿: Nakachan | 2012年10月27日 (土) 05時36分

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