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2013年1月17日 (木)

臨港線

1949(昭和24)年敷設された1900メートルの専用線。廃止は1984年2月と今日の地元新聞に記されていたのは鹿児島本港区にあった国鉄臨港線。新年明けてから連載されていた「港町を歩く」で登場しました。これまであまりその存在が注目されることがなかった臨港線ですが、新聞に掲載されて懐かしく思った方も多かったと思います。

今日の記事には1963年2月に撮影された俯瞰写真が掲載されていました。港に所狭しと係留された船舶、臨港線横に山積みにされた製材済み木材の列、臨港線に留置された貨車に寄り添い荷役をするボンネットトラック、水際で繰り広げられる活気ある物流の姿に、昭和のよき時代を見る思いがしました。

私が2歳の頃の様子。こんな時代に幼いながらも生きていた自分がいたことは何とも感慨深いものでした。

今、自宅横の道路が舗装工事のためにアスファルトが完全に剥がされ、土が露出しています。幼い頃、鹿児島市内でも幹線道路から一歩住宅地の道路に入れば舗装されていませんでした。今思うと信じられないような光景ですが、アスファルトが剥がされた様子を見て、当時のことが思い起こされました。

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鉄道」カテゴリの記事

コメント

管理人様、こんばんは。最終記事の内容と写真に「キタ~」。やはり延伸の計画だけはあったのですね、魚市場はともかく新港まで延びていたなら‥。記憶にある臨港線は末期の錆びついたワムワラ縦列(放置?)の姿だけなので初回の写真と共に生きている!荷扱いの情景にわくわくさせられました。トラックによる集配送が規模拡大を見せ始める高度経済成長前夜、また路線距離が距離なだけに頻繁に機関車が出入りして朝から夜まで貨車達が行ったり来たり、では無かったのでしょうが反って鉄道貨物の原点そしてヘロヘロした浪漫を感じます。出来れば実現して欲しい市電の延伸計画にも期待しているのですが、果たして。

投稿: 夢幻鉄道 | 2013年1月19日 (土) 00時46分

私は延伸計画があったことをこの記事で初めて知りました。この事実や古写真など、新聞が果たす役割の魅力を改めて感じました。今回のシリーズでも興味ある内容が盛りだくさんでした。市電の延伸計画については市長さんがかなり力を入れていますので、大いに期待しているところです。引き込み線といえば、重富駅にあった岩崎産業関連の専用線?にも大いに関心があるのですが、詳細は知らないままです。

投稿: Nakachan | 2013年1月19日 (土) 06時36分

管理人様、こんばんは。
そしてはじめまして。Kasshi.と申します。

姶良市在住の高校生で廃線跡探索が専門です。(笑)
コメント中にある岩崎の引き込み線についても調べてみたことがあるのですが1行に満たぬ程の記述しか見たことがありません。鉄道写真が趣味のためよく現地にも赴くのですが…。
ただ最近ある方のブログで線路が残っている時代の写真を見る機会があり、跨線橋の下まで日豊線と併走していたことを知りました。

身近で一番謎な廃線です。

投稿: Kasshi. | 2013年1月20日 (日) 19時45分

Kasshi様、初めまして。私も長い間、姶良に住んでいました。便利でとても住み心地の良い町ですよね。
さて、岩崎産業関連の引き込み線についての書き込みありがとうございました。引き込み線の存在は、10号線がオーバークロスする跨線橋の複線分の開口部が今に伝える大きな痕跡。私もその方のブログを拝見したことがあります。使用中止からかなり経ったと思われる線路がいい味を出しています。岩崎産業の枕木工場は1980年代まで廃墟となって残っていました。そして今でも残る突き出した岸壁にはレールが。おそらく広い方が1067㎜、狭い方はトロッコ用だったのではないかと思います。この頃、写真を撮ったりもっと調べたりしておけばよかったと今になって思います。日豊線沿いにあった引き込み線から折り返す形で枕木工場まで専用線が続いていたのか。大変興味深いところです。

投稿: Nakachan | 2013年1月21日 (月) 17時42分

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