14系座席車作業(その16)
昨日は6時に歯科医院を予約しておりました。治療ではなくクリーニングです。鉄道車両もそうですが、人間もメンテナンスが大事。しかし、急な会が入り、間に合うかやきもき。何とか6時前には終了して、後のことを人に任せて職場を離れました。
いくつかの信号がありますが、有り難いことに進行を現示するものが続々、気持ちよいくらいに閉塞がとれていきます。結局5分の延着で済みました。
帰宅後、小さなクーラーや通風器を指でつまみながら墨入れ拭き取りの作業を続けました。綿棒も固いまま使ったり、ほぐれた状態で隅々まで拭き取れる状態で使ったりと、やっているうちに段々要領がつかめてきました。
今朝の作業で一通り、全てのクーラーと通風器が完了です。写真の入れ物は先日のバザーで手に入れた弁当箱の蓋。もちろんメインの弁当箱も物入れとして活躍中。ちなみに値段は10円でした。
通風器はこんな感じになりました。内側が真っ黒に近い状態でしたので、表現が強くならないようほぐれた綿棒で拭き取り、枠の部分をさらに固い状態の綿棒で拭き取りました。場合によってはドライブラシで内側の板の先端を明るくするとさらによいのかもしれません。
これで屋上機器の準備が終わりました。屋根は軽くウェザリングをして落ち着かせた上でクーラーや通風器を取り付けたいと思います。
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コメント
お疲れ様です。
「山」というのは校有林、あるいは提供林でしょうか?
最近は「山仕事」という言葉自体も死語になりました。
付近の里山では住民が薪や山菜などを取りに行くために使っていた小道が、現在は全くの藪状態です。
里山の再生は環境問題にも関わってきますから、知恵を出し合い良い方向に進むことを願っています。
今回の画像は12系客車ですね。
12系客車を初めて見たのは中学生の時でした。
はっきり言って、良い印象は持っていません。
当時、中学生仲間(範囲は一応全国)の愛好会に入っており、会報に「電車(当地では153系)からパンタグラフを取り去ったような形…」と揶揄した覚えがあります。
個人的な嗜好は半世紀近くを経ても変わらず、好みは蒸機が活躍していた1960年代半ば、客車なら特急用は20系、急行用は10系+旧型、普通列車は当然ながら旧型客車です。
12系客車は万博輸送の波動用として割合多く製造され、その後はイベント列車に改造された車輌も多く、近年では原型を留める数の方が少なかったように思います。
好みはともかく、全自動扉なども含め、客車の近代化に貢献したことだけは確かですね。
投稿: hvcc | 2015年12月 3日 (木) 18時06分
↑先の書き込み、本来は12/3分へのコメントです。
その旨、宜しくお願いします。
投稿: hvcc | 2015年12月 3日 (木) 20時52分
そうですね。学有林です。先輩方から受け継がれてきたものですが、管理をどうするかとか活用をどう図っていくかとか、いろいろ課題があります。
私が12系に初めて乗ったのは昭和47年に国鉄100周年を記念して西鹿児島から都城までC612、C5557、C57199の三重連が運転されたときです。まだ真新しく清潔な印象を受けました。その次が中学校の修学旅行。一学年で900人を超える学校でしたので、12系の12両編成貸し切りの臨時列車でした。その次が、日豊線での蒸気機関車お別れ列車。その後、学生になってから臨時急行列車に数回乗りました。
模型を見ているとその頃を思い出します。
投稿: Nakachan | 2015年12月 4日 (金) 08時08分