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2019年8月

2019年8月30日 (金)

113系車番転写あと1ユニット

 時間を見つけては113系の作業を進めている。インレタの定着は快調で、車両番号はモハを1ユニット残すのみになった。文字の周りに糊状のものが付着するがそういう仕様なのだろう。車両番号が入るだけで鉄道車両らしくなり、楽しい作業だ。

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2019年8月28日 (水)

伊作太鼓踊り

 県無形民俗文化財になっている伊作太鼓踊りの奉納を見に行った。新聞によると、1406年伊作島津家4代城主久義の時代に考案されたという。毎年、8月28日と29日にわたって吹上一帯を踊って回る。吹上地区に6つの保存会があり、持ち回りで踊る。今年は田尻保存会が担当。半年近い練習期間を経て、本番に臨んでいる。
 奉納に先立ち、神事が行われる。県知事、市町も出席している。


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 小中学生の中打ちが6人、矢旗を背負い勇壮に踊る平打ちが24人。休むことなく40分踊り続ける。
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 昼食時以外は太鼓も矢旗もしばり付けたままとなるため、トラックでの移動となる。
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2019年8月27日 (火)

113系車番インレタ転写続行中

 午前中はデスクワーク。午後は、天気も回復したので、外へ出て職場の環境整備。先日の日豊線の草には参ったが、職場を草で蹂躙されるわけにはいかない。声を掛けたわけではないが数人での共同作業となった。予定した以上に広範囲に渡って綺麗になったのは有り難い。帰宅後、今度は住宅の草払い。どこへ行っても夏は草との闘いだ。お陰で久々に自宅にておいしいビールを味わうことができた。
 113系の車番インレタ転写を電動車1ユニット分進めた。号車番号が分かるように同時に号車札も貼り付けている。昨日のブログで漏れてしまったが、エンド表記も印刷済みとなっている。これで4両分の車番インレタ転写が終了。

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2019年8月26日 (月)

113系車番インレタ貼り

 帰宅後、113系のインレタ転写を行った。インレタは、時間が経ってしまうと転写しにくくなることがある。ものによっては、新しくても転写しにくい場合もまれにある。購入後、早々に行うに越したことはない。取扱説明書には、車両番号の位置がコンマ1ミリ単位で示されている場合もあるが、113系には示されていなかった。手持ちにストックしておいた参考写真を見ると、乗客用扉の靴ずりの下のラインの高さと文字の下のラインがちょうど同じになるようだ。いろいろ調べた中には、それより低いものもあったが、靴ずりの下のラインがバランスが良さそうなので、それで揃えることにした。

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 インレタシートから切り出し、窓下中央、靴ずり下のライン、水平を調整。インレタの糊が効いているので、位置決め後にそっと文字の部分を先が丸くなった鉄筆のようなもので要所を押さえてやると動かなくなる。その後、一文字ずつ丁寧にこすっていく。鉄道車輌独特の隅が丸くなった書体は、いかにも鉄道文字といった風で、萌える。車体表記も鉄道車輌の魅力の一つに違いない。
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 夕食前にクハ2両の車両番号を転写。この製品は、選択の余地のないドアコック表示、定員、形式、自重、換算表記が印刷済みとなっている。作業の手間が省けるので有り難い。これでコストアップになっているようだったら従来通り、自分で貼る方がよいのだが、実際はどうなのだろう。夕食のお供は屋久島の焼酎「三岳」。わざわざ種子島から送っていただいたいただきもの。つまみも別の方から送っていただいた落花生を塩ゆでしたもの。
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2019年8月25日 (日)

113系1500番台の下調べ

 昨日は、地区の夏祭りがあった。準備は壮年部が担当する。午後1時に集合。公民館から舞台用のコンパネやテントなど搬出し、会場となる運動公園へ。運動公園の椅子や長テーブルを運び出し、舞台のバックに使用するサッカーゴールポストの移動など準備。手伝いが多かったので、思いの外短い時間で準備完了。周辺では、出店の準備も進む。一旦解散し、夏祭り開始1時間前に再集合し、最終的な仕上げの準備。定刻通り、午後6時にスタートした。途中1時間ほど歌謡ショーがあった。かなり年配な方々が出演。懐かしい歌をということだったが、懐かしさを通り過ぎて知らない歌ばかり。化石のような歌ばかりだった。心配された天気は最後の花火のときになって崩れてしまった。雨の中での花火となってしまった。それまでもってくれたのは何よりだったが、片付けの段階になると本格的な雨に。その後、土砂降り。みんな濡れ鼠。家に帰ってゆっくりしたいところだが、公民館で慰労の飲み会をするという。みんな元気だと思う。
 しばらく寝かせることになったトミックス113系1500番台の作業に入りたいと思う。作業に入る前にいくつか確認しておいた。113系は1962(昭和37)年に登場した111系を基本とした系列で主電動機MT46形の出力を20%増強したMT54を装備。加速性能を向上させ中距離輸送の主力形式となった。1500番台は、横須賀線・総武快速線直通運転開始に伴う輸送力増強が目的で1979(昭和54)年に登場。全車が大船電車区、幕張電車区に配置された。1500番台は、シートピッチが拡大され、ヘッドライトとタイフォンの位置がわずかに高いという特徴がある。1984年の車輌配置表により、製品のインレタで幕張電車区配置は次の番号であることを確認した。クハ111(1505、1506、1605、1606)、モハ113・モハ112(1519、1520、1521、1522、1523、1524)、サハ111(1510、1511)、サロ110(1273、1275、1276)。この中から選び、インレタ貼付を⑪クハ111-1506⑩モハ113-1522⑨モハ112-1522⑧サハ111-1511⑦モハ113-1523⑥モハ112-1523⑤サロ110-1275④サロ110-1276③モハ113-1524②モハ112-1524①クハ111-1606とすることにした。検査表記は、1回目の全般検査の前として川崎重工での新製配置時の表記、配置は千マリ(千葉鉄道管理局幕張電車区)。

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2019年8月24日 (土)

宮崎からの帰路

 昨日は午前中、大会宣言文の確認、記念講演などがあり、正午に終了した。12:26発の「きりしま11号」に間に合う時間で実際、宮崎駅に着いたときには発車10分前であった。しかし、土産の購入に昼食の調達もあったので、余裕をもって約2時間後の14:16発「きりしま13号」を選択した。ゆっくり土産物を見て回っても、たっぷり発車までの時間がある。駅構内の椅子で持参の本を読みながら時間を調整する。国鉄時代は待合室なる部屋やスペースが十分に確保されていたように記憶しているが、今は申し訳程度の椅子しか準備されていないように思う。宮崎駅もコンコースの中に設置された椅子スペースがその代わりになっていた。落ち着けるような空間ではなく、人の往来の中に設けられたあくまでも短時間利用者のためのベンチのように思われた。
 ホームに上がるときにミス。久々の宮崎駅利用にうっかりしていた。駅員氏が立っていた改札に目が向き、何も考えずにそちらから自動改札。しかし、宮崎駅は、上り線のホームと下り線のホームの改札が独立しており、改札後は自由に行き来することが出来ない。ホームに上がりすぐに間違っていたことに気づき、駅員氏に断って向かい側の改札から下り線ホームへ。まったく恥ずかしいミスではあるが、慣れない一般の乗客ではよくある間違いではないだろうか。
 きりしま13号は、783系の5両編成。早めにホームに上がったので、5号車札の下の先頭で入線を待った。南宮崎方面から回送されてきた。ドアが開き、デッキから右側の部屋へ。運転室後方の座席を回転し、後方展望を楽しめるようにする。進行方向で楽しみたいところだが、下り列車ではグリーン席となるため、後方展望で我慢。定刻に発車。しばらくは高架線を進むのでスムーズな加速にスムーズな走向。日向路のレールが後方へと流れていく。DCが多く集う南宮崎を後にすると、いよいよかつて多くのファンが蒸機を追った区間を走行する。列車の揺れが大きくなってきた。当時の様子との大きな違いは、深い夏草に覆われた線路。線路は車輌が通る部分を残して深く高い草に覆われ、まるで草の屏風の間をすり抜けるように列車は走っていく。最後尾の車輌のため、空気が内側に巻き込まれ、風圧で通過直後草が大きく線路側になびく。本線とはいうものの、驚きの光景が続く。線路も枕木やバラストが草で覆われ、レールの頭しか見えない部分が多い。半径の小さいカーブも連続し、見通しはまったくといっていいほどきかない。カーブにおいては見通せる線路はわずかで、立山黒部アルペンルートの「雪の大谷」のような状況。運転士も少々恐怖を感じるのではないかと思う。往きの列車でシカとの衝突があったが、このような状況でしかも夜間となれば直前でシカの姿を認め、ブレーキをかける間もなく接触ということになるだろう。かつての撮影地は、このような状況で深い草に覆われ、撮影どころではない場所がほとんど。田野を出てすぐの大築堤も草に覆われ、鉄橋部分がかろうじて撮影可能のようだった。少々ショッキングな状況に心を痛めつつ、線形や勾配の状況、トンネルポータルなどを確認しながら、2時間あまりの旅を楽しんだ。
 このような現状を見るにつけ、国鉄時代の整った線路は管理あっての姿だったのだと気づかされる。よく整備された線路を含む鉄道施設は、魅力的だった。今では草に覆われているところは鉄道線路というイメージが定着しかねない状況で、鉄道経営の難しさは理解できるが、何とかならないものかと思う。

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2019年8月23日 (金)

宮崎へ

 久々の更新。宮崎への出張があり、久々に鉄分を味わった。2泊3日。往路は「きりしま18号」、復路は「きりしま13号」。きりしまは、787系と783系で運用されている。ほとんどが787系で、783系は2往復のみ。選んだわけではないが、たまたま利用した便が双方とも783系だった。787系は4両編成、783系は5両編成だ。
 往路は通常の勤務を1時間ほど繰り上げて終了し、鹿児島中央へ。「きりしま18号」は、鹿児島中央発18:28。駅弁を仕入れて乗り込んだ。ちょうど、仕事や学校を終えて帰宅する時刻と重なり、乗客は多い。鹿児島中央・国分間は、300円を追加すれば特急に乗車できる。特急列車ではあるが、ホームライナー的な役割も考慮して、国分まではほとんど各駅に停車する。先を急ぐ人にとっては少々、おもはゆいところもあるだろうが、柔軟なダイヤ設定というか利便性向上により、通勤・通学客の足の確保と特急料金獲得というwin-winを目指した列車という意味では乗っていてなるほどと興味をそそる。
 国分で通勤・通学列車としての役割を終え、時間も遅くになる列車ということで乗客の数はかなり少なくなった。783系は、中央に扉があり、前後に分割されたA室とB室がある。ボギー車でありながら、マッチ箱客車に乗っているようなコンパクトな室内が特徴。その空間に4人となった。これから霧島越えに挑む。既に外は暗くなり、楽しむのはジョイント音とモーター音、それに在来線特有の揺れのみ。車窓を楽しむ時間ではなくなった。そこで鹿児島中央駅で仕入れた駅弁を広げ、夕食とした。車内販売があれば、冷えたビールを買うところだが、車内販売が廃止されて久しい。鹿児島中央駅でビールを仕入れても、この時間にはぬるくなってしまう。お茶に駅弁という、少々不本意な夕食。車窓を楽しめないといっても、そこはよく知った路線だけに、勾配やカーブ、トンネルの感触から、自ずと外の風景が浮かぶ。C57やDF50が、歩むような鈍足であえぎながら登った路も、軽いうなりのモーター音とともに軽快に駆け上がっていく。快適で俊足になったのはいいが、霧島越えの感動は失せてしまった。それでも、昔からの路線には変わりないので、鉄分補給の力は十分にある。
 霧島神宮駅を出てしばらく行くと、ぐぐっと前のめりになって列車が停車した。北永野田駅へはまだ距離がある。近隣に道路がないような本当の山の中である。もちろん窓の外は漆黒の闇。しばらくして放送があった。シカと接触したので、安全確認を行っているとのこと。5分経っても10分経っても止まったまま。そのうちに「シカと接触」という表現は「シカと衝突」に変わった。接触では、シカ生存の可能性も感じられるが、衝突となるとシカの命はどうなったことやら。停車して15分ほど経った頃、ブレーキが解除され、ほんの少し後退したような感触の後、列車はゆっくりと加速を始めた。次の停車駅、西都城駅へは16分の遅れ。そのまま遅れを回復することはできず、終着の宮崎駅へも同様の遅れで到着。途中、車掌さんが個別に宮崎から先の乗り継ぎがあるか聞いて回った。2つ後ろの席の女性は、延岡まで行く旨、聞こえてきた。乗り継ぎ客が少なかったからか、連絡するはずだった「ひゅうが」は、「きりしま18号」の到着を待たずに、定刻で発車し、連絡待ちをしないことが放送で告げられた。件の女性には、南宮崎で普通列車に乗り換えるよう説明をしていた。
 宮崎には2泊する。今回の出張目的は研究大会への参加。主催者からホテル等の斡旋が業者を通して来ていた。前回、少々割高だと感じたので、今回は個人で押さえておいた。もともと安い設定のホテルだったが、斡旋料金は1泊7500円。同じホテルをネットの早期割りプランなどで1泊3650円で予約することができた。2泊で7300円。これは破格。ポイントがあったので、差し引き5300円で利用することができた。部屋は少々狭いが、ベッドは広く、まったく問題なし。前回少し損をした分を取り戻し、さらにおつりまできた勘定。

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