石橋

2013年7月29日 (月)

石橋を訪ねました

今日は平日でしたが、オフの一日。朝、5時に官舎を出発して熊本に向かいました。目的地は久しぶりに訪ねる石橋群。天気が芳しくないのは織り込み済み。しかし、雷を伴う土砂降りには参りました。現地についてしばらくすると天が怒ったのではないかと思われるような荒れ模様に、雷が自身の落ちてくるのではないかという怖れさえ感じました。

久しぶりに訪ねる石橋は落ち着いた風情を見せてくれました。

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2012年2月12日 (日)

橋詰橋

昨日、今日と良い天気に恵まれました。久々の青空が心地よく、のんびりと過ごしました。

さて、先日訪ねた大口・人吉方面の続きです。

国見山を源流とする芋川。深い谷を流れ、球磨川へ合流します。その川に架かる橋詰橋。石橋としては最末期ともいえる昭和30年の架橋です。

この橋の下流に一勝地橋があり、その訪問も楽しみにしていたのですが、辺りの風景は一変していました。昔の風情が残っていた通りは拡幅され、家並みも失われていました。そして、石橋であった一勝地橋の姿がありません。平成20年に新しい橋へ掛け替えられていました。肥薩線の鉄橋と並んだ姿はいにしえの風景として味わいがあっただけに残念です。石橋の一勝地橋は大正12年の架橋です。

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2011年12月25日 (日)

下手橋

サンタさんが子どもたちにプレゼントを持ってきてくれました。私が子どもの頃はブーツに入ったお菓子が玄関先に置かれていたものですが、もうそれは昔のことのようです。サンタさんの懐は大丈夫なのかと心配になるような品が当たり前の時代になってきました。

少々疑問を感じながらもそれに流されざるを得ない心苦しさ。サンタさんはどんな心境なのでしょう。

写真は川内から大口方面へ抜ける国道267号線求名下手バス停近くにある石橋、下手橋です。「里の石橋453」(南方新社)によると架橋は大正6年6月、長さ35メートル、幅4メートル、きょう矢5.3メートル、径間10.8メートル、石工は不明とあります。

2連の立派な石橋です。現在の国道の旧道ではないかと思われます。下流側にコンクリート製の下手橋があり、さらにその先に現在の国道の立派な鉄桁の橋が架かっています。時代とともに下流側へ道路が改良整備され、3代に渡る歴史を見ることができる場所となっています。石橋は説明板もなく、放置されているような状態です。左手はガードレールで仕切られてはいますが、現在使用されている道路から続く部分が残っています。しかし、右手は多目的広場(ゲートボール場)整備のために築堤が削り取られ、壁石等を支える石積みの部分が宙に浮いたような形になっています。欄干は失われていますが、支えていた柱部分は一部残されています。上流部の水切りは流されてしまったようです。壁石の間から樹木がいくつか生えてきており、そのためか壁石が外側へふくらんでいるところも見受けられます。貴重な文化遺産として定期的にある程度の手は入れて欲しいところです。

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2011年8月14日 (日)

石橋

岩永三五郎が架設した甲突川の五石橋が日常の風景としてあった頃、あまり石橋には関心を寄せていませんでした。子どもの頃からあまりにも日常の風景として空気のような存在だったからかも知れません。石橋への感心が高まったのは、熊本県の霊台橋に出会ったときから。まだ若かった頃、人吉から五木を通り砥用に抜けました。霊台橋の存在は知らず、目の前に突如として現れた大きな単一アーチ橋に度肝を抜かされました。熊本には他にも味わいのある石橋が多数あり、石橋の魅力にとりつかれてしまいました。

最近ではあまり石橋を訪ねる機会に恵まれないのですが、それでも石橋は気になる存在。改修や水害等で数を減らさないことを祈りつつ、時間ができたらまたゆっくりと訪ねて回りたいなと思っています。

写真はおなじみの浜田橋。水面の映ったアーチが面白い表情を作ってくれました。

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2011年8月10日 (水)

穴川橋

 宮之城を通った際に穴川橋に寄ってみました。平成18年7月に発生した洪水により川内川が氾濫し大きな被害を出しました。ここ宮之城も浸水し、多くの住民が被災しました。同年の10月には河川激特事業が採択され、川内川の抜本的な洪水対策が行われることに。その工事も今年で5年の年月を費やし、ようやく終了の見込みだそうです。さて3連アーチの穴川橋、すぐ横にある新しい橋が掛け替えの対象になっていましたので、てっきり石橋の穴川橋は撤去されるものと思っていました。しかし、嬉しいことに穴川橋はそのままの姿を私に見せてくれました。穴川が川内川に流れ込む部分にある穴川橋、架橋は1920(大正9)年です。
 穴川橋のことをネットで検索しましたら、「土木遺産in九州」という社団法人九州建設弘済会がアップしているHPを見つけました。トップには「(社)九州建設弘済会では、平成17年より創立40周年記念事業の一環として、土木遺産の発掘調査に取り組んで参りました。この調査は九州地域における近世から昭和期の土木施設を対象とし、先人達が時代の技術や知恵を結集し、苦労を重ねて後世のために築き上げてきた諸施設について、その立地や年代の他、構造諸元、設計施工者等について土木遺産目録として取りまとめたものです。またこれらの施設は、今なお人々の日々の暮らしに貢献する歴史的な遺産であり、地域の貴重な文化資産として地域の振興や活性化にも役立つ物と考え、「土木遺産in九州」として252施設(群)をホームページに公表しました。 」とあります。
 橋梁、隧道、堤防、ダムなど九州各県の土木遺産が掲載されており、たいへん興味深いものでした。

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2011年8月 7日 (日)

江之口橋

 江之口橋です。石橋を扱った本でこの橋を知り、かつて訪ねてきたことがありました。本に掲載された写真から受ける印象と実際に目にした橋の印象はずいぶん異なるものでした。やはり実際に行ってみなければ真の姿は見えてこないものだと思ったものです。この橋は八間川の治水工事に薩摩藩が弘化5年(1848)年に取りかかり、その一環として嘉永2年(1849)年は8月に肥後の石工岩永三五郎によって架橋されたと案内板には記されていました。

 辺りは「八間川水辺の楽校(がっこう)」として整備され、橋の横には駐車場と東屋が設置されていました。生活道路としての機能を現在でも果たしながら、160年余りの歴史を刻み続ける橋、その落ち着いた風情は私たちに大切な何かを教えてくれているようにも思えました。

こうして見てみると甲突川に架かっていた五石橋をミニチュアにしたような趣。すぐ横のお寺の石垣や建物もいい雰囲気です。

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